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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

栴檀の木は何処・・・

2010年07月10日 | Weblog
 先人の知恵に、農薬の役割をしていたのが、栴檀の木らしい。これは途轍もなく大きくなり、始末に困ることから、いつの間にか伐られて、植えられなくなったとのこと。旧暦の中には、この記述があり、また『藁1本の革命』で有名な、福島正信さんが提唱されていたのが、この栴檀の木である。何でも、桃や枇杷の傍に植えておくと、自然に雨で散布され、とてもきれいな実に育つのだそう。

 知人に頼んで探してもらっているが、一向に届かない。気長に待っているが、1年が過ぎ2年が経過中である。近くの花木店には見当たらない。恐らく、持て余すような木を、仕入れたりはしないのだろう。山も、海も、野原にも、地元産が消えていき、交配された品種が蔓延っている。自然を生きる知恵でもある。弱い物は、どうあったって消滅するのだ。現状にあった植物が生き延びていく。

 その点では、ドクダミの生命力には、圧倒されるばかりだ。冬の間に、根が要るので掘ってはいるが、無くなるどころか、反って勢いを増す。考えるのに、生命の危機感が、緊急連絡し合って連結するためであろう。ほったらかしにしていた時には、あまり蔓延ってはいなかったようで、ここ3年の内に増えた傾向だ。対策を講じるにも、ちと頭が痛い。

 狭い庭に、ごちゃごちゃと植えているが、冬には寒さ避けに、夏には西日を遮って暑さも凌げる。誰かが来れば扇風機がいるが、できる限りお構い無しにしている。仕事から帰って網戸にすれば、涼やかな風が、何処からともなく入ってくるし、換気扇を回していれば、クーラー並みの涼しさで、ともすれば風邪を引きそうになる。

 勤務先でも、夏場といえど腹巻は離せず、枇杷葉の湿布も、人知れずつけている。迂闊に忘れでもしたら、立って居られなくなる。自分の体が可愛いからであるが、皆は体調不良を口にするには、何等手立てをしない。どうにも不思議である。動けなくなってから、病院に行けるほど、症状は甘くない。況してや、手術をして治るとは思えない。

 先日、天文台での星座観測を書いた、私の投稿が出て来た。知っている方がリハビリにおいでなのだが、このところ随分と気弱になられているので、話のついでにと持って行った。忘れかけていた記憶が甦り、当時を懐かしそうに思い出され、何度もありがとうを繰り返された。私の想いが通じたのか、元気をだしてみようか。ともつぶやかれた。

 Bさんは、私の若い頃の写真を見て、今の方がいい顔をしている。と小さいがはっきり言われた。え?何故それがわかったのだろう。何だか心の中を見透かされたようで、ぎくっとした。枇杷茶を飲み始めて、そういった表情がなくなった、とは思えないが、悟れたことは消えないのだろう。そして顔の内面に覆われて、刻まれていくのか。とも感じてしまった。とても大切なことだが、人間の心理がわからなければ、この仕事はできないのだ。

 昨年の白茂木の苗。育ってくれるのかと心配したが、このところの雨で、グンと成長しました。それでも9年は確実に必要な年数です。
コメント
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