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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

薪御能

2010年03月07日 | Weblog
 毎年、この時期になると、奈良県の薪御能保存会から、1通の封書が届く。五月にある野外での御能の開催と、演題を知らせてくれる。今年は、『翁』と『玉蔓』ですが、例年の南大門でなく、他の場所だと記している。何か発掘されているようで、立ち入り禁止らしい。奈良は、阿修羅王像を観に通った。新聞によると、展示去れている阿修羅王に、直におめにかかれるようですね。ガラスケースには入ってないのだそう。

 薪御能は、内田康夫の『天河殺人事件』でだった。岸惠子が主演だった。能面に魅入られたようだった。『羽衣』の衣装の美しさと、演じての舞と、奏でられる楽器の音色に、魂を奪われるようだった。そして、野外での炎の艶やかさ、夜空の満天の星の輝きを、昨日のように覚えている。夜露がいつの間にか下りていて、しんなりと服が湿っていた。

 今年の奈良は、平安遷都1300年らしい。きっと大勢の人混みだろうな。でも、行きたいなあぁ。と思っています。希望休で出しておこう。還ってきた阿修羅王にも、遭ってこよう。奈良は、いいなぁ。入江泰吉記念写真館にも寄ろう。春日大社、万葉の小路、奈良公園をぶらぶらしたい。飛鳥村に行ったら、帰れなくなりそう。手塚治虫の作品の読みすぎか?

 勤務先では、わりと研修が多くて、出席云々ではなく、自分への向上心というか、好奇心が旺盛なのです。学べることが楽しい。専門的な分野になりますが、物事の基本は同じで、自分の質を高めることにあります。知っているようでも、忘れていたり、生半可な知識だったりすると、尋ねられた時に答えられない。また、右往左往して、時間ばかりがやたらと過ぎることになる。

 働くということは。ある意味、体が動かなければ駄目な訳で、動くまでは考えていればいいが、それは最短時間での動きにしなければ、意味が無い。時間をかければできる。のでもないのです。阿吽の呼吸には、心を通わさなければ、不可能になってしまう。即ちやったことが、何もしていないことになってしまう。覆水盆に還らず。今一度、自分のしていることを見直してみなくては。と思うのです。

 菜の花や月は東に日は西に。この句の作者が、誰であろうと、生活に支障がある訳ではありません。けれども、一人の人にとっては、そこから会話が出てきたり、心が落ち着いたりすることだってあるのです。万葉集や百人一首もです。その人の生活から紡いでこられたことで、話を聴き出してあげないと、自分都合になっていき、大声を出させたり、奇声をあげさせたりするのです。

 私は、自分の趣味で本を読んでいることと、知識を吸収しておいて、いざという時に何かの役に立てば、相手の方が安心し、共有できるかな?と、読んでもいる。知っていることを教えるのではない。知っていることから、出発していくことができるのだと考えています。心がよめる。というのも、そういった諸般の事情を察知できれば、自然と視えてくるし、あたりまえにわかってくるのではないかしら?

 枇杷葉の素晴らしさ。っていうか、不可思議なところは、何かの手がかりになったり、新しい想いが芽吹いたりすることでしょうか。これで終り。というのではなく、これから始まっていく。そういった思いや考えが、少しでも広がっていくのは、とてもうれしいし、愉しみでもあるのです。花粉症でお困りの方に、枇杷茶を薦めていますが、全ての方に効くのかは謎です。私が、花粉症でないので不明です。

 それでも、多少は症状が和らげばいいかな?と思うのです。飲んだ翌日に効いて、差し上げたこちらがびっくりしたこともある。アロエが効くとか、何がしが効いた。とかも言われます。情報に流されず、自分で確かめてください。そういう手間隙を惜しんでは、治ってはいかないでしょう。

 今を盛りに咲いている、シクラメンです。台所の出窓に置いてあります。真紅のシクラメンです。夜など、まるで明かりが点いているようで、心が温かくなりますね。
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