どんな仕事でも、働かなければ給料はもらえません。また、そこに働く気持ちの持ちようで、ストレスを抱えたり、馴染めない空気を吸い込んだりします。先日の落語に、『子猫』の噺がありましたが、人が嫌う仕事を敢えて行なう。と言うのも然りで、その人を批判することはできないと思います。当然ながら、其々にやり方が違うのですから。
人間は、生身の身体を持つが故に、生への確執と、死の恐怖に、絶えず揺れているのではないのでしょうか。私は、生きて死を迎えるのではなく、死ぬために、生き方を記しているのだ。と考えています。命は、自分のものでありながらも、新しい命に繋げるために、与えられていて、たった一つの使命のために、生かされているのだ。と思えるからです。
至極、あたりまえのことです。そのために、自分は何をすべきで、どういう役目で生まれてきたかを、知らなければなりません。ありとあらゆる生命によって、人間もまた生かされていることに気づかなければ、命の大切さは無駄になります。命が生を終えるとき、同時に新しい命となって、来世に繋がって往くように思えます。
神さまは、どうしてそういう手の込んだプログラムを、人間に課したのでしょうか?あたりまえの心に思い至ることができるよう、諭されているのでしょうか。人間の傲慢さをじっと視ておいでなのでしょうか。この場合の神とは、全知全能・宇宙のことです。あたりまえに生きることは、人が人として生を全うすることです。そこには何の差別も障害も、分け隔てするべきものもない、命そのもののことです。
人間が人である以上、それ以外の命に感謝して、生活をさせてもらうことなのです。この地球上に、人間だけが生きているなら、きっと明日には全滅するでしょう。人間に対する生命の繋がりがあればこそ、空気もあれば、食べ物もあるのです。況してや水と土、風と木が織り成す自然がもたらす恵みには、人間はどれほど援けられているでしょう。
人間は、自分から何一つとして、生み出してはいかれません。堪えず何かの力を借りています。酸素を作り出せないから植物からもらい、人間より他の者の命を奪って、食料にしているのです。彼らが人間よりも下等、というだけの理由です。命を分けてもらうことを感謝しなければならない。その上で、生かされていることがわからなければ、命を繋ぐことなどできないでしょう。
あたりまえの、感謝するという事。命を頂くと言う意味で、『いただきます』があるのです。野菜も、魚も肉も、人間以外の命です。人間だけに心があるのではなく、人間だけがそういうことに気がつかないのです。なんだかね、すごく滑稽でしょう。簡単ですが、できないのが、あたりまえのことなんですね。
枇杷葉茶を飲んでいると、普段は気づかない、ありふれた自然の想いに浸れます。心が緩んできて、とても幸せな気分になります。
人間は、生身の身体を持つが故に、生への確執と、死の恐怖に、絶えず揺れているのではないのでしょうか。私は、生きて死を迎えるのではなく、死ぬために、生き方を記しているのだ。と考えています。命は、自分のものでありながらも、新しい命に繋げるために、与えられていて、たった一つの使命のために、生かされているのだ。と思えるからです。
至極、あたりまえのことです。そのために、自分は何をすべきで、どういう役目で生まれてきたかを、知らなければなりません。ありとあらゆる生命によって、人間もまた生かされていることに気づかなければ、命の大切さは無駄になります。命が生を終えるとき、同時に新しい命となって、来世に繋がって往くように思えます。
神さまは、どうしてそういう手の込んだプログラムを、人間に課したのでしょうか?あたりまえの心に思い至ることができるよう、諭されているのでしょうか。人間の傲慢さをじっと視ておいでなのでしょうか。この場合の神とは、全知全能・宇宙のことです。あたりまえに生きることは、人が人として生を全うすることです。そこには何の差別も障害も、分け隔てするべきものもない、命そのもののことです。
人間が人である以上、それ以外の命に感謝して、生活をさせてもらうことなのです。この地球上に、人間だけが生きているなら、きっと明日には全滅するでしょう。人間に対する生命の繋がりがあればこそ、空気もあれば、食べ物もあるのです。況してや水と土、風と木が織り成す自然がもたらす恵みには、人間はどれほど援けられているでしょう。
人間は、自分から何一つとして、生み出してはいかれません。堪えず何かの力を借りています。酸素を作り出せないから植物からもらい、人間より他の者の命を奪って、食料にしているのです。彼らが人間よりも下等、というだけの理由です。命を分けてもらうことを感謝しなければならない。その上で、生かされていることがわからなければ、命を繋ぐことなどできないでしょう。
あたりまえの、感謝するという事。命を頂くと言う意味で、『いただきます』があるのです。野菜も、魚も肉も、人間以外の命です。人間だけに心があるのではなく、人間だけがそういうことに気がつかないのです。なんだかね、すごく滑稽でしょう。簡単ですが、できないのが、あたりまえのことなんですね。
枇杷葉茶を飲んでいると、普段は気づかない、ありふれた自然の想いに浸れます。心が緩んできて、とても幸せな気分になります。