悠山人の新古今

日本初→新古今集選、紫式部集全、和泉式部集全、各現代詠完了!
新領域→短歌写真&俳句写真!
日本初→源氏歌集全完了!

131 夕しぐれ空を

2005-12-22 06:30:00 | 新古今集

 特定のだれか、というのではなく、そういうところに住むのは、寂しさという風趣の分かる人にちがいない、と思い馳せる。小学版は「心の友を求めて思いをはせる作者の人間的感味」と評。
 ひらかなy131:ゆうしぐれ そらをみあげて おもうのは
          やまざとにすむ おもむきのひと
 ひらかなs1640:たれすみて あはれしるらん やまざとの
          あめふりすさむ ゆうぐれのそら
【略注】○あはれ知る=(山里の)寂情の趣を知る。
    ○すさむ=(荒む。進む。遊む)「すさぶ(荒ぶ)」に同じ。
    ○西行=悠 006 (07月04日条)既出。

130 世を離れ他では

2005-12-21 07:30:00 | 新古今集

 大原の庵から、久しぶりに井の尼が下りて来た。作者は懐かしく感じて、都から近いし、それほどの鄙(ひな)ではなかったでしょう、と歌を遣わした。ところが尼の返歌は・・・。(補説)
 ひらかなy130:よをはなれ ほかではなくて おおはらに
          おすみになった いごこちいかが?
 ひらかなs1630:よをそむく かたはいづくも ありぬべし
          おおはらやまは すみよかりきや
【略注】○世をそむく=世の中に背を向ける。世を捨てる。
    ○方=(方角、方向→)場所、住まい。
    ○大原=(京都市左京区)古来、大原炭の産地として知られる。
    だから「炭」と「住み」が掛詞。
    ○和泉式部=悠 053(09月08日条)既出。補説あり。
【補説】①返歌
    1639 思ふことおほ原山の炭窯は
        いとどなげきの数をこそ積め    少将井尼
    かえって、なげき(木)という薪(まき)を積むばかりでしたよ。
    ②大原の炭。『後拾遺和歌集』に
    「心ざし大原山のすみならばおもひをそへてみこすばかりぞ」
    と、ありと。
    ③翁地蔵(大原炭伝説)。 
    http://www.tabit.ne.jp/kaburituki/kyoto/ohara/h_ohara.htm
    「むかしむかし、三千院のそばの小野山の麓に炭焼きの翁がすんでおりました。
    樫の木を伐っては炭にし、 楢の木を倒しては炭に焼いておりました。その焼く
    炭は天下一品、翁の名は都にまで及んでおりました。 「太山木を朝な夕なにこり
    つめて寒さをこうる小野炭焼」などと和歌によまれたり、画題になったりで、 三千
    院から少し足をのばして翁の炭焼きがまを訪れる人がずいぶんありました。やが
    て翁が亡くなると 淋しく思った人々が皆でかま跡にお地蔵さんをたてて翁を偲ぶ
    ことにしました。いつしかこのお地蔵さんを 「翁地蔵」とか「売炭地蔵」とか呼ぶよ
    うになり、またどういうわけかお供えの水をつけると子供の 「夜尿症」が直ると伝
    わるようになりました。今でもひそかに翁地蔵にお参りする親子の姿をみかけま
    す。 翁地蔵さんは、三千院の境内の紫陽花苑の奥の津川をわたったところにあ
    ります。」
☆「草稿中」にしておいたものを、早朝開いてみたら、この記事が全部消滅していた。いつも控えはとらないので、ゼロからの修復作業だった。goo さん、どうして?


129 山暮らし想像

2005-12-20 06:30:00 | 新古今集

 信仰心が試される深山での修行。小学版は「高く澄み入る心を求めた生き方にもとづく昂然とした心境」とみる。西行の心理を、私はもう少し大らかにした。
 ひらかなy129:やまぐらし そうぞうよりも ふかいもの
          すんではじめて おもむきをしる
 ひらかなs1630:やまふかく さこそこころは かよふとも
          すまであはれを しらんものかは
【略注】○深く=山の「深さ」と心の「深さ」。
    ○さこそ=どんなに(山のことをあれこれ想像しても)。
    ○知らんものかは=知ることは出来ないだろうなあ。
    ○西行=悠 006 (07月04日条)既出。

image004 京都の食べ処で

2005-12-18 07:30:00 | images

title : In a restaurant of Kyoto
yyyy/mm : 2004/11

☆personal memo : 今夜のクリスマス・オルガン・コンサート。①OY(organist)さん。 Water Music(Handel)で始まったが、まだ二、三分かと思われる冒頭に、続けて二回指が転がった。一瞬のことなので、聞きながら悪夢かと疑ったりした。聞く態勢も整わないうちに、である。Toccata con Fuga in d(Bach)も、多分千回以上は聞いている曲。T. 始めに、かなりはっきりとしたTriller が入った。今まで気がつかなかったのか、版の関係か。注意していると、他の個所でも Triller が入った。F. へ移ってから、ここでも少なくとも二回、連続して指が滑った。たしかに早いパッセージではあるけれど、かなり耳に残った。②TY(soprano)さん。非常に安定した歌唱で、よかった。ただ、声質は私の耳にはマッチしないが、個人の好みに属するのかも知れない。楽器としての声には、基本的には張りと艶が不可欠、というのが私の鑑賞の仕方である。③衣装は、非常に対照的だった。Oさんの simple に対して、Tさんは dressy。④Toccata ~の演奏途中で、聴衆の拍手があって、少し驚いた。⑤プログラムに大きい写真を載せるだけあって、ヴィジュアル系。二人とも感じのいいお嬢さんだ。・・・というわけで、前半だけ聴いて退出した。夜空に月齢16の月が、皓皓と輝いていた。イルミと一緒に撮影したかったが、珍しくカメラを持って来なかったのは、残念。(17 dec,21:55)


128 夏なのに時を

2005-12-17 06:00:00 | 新古今集

 題詞に「五月(さつき)の晦日(つごもり)に、富士の山の雪白く降れるを見て」とあるから、もう真夏の雪。万葉以来、夏の雪は畏敬の目で詠われている。
 ひらかなy128:なつなのに ときをしらない ふじなのか
          まだらもように ゆきがふるとは
 ひらかなs1614:ときしらぬ やまはふじのね いつとてか
          かのこまだらに ゆきのふるらん
【略注】○時=季節。
    ○在原業平=悠 077(10月07日条)既出。
【補説】富士の歌。三首並ぶ。
    1612 世の中を心高くも厭ふかな
        富士の煙を身の思ひにて  慈円
    1613 風になびく富士の煙の空に消えて
        ゆくへも知らぬわが思ひかな  西行
    慈円の「思ひ」とは、世俗から離れて、自らを高く修行する決意。
    西行は、自選の最高の一首としたと。家集で「恋」の部に。二、三
    年後に死ぬことになるのだが、それを追って慈円が「俺は彼とは
    違うぞ」と、上の歌を残した。


127 明け方の大阪

2005-12-16 06:00:00 | 新古今集

 平安の京(みやこ)に住んでいて、たまさか海辺で一夜を過してみると、とても自然が新鮮に感じられる。小学版注は「海の自然の動きの珍しさの感味にくわえて、幽玄の感味がある。」とする。
 『新古今和歌集』巻第十七(雑歌中)は、1586 から 1687 まで。都を離れた山里の歌が多い。
 ひらかなy127:あけがたの おおさかわんの なみおとは
          よなかのかぜの はげしさゆえか
 ひらかなs1595:おきつかぜ よはにふくらし なにはがた
          あかつきかけて なみぞよすなる
【略注】○難波潟=難波江。大阪湾(の岸辺)。東京湾と同じように、古代から
    中世のころには、海岸線がだいぶ陸側に入り込んでいた。
    ○藤原定頼=藤原公任の子。4首。