百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

市老連研修視察(旅行)第2日目

2010-06-15 21:57:59 | Weblog

 6月15日  (火) 
         平成17年1月1日より 2,024日目
                                     歩いた歩数        その距離
          本日             3,637歩       2,546m
          総計   27,942,843歩  19,559,990m
パキスタン・アフガニスタン・イランからトルコに入境エルズルムに向かう。後136,317m

              
                       塩沢つむぎ記念館

              
                          本塩沢

  研修視察2日目は午前中自主研修、午後ホテルで昼食の後、近くの海産物店で買い物をし、塩沢の『塩沢つむぎ記念館」訪問で帰途に着いた。

 『歩いて世界一周』のフィナーレで歩いた道の復習で懐かしい。久し振りの南魚沼の活況を見たが、塩沢の街に地元愛宕町の雁木通りを凌ぐ見事な黒塗りの雁木通りを見たのには驚いた。また嘗てお世話になった沢山あった果物店がまったく見当たらない事に時代の移り変わりを感じた。

 目指した『塩沢つむぎ記念館」が売店のような運営で居場所にも困ったが、真剣に紬の原料に植物の繊維を使用して居ると、気の遠くなるような糸作り作業の話をされた係の方には敬服した。売らんかナではなく、千年の伝統を受け継いで来た雪国の厳しさを感じた。

 上品なネクタイに心惹かれたが、9350円の値段に手を引っ込めたが、それだけの値打ちのある作品だと改めて認識した。

 帰途は石打から十二峠を越えて越後田沢にでるものと思っていたが、塩沢から十日町の土市に出たのには驚いた。十二峠にしろ八ケ峠にしろ高い山に登って最後はトンネルで抜けるのに、この道には峠らしいものは無く沢伝いに通り抜けた感じだった。まったく新しいルートの発見を喜ぶと同時に自分の不明さも反省した。

 今回の研修視察では八十五年も生きて居ながら経験したことも無い初めての発見・初めての学習でたいへん大きな収穫を得た。主催者の企画に感謝頓首する。

 

 


市老連研修視察(旅行)

2010-06-15 18:15:04 | Weblog

 6月14日  (月) 
         平成17年1月1日より 2,023日目
                                 歩いた歩数        その距離
         本日            5,584歩           3,909m
         総計   27,939,206歩  19,557,444m
パキスタン・アフガニスタン・イランからトルコに入境エルズルムに向かう。後138,863m

  市老連主催の研修視察(旅行)に参加した。参加者総員69名宿泊先のホテル差し廻しのバス3台で午前11時道の駅『信越さかえ』に集合した。14日の研修視察先は十日町市中里の「ねじり杉」・『清津峡渓谷トンネル』・「関興寺」 だ。

                      
                           ねじり杉

 嘗ての中里村の角間地籍、初めて訪れた脇道。細い山道を登ってやっと辿り着いた道は行き止まりで、バスを降りて更に急傾斜の山道を行く。杖を突いて行く者・腰を伸ばし伸ばし行く者見られた姿ではない。昇りきった祠の脇に立つ『ねじり杉』を見てアッと驚くと共に、今までの苦しみが喜びに変わった。こんなにひねくれた杉は見たことも無い。見事なもの!誰もが生まれて初めての杉に対面して今日の研修視察の意義を感じた。

              
                    清津峡渓谷トンネル

次いで訪れた清津峡。風が強く、バスの中で持参の結びを食べ、春の清津峡には興味も湧かなかったが、750mというトンネルにはその労苦を偲び名がら歩いた。進むこと15分余り、ポット開いた第一見晴所からの眺めに清津の柱状節理の見事な景色に圧倒されて疲れも一辺に吹っ飛んだ。

 第2・第3の見晴所から第4の見晴で眺めた渓流の流れが逆になって居ることに気づいて皆んな騒然となった。今までの流れは信濃川で第4の流れは魚野川か?

                             

 後で感じたことだが、750mの中で分水嶺が代る筈がない、ということ。ではどうして1~3までは左に流れ、第4だけが右に流れて行くんだろう?どうしても判らない。

                             
                          画                           関興寺

  南魚沼市上野の関興寺、「関興寺の味噌舐めたか}「雲洞庵の土踏んだか』と対で有名な禅宗の名刹。この伝えは「上杉謙信の急死で景勝・景虎の二子の間で家督争いが起こり、その兵火にあって諸堂が焼け、関興寺に納められていた大般若経六百巻がは味噌桶の中に埋められて難を逃れたという。これによって『寒興寺の味噌なめたか」との言葉が生まれたという話だ。幸い私たては昨年、雲洞庵を参詣している。

                              

 午後三時、すべての研修視察を済まし、ホテルニューオオタニに到着、ヒスイの名湯に入り、六時からの宴会を楽しんだ。初めての体験学習に企画した役員さん方に皆感謝して居た。有難う!

 

 

                 


末広会

2010-06-14 06:36:12 | Weblog

 6月13日  (日)  ①
         平成17年1月1日より 2,022日
                                 歩いた歩数       その距離
         本日           14,523歩     10,166m
         総計   27,933,622歩  19,553,535m
パキスタン・アフガニスタン・イランからトルコに入境エルズルムに向かう。後142,772m

 末広会の日。隣のTさんが裏の畑で一緒になり、『今晩は区の祭典の相談があるので出席できない』と残念がっていたが、総勢6名が集まっての酒盛りとなった

 末広会が発足したのは私が39歳のときだったので46年前だ。街の若者が選挙のこじれで先輩からはじき出されたことから、威勢のイイ青年たちの音頭で立ち上がったので「40歳まで」という制限付きだった。私は翌年資格外になったのだが、そのままづるづると続いて来てしまった。

 最盛期には30人もの大所帯で無尽も2本落とし、一年一回の旅行は海と山の交代で出掛けた。勢力も年上の『十日会』を上回り区の運営にも大きな影響力を持っていた。しかし永い年月、嘗ての青年も70・80の年寄りとなり、気力も知力も衰えて迫力もなくなり今は残党7名を残すのみとなってしまった。

 今日も今日とて、一時間ほどの酒飲みに飽きて、解散の声が掛った。此処で世話人のKさんから『神社の運営に知恵貸して欲しい」との発言があってやっと一升の追加となり、久々に盛り上がった。口角泡を飛ばす勢いとなったが、大方は現状を批判するのみで建設的なアイディアは見当たらなかった。私は育英基金の拡大充実という大きな荷物を抱えているので、余りにも小さな話で仲間になりきれなかった。


アスパラ不調

2010-06-12 18:47:47 | Weblog

 6月12日  (土) 
        平成17年1月1日より 2,021日目
                  歩いた歩数        その距離
        本日           15,341歩          10,739m
          総計   27,919,099歩  19,543,369m
パキスタン・アフガニスタン・イランからトルコに入境エルズルムに向かう。後152,938m

                      おらほの方言 NO.31

                
                『今年のアスパラ、どうしたんだろう?」というのが
                   この頃の挨拶になってしまった。去年はそう言えば
                    早々と赤くなって枯れてしまったナ。それだからか、
                  「俺のうちなんて半分だョ」「俺のうちはイイところ三
                   分一だョ」・・・エェ!皆んなそれ程出てるのかい?
                    俺のうちなんて、ほとんど生えて居ないョ。

 かのえさんは「おらほの方言」でアスパラの不作をこんな風に表現しているが、今年の天候不順が影響したのか、昨年の『早々と赤くなって枯れた』のが原因かは私には判らないが、聞こえてくるのは『アスパラが出ない』という悲鳴ばかりだ。

 日本一のアスパラ産地と自他ともに認められ、農家の春先の貴重な収入源となっていたアスパラの減収は個個の農家ばかりでなく、みゆき野地方に深刻な打撃を与えた。それは経済的な問題だけではない。恐ろしいことに人間対人間の信頼関係にまで及んでいる。

 信州といえばリンゴと相場は決まって居た。冬が近づくにつれ、何処の家でも誰でもが親戚・友人・知人にリンゴを贈ってお互いの絆を確かめて居たが、この地方では更に日本一のアスパラ産地を誇るだけあって、何処の家もアスパラを贈って来た。『美味しい!」という便りを聞かれるのが自慢だった。

 ところが、農家から『今年もアスパラ要るかい?』と声が掛って来るものと思って待っていたが、一向に音沙汰がない。『毎年送ってるので、今年は未だかいネ」と声を掛けたら「今年は出が悪くて、もう終わりダ」という返事。親類や友人からは「毎年美味しいアスパラ貰ってるので待ってるヨ」と期待の挨拶。

 不作で高いから送って来ないのか、ケチくさい。と疑われても無い袖は振れない。   参った! まいった!


スニーカー買い替え

2010-06-11 18:39:01 | Weblog

  6月11日  (金)  ②
        
平成17年1月1日より 2,020日目
                歩いた歩数        その距離
        本日           15,921歩        11,145m
          総計   27,903,758歩  19,532,631m
パキスタン・アフガニスタン・イランからトルコに入境エルズルムに向かう。後163,676m

                 
             左 踵の減ったシューズ 右 は鋲を打ったシューズ

 つい先日、買ったばかりと思っていたスニーカーの踵がへってクッションが丸見えになってしまったので、今日買い換えた。そして踵が減らないようにステンレスの鋲を植え付けた。こうやっても鋲の頭はじきにへってしまう。気付いて変わりの鋲を直ぐに隣に埋め込めば良いのだが、遅れると踵の部分が減って来る。

 最近はへる速度が速くなって来たような気がする。安い靴を買うせいか?、足が弱って踵を引き摺って歩いているせいか?は判らないが、多分両方だろう。これも歳のせいか?

 アースマラソンの間寛平さんは、毎日50km目標で走るので、5日しかスニーカーが持たないと言っていたが、私はそれでは身上が持たないので、踵にステンレスの鋲を打って歩いているのだが、一年に何足も買い換えている。踵が減り過ぎると、雨の日は雨水が滲みて靴下まで濡れてしまい、気持が悪い。

そこで、天気の良い日は、踵の減ったスニーカーを、雨の降りそうな日は踵のへってないスニーカーを、雨降りの日はゴム長を履いて歩くことにしている。経済を考えての行動だが、本来ケチで貧乏性だから…。

       今晩は酔って本音が出た。