6月14日 (月)
平成17年1月1日より 2,023日目
歩いた歩数 その距離
本日 5,584歩 3,909m
総計 27,939,206歩 19,557,444m
パキスタン・アフガニスタン・イランからトルコに入境エルズルムに向かう。後138,863m
市老連主催の研修視察(旅行)に参加した。参加者総員69名宿泊先のホテル差し廻しのバス3台で午前11時道の駅『信越さかえ』に集合した。14日の研修視察先は十日町市中里の「ねじり杉」・『清津峡渓谷トンネル』・「関興寺」 だ。
嘗ての中里村の角間地籍、初めて訪れた脇道。細い山道を登ってやっと辿り着いた道は行き止まりで、バスを降りて更に急傾斜の山道を行く。杖を突いて行く者・腰を伸ばし伸ばし行く者見られた姿ではない。昇りきった祠の脇に立つ『ねじり杉』を見てアッと驚くと共に、今までの苦しみが喜びに変わった。こんなにひねくれた杉は見たことも無い。見事なもの!誰もが生まれて初めての杉に対面して今日の研修視察の意義を感じた。
次いで訪れた清津峡。風が強く、バスの中で持参の結びを食べ、春の清津峡には興味も湧かなかったが、750mというトンネルにはその労苦を偲び名がら歩いた。進むこと15分余り、ポット開いた第一見晴所からの眺めに清津の柱状節理の見事な景色に圧倒されて疲れも一辺に吹っ飛んだ。
第2・第3の見晴所から第4の見晴で眺めた渓流の流れが逆になって居ることに気づいて皆んな騒然となった。今までの流れは信濃川で第4の流れは魚野川か?
後で感じたことだが、750mの中で分水嶺が代る筈がない、ということ。ではどうして1~3までは左に流れ、第4だけが右に流れて行くんだろう?どうしても判らない。
南魚沼市上野の関興寺、「関興寺の味噌舐めたか}「雲洞庵の土踏んだか』と対で有名な禅宗の名刹。この伝えは「上杉謙信の急死で景勝・景虎の二子の間で家督争いが起こり、その兵火にあって諸堂が焼け、関興寺に納められていた大般若経六百巻がは味噌桶の中に埋められて難を逃れたという。これによって『寒興寺の味噌なめたか」との言葉が生まれたという話だ。幸い私たては昨年、雲洞庵を参詣している。
午後三時、すべての研修視察を済まし、ホテルニューオオタニに到着、ヒスイの名湯に入り、六時からの宴会を楽しんだ。初めての体験学習に企画した役員さん方に皆感謝して居た。有難う!