10月7日
10月7日
平成17年1月1日より280日目
歩いた歩数 其の距離
本日 15,271歩 10,690m
総計 3,780,255 歩 2,646,179 m
仮想通過地点 沖縄(9.23)
前回の老人大学は訪中で休んだので、葬儀の寺参りを妻に頼んで公民館へ。一班の皆さんに運動会の話を聞き、訪中土産を配る。午前の講義は「くらしの中の経済」。
斉藤先生の話は、インフレで買った家の返済が楽に出来た話から始まってデフレにつける薬は無い、と。話を説き起こし、少子化が及ぼす経済とデフレを語り、漸く大都市の地価の上昇傾向や大企業の設備投資の上向きからデフレ傾向の脱却に向かいだしたと説明、龍安寺の「吾唯足るを知る」に持ってゆく。
久しぶりに気分の良い講義を聴くことが出来た。
午後はパソコン教室。私の「ブログ」を土台にインターネットの立ち上げ・終了の仕方の学習。休憩時間に訪中土産を皆さんに配り、放課後に休憩室で訪中の写真を見る時間を頼む。後半は研修旅行の記録を写真を主体に取り込む方法を学習する。
漸く記録の仕方に辿り着いたが、目の見えない者が手引きされて着いた感じだ。恐らく家に帰って出来る人は居ないだろう。
思い出の「道中日記」 33日目 小千谷市~川口町
起床4:40 出発6:00 天候久し振りに晴れ 就寝10:30
今日の行程
フィニッシュを15日と設定されたので、ここら辺からウオーキングを圧縮調整に入らないと、格好の悪い形になりかねないので、今日は昨日の妙見堰から歩き始め川口町の道の駅あぐりの里でウオーキングを中止。小出の長崎さんを訪ね仏前に香を上げ、大湯温泉で休息する。
117号線の終末地点
長野から来た117号線は8号線と交差する小千谷市の三佛生で終わることを確認した。
長いトンネルで肝を冷やす
小千谷市から信濃川をわたった所を過ぎたところで長い長いトンネルがある。今まで迂回して敬遠してきたが此処は深い谷と高い山とが入り組んでいて迂回できる歩道はない。意を決してトンネルに入ったが、生きた心地がしない。長く遠い遠い道、地獄の釜の中に入ってしまった感じで、夢の中でただ手を振っているようだ。だが大型車が通るたび、吸い寄せられるようになるので壁にぴたりと張り付きながらシャニムニ前進をする。トンネルを出て青空を見たとき、生きて出て来られたことを実感した。出たところで朝食をとる。
道の駅あぐりの里
川口町に入ったのは8:55.飯山線の終点ぐらいであまり知識の持ち合わせのない土地だ。まして17号線は町を貫通しないままバイパスになっているので紹介する何物も持ち合わせない。町外れ、堀之内町に近い位置に今年になって開設されたのがこのあぐりの里だ。「あぐり」とつけただけあって、地元の農家の方が作った農産物の販売所が主体で、あと土地の物産が並んでいる程度の道の駅だ。でも店の脇に「足湯」があった。あったけれど誰も入ってる人は居ない。休憩所は二階のようだが封鎖されている。入場禁止だ。あるのは立派なトイレのみ。道の駅としてはまあ足軽級だ。
長崎家訪問
午後近況報告の便りを少々書いたあと、予ねて望みの小出の長崎家を訪問した。トモさんはわたしと同年だが、病院通いが商売のようで立ち居も楽ではなさそうだ。突然の訪問にも関わらず、相変わらず愛想よく迎えてくれた。わたしたちは彼女の息子の仲人をしたのだが、その息子は一昨年交通事故で亡くなってしまった。主人は私の最大の酒飲み友達だったが、58歳の若さで他界し、トモさんは今は一人暮らしだ。仏様にお参りした後、四方山話になったが、こんにちこの様に安楽に暮らせるのも皆高主さんのお陰と感謝しておりますと涙声で言われたときは、胸迫る思いがした。帰りに自慢の新米の魚沼米と太巻き寿司を差し出されたのには恐縮した。
大湯温泉
何十年ぶりかの大湯温泉だったが、入り口の保養施設で間に合わせてしまった。下足にはたくさんの登山靴が並んでいた。東京から来た登山隊が下山してきて一風呂浴びて一休みといった所のようだった。久しぶりの晴天で、富士が良く見えたと言っていた。マスターは私たちが歩いて世界一周に挑戦してると聞いて、愛想よく応対してくれた、気分良くして道の駅あぐりの里に戻る事ができた。
10月7日
平成17年1月1日より280日目
歩いた歩数 其の距離
本日 15,271歩 10,690m
総計 3,780,255 歩 2,646,179 m
仮想通過地点 沖縄(9.23)
前回の老人大学は訪中で休んだので、葬儀の寺参りを妻に頼んで公民館へ。一班の皆さんに運動会の話を聞き、訪中土産を配る。午前の講義は「くらしの中の経済」。
斉藤先生の話は、インフレで買った家の返済が楽に出来た話から始まってデフレにつける薬は無い、と。話を説き起こし、少子化が及ぼす経済とデフレを語り、漸く大都市の地価の上昇傾向や大企業の設備投資の上向きからデフレ傾向の脱却に向かいだしたと説明、龍安寺の「吾唯足るを知る」に持ってゆく。
久しぶりに気分の良い講義を聴くことが出来た。
午後はパソコン教室。私の「ブログ」を土台にインターネットの立ち上げ・終了の仕方の学習。休憩時間に訪中土産を皆さんに配り、放課後に休憩室で訪中の写真を見る時間を頼む。後半は研修旅行の記録を写真を主体に取り込む方法を学習する。
漸く記録の仕方に辿り着いたが、目の見えない者が手引きされて着いた感じだ。恐らく家に帰って出来る人は居ないだろう。
思い出の「道中日記」 33日目 小千谷市~川口町
起床4:40 出発6:00 天候久し振りに晴れ 就寝10:30
今日の行程
フィニッシュを15日と設定されたので、ここら辺からウオーキングを圧縮調整に入らないと、格好の悪い形になりかねないので、今日は昨日の妙見堰から歩き始め川口町の道の駅あぐりの里でウオーキングを中止。小出の長崎さんを訪ね仏前に香を上げ、大湯温泉で休息する。
117号線の終末地点
長野から来た117号線は8号線と交差する小千谷市の三佛生で終わることを確認した。
長いトンネルで肝を冷やす
小千谷市から信濃川をわたった所を過ぎたところで長い長いトンネルがある。今まで迂回して敬遠してきたが此処は深い谷と高い山とが入り組んでいて迂回できる歩道はない。意を決してトンネルに入ったが、生きた心地がしない。長く遠い遠い道、地獄の釜の中に入ってしまった感じで、夢の中でただ手を振っているようだ。だが大型車が通るたび、吸い寄せられるようになるので壁にぴたりと張り付きながらシャニムニ前進をする。トンネルを出て青空を見たとき、生きて出て来られたことを実感した。出たところで朝食をとる。
道の駅あぐりの里
川口町に入ったのは8:55.飯山線の終点ぐらいであまり知識の持ち合わせのない土地だ。まして17号線は町を貫通しないままバイパスになっているので紹介する何物も持ち合わせない。町外れ、堀之内町に近い位置に今年になって開設されたのがこのあぐりの里だ。「あぐり」とつけただけあって、地元の農家の方が作った農産物の販売所が主体で、あと土地の物産が並んでいる程度の道の駅だ。でも店の脇に「足湯」があった。あったけれど誰も入ってる人は居ない。休憩所は二階のようだが封鎖されている。入場禁止だ。あるのは立派なトイレのみ。道の駅としてはまあ足軽級だ。
長崎家訪問
午後近況報告の便りを少々書いたあと、予ねて望みの小出の長崎家を訪問した。トモさんはわたしと同年だが、病院通いが商売のようで立ち居も楽ではなさそうだ。突然の訪問にも関わらず、相変わらず愛想よく迎えてくれた。わたしたちは彼女の息子の仲人をしたのだが、その息子は一昨年交通事故で亡くなってしまった。主人は私の最大の酒飲み友達だったが、58歳の若さで他界し、トモさんは今は一人暮らしだ。仏様にお参りした後、四方山話になったが、こんにちこの様に安楽に暮らせるのも皆高主さんのお陰と感謝しておりますと涙声で言われたときは、胸迫る思いがした。帰りに自慢の新米の魚沼米と太巻き寿司を差し出されたのには恐縮した。
大湯温泉
何十年ぶりかの大湯温泉だったが、入り口の保養施設で間に合わせてしまった。下足にはたくさんの登山靴が並んでいた。東京から来た登山隊が下山してきて一風呂浴びて一休みといった所のようだった。久しぶりの晴天で、富士が良く見えたと言っていた。マスターは私たちが歩いて世界一周に挑戦してると聞いて、愛想よく応対してくれた、気分良くして道の駅あぐりの里に戻る事ができた。