百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

老人大学

2005-10-08 16:50:55 | 老人大学
10月7日

10月7日
 平成17年1月1日より280日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日     15,271歩   10,690m
 総計 3,780,255 歩 2,646,179 m

        仮想通過地点   沖縄(9.23)

 前回の老人大学は訪中で休んだので、葬儀の寺参りを妻に頼んで公民館へ。一班の皆さんに運動会の話を聞き、訪中土産を配る。午前の講義は「くらしの中の経済」。

 斉藤先生の話は、インフレで買った家の返済が楽に出来た話から始まってデフレにつける薬は無い、と。話を説き起こし、少子化が及ぼす経済とデフレを語り、漸く大都市の地価の上昇傾向や大企業の設備投資の上向きからデフレ傾向の脱却に向かいだしたと説明、龍安寺の「吾唯足るを知る」に持ってゆく。

 久しぶりに気分の良い講義を聴くことが出来た。

 午後はパソコン教室。私の「ブログ」を土台にインターネットの立ち上げ・終了の仕方の学習。休憩時間に訪中土産を皆さんに配り、放課後に休憩室で訪中の写真を見る時間を頼む。後半は研修旅行の記録を写真を主体に取り込む方法を学習する。

 漸く記録の仕方に辿り着いたが、目の見えない者が手引きされて着いた感じだ。恐らく家に帰って出来る人は居ないだろう。

         思い出の「道中日記」 33日目 小千谷市~川口町

 起床4:40 出発6:00 天候久し振りに晴れ 就寝10:30
今日の行程
 フィニッシュを15日と設定されたので、ここら辺からウオーキングを圧縮調整に入らないと、格好の悪い形になりかねないので、今日は昨日の妙見堰から歩き始め川口町の道の駅あぐりの里でウオーキングを中止。小出の長崎さんを訪ね仏前に香を上げ、大湯温泉で休息する。
117号線の終末地点
 長野から来た117号線は8号線と交差する小千谷市の三佛生で終わることを確認した。

長いトンネルで肝を冷やす
 小千谷市から信濃川をわたった所を過ぎたところで長い長いトンネルがある。今まで迂回して敬遠してきたが此処は深い谷と高い山とが入り組んでいて迂回できる歩道はない。意を決してトンネルに入ったが、生きた心地がしない。長く遠い遠い道、地獄の釜の中に入ってしまった感じで、夢の中でただ手を振っているようだ。だが大型車が通るたび、吸い寄せられるようになるので壁にぴたりと張り付きながらシャニムニ前進をする。トンネルを出て青空を見たとき、生きて出て来られたことを実感した。出たところで朝食をとる。





道の駅あぐりの里
 川口町に入ったのは8:55.飯山線の終点ぐらいであまり知識の持ち合わせのない土地だ。まして17号線は町を貫通しないままバイパスになっているので紹介する何物も持ち合わせない。町外れ、堀之内町に近い位置に今年になって開設されたのがこのあぐりの里だ。「あぐり」とつけただけあって、地元の農家の方が作った農産物の販売所が主体で、あと土地の物産が並んでいる程度の道の駅だ。でも店の脇に「足湯」があった。あったけれど誰も入ってる人は居ない。休憩所は二階のようだが封鎖されている。入場禁止だ。あるのは立派なトイレのみ。道の駅としてはまあ足軽級だ。

長崎家訪問
 午後近況報告の便りを少々書いたあと、予ねて望みの小出の長崎家を訪問した。トモさんはわたしと同年だが、病院通いが商売のようで立ち居も楽ではなさそうだ。突然の訪問にも関わらず、相変わらず愛想よく迎えてくれた。わたしたちは彼女の息子の仲人をしたのだが、その息子は一昨年交通事故で亡くなってしまった。主人は私の最大の酒飲み友達だったが、58歳の若さで他界し、トモさんは今は一人暮らしだ。仏様にお参りした後、四方山話になったが、こんにちこの様に安楽に暮らせるのも皆高主さんのお陰と感謝しておりますと涙声で言われたときは、胸迫る思いがした。帰りに自慢の新米の魚沼米と太巻き寿司を差し出されたのには恐縮した。

大湯温泉
 何十年ぶりかの大湯温泉だったが、入り口の保養施設で間に合わせてしまった。下足にはたくさんの登山靴が並んでいた。東京から来た登山隊が下山してきて一風呂浴びて一休みといった所のようだった。久しぶりの晴天で、富士が良く見えたと言っていた。マスターは私たちが歩いて世界一周に挑戦してると聞いて、愛想よく応対してくれた、気分良くして道の駅あぐりの里に戻る事ができた。







新町の葬儀

2005-10-08 16:29:21 | 宗教
10月6日

10月6日
 平成17年1月1日より279日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日     12,797歩 8,958m
 総計 3,780,255 歩 2,646,179 m

      仮想通過地点   沖縄(9.23)

 新町の葬儀

                

 思い出の「道中日記」 32日目 中之島町~長岡市~小千谷市

 起床5:10 出発6:30 天候雨10時頃より晴れる 就寝9:00
今日の行程
 道の駅とちおから中之島のやすらぎの駐車場に下って此処からスタート。8号線が市内に向かってカーブしたところから17号線となって直進する。この国道は新しくすばらしいが、歩行者と自転車は殆ど進入禁止となっていて、妻の車とは別行動。それでも付かず離れずで迷うことなく小千谷市に入ったが新しく出来た国道だけに沿線に家がなく、従って食堂も無く、ウオーキングが続いて仕方なしに小千谷に入ってしまった次第。
下々条
 何と読んだら良いだろうか?「シタシタジョウ」「シモシモジョウ」「シモシタジョウ」正解は「シモ、シモジョウ」でした。「下条の下」ということらしい。

中之島のレンコン
 中之島はレンコンの産地だけあって、至る所に纏まった蓮田がある。大きな団地では遥か彼方まで蓮田が続いて此処が越後平野の米どころかと勘違いするほどだ。蓮根掘り取り機を使って掘り取り作業をしている人が居たのでじっと立って見ていた。機械が掘り取ってくれるとばかり期待していたが機械は水圧を利用して蓮根の周囲の泥を取り除くようで、蓮根はあくまでも人間様が収穫しては船に入れていた。米どころでこれだけの重労働を加算してまで作るのだからさぞや良い収入になるんだろうと思った。わたしの知ってる綿内の蓮根屋が言った。「蓮根屋にこそなるもんじゃねえ。暮の寒い冷たいときしかいい値にならねえ。馬鹿らしいったらありゃしねえ」と。だが、今でも止めずに作ってる。



たんぼが青々と
 米どころ中越の平野が今は見渡す限り青々となって田植えの後のようだ。中には1尺以上も伸びて穂が出るかと思われる田んぼもある。田んぼの畦に米袋のようなものがたくさん積まれている。何故積みっぱなしにして置くんだろう?と不思議に思った。近くのカントリーエレベーターを見てその原因と思われるものを見た。何日も降り続いている雨の中なのに、この作業場の庭にも米袋が野積みにされている。作業が間に合わないのだろう。沢山とれ過ぎてか?

幼稚園の屋根に
 幼稚園の屋根に象やキリンなど沢山の動物の絵が描かれていて、この幼稚園はなんとも楽しそうな雰囲気が感じられる。こんな幼稚園なら我が子を入れたくなるだろうな・・・と思った。中を見せずに気持ちを誘うなんて、なんというすばらしいアイディアであろうか。感服した。



長岡で思うこと
 長岡には忘れられない思い出がある。高橋県議は死ぬまで県議を続けた人物だが、その何回目かの選挙に慶応の学生が応援演説に来た。息子のまーちゃんと同級生の鈴木君だが、これで選挙事務所も明るくなり運動員の士気も大いに盛り挙がった。そのまーちゃんが将来を嘱望されていたのに残念ながら志半ばで亡くなられてしまった。その通夜の晩に鈴木君が来た。その鈴木君はそのとき、慶応の商学部の教授になっていた。わたしの孫が今年慶応の商学部に入りましたと話したところ、鈴木教授は「来年お孫さんと一緒に勉強できますね」と親しく語りかけてくれた。それから間もなく鈴木教授の訃報を聞いた。親友のもとへと旅だって行ってしまったのである。その鈴木教授こそ、この長岡出身でしかもわたしと同業で青果市場を経営する社長さんの息子さんだったのである。

道の駅ちぢみの里
 早々と道の駅に着いた。ちぢみの里にはお風呂があるので期待して行ったが、「本日休業」ですと言う。道の駅にも休業なんてあるんだろうかと思ったが、そう言う規則なら我慢するより仕方が無い。川口にも最近出来たようだし、小出にもあるがそれは明日のお楽しみにと言うことで、ここに落ち着くことにした。







 
          

巨星落つ

2005-10-08 15:13:05 | 宗教
10月5日

10月5日
 平成17年1月1日より278日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日     9,927歩   6,949m
 総計 3,764,984 歩 2,635,489 m

        仮想通過地点   沖縄(9.23)


 朝のウオーキングから戻ると妻から「新町の兄」の死を知らされた。兄は昭和54年突然病に倒れ以来28年間病魔と闘い不屈の精神で再起を期して精神力で生き抜いてきた。今朝も日常と変わらぬまま、朝食をとっていたので、家族の者は夫々に職場に向かっていた。家族の介護の中で八分通りの食事で眠ってしまったという。穏やかに安らいだまま、あの世に旅って行ったという。

 私は小さな時から、学校の休みには何時も新町へ出かけていったものだ。それは我が家の食い扶持を減らすためだったのだが、新町の家族はいやな顔など微塵も見せずに私を迎えいれてくれた。特に兄は私より3歳年上だったので兄弟のように、いや全く兄弟として扱ってくれた。懐かしい思い出だ。

 悲しみの中にも、葬儀の準備が始まり、親戚中の年頭ということで、葬儀のための「親戚代表」に指名された。いつもは脇役として亭主役からの指図で動き回っていたので、これはなんおしても大役で荷が重い。皆さんのお知恵を聞きながら進めて行くことにする。

  思い出の「道中日記」 31日目 三条市~栄町~見附市~中之島町

 起床5:10 出発6:35  天候終日雨 就寝8:40
今日の行程
 道の駅漢学の里で諸橋轍次博士の記念館を見ることなく、5:40三条のラーメン店に戻ってウオーキング開始。雨の中完全武装で歩く。三条市のマンガ喫茶の広場を借りて朝食、長岡市を目指して歩いたが、栄町・見附市・中之島町の時点で3万歩を上回ったのでやすらぎの駐車場で妻と交代。栃尾市の道の駅「とちお」を目指す。駅の責任者に頼み日記を書く。
マンガ喫茶
朝食のため広場を借りたのがマンガ喫茶。マンガ喫茶の営業内容はマンガ本・インターネット・ゲーム・DVD・ビリヤード・ダーツ・卓球・フリードリンクと幅広く使い放題やり放題で料金は入会金が200円これは身分証明となるので必要なものだが、営業開始時は無料のようだ。あとは何をしても最初の1時間が480円で後は15分刻みで100円が加算される。長時間の滞在には更にサービスがあるようで、24時間営業だからいつ行っていつ帰ってもいい制度。これは人口があって若者が多い土地なら将来性のある企業だと思うがどうだろう。近くにあればわたしも利用したい。



三条大橋で見たもの
 川原にビニールに囲まれた広大な広場に厖大なごみの山。それを4台のブルド-ザが真剣にかき混ぜている。捨ててあったごみを処理するためにこれ以上持ち込ませないためにビニールで囲ったのだろうか?ビニールで囲んでごみを受け入れる場所を提供しているのだろうか?いずれにしても信濃川(違うかも)の川原だ。増水で流されることはないのだろうか?赤の他人が考えるより専門の担当者が居るんだから任せておけばいいのかナア?それにね、川原が広いいんで、川原の中に大きな田んぼがいくつもあるのには驚いた。橋の長さが463mもあるんだから有効活用はおおいにいいが・・・。普通だと野球場だとか、運動場、ミニゴルフ場などが多いが・・・。



パチンコ屋の残骸
 何処でもそうだが、潰れたパチンコ屋が目に付くね。業者同士の過当競争に負けたのか、パチンコ熱が冷めてきたのか、ファンが負けて貢ぐ資金がなくて通えなくなってしまったのか、いずれにしても斜陽産業の仲間入りだ。ドライブインと同じ運命か?

バイパスの花壇
 三条のバイパスの花壇に花がない。これは驚いた。バイパスの両側にはそうそうたる企業が軒を並べて活気を呈しているが、整然と区画された花壇は草畑になってしまって何キロの続いている。営業が忙しいのは判るがゆとりがあってこその繁栄ではないだろうか。

やすらぎP
 バイパスのところどころにやすらぎ駐車場がある。トイレ・休息場・携帯使用に使えるようになっている。長距離を走ってきたものにとっては大変にありがたい。事故防止にも大いに役立っていることと思う。私たちはここで車を止めて、カレーを作って昼食とした。

道の駅とちお
 この山の中にこんな大きな道の駅があるとは期待もしなかったのは失礼と言うもんだ。車の駐車も多くお客もある。わたしがコンセットの使用をお願いしたところ、あちこちと聞いていたが、最後はOKで舞台の上で座布団使用で許可された。こんな申し込みをする人は居ないのかもしれない。感謝!

















 


頭の体操

2005-10-08 11:56:53 | 随想
10月4日

10月4日
 平成17年1月1日より277日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日    14,829歩   10,380m
 総計 3,752,187 歩 2,626,531 m
 
       仮想通過地点   沖縄(9.23)


 厚生年金基金から「年金フォーラム」9月号が来た。基金決算のお知らせで16年度末時点の積立状況が「12億2千億円余り」の不足金があると貸借対照表に計上されていながら、時価方式の評価では繰越不足金を差し引いても、約8億8千万年余りが剰余となっているとの解説がついている。何がなんだか判らないが、受給者としてはお任せして置くよりやりようは無いので大船に乗った気分でいる。

 そこで「年金フォーラム」が来ると早速裏面の「頭の体操」に挑戦することになる。

 今回はクロスワードだ。クロスワードというやつは中々曲者で、たてのカギと横のカギが自分では正解した心算でも、落とし穴があって当選というのは至難の業である。

 今回は答えがスムースに「ホケンリョウリツ」と出たので投稿する事にした。難解のときは意外と当選するのだが、今回は易しすぎたから正解者が多くて当選は難しそうだ。でも正解になれば気分はいい。正解を祈る。

     思い出の「道中日記」 30日目 新潟市~白根市~三条市

 起床5:00 出発9:30 天候雨のち曇りとなる 就寝8:30
今日の行程
 昨夜早寝したため12時には目が覚めてしまい、参った。雨は一晩中降り止まず続いたので起抜けに日記を書き込む。日記が終わって昨日の濡れた物を処理して8号線で長岡を目指して南下する。今日は昨日の返り分が貸し分になっているので、車は私が白根市近くまで運転して妻に渡す。雨は依然として降っているので完全武装して歩く。12:00三条市に入ったところでウオーキングを中止して昼食とする。午後ジャスコで食料の補充をし、今日の塒を下田村の漢学の里と決める。三条からはかなりの距離があったが、「漢学の里」の名前が気に入って、訪ねることにした。
夜中の新潟市
 夜中に起きて見て驚いた。北方だけが異状に明るいのだ。夜明けになってもその状態は続いていた。不夜城の感だ。

白根市で見たこと
1.葡萄が立ち木仕立てに作られているのを見た。ヨーロッパではぶどう酒用が多いのでこの方法が一般的なようだが、日本では生食用が主体なので珍しく感じた。
2.桐の板が整然と組んで並べられているのが目に付いた。加茂の桐箪笥が有名だと思い出した。
3.8号線を行き来する船舶用のコンテナを積んだトラックが目立つ。新潟港が発展している印だ。
4.巨大な仏壇の流通センターがあった。「時代のニーズを追求する鈴木仏壇グループ 工芸館・永宝堂(墓石部)・金属工業・てんぐ屋と大書してあった。
5.新飯田は梨の本場と記憶していたが此処も白根市とは驚いた。まさに看板どおり「フルーツ・フラワ-の里、だ。
6.白根大凧と歴史の館の看板を見る。商売で何回も白根を訪れながらまだ一度も凧合戦を見ていない。一度は見たいものだ。



白根の思い出
 昔、白根のH青果ときゅうりや梨の取引でずいぶん行き来した。H青果の燃料は全てが天然ガスで煮炊きからコタツの火までこのガスだった。自分の屋敷内で掘った井戸から管を引いて使っていた。使っても使い切れないので余分の分は空中に逃がしてると言っていた。そのHさんが親子総ぐるみでやってきた。破産して家を明け渡して来たんだといった。今はどうしているだろう?

下田村の道の家「漢学の館」
 下田村と書いてなんと読むだろう?一般に「シモダ」だろうが此処はさすが漢学の館と言われるだけあって「シタダ」と読むと言う。なぜ「漢学」なんだろうかと尋ねると「大漢和辞典」を編纂した諸橋博士の生地で博士の遺徳を偲び、その精神を継承しようとして記念館を建て、道の駅を作ったという。でも山の中、余程の物好きでないとやってこないだろう。とすと私は物好きのほうだ。今日は月曜日で休館日だという。裏の庭の奥に博士の生家があるから見に行かれたらと促された。その裏庭を見て驚いた。先日見た本間家の庭よりすばらしいと妻は評価した。それに三蔵法師と孫悟空たちの銅像がある。博士の同僚が讃していわく。「三人の孫たちと博士」の像だ・・・と。