百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

納骨の話

2011-09-16 20:23:42 | 宗教

  9月16日(金)平成17年1月1日より 2,359日目
              歩いた歩数          その距離
本日     15,586 歩       10,910 m
総計 34,207,475 歩 23,945,233m
地中海からイタリヤ半島に上陸ローマからフィレンツェに向かう。後 125,607 m

 昨日は今清水さんの車で送って貰ったが、帰途は途中共撰所に寄って桃を土産に買って帰ろうという山崎さんの誘いに乗って同行することになった。ところが共撰所は休業で選果された桃が無く、僅かにあった撥ね出し(規格外品)をわけて貰うに過ぎなかった。仕方なく途中2~3の共撰所を廻ったが何処も終って居た。

 車中、「深い付き合いをしている I さんから、主人や子供たちのお墓の管理について相談を受けて居るんだが、先の事を考えると、お墓を建てても I さんが亡くなれば墓を守って呉れるものは一人も居なくなるので、善光寺さんの雲上殿に納骨したらと思うのだが…と声を掛けられた。

 「良い考えと思う。墓地の崩壊で墓を移動しなければならなくなったTさんが兄妹で相談されて善光寺の雲上殿に納骨された。環境を良いし、善光寺さん直属の管理だし、宗派の差別も無く供養して下さるし全く申し分ない。大賛成だ。早速Tさん宅にお邪魔してその後の感想やら納骨の手続きについてお伺いしよう」と一決。立ち寄らせてもらった。

 突然の訪問にも拘らず、善光寺に納骨出来て安堵した。霊壇は使用権が付いていて永代使えるが譲ることも出来る、と。管理費は年5千円で(初回に10年分の前納)毎日永代に亘って供養して下さる。手続きは善光寺脇の事務局で何時でも受け付けて呉れる。と細かに説明して下さった。思案に暮れていた案件が見事解決、暗雲が晴れた山崎さんの明るい様子に、私もほのぼのとした気分になった。

 

 

 


60年ぶりの奇遇

2011-09-16 13:08:48 | 随想

  9月15日(木)   平成17年1月1日より 2,358日目
              歩いた歩数          その距離
本日   
 11,351 歩         7,946 m
総計 34,191,889 歩 23,934,322m
地中海からイタリヤ半島に上陸ローマからフィレンツェに向かう。後 136,517 m

 今日は26パソコン同好会の楽しみ会の日。老人大学でパソコンの学習をした年老いた青年男女の合コンの日。どうしても都合のつかない男女各一名を除いて全員が参加して山ノ内のホテルで開かれた。

 到着早々、ビールで乾杯。勢いがついて朝鮮のどぶろくが出て、更に中国の白酒と大いに盛り上がる。火のついたような勢いで宴会が始まって2時間。夕餉の食事が出たところで一旦終止符。部屋に戻って再び酒盛り。一人二人と落伍者が布団にもぐりはじめたところで、私も酔い冷ましに一人温泉に入った。

 誰も居ないはずの浴場から声が掛った。その声は私を名指しした。湯気の向こうからだった。近づいて確めたが何処の何方か全く見当もつかない。でも私の名前を言い当てた方だからと真剣に思いめぐらした、酔いもあってか判らないまま会話が始まった。

 東京神田の神保町で炭屋に奉公していた時、貴方のお父さんと同郷だということで大変お世話になりました、と言われてやっと思い出した。今から60年も前の話だ。私が20代の後半、彼は農業の手伝いの傍ら、冬稼ぎに来ていた頃の事、私は京浜地方にリンゴの振り売りで神田の親父の元に居た時に、彼に初めて行き合った。彼は常盤村からやって来て冬の間だけ炭屋の小僧で働らくという生活をしていたことを思い出し、懐かしさが込み上げてきて湯気の中で逆上せるのも忘れて話し込んだ。

 第一、60年も前の昔のことで、どうして私を確認したのだろう?私は頭は禿、やせ細った老人の姿だ。どこかで何時も私を見詰めて居て呉れたのだろうか?さもなければ山ノ内の温泉で湯気の中の私が、東京神田でであった同郷の先輩だなどと判る筈がないと思った。奇遇だ。懐かしい!そればかりが頭にあって、どうして私を思い出したかを聞くのさえ忘れてしまった。

 彼は、私の両親に親身で可愛がられたこと、私の弟妹達との付き合いを昨日の出来事のように語りまた、その後の消息を尋ねて呉れた。そして炭屋と我が家との付き合いが親戚以上であったこと、彼の結婚式には炭屋の女将さんが飯山まで来て祝福して呉れた、肉親以上に喜んで呉れたことなど懐かしく話して呉れた。

 こんな思い出を今尚鮮明に思い出せる人柄だから、冬の間だけ冬稼ぎに行った小僧を東京の人達が身内のように見守ってくれたのだろうと思ったが、それにしても突然温泉の湯船で出くわした私のことを、どうして、何故スッと思い出して呉れたのだろうか、判らない。彼のインスピレーションの素晴らしさに敬服したり、感謝したり。

 ”至福の一日”とはこういう日を言うのだろうか!