9月15日(木) 平成17年1月1日より 2,358日目
歩いた歩数 その距離
本日 11,351 歩 7,946 m
総計 34,191,889 歩 23,934,322m
地中海からイタリヤ半島に上陸ローマからフィレンツェに向かう。後 136,517 m
今日は26パソコン同好会の楽しみ会の日。老人大学でパソコンの学習をした年老いた青年男女の合コンの日。どうしても都合のつかない男女各一名を除いて全員が参加して山ノ内のホテルで開かれた。
到着早々、ビールで乾杯。勢いがついて朝鮮のどぶろくが出て、更に中国の白酒と大いに盛り上がる。火のついたような勢いで宴会が始まって2時間。夕餉の食事が出たところで一旦終止符。部屋に戻って再び酒盛り。一人二人と落伍者が布団にもぐりはじめたところで、私も酔い冷ましに一人温泉に入った。
誰も居ないはずの浴場から声が掛った。その声は私を名指しした。湯気の向こうからだった。近づいて確めたが何処の何方か全く見当もつかない。でも私の名前を言い当てた方だからと真剣に思いめぐらした、酔いもあってか判らないまま会話が始まった。
東京神田の神保町で炭屋に奉公していた時、貴方のお父さんと同郷だということで大変お世話になりました、と言われてやっと思い出した。今から60年も前の話だ。私が20代の後半、彼は農業の手伝いの傍ら、冬稼ぎに来ていた頃の事、私は京浜地方にリンゴの振り売りで神田の親父の元に居た時に、彼に初めて行き合った。彼は常盤村からやって来て冬の間だけ炭屋の小僧で働らくという生活をしていたことを思い出し、懐かしさが込み上げてきて湯気の中で逆上せるのも忘れて話し込んだ。
第一、60年も前の昔のことで、どうして私を確認したのだろう?私は頭は禿、やせ細った老人の姿だ。どこかで何時も私を見詰めて居て呉れたのだろうか?さもなければ山ノ内の温泉で湯気の中の私が、東京神田でであった同郷の先輩だなどと判る筈がないと思った。奇遇だ。懐かしい!そればかりが頭にあって、どうして私を思い出したかを聞くのさえ忘れてしまった。
彼は、私の両親に親身で可愛がられたこと、私の弟妹達との付き合いを昨日の出来事のように語りまた、その後の消息を尋ねて呉れた。そして炭屋と我が家との付き合いが親戚以上であったこと、彼の結婚式には炭屋の女将さんが飯山まで来て祝福して呉れた、肉親以上に喜んで呉れたことなど懐かしく話して呉れた。
こんな思い出を今尚鮮明に思い出せる人柄だから、冬の間だけ冬稼ぎに行った小僧を東京の人達が身内のように見守ってくれたのだろうと思ったが、それにしても突然温泉の湯船で出くわした私のことを、どうして、何故スッと思い出して呉れたのだろうか、判らない。彼のインスピレーションの素晴らしさに敬服したり、感謝したり。
”至福の一日”とはこういう日を言うのだろうか!