百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

愛国婦人会と国防婦人会

2011-09-10 17:25:22 | 随想

9月10日(土)   平成17年1月1日より 2,353 日目
               歩いた歩数          その距離
本日        13,471 歩         9,430 m
総計 34,124,113 歩 23,886,879m
地中海からイタリヤ半島に上陸ローマからフィレンツェに向かう。後 183,960 m

               
                 朝のウォーキングできのこ発見 果たして食べられるのか?

 子供の頃の、白いエプロン姿で襷がけのご夫人方が日の丸の小旗を振って出征兵士を送る姿が焼き付いて居たが、それが愛国婦人会の人達か国防婦人会の方々なのか未だにハッキリしないので、この際、スッキリしたいものと思い取り組んでみた。

 愛国婦人会は明治34年(1901年)、奥村五百子女史が明治33年の北清事変に皇軍慰問使として派遣されたのを機に、時の政府高官や上流階層の夫人に呼びかけて結成したもので、 戦死者の遺族や傷痍軍人の救護を主な目的とした団体だったという。

 愛国婦人会は、近代日本で最初の全国的規模の婦人団体で、日本国内にとどまらず、かつて日本の植民地であった、朝鮮・台湾・樺太・満州・南洋諸島のほか、サンフランシスコ・ハワイ・バンクーバーなどにも拠点があって、最盛期には700万人も会員を持つ、大きな婦人団体となり、昭和6年(1938)の満州事変以降は会則に寄付金を集めて軍用機を寄付するなど【軍事援護団体】の性格を持ってきたが、昭和13年には「国家総動員法」が国会で成立して大政翼賛会の呼びかけもあって国防婦人会と合併して大日本婦人会となって戦争に協力することになり、主婦達も銃後を守るものとして、戦争に組み込まれて入った。

 国防婦人会の設立にはこんなエピソートがあった。大阪の朝日新聞に『渡満の井上中尉婦人、紋服姿で端然自刃す 「死んで皆様をお守りします」と健げな遺書を残して』という記事から軍の指導もあって、昭和7年3月、大阪に国防婦人会が発足。会員は早速活動をはじめ、大阪駅を通過する出征兵士に炊き出しのサービスをした。その10月には全国組織の「大日本国防婦人会」となり、会員も50万になったという。

 愛国婦人会は高い会費で、その会費収入をもとに軍を支援する資産家たちの会だったが、安田せいの作り上げた「国防婦人会」は、一般の庶民が安い会費で、そのかわり行動をすることで奉仕した。そのため、このような地道な運動が、爆発的に広がり、軍部の推薦もあり、2年後の年末には全国で123万人もの巨大組織になっていったという 。

 愛国婦人会は国家の上流階級から始まった経緯から服装は和服姿だったが、一般家庭を基盤に結成された国防婦人会は白いエプロンに大日本国防婦人会」の襷を掛けて銃後の日本の実質的な働きをした。子供の頃、活躍していた白いエプロン姿のお母さん方はやっぱり国防婦人会の皆さんだったのだと判った。感謝!