北の旅人

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アメリカ大陸横断「青春日記」-1972・35日間・5000km⑫

2008-02-21 12:09:10 | Weblog

1972・8・28(月) 晴れ ピッツバーグ
(ペンシルベニア州)

午前8:00起床。学生食堂で朝食。パン、スクランブルエッグ、ミルク。

9:30寄宿舎を出発。歩いて、コーネリー職業訓練所見学。学校の敷地の広いこと。授業料は無料。1日当たり90ドル支給される。クラスは、大工、溶接、電気、建築、自動車、ブロック、アート、印刷、広告、タイプ、コンピュータ、グラフィックデザイン、看護婦、商業英語、製図、塗装、簿記、会計、料理に至るまで多くのコースがある。

最も長いコースで2年。休暇はない。就職の斡旋もしており、大工、空調関係、ブロックなどが人気コースだそうだ。教育委員会との連携もできている。誰でもが入学でき、入学試験はない。ほぼ短大卒の力がある。管理者を目指す人には、そのためのコースもある。学生2500人、あくまでも基礎的なトレーニングだ。

しかし、再就職を目指す人たちも沢山おり、夜間コースもある。このシステムは、他の州にはない。ここでは、新聞印刷、オフセット印刷、マガジン印刷も行っている。月~金は8時間、1時間はホームワーク。このようなシステムはかなり効果を上げているということだった。技術的には、日本の方が優れているように感じた。

ちなみに、アメリカでは、小学校6年(elementary school)、中等学校3年(junior high school)、高等学校3年(high school)ということになっている。

午後2:00「 G・A・S・P」(Groop Against Smog and Pollution)を訪ね、ピッツバーグの公害対策について学ぶ。「G・A・S・P」は、1969年に設立されたスモッグや公害対策について活動するグループで、非営利市民グループ。教会の一部を借りて活動拠点としている。1970年には、公害対策市民会議ができ、14,000ドルの寄付が集まる。

市民の健康と財産を守ることが最大の目的で、測定機械も一般市民が寄付している。行政面では教育委員会から10,000ドル、政府から環境保全のためにと25,000ドル、州政府から4,000ドルの補助金が出ている。参加者は、個人5,000人、団体関係25,000。

工業地帯であるピッツバーグだけにスモッグで有名。しかし、アメリカでは一度も裁判に勝ったことがなく、現在、訴訟を起こしているところがある。現在、工場の95%が石炭だが、これをガスに変えていく。市民の交通対策が必要だ。

面白い発想だと思ったのは、環境を破壊した人には賞状のようなものを与える。日本と違い、ユーモアもある。啓発用のステッカーやTシャツには「Girty, Dirty」という文字を入れてある。息がつまるという意味合いのことだそう。この団体では、ラルフネーダーなどとは関係がないが、結果については一応報告している。帰りがけにピッツバークの街を少し散歩して帰舎。

Mr.Saul.S.Lipman(He is the president of a savings and loan company.)が迎えに来る。K君と彼の自宅へ。郊外の閑静なところ。豪華な家。秘書のような女性が来ていた。夕食をご馳走になりながら雑談。夕食は、ビフテキ、ヌードル、トウモロコシ、パン、サラダ、アイスティー、アイスクリームなど。

いくつか質問してみた。大統領選挙については、中間的な立場であるが、共和党のニクソンに投票するという。民主党はマクガバン。アメリカ人は対立民族で団結力が弱い。

18歳から選挙権を持ったことは、たいした影響はないだろう。それは、親の支持政党によって子どもが投票するからだと。ほとんどの若者は政治に関心がない。ゴーゴーや麻薬に興味を示しているものが多い。

アメリカでは、これからどんなレジャーが盛んになるか聞いてみた。ボート、ハイキング、フィシング、キャンプ、ハンティング、テニス、スイミング、ゴルフ、サッカー、乗馬など。

彼はロータリアン。浮世絵を飾ってあった。 9:30ごろから、奥さんも一緒に外出。ワシントン公園に行く。夜景が素晴らしい。きれいな月が印象的だった。教会、図書館、大学周辺を見せてくれる。

車の中で、「東京を離れるとき、奥さんは寂しがらなかったか?」と聞かれる。「結婚して5年になるので、それほどではないようだ。妻は一年ぶりに実家に帰ることができるので楽しみにしている」と答えると、不思議そうな顔をしていた。結局、11:30まで、市内を案内してくれ、アメリカの昔話の絵をプレゼントしてもらった。

         ☆         ☆                                 
            ラルフネーダー

日本における公害問題は、とくに1950~1960年代に表面化した。水俣病、スモン病薬害事件、四日市ぜんそく、PCBによるカネミ油症事件などだ。

1970年代になると、光化学スモッグ、大気汚染、自動車の排気ガス、工場の排煙などが問題になってきた。日本では美濃部亮吉・東京都知事、アメリカではラルフネーダーが公害問題に関して記憶に残っている人物だ。

ラルフネーダーは、1971 年、消費者保護団体NGO「パブリック・シチズン」を設立し、15万人の会員を擁していたという。環境問題、民主化運動に携わり、1996年と2000年には「緑の党」から、2004年には無所属から大統領選挙に立候補した経緯がある。

私たちにとっ
て、環境問題は、21世紀の きなテーマの一つだ。

(参考資料は最後に一括して掲載させていただきます)



 



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