北の旅人

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アメリカ大陸横断「青春日記」-1972・35日間・5000km⑱

2008-02-27 08:00:39 | Weblog
1972・9・3(日) 晴れ アーバナ
(イリノイ州)

午前9:15、マンスフィールドの教会へ。われわれのグループ13名中12名が到着していた。アメリカで初めての教会だった。クラスでは、日本の話を30分位してくれた。教会で少々疲れがでて、歌を歌っている最中に気分が悪くなった。午前中は教会にいた。

ホストファミリーで昼食の後、昼寝。 2:00ごろから、乗馬を楽しんだり、サイロ(15feet)に登ったりした。息子さんが、トラクターや耕運機について説明してくれ、大変参考になった。ほとんどが機械化されているので、息子さん夫婦と親父さんだけで、かなり広い畑で、コメ、トウモロコシなどたくさん作っている。

グループの女性、Kさん、Sさんが遊びに来る。T君が馬から落っこちたが、なんでもなくてよかった。息子さん夫婦はGE(ゼネラル エレクトリック)に勤めている。夜は、テレビでオリンピックを観て、シャワーを浴び、8ミリフィルムを見せて貰った。

これが何と、1942年頃のおじいさん、おばあさんの様子を撮影したもので、すでに、この頃から大型機械を導入して農業を営んでいた様子がよく分かる。大変貴重な記録だ。豆などは日本へも輸出していると語っていた。これを見て、アメリカ農業の所得水準の高さ、そして改めて広大なアメリカに触れることができたような気がした。アメリカから見ると、日本農業は10年ぐらい遅れているのだろうか。

5:00から、コミュニティ・パークで、われわれのホストファミリーが集まって、ピクニックを開いてくれた。それぞれがご馳走を持ち寄り、楽しい時間を過ごした。われわれも、ゲームをしたり、歌や茶道を披露したりした。英語で自己紹介もした。なかでも楽しかったのが、「box hocky」(箱のホッケー)なるものだ。何回もやったお陰か、体調が少し良くなった感じだ。

自己紹介のスピーチで「ほんとうのコミュニティに接した!」と言ったら、大きな拍手を浴び、「グッドボーイ!」と頭を撫でられ、褒められた。このマンスフィールドには約900人が住んでいるそうで、みんなゆったりと生活をエンジョイしているように見えた。これもまた、アメリカの一面だと思う。

ここに着いたときは、正直なところ、どうなるのだろうと一瞬思ったものだが、楽しい日が続いている。ここでは、お金はあまり使わない。11:30就寝。        
      
        ☆           ☆

 「モーレツ」から「ビューティフル」へ

1970年代に入り、日本でも生活をエンジョイするという考え方が芽生えてきた。この時代は、高度成長の真っ只中にあり、一般家庭でも経済的なゆとりが少しずつ出始めたころだ。東京オリンピック(1964年)に次いで、日本が世界にアピールする絶好の機会だとして、万博ムードに彩られていた。

こうした時代背景の中で、一方では日本人の働きすぎということに対するアンチテーゼとして、生活をエンジョイするという空気が広がりつつあったように思う。それをリードしたのが、「モーレツからビューティフルへ」という富士ゼロックスの広告コピーだった。時代を見事に切り取った名コピーで一世を風靡したものだ。

私は61歳でサラリーマン人生に区切りをつけ、お金はないが自分で支配できる時間を、たっぷりと手に入れた。これからは、出来るだけ好きなことだけを、ゆったりと楽しんでいきたいと、あれこれ、ささやかな夢を描いている。

(参考資料は最後に一括して掲載させていただきます)


 


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