4/30日、4日目。
「にっぽん丸」は沖合に停泊。通船で上陸。
島原では、水の都と呼ばれ風情ある武家屋敷や鯉のおよぐ町並みを散策し、
キリスト教の繁栄・弾圧を物語る原城跡、島原城、有馬キリシタン遺産記念館を見学。
島原の乱のリーダー天草四郎時貞の像や、坂本龍馬が勝海舟らと長崎へ初上陸したのが
島原ということで、龍馬の足跡も、そこここにあり、歴史ロマンの風に浸った。
南島原市の原城跡は、「島原の乱」ゆかりの地。島原藩主・松倉氏のキリシタン弾圧
に対して天草四郎時貞率いる3万7千人のキリシタンが一揆を起こしたのが1639年。
ここ原城で農民たちの悲惨な最期によって一気が終結した。
今は、土塁と堀跡をわずかに残すだけ。
眼下に広がる景色。
本丸跡に建てられた十字架と、まだあどけない天草四郎の像が
当時の苦衷を偲ばせる。
天草四郎の像
戦死した兵士を弔う「骨かみ地蔵」
有馬キリシタン遺産記念館。世界遺産登録を目指す「長崎の協会群とキリスト関連遺産」
の構成資産である原城跡、日野江城跡のガイダンス施設。
安土桃山様式の壮麗な面影を残す島原城。1618年に着工し4~7年をかけて完成。
しかし、明治維新で廃城となり、払下げ・解体されたが、島原市民の長年の復元活動
の結果、1964年に天守閣が復元するなど、次第に当時の面影を取り戻しつつある。
築城以来、250年にわたる島原般の歴史遺産、郷土の彫刻家・北村西望氏の作品
(長崎の平和祈念像の原型など約60点)、1990年に噴火活動が始まった平成新山の
資料なども展示されている。古い歴史があるだけに、見ごたえがある。
天守閣から島原市内を展望。
坂本龍馬が初めて長崎へ上陸したのが島原だった。
その時の石段。(写真は島原音泉協会HP)
元冶元年(1864年)春、軍艦奉行並勝海舟の随行員として坂本龍馬らは長崎へ。
目的は、英仏米蘭4カ国連合艦隊の長州攻撃を阻止するためで、
海舟は外国勢との調停役としての幕命を帯びて長崎入りした。
その際の足取りなど詳細は、下記のアドレスを参照してください。
http://www.shimabaraonsen.com/ryouma.html
お土産店には、こんなものも。
武家屋敷町並み保存地区ー島原城下に残る下級武士の屋敷がある。
中央の水路は豊かな湧水を引いたもので、生活用水として大切に守られてきた。
古くから水の都と呼ばれるほど湧き水が豊富で、島原湧水群として知られる。
戦いの時には鉄砲を主力とする歩兵舞台の住居だったので、鉄砲町とも呼ばれていた。
武家屋敷の一つ「篠塚邸」。
通船で「にっぽん丸」へ。
世界遺産「軍艦島」周遊。
(続く)