北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

みっともないぞ! みの氏

2013-11-08 13:54:22 | Weblog

文藝春秋12月号 みのもんた氏の「独占手記 私はなぜここまで嫌われたのか」を読んだ。

次男の窃盗容疑による逮捕という事件についてのものだ。2回の記者会見も今回の手記も、結局はテレビの仕事を離れたくないがための自己防衛としか思えない。 週刊誌などの記事に対して、みの氏は「これって、いじめじゃないですか」と語っているが、確かにマスコミも、直接関係ないことまで引っぱり出してはいる。

だが、今までの、みの氏の立場を考えれば、やむを得ない側面もある。あれだけの発言力を持ち、世相をバッタバッタと切ってきたのだから。みの氏が「私に対するバッシングは想像を超えるものがありました」と言うが、今までとは逆の立場になって、「お前はどうなんだ」と問われるのは当然と言えば当然だ。

次男の事件の経過に触れた部分を読んでも、次男の話は、誰が考えても作り話としか思えないものだし、今回特に言われた親の責任の取り方については、過去に覚せい剤で息子が捕まった女優さんや暴力事件を起こした歌舞伎役者の場合に、みの氏は「親が辞めるべきだと言ったことはなかったはず」と言う。

そして、イギリスにいる長女が、オックスフォード大学の学長と話したところ、「イギリスでは、三十を過ぎた子どもの責任を、親が取るなんて有り得ない」という話しもしている。確かに、そうかもしれないが、一般人ならいざ知らず、今までの、みの氏の影響力の大きさを考えると、今まで通り報道の場で発言していくことは、どう考えても釈然としない。ましてや、ここは日本だ。その上、バラエティやラジオは今まで通りに出演するというのも可笑しな話だ。 

                                 

 「私は何一つ法を犯していません」とも言うが、道義的責任というものがあるだろう。どちらにせよ、公共の電波だ。ここは、スッパリと退場すべきだ。自分でも言っているように何十年もの間、それなりに活躍し、種々の社会貢献をしてきたことは確かだが、「まだまだ喋りたいことがたくさんある」と、テレビへの執念を燃やしている。だが、はっきり言って、みの氏の語り口には皆飽きているのだ。そのことも、この際、自覚すべきだ。

今まで、政界の世代交代や政権交代などを何回も取り上げてきて分かっているはずだが、マスコミ界も世代交代が必要なのだ。アナウンサーにしろ、コメンテーターにしろ、ただ惰性で続けている人たちが多過ぎる。もちろん、こうした人たちを起用するテレビ局側にも問題がある。みの氏が、まだまだ言いたいことがあるなら、活字の世界だってネットの世界だって、いくらでもある。

自分は「ジャーナリスト」だと思っているようだが、果たして、ジャーナリストとしての蓄積が、どれほどあるのだろうか。みの氏からは、ジャーナリストとしての力量を感じ取ることはできない。ジャーナリストを自負するのであるなら、自らの引き際を知るべきだし、潔く次の世代にバトンタッチするという範を示すべき時ではないか。

また、番組中の「セクハラ」疑惑も、みの氏は笑い飛ばしてはいるが、そのように見られかねない行為をすること自体が問題なのだ。みの氏は、番組で、「ほっとけない!」という言葉を、しばしば使ってきた。今、みの氏には、ズバッと言おう。これ以上、テレビにしがみつくのは、
「みっともない!と。

 

タレントのみのもんた(69)が、14日に東京・青山葬儀所で営まれる歌手島倉千代子さん(享年75)の葬儀への参列を取りやめたことが11日、分かった。

9日放送の自身のラジオ番組で「カムバックにふさわしい舞台」と話し、参列を宣言。インターネット上ではこの発言が「不適切だ」と物議を醸していたが、関係者の配慮により、みのは10日に都内の寺院で営まれた通夜に弔問したことが判明。すでに島倉さんとのお別れを済ませた。

みのは9日の文化放送「みのもんたのウィークエンドをつかまえろ」で、午後1時から始まる葬儀に触れ「12時半ちょい前には行きます」と参列を予告。さらに「私の復帰第一作。南青山の斎場、私のカムバックにふさわしい舞台がそろったじゃないですか」などと発言し、葬儀の場を「カムバックの舞台」などと表現したことに対し、ネット上などで批判の声が相次いだ。(yahho!ニュース)

全く呆れた。とても、まともな人間の感覚とは思えない。 もう、みの氏の発言に信頼を寄せるものなど、誰もいないぞ。復帰を望んでいる者なんて、誰もいないぞ。みの氏よ、今、あなたに一番必要なことは、「恥を知ることだ!」。