北の旅人

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アメリカ大陸横断「青春日記」-1972・35日間・5000km⑳

2008-02-29 08:51:21 | Weblog
1972・9・5(火) 曇りのち晴れ アーバナ→デモイン(アイオワ州)

午前6:45起床。いよいよ、マンスフィールドともお別れ。おばあさんがメッセージを書いてくれた。「3人の日本人が訪ねてきてくれて、大変楽しかった」ということを書いてあった。心温まる言葉だ。ここでは、とくに「コミュニティ」というものの在り方など、参考になることが多かった。

おばあさんの話では、イギリス人がアメリカに来て2,000ドル稼いだが、イギリスへ帰って1,000ドルしか稼げなかったとか。つまり、イギリスはアメリカの2倍の物価であるということだ。

8:30マンスフィールドを発つ。昼食は途中で立ち寄った食堂でハンバーガーを注文したが、なかなか出てこないので、キャンセルして昼食抜き。乗り換え2回。11時間でデモイン(アイオワ州)に到着。

今日はYMCAに泊まる。夕食後、街を散歩して、シャワーを浴び、洗濯。この3日間で体調を整えよう。     

     ☆      ☆             

     「岩倉使節団」

デモインは、シカゴの西方500kmのアイオワ州のほぼ中央部にある州都だ。アメリカ中央平原の肥沃な土壌に恵まれた重要な農業の中心地。金融・保険の街として知られ、とくに保険会社は、この地域に50社もあり、アメリカ最大の保険の街である。日本の甲府市と姉妹都市を結んでいる。

実は、このデモイン、私たちが訪れた時(1972年)から数えて、ちょうど100年前の1872年1月17日に、あの「岩倉使節団」(この時の中心メンバーは、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳をはじめ、留学生、隋従者など、当初は108名)が、サンフランシスコから大陸横断鉄道でワシントンに向う途中、オマハーシカゴ間でアイオワ州を通過しており、「米欧回覧実記」に細かく描写されている。

街の様子や農業などのことを中心にリポートしているが、アイオワ州を「アイヨア州」、デモインを「ヂスモス」、オマハを「哈馬哈」、シカゴを「市高俄」などと表現しているのも面白い。

今、国も地方も厳しい財政難の中、議員の海外視察が問題視されているが、マスコミ報道によれば、何といい加減な報告書を提出しているケースが多いことか。そうした議員諸侯にも、こうした報告書を是非見せてやりたい。

(参考資料は最後に一括して掲載させていただきます)