北の旅人

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アメリカ大陸横断「青春日記」-1972・35日間・5000km②

2008-02-10 10:06:16 | Weblog

1972・8・18(金) 晴れ ニューヨーク

午前4:00。車の音で目覚める。7:30起床、8:00集合。Grand Central YMCA Cafeteliaで朝食。パン、牛乳、オレンジジュースが何と美味いことか。10:15国連本部見学。開会中の経済社会委員会の討議を傍聴。職員4,500人、5か国語の同時通訳が行われている。85%は政治に関係ないテーマを扱っている。日本人ガイドが二人いて、日本人も多く見かけた。

その後、国連食堂で昼食の招待を受ける。水が美味い!三杯飲んだ。ウエイトレスが「アメリカを楽しんでください」と、にこやかに声をかけてくれる。サービス満点。ホタテ、セロリ、キャベツにライス。あまり食べられなかったが、ミルク、アップルパイが美味かった。

午後2:00 「ジャパンハウス」へ。65年の歴史があり、日本についての勉強をしている。図書室には、文藝春秋、PHPなどもあった。歴史・文化などについても利用者がかなりあるとのこと。昼休みにはビジネスマンを対象に、黒澤明、小津安二郎、小林正樹、篠田正浩氏等の映画を上映し好評を得ている。  

5:15サークル・ライン桟橋から乗船してマンハッタンの遊覧。ハドソン河を3時間かけて一周。圧巻は何と言っても「自由の女神」。ニューヨーク港内のリバティ島にあり、自由の象徴。1886年、10月28日、アメリカ独立100周年を記念し、また独立戦争当時の米仏同盟を偲ぶ国立記念物として、フランスからアメリカに献贈されたもの。オーガステ・バーソルディの作。高さ46m、台座を入れて93m。 夕闇迫るころ、ニューヨークヤンキースタジアムが見える。

マンハッタンで食事したが、メニューを見ても、実際どんなものが出てくるか分からず、とにかく2ドル35セントを払い、「これをください!」と指でさして注文。地下鉄でホテルへ向うが道を間違える。途中、一苦労して郵便局へ寄る。コインの使い方に戸惑う。 21セントでペプシコーラを買い、ウエストサイドストリートを歩いた。紙コップがあちこちに落ちているし、食べたり飲んだりしながら歩いている人が多い。

美しい夜景とは裏腹に、退廃ムードを感じた。ニューヨークの夜は、一人では歩けない。デモに出会う。「Can you speake English?」と、話かけてくる。プエリトルコの大学の関係者だとか。建物の解説をしてくれる親切さ。高層ビルの多さと人懐っこさを感じた。結局、ホテルに着いたのは午後10:15。シャワーを浴びて寝る。       

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日本人大リーガーの活躍

初めてのニューヨークから9年後、再びニューヨークへ。最初のときに、ハドソン河から見えたヤンキースタジアムへ行った。ヤンキース対タイガース戦。大リーグの試合は迫力満点だった。
今、松井、イチロー、松坂、岡島など多くの日本人プレーヤーが、堂々たる活躍を見せているということは、夢のような話だ。当時は、想像もつかなかった。

この大リーガーへの道を切り開いたパイオニアは、なんと言っても野茂英雄投手だろう。野茂が自らの信念に従って、勇気ある挑戦をし、見事な実績を上げてきたことは、実に素晴らしいことだ。

11年間で123勝、両リーグでのノーヒット・ノーラン達成は史上4人目。そして日米通算201勝(日本では5年間で78勝)は、燦然と輝く記録だ。本人は多くを語らないが、フロンティア・スピリットの体現者として、その功績は偉大である。 われわれも、彼らから大きな勇気をもらっており、日本人大リーガーの今シーズンの活躍を大いに期待したい。

(参考資料は最後に一括して掲載させていただきます)