まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

父の命日までには

2018-07-24 03:00:35 | 日記
思い出したこと。スマホを購入しようとしていた頃に、ゆみたぬきにエンディングノートを託そうと考えていて、実際に、進めていた、ということ。あぁ、それなのに、PCが壊れて、その原稿も消失しちゃったんだよぅ・・・。

妹にしか託せないという事実は不本意ですけれども、彼女であれば、滞りなく遂行してくれるでしょうから、安心して任せられます。そもそも、老いた母に各種事務手続きを押しつけるのは最大級の親不孝、ということもありますが、母はマネジメントが根本的に苦手なのです。だって、いまだに父宛の郵便物が我が家に届くのですから(苦笑)

最後に妹と会ったのは、確か、去年の暮れだったはず。自分の方から会う機会をつくらないとね。少なくとも僕には、暇があるのだから。反省猿。

非常に個人的な事情を記しつつ、他人事ではありませんよ、ということも、お伝えしたい。配偶者に逃げられてしまった憐れなおっさんによる、まぬけなつぶやき、で~す。
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HIDDEN CHAMPION

2018-07-23 15:33:07 | 日記
ちよちゃんの僕に対する思いは伝わらない。僕のちよちゃんに対する思いも伝わらない。同じ言語をベースにしてコミュニケーションしているのに。お互いに愛情がベースにあるのに。

かつて、政治を語ることがトレンドだった時代があった、はず。それはまるで、F1が大ブームだったのと、同じような案配で。僕らは歴史を、体験することによってでしか、学ぶことができないのか。経験ではダメなのか。教えることも、諭すことも出来ないのか。

「なぜに彼女をつくらないんだ!」かつて、かたやんが怒っていたことが、今の僕にはわかります。ですから、同じことを言います。なぜに彼氏をつくらないんだ?というようなことを。

所沢の頑者系でラーメンを食べていた時に、たまたま手にしたのが、「HIDDEN CHAMPION」という雑誌でした。いい雑誌ですねぇ。才能豊かな編集長ですなぁ。歴史は教科書の中にあるわけでなく、まして、インターネットの世界に埋もれているわけでもありません。水や土の中だけに含まれているわけでもなく、記憶の中だけに存在するわけでもなく、いわば、宇宙の中にあるのかどうか。
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すみま千円

2018-07-23 11:00:10 | 日記
「すみません」

この言葉が、ちっとも嬉しくないのは、きっと、自分が無駄に多用するからなのでしょう。すみません。

「謝らないで下さい。何か悪いことをしたのですか?」

ついつい、そう言ってしまいます。ごめりんこ。

千円が高いのか安いのか、人によってその価値は異なるのでしょうけれども、少なくとも私にとっては、その程度の謝罪ということ。

時には、謝れば済まされるというような問題ではないことだってあるのにねぇ・・・。

「ありがとう」

この言葉は、やっぱり、ちょっと嬉しい。少しは役に立てたのかな、と。

しかしながら、大概は、大きなお世話なんですよねぇ・・・。

お客さまが神さまなのかどうかはわかりませんが、少なくとも私がまぬけであることだけは、間違いがございません。

介護職ってのは、因果な商売ですなぁ。すみま千円。
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OLD(PC版でお願い致します)

2018-07-22 23:40:17 | 日記
ポール・マッカートニーの「NEW」(という曲)は素晴らしい! ← 共有の仕方がわかんない・・・。

PCが壊れてしまい、写真のデータが消失してしまったので、「微笑観音」と「penguin philosophy」の更新が出来なくなっちゃった。それはつまり、タイ旅行におけるジェンツーペンギン、福島旅行における惣善寺の仏さま、などなど。

タブレットやスマホでは、TwitterやFacebookを更新する気にもなれませんねぇ。そもそも、例えばTwitterの場合、写真添付の方法すらわかんない。みじめなおっさんだなぁ・・・。

このまぬけブログだけは、どうにかこうにか更新しているわけですけれども、といいますのも、タブレット用のキーボードを買ったんです。Amazonで。えぇ、そうなんです、少しは便利になりました。

AndroidとiOSの違いさえわからなかった、そんなん全く興味がなかったオールドな私からのお願いです。スマホ版ではなく、PC版で閲覧して下さいませ。
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朝からワイン

2018-07-21 06:02:41 | 日記
「自分のためだけに生きるのは辛いこと。」by三浦しをん ← リンクを貼りたいのですが、やり方がわかんないよぅ・・・。

離婚して以来の悪癖、つまり、過度な飲酒と喫煙の代償として、高血圧になってしまったという自覚があります。

そうして、自分のために律することは出来ませんけれども、私の一部を必要としているであろう誰かのためにであれば、悪習慣を絶つことができるはずなのです。

けれども、必要なのは、まぬけの気持ちじゃない!健康な人の骨髄液なのだぁ!
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