まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

師匠について

2021-09-24 04:30:00 | 日記
ふたっつ、紹介させて下さい。

「柳家さん喬一門本 ~世にも奇妙なお弟子たち~」著者=さん喬と弟子たち

えっと、先ず、職場の食事の話をします。コロナのせいで、社員食堂を以前のようには使えなくなりました。まぁ、仕方がありません。そもそも、極めて初期の頃から、僕はその危険性を訴えていた者でもありますし。で、皆がバラバラになって、黙食をするわけです。ともあれ、こんな状況下ではありますけれども、とにかく有難いのは、厨房の皆さまや栄養士さんが働いて下さっていることで、味だの量などとは関係なく、感謝していることには違いありません。で、いっつも気になっているのは、その気持ちをどうやって伝えるか、というようなこと。さらに言えば、時には検食係として、不満を伝える役目も担わなくてはならないので、その按配が難しい。

昨日の相棒はマエケンでした。で、同じようなタイミングで食事を頂いていたわけです。もし僕の方が早く食事を終えていならならば、僕は彼の分の下膳もするつもりでしたが、結果はその逆で、つまり、奴の方が先に食事を終えました。お~い、お~い、と思いましたね。ちょっと待っていてくれたらいいのに、みたいな。手前の分は自分で片付ける、それが基本なのはわかっています(コロナリスクもありますし)。さらに、僕の方が先輩なのだから少しは気を使え、というつもりも一切ありません。そういう問題ではなく、なんというか、僕ら介護職の心構えといいますか、そんな複雑な感情が僕にはありました。ちなみに僕、マエケンが大好きです。だからこその甘えがあることにも違いないのですが、これはあくまでたとえ話なのであって、物事ってのは、すべからく応用問題ですので、僕は彼の悪口を言いたいわけでは全くないのです。あえて、具体的にではなく、抽象的に記しています。何が言いたいのか、つまり、師匠と弟子の関係についてなのです。ちなみに僕とマエケンは兄弟弟子なのであって、師匠と弟子の関係ではありません。

何をすべきなのか、これはわかりません。というか、正解がありません。落語や音楽に正解がないのと同様に、です。しかし、何が出来るのか、これは考えなくてはなりません。そして、そのヒントを与えてくれる存在こそが、師匠なのではないでしょうか。つまりも僕は、師匠と瓜二つで、同じ芸、同じ動作、同じ考え方、同じ仕事をすればそれで良い、とは全く思っていません。それを教えることは簡単なのでしょうけれども、少なくともそこに学びはなく、つまり、習慣にすぎず、応用問題が解けなくなってしまうと思うからです。基本というか、僕らの世界で言えば事故防止であったりだとか、そういうことは伝えられますが、経験上わかることは、いくら言ったって、自分が痛い目にあわないと、わからないんですよね。そんなもんでしょ。


柳家喬太郎
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