1月29日(水)
五島から戻った我々は、夜の長崎市内を散策しつつ、「ツル茶ん」のトルコライスを頂きました。本場のトルコライスは美味しかった!
1月30日(木)
先ずは路面電車に乗って、 「長崎原爆資料館」へ。次に、徒歩で、「浦上天主堂」へ。母はクリスチャンですし、それなりに教養もあるので、例えばですが、<浦上崩れ>については私以上に詳しい(はず)ですし、いちいち説明をしなくて済みました。むしろ、浦上の歴史など、教わることの方が多かったかもしれません。ただ、被爆のマリア像や堂外の聖人像は、案外わかりにくい場所にあるので、しっかり案内しておきました。その後、平和記念像の前で記念撮影をしてから、爆心地へ。爆心地は、案外閑散としていますが、先ずはここで手を合わせたい、そういう場所です。その後、「日本二十六聖人記念館」へ。ここまでは、私などが紹介するまでもなく、きっと、多くのクリスチャンの方が訪れていることと思います。この先はレンタカーで移動しました。「遠藤周作文学館」。私は遠藤周作の作品をほとんど読んだことがありません。先日、ほんの少しだけ、読みすすめてみました。「キリストの誕生」。うん、なるほどね。読まなくてもわかるような、通じているような、そんな感じが致しました。
<外海(そとめ)>がキーワードです。むろん遠藤周作もそこに着目していますし、ですから文学館もそこにあります。次に、出津教会経由で、「ド・ロ神父記念館」に行きました。これらも外海地区にあります。非常に失礼な言い方になるかもしれませんし、偏見に過ぎないのかもしれませんが、このあたりでは、お年寄りの方の笑顔があまり見られなかったことが印象的でした。少なくとも旅人に友好的な感じは受けませんでした。あぁ、やはり昔は厳しい土地だったんだな、そんな結論に至ったのは、たとえそれが私の勘違いだとしても、「旅」ならではの経験だったことには違いありません。
早いもので、もう1年近く前の出来事になってしまいます。何を今さら、ですか、この時の旅のことだけは、完結させておきたくって。私の結論は、日本人のクリスチャンは、すべからく長崎を巡礼すべきである、ということです。そんなことを言ったところで、ほとんど何の役にも立たないであろうことは承知しています。けれども、その強い想いだけは、不変なので、伝えておきたいのです。もし、身近に、否、知り合いでも何でもいいのですが、クリスチャンの方がいたとして、会話に困った時とか、あるいはお酒の席でも何でもいいのですが、少しでも長崎の話題に触れて下さったならば、それだけでも嬉しいです。
五島から戻った我々は、夜の長崎市内を散策しつつ、「ツル茶ん」のトルコライスを頂きました。本場のトルコライスは美味しかった!
1月30日(木)
先ずは路面電車に乗って、 「長崎原爆資料館」へ。次に、徒歩で、「浦上天主堂」へ。母はクリスチャンですし、それなりに教養もあるので、例えばですが、<浦上崩れ>については私以上に詳しい(はず)ですし、いちいち説明をしなくて済みました。むしろ、浦上の歴史など、教わることの方が多かったかもしれません。ただ、被爆のマリア像や堂外の聖人像は、案外わかりにくい場所にあるので、しっかり案内しておきました。その後、平和記念像の前で記念撮影をしてから、爆心地へ。爆心地は、案外閑散としていますが、先ずはここで手を合わせたい、そういう場所です。その後、「日本二十六聖人記念館」へ。ここまでは、私などが紹介するまでもなく、きっと、多くのクリスチャンの方が訪れていることと思います。この先はレンタカーで移動しました。「遠藤周作文学館」。私は遠藤周作の作品をほとんど読んだことがありません。先日、ほんの少しだけ、読みすすめてみました。「キリストの誕生」。うん、なるほどね。読まなくてもわかるような、通じているような、そんな感じが致しました。
<外海(そとめ)>がキーワードです。むろん遠藤周作もそこに着目していますし、ですから文学館もそこにあります。次に、出津教会経由で、「ド・ロ神父記念館」に行きました。これらも外海地区にあります。非常に失礼な言い方になるかもしれませんし、偏見に過ぎないのかもしれませんが、このあたりでは、お年寄りの方の笑顔があまり見られなかったことが印象的でした。少なくとも旅人に友好的な感じは受けませんでした。あぁ、やはり昔は厳しい土地だったんだな、そんな結論に至ったのは、たとえそれが私の勘違いだとしても、「旅」ならではの経験だったことには違いありません。
早いもので、もう1年近く前の出来事になってしまいます。何を今さら、ですか、この時の旅のことだけは、完結させておきたくって。私の結論は、日本人のクリスチャンは、すべからく長崎を巡礼すべきである、ということです。そんなことを言ったところで、ほとんど何の役にも立たないであろうことは承知しています。けれども、その強い想いだけは、不変なので、伝えておきたいのです。もし、身近に、否、知り合いでも何でもいいのですが、クリスチャンの方がいたとして、会話に困った時とか、あるいはお酒の席でも何でもいいのですが、少しでも長崎の話題に触れて下さったならば、それだけでも嬉しいです。