2度目のドヴォルザークのブログです。
今日は、切ない胸のうちを切々と表現した
『スラブ舞曲第10番』です。
不安でたまらない、でも心の底に期待がある。
そんな陰鬱な気持ちを音で見事に表現しているのは、
さすが国民学派の代表的作曲家ならではです。
ドヴォルザークが生きていた頃は、祖国チェコは、帝政ロシアに
支配されていました。それに続く時代は、あのソ連の支配です。
1968年の『プラハの春』、そして最近では、自由化を掲げた民主化運動で
91年頃、ハヴェル大統領がドプチェク共産党政権を倒し、民主化を
成し遂げた歴史があります。それくらい、チェコ(その後、チェコとスロバキアに
分離)という国は他国の支配や、独裁者の横暴で抑圧されてきたわけです。
そんなことを考えていると、チェコの人々が陰鬱になる理由も
容易に想像できるのです。
同じスラブ民族でありながら、ロシアに支配されてきた抑圧の歴史によって、
不自由だからこそ自由のありがたさが分かる国民といえるのでしょう。
スラブ舞曲が切ない思いに感じられるのは、こういう歴史的背景が
大きく影響していると痛感します。
のどの渇きを覚えた人は、ほんの1滴の水でも喜びを感じるものです。
今年亡くなった父が、ベッドで点滴のみを受けながら、1滴の水を
舌に垂らしたら満足な表情を浮かべたのが鮮明に思い出されます。
それくらい不足している人の情は鋭敏で、歓喜にむせぶ可能性も
あるくらい、切羽詰っています。
そんな思いをドボルザークは自国民のために丁寧に情感を込めて
作り上げたのが同曲だと感じました。
じっくり味わって聞きたいものです。