「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

「高知ファンクラブ」に投稿された、続きもの・連載記事を集めているブログです。

岩弥太郎の銅像

2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

「土佐の銅像」第5回目は、岩弥太郎です。

  

*岩弥太郎(18341885

*銅像所在地:高知県安芸市矢ノ丸 江ノ川公園

*銅像製作:濱田浩造 昭和61712日建立

 

 

 

 安芸郡井ノ口村一ノ宮に生まれる。

11歳:土居郭中にて学問に励み、「三神童」と呼ばれる。

20歳:江戸の安積塾に入門する。

21歳:父親の争いごとにかけつけ帰高、7ヶ月間投獄生活を送る。

27歳:開成館土佐商会長崎出張所の主任となる。

36歳:大阪の九十九商会社長に就任し、海運業を始める。

39歳:九十九商会を三菱商会と改め、三菱財閥創業者となってゆく。

 享年50歳。

  

 

  

スリーダイヤ = 山内家「三葉柏」 + 岩家「三階菱」

山内神社に行くとここかしこに家紋があって、感動してしまいます。

弥太郎生家の土蔵にはスリーダイヤがあって、感激してしまいます。

  

 

  

生家にある日本列島を模した庭石からは、少年弥太郎の心意気が伝わってきます。

  

  

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堂々めぐり、から、銅像めぐり!

2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真
 
たからちゃんネットの皆さん、こんばんは。
 
(ご本人の了解を得て、転載しています)
 
 
  <次の銅像から、あなたは、何を連想しますか?>
 
銅像岩崎弥太郎、お龍と君江、維新の門群像、ジョン万群像、
   長宗我部元親。
 
  <答え>
 
あなた:龍馬伝?!、幕末の土佐?!
私  :(どれも、「躍動感」あふれる銅像)どんな人が、作ったの?!
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆「堂堂めぐり」=①願をかけ、寺などの堂の回りを何回も回ること。
         ②同じ議論が繰り返されて少しも先に進まないこと。
         (新明解国語事典:三省堂)
 「銅像めぐり」=銅像に込められた製作者の思いを酌みながら、
         その人物を偲びながら回ること。
         (新迷解酷語辞典:根木勢介)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 安芸市の弥太郎の銅像は、右手を横に上げていますね。
このマネをして、写真を撮る人が、若い人を中心に多いですね。
 
 高知城の板垣退助銅像も、同じく右手を前に伸ばして、います。
天守が、背景に写るので、格好の写真スポットになって、います。
でも、その横で同じように手をあげて、写真を撮っている人を見かけたことは、ありません。
 
 
 安芸市の「周遊バス」では、この弥太郎さんの銅像の側を通りますが、
横目で見ながら、ゆっくりと、通過、止まってはくれません。
(もちろん、観光ボランテイアは、ガイドをしています。)
でも、帰りなどにもう一度、この銅像を見るために立ち寄る人も結構います。
何か、魅きつけられるものが、あるようです。
 
 これらのすばらしい銅像の製作者は、10年前に亡くなられています。
お父さんは、梼原の「吉村虎太郎」の銅像を作られた方です。
この虎太郎の銅像も、素晴らしいと思います。
 
 今、「龍馬伝効果」でたくさんの人が、高知に来てくれていますが、
もし、これらの銅像が、全部、なかったらどうでしょうか。
きっと、淋しいでしょうね。観光ガイドもやりづらいことになるでしょう。
 
 (故人となられた)製作者の中学時代の同級生・山下さんが、
観光ガイドのボランテイア同期でして、『○○君の作った銅像めぐりを
したいので、根木さん、案内してよ』って、言われていました。
そこへ、○○さんの銅像などの写真集を自費出版された方が、ある日、
現れました。津江美和さん、と言う方です。
この津江さんも、○○さんの銅像に魅了された方、だったんです。
本当に不思議なめぐりあわせです。
 
 今日は、幸運にも山下さん・津江さんと○○さんのお家で奥さんに
お会いして、おはなしを聞くことができました。
○○さんの制作の苦労はなしや、裏話、人となり、をお聞きしました。
もっと、お聞きしたかったのですが、2時間もの長居となりましたので
退去しました。
ますます、もっと、皆さんに知ってもらいたい人だと確信しました。
奥さんは、安芸市出身とのこと。
私も、安芸市井ノ口出身なので、「奇縁」だと思いました。
 
 さて、○○さんは、どなたでしょう?
答えは、高知県下の各地にたくさん、あります。
 
  <ヒント>
 高知県内に現存する歴史上の人物の銅像43体(群像も一体ずつ計算)
うちで彼の作品は半数を超える25体にのぼる。
(土佐人の銅像を歩く:岩崎義郎著・リーブル出版)
 
根木勢介  携帯:090-2825ー2069
 
 
 
 
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月見で一杯

2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

 月見で一杯

先日、夫がお刺身のゆうげを準備してくれました。 

「土佐の美酒・のみくらべ」シリーズでいただきました。美味しかったです。

今日は十五夜なので、またまたのみくらべしなくてはなりません。

  

  

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山内容堂の銅像

2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

「土佐の銅像」第4回目は、山内容堂です。

銅像台座には「大政奉還を慶ぶ」とあり、「鯨海酔候」らしく盃を手にしています。

 

 

  

*山内容堂(18271872

*銅像所在地:高知県高知市鷹匠 山内神社

*銅像製作:梶原幸山 平成14410日建立

 

山内家分家の子として高知市に生まれる。

22歳:山内豊信、第15代山内家土佐藩主となり、藩政改革を行なう。

32歳:将軍後継者問題で隠居し、号を忍堂とする。後、容堂とかえる。

36歳:土佐勤王党弾圧に踏み切る。

40歳:内国事務総裁となる(1年後に辞職)。

享年43歳。

 

 

 

  

居合もよくでき、漢詩も詠んだ、「幕末四賢候」に数えられるお殿様です。

 

 

 

  

分家、側室、藩主、家臣、領民、謹慎、処罰、...。

身分制度は、山内容堂の心にも大きな陰を残した、と思われてなりません。

もちろん、「世間一般の人には、酔う人の気持ちは解らない」のですが...。

  

  

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龍馬の生まれた町にて

2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

100908龍馬の生まれた町.JPG銅像製作者の濱田浩造氏の同級生でもあるYさん。その行動力に感嘆しました。

 

 

 

昨日、根木さんが観光ボランティアのYさんを紹介してくださいました。

 

 

 

待ち合わせは、夕暮れの「龍馬の生まれた町記念館」でした。

  

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武市半平太の銅像

2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

「土佐の銅像」第3回目は、武市半平太です。

 

  

  

 

*武市半平太(18291865

*銅像所在地:高知県須崎市浦ノ内

*銅像製作:原寛山 昭和6167日建立

 

土佐長岡郡(現在の高知市)仁井田、郷士(白札格)の家に生まれる。

幼少の頃から、学問にも剣術にも書画にも長けた。

22歳:土佐にて塾を開く。

28歳:江戸へ赴き、桃井春蔵道場に入門する。のち、免許皆伝。

32歳:土佐勤王党を結成し、盟主となる。

34歳:藩の勤王党弾圧政策により、投獄される。

享年35歳。

 

 

 

  

銅像の台座部分に、半平太(瑞山の号)の書を見ることができます。

囚われの身となって「たらいの水に映して描いた」自画像にある詩です。

 

 

 

「花は、すがすがしい香りにより愛される」 

激動の時代、「正しさ」さえも揺れたときに、自分の信念を貫いた半平太。

どこまでも青い空がぴったりな気がします。

  

  

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夜の牧野植物園

2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

先週の日曜日に「夜の植物園」を体感してきました。 

水面に映るキャンドルの光、虫の声、エキゾチックな売店、ギターの音色...。

また、来年にも訪れたいと思いました。

  

  

 

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お龍さんの銅像

2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

今回は、お龍さんこと龍馬の奥さま、楢崎龍です。

 

 

  100818松林と銅像.JPG 

  

*お龍君枝姉妹像   楢崎龍(18411906

 *銅像所在地:高知県安芸郡芸西村 琴ヶ浜

*銅像製作:浜田浩造 平成5512日建立

 

京都の医師、楢崎将作の長女として生まれる。

25歳:寺田屋事件で、裸身の急報にて龍馬を救う。

26歳:龍馬が亡くなってしまう。

27歳:実の妹である君枝が嫁いだ芸西村和食「千屋家」に身をよせる。

享年65歳。

 

  

上の1枚を写真集に載せました。

お龍さんの銅像は、桂浜の龍馬像に向かって手を振っているそうです。  

夕暮れの琴ヶ浜です。

 

松林の形状から、あるいは風が吹いたときに聞こえる音から、名づけられたそうです。

 

 

今年6月に桂浜の坂本龍馬記念館に行ったとき、龍馬の書いた詩を見ました。

「好きな人とせっかく会えたのだから、鳴く虫たちよ少し静かにしておくれ」

というような意味の詩があって...。読んでいるこちらまで、どきどきしました。

  

  

  

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土佐の銅像・・・写真集 のご紹介です

2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

土佐の銅像・・・写真集 のご紹介です。

知人の紹介で、写真集を知りました。

近年、土佐の歴史に興味を持つようになり、土佐の偉人の銅像のまた違った角度からの写真集・・・購入してから何度も見開いています。

なんとも奥深さを感じる写真集です。

 

 

(以下は「土佐の銅像」からの抜粋です)

土佐の銅像

発行日  2010年2月25日

著者    津江美和

発行人   新本勝庸

発行所   リーブル出版

定価   (本体952円+税)

       高知市神田2126-1 TEL 088-837-1250

(写真集のご購入は、リーブル出版か、下記の所で手に入ります。)

今のところ、置いていただいている場所は、下記の通りです。

(アイウエオ順で)
*越知町観光協会・おち駅
*高知県立坂本龍馬記念館(ショップ)
*高知県立美術館(ミュージアムショップ)
*高知県立牧野植物園(ミュージアムショップ・バイカオウレン)
*高知県立歴史民俗資料館(ミュージアムショップ)
*土佐せれくとしょっぷ・てんこす
*ホテル日航高知・旭ロイヤル(ショップ)

(書店)
*片桐書店
*金高堂
*TSUTAYA
*富士書房
*宮脇書店

 

Profile   津江 美和 (つえ みわ)

1964年生まれ。

1998~1999年の1年間、フランス国パリ市に滞在。

ミケランジェロ、ベルニーニ、ロダン、カルポー、ザッキン、ブールデルらの彫像を日常的に鑑賞した。

高知県の銅像の美しさを再認識することになり、主婦業の合間を縫って撮影した。

夫と息子に同行してもらったときもあり、感謝している。

 

教育学修士。学校心理士。

職業は主婦。

専門学校非常勤講師。

 

 

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HN:出版物のご紹介でーす  さんの記事 




坂本龍馬の銅像

2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

 

はじめまして。

自費出版した小さな写真集「土佐の銅像」を通して、高知ファンクラブと出会いました。

本に載せた写真、載せていない写真、満年齢での人物伝、個人的思い、

...など、綴っていけたらと思っています。

本の宣伝を兼ねたブログで恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

1回は、坂本龍馬の銅像です。本に載せたのが、すぐ下の1枚です。

 

平成17年秋、「龍馬に大接近」にて撮影しました。

 

 

 

*銅像所在地:高知市浦戸 桂浜公園

*銅像製作:本山白雲 昭和3527日建立

  

*坂本龍馬(18351867 

12歳:日根野道場で剣術を学ぶ。

17歳:江戸に出て千葉道場でさらに剣術修業を重ねる。

26歳:春、土佐藩を脱藩。幕臣である勝海舟と出会う。

31歳:「海援隊」隊長となる。「船中八策」の作成。

享年32歳。

 

  

  

光り輝く桂浜です。

 

 

 

龍馬の石碑もあります。

 

司馬遼太郎「龍馬がゆく」を読んだのは、22歳の頃でした。

32歳になったら何をしているんだろうと考えたりしたものです。

大したこともせぬまま32歳を過ぎ、あっという間に45歳となりました...。

  

  

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