極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

鮎魚女と月の文化

2010年03月13日 | 神道物語


ハクレンの 白き訪れ 待つはずが 胃薬の数 また増えている   





 月をめぐる神話でもっとも重要なのは変容神話
 である。古代人は月の満ち欠けを天の生き物が
 成長して死ぬ現象ととらえ、死のあとには新月
 として再生すると考えた。月の諸相が繰り広げ
 る絶え間ないドラマは、人間や動植物の生のみ
 ならず、死後の生という考えも含めて、生のパ
 ターンを考察するモデルになった。月は古代人
 にとって時間のイメージだけではなく、永遠の
 イメージも担っていたように思われる。人々が
  本能的にみずからを月と同一視したのは、月の
  再生を、衰えて死ぬ自分たち人間にも同じ運命
  を約束するものと解釈していたことにほかなら
  ない。こうして月は見ることのできる希望のシ
 ンボル、人間の心の間を照らす光となった。

      ジュールズ・キャシュフォ-ド著 
            
『月の文化史/上』

「本書では、旧石器時代の動物の角や骨に刻まれた
最古のしるしから、今日の技巧をこらした詩にいた
るまで、月に霊感を受けた神話や象徴、あるいは詩
的イメージについてさまざまな角度から探究を試み
た。人間の考え方がどう変化してきたのか、その歴
史を探るためにまず目標とするのは、月をめぐる物
語が人間の思考方法に及ぼした影響を見いだすこと
である
」(同書序文より)というふうに分厚く重層
な博識への旅立ちを語り、次のように月の物語を結
ぶ。

 
Jules Cashford

 キーツの詩『エンデュミオン』では、羊飼いが
 〈詩のミュしス〉としての月と恋に落ちる。
 すなわち心にとりついて離れない光は、「美の
 形象」のように、「われわれの暗く沈んだ心か
 ら闇の帳」を上げて、「つねにわれわれととも
 にある。そうでなければ、われわれは死んでし
 まう」。「赤いケシの花でおおわれた魔法の臥
 所」で彼は月の幻影を夢に見る。

    「するとどうだろう! 雲の裂け目からう
  っとリするほどに美しい月が 顔を覗かせ
  たのだ。海神の酒盃となる貝を……」


      ジュールズ・キャシュフォ-ド著 
            『月の文化史/下』

 John Keats



ともあれ、『月の文化史/下』、第11章「月と太陽
の聖なる結婚」では「永遠」(太陽)と「時間」(
月)は、このようにめでたく融合するのである。

「太陽と月の結婚は-目に見える場合は、反対顔の
地平線上にある対等なものとして、見えない場合は、
暗い夜の闇のなかで結合するものとして、それ以上
に見えない場合は、人間が想像する調和のとれた関
係にある存在として-古代世界の多くの人々にとっ
て、永遠と時間の奇跡的な結合を意味した。月の光
の方が弱くなったとき、月は時間の役割を、太陽は
永遠の役割を担うことになった。この両者の結合、
あるいは再結合という概念のなかで、永遠の存在の
輝く光である太陽は、有限の時間の照らされる光で
ある月と一つになる。永遠の生命と時間的生命は、
これにより根本的に対立するものではなく、二重の
局面に現われるひとつの本質から成ることが明らか
にされる」と。

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 月光菩薩@薬師寺

ツクヨミは、月の神とされているが、その神格につ
いては、文献によって様々な相違がある。『古事記』
では伊邪那伎命が黄泉国から逃げ帰って禊ぎをした
時に右目から生まれたとされ、もう片方の目から生
まれた天照大御神
、鼻から生まれた建速須佐之男命
と共に重大な三神(三柱の貴子)を成す。一方『日
本書紀』ではイザナギとイザナミの間に生まれたと
いう話、『古事記』とは逆に左目から生まれたとい
う話
、右手に持った白銅鏡から成り出でたとする話
もあり、支配領域も天や海など一定しない。

 月讀、ツクヨミノミコト





日本神話において、ツクヨミはアマテラス・スサノ
オと並ぶ重要な神とされているにもかかわらず『古
事記』『日本書紀』の神話にはあまり登場せず、全
般的に活躍に乏しい。わずかに『日本書紀』第五段
第十一の一書で、穀物の起源が語られているぐらい
である。これはアマテラスとスサノオという対照的
な性格を持った神の間に何もしない神を置くことで
バランスをとっているとする説もある。同様の構造
は、タカミムスビとカミムスビに対する天之御中主
神、ホオリ(山幸彦)とホデリ(海幸彦)に対する
ホスセリなどにも見られる。これを日本神話の中空
構造と言う。さて、月の神話は太陽より先んじるこ
とは現代では常
識とされる。月の属性を神話・伝説・
イメージ(図像及び詩)を駆使し多面的に網羅した
文化論。まとめて読み抜くには散漫に終わり悔いが
残った。





【勇敢な鮎魚女】



姿がアユに似ている為、「鮎なみ」が転じてアイナ
メになったと言う説。鮎と見た目が似ているからで
はなく、鮎のように縄張りを持つ習性のため、「鮎
のような魚」と言う意味で「鮎なみ」転じてアイナ
メになったとも言われる。アイナメは北海道ではア
ブラコ、東北や関西ではアブラメなどとも呼ばれ愛
媛では「モミダネウシナイ」という面白い呼ばれ方
もする。アブラコ、アブラメは身に脂がのっている、
また、体表のヌメリが油の様だから。「モミダネウ
シナイ」は、この魚をおかずにすると、種モミまで
食べてしまうほど美味いからとか、むかし、ある百
姓がこの魚の美味さにひかれ、モミ種の金まで使い
果たしたから・・・。などの逸話が残されているほ
ど美味しい魚。



アイナメ(鮎魚女、鮎並、学名 Hexagrammos otakii
は、魚類カサゴ目アイナメ科の1種。日本沿岸の比
較的塩分濃度の低い岩礁域に広く生息する底生魚で、
食用にもなる。全長30cm~40cmほどだが、60cmを超
えるものもいる。カサゴ、メバル、カジカなどと同
じカサゴ目に分類されるが、アイナメはひれの棘条
(とげ)が発達しないこと、背びれが1つに繋がっ
ていること、体高が高いこと、鱗が細かいことなど
が特徴である。これらの特徴はクジメやホッケなど
他のアイナメ科の魚にも共通する。冬から春にかけ
ての寒い時期が旬。学名の「otakii」はシーボルトの
愛妾、お滝に由来する。産卵期にはオスが縄張りを
持ち、メスに求愛運動をし、岩礁域の窪みなど潮通
しのよい場所(縄張り)に産卵させ、産卵後はオス
が卵を保護する。この縄張りを持つ産卵期にオスは
婚姻色の鮮やかな黄色になるがこの時期の雄は戦闘
的で侵入者に対し攻撃をしかけ、卵を守る習性があ
る(逆に卵を好んで食べる)といわれる。




防波堤や岩場からの釣り魚として親しまれる他、底
引き網、刺し網、籠漁等でも捕獲される。最盛期は
晩秋から冬。釣りの場合は「ブラクリ」という特殊
な動きをしながら落下する錘を使用する事が多い。
身は脂肪の多い白身であり、そのことから「あぶら
め」とも呼ばれる。季節により寄生虫がいることが
あるので刺身などの生食は注意した方が良い。刺身、
煮付け、唐揚げ、潮汁、焼き物、味噌汁、干物、み
りん漬け、粕漬けなどで食べられる。



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