極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ハンフォード核廃棄物施設緊急事態

2017年05月10日 | 環境工学システム論

          
             鄭、衛の不和   /   鄭の荘公小覇の時代


                                                                                                              

      ※  秋八月、紀国の人が夷の国を伐った。しかし、夷の国からわが魯にその
        報告がなかった。だから『春秋経』には記録されていないのである。
         また、稲虫が発生したが、災害を及ぼすには至らなかったので、このこ
        とも記録されていない。恵公在位の晩年に、魯国は宋国の軍隊を黄(宋の
        邑)で敗った。隠公は即位すると、宋に対して和睦を求めた。『春秋経』
        に「九月、宋人と宿に盟った」とあるのは、このようにして国交をひらい
        たことをいっている。 

         冬十月の庚申の目、恵公を改葬した。隠公はその葬式に参列しなかった
        ので、記録していない。恵公が亡くなったとき、魯は宋と戦っており、ま
        た太子は幼かった。このように葬礼にいくつか欠ける条件があったので改
        葬したのである。衛侯も魯に来て会葬に参列したが、隠公に会わなかった
        ので、そのことも『春秋経』に記されていない。

         鄭国における共叔段の乱で、共叔の子の公孫滑(こうそうんかつ)は衛
        の国に出奔した。衛は滑の後押しをして鄭を伐ち、廩延(りんえん)の地
        を占領した。鄭は周王の兵と虢(かく)国の兵をひきいて衛国の南方の地
        を攻めるとともに、邾国に援兵を要語した。邾の国君(儀父)は魯から出
        兵させようと、ひそかに魯の大夫である公子予にたのんだ。予は隠公に許
        しを求めた。しかし隠公は許さなかった。予はあくまで我を通して、つい
        に手兵をひきいて出て行った。そして邾・鄭と翼(邾の地)で盟を結んだ。
        『春秋経』にその事件を記していないのは、隠公の兪によったのではなか
        ったからである。
         新しく幽門を作ったが、『春秋経』に記していないのは、やはり隠公の
        命によったのではないからである。

         十二月、祭の国君(伯爵)が魯国を訪問した。しかし周王の命によるも
        のではなかった。衆父(魯の公子益師の字)が亡くなったとき、隠公は小
        斂の式に立ち会わなかった。だから『春秋経』には「公子益師卒す」とあ
        るのみで、日を記さなかった。

      ※ 鄭のお家騒動は解決したものの、抹殺された段の子が衛に亡命したことか
        ら両国は不和となった。これが次の事件(隠公二年の条)への伏線となる。
        〈小斂〉:
死者の遺骸に衣を着せるのを小斂といい、棺に入れるのを大斂
        という。
 

  May 9, 2017

● ハンフォード核廃棄物施設でトンネルが崩壊

9日火曜日の朝、1989年以来、ハンフォードの9基の原子炉の浄化作業が進められている施設で、
放射性汚染物質貯蔵用トンネルの20フィート長の部分が崩壊し、何百人もの現地労働者が避難す
る事態が発生したとワシントンポストが報じた(Gillian Brockell/The Washington Post )。これによ
り、米国エネルギー省は、放射性物質と機器を保管するために使用されたトンネルの洞窟の後に、
ワシントンのハンフォード核廃棄物貯蔵場所で緊急事態宣言を発した。 規模な複合施設の200東エ
リアでは、約3000人の労働者が被害を受けたと地元メディアが報じている。その避難勧告対象は
ロードアイランドの約半分のサイト全体に及ぶ。また、KING-TV
によると、プルトニウム - ウラン
抽出工場(PUREX)付近のトンネルの一部が近くの道路工事により発生した振動で崩落した可能性
が高いとが報じている。また、ワシントン州生態学部のランディ・ブラッドベリー広報担当者は、AP通信に対
し、崩壊時に負傷した労働者はなく、放射線は検出されていないと述べている。 
 

Emergency declared at US Hanford nuclear waste site after tunnel collapse — RT America, Published time: 9
May, 2017 16:34

 

 No. 14

 May 8, 2017

【RE100倶楽部:サンフランシスコ・ベイエリア高速鉄道公社】

BARTBay Area Rapid Transit:サンフランシスコ・ベイエリア高速鉄道公社)は、輸送機関が再生可能エ
ネルギー源からさらに多くの電力を直接購入し積極的な導入指針を採用。将来のエネルギー購入を
導く新しい卸売電力リスク分散政策を承認したことを公表。
ほとんどの交通機関は、地域のプロバ
イダーから電力購入する必要があり、15年に承認されたカルフォルニア州法により、BARTは 電
源選択が自由度が大きくなる。この
地区は独自の電力リスク分散の構築を行ってきたが、引き続き
PG&Eから配送サービスを受ける。BARTの現在のリスク分散上は、PG&Eの典型的な大口顧客と比
較し、二酸化炭素排出量において78%もクリーンだが、太陽光発電、風力発電、小型水力発電所
などの再生可能エネルギー源より多くの電力を得ることに意欲的であり、しかもBARTのコストは、
大規模なPG&Eの顧客と比較して18%も低くなる。
BARTに以下のように新しい電力危機分散目
標を設定している。

  1. 2017年~2024年までの平均排出係数は100 lbs-CO2e / MWh以下であること
  2. 2025年までに少なくとも対象の再生可能エネルギー資源から50%、少なくとも低炭素源ゼ
    ロから90%のであること
  3. 2035年までに炭素源ゼロから100% であること
  4. 2045年までに対象の再生可能エネルギー源から100%であること

これらの目標は、BARTが2030年までに現状の再生可能危機分散基準を50%超過する見込みであり。
この地区はまた、BARTが包括使役顧客として支払う予定の料金と比較して、長期的な経費優位性を
維持する見込みである。
BARTの担当管理者(ホリー・ゴードン)は、再生可能エネルギー供給コス
トが近年大幅に低下し、他の供給源との既存料金に漸近していことから、積極的で現実的なクリー
ンエネルギー目標が設定できるチャンスであると話す。
BARTは毎年約40万メガワット時間(MW
h
)の電力を使用。 これはAlameda市の使用電力よりもわずかに多く、BARTは北カリフォルニアで
最大の電力顧客の1つとになる。同沿岸高速鉄道公社(
BART)は、5月に再生可能電力供給業者と
調整に入る。

 Wikipedia

 

【RE100倶楽部:世界最大のオランダ海洋風力発電稼働】 

今月9日、オランダの関係者らは、世界最大のオフショア風力発電所の1つとして、150基のタービ
ンが北海で稼働委したことを公表。これにより、今後15年間、オランダ北部の海岸から約85キ
ロ(53マイル)離れたジェミニのウィンドパークは、約150万人のエネルギー需要をまかなう。
風力発電で約600メガワットの発電容量(785,000世帯分)、二酸化炭素排出量125万トン削減
するものあり、再生可能エネルギーの総供給量の約13%、風力発電の約25%を占める。また、
このプロジェクトは、カナダ独立再生可能エネルギー会社Northland Power、風力タービンメーカー
Siemens Wind Power、オランダの海洋請負業者Van Oord、廃棄物処理会社HVCの4企業体で、総額
28億ユーロ(30億ドル)が投資されている。

オランダの化石燃料はエネルギー依存の割合は約95%を占めるが(経済省の2016年報告)、オラ
ンダ政府は、2020年に風力や太陽光発電などの再生可能エネルギー源により14%、2023年には、
16%をカーボンニュートラル化する。

※ Shell-led consortium to build 700MW offshore Dutch wind farm、
   https://phys.org/news/2016-12-shell-led-consortium-700mw-offshore-dutch.html

  May 8, 2017

【RE100倶楽部:蓄電池市場は25年に4.7倍】

8日、富士経済は、電力貯蔵システム向け二次電池の世界市場調査結果を発表。それによると16年の住
宅用、非住宅用、系統用を合計した二次電池の世界市場は1649億円。今後は全ての分野で市場が拡
大し、25年の市場規模は2016年比で4.7倍の7792億円に拡大すると予測。池の種別として今後大
きく伸びるとするのは、リチウムイオン二次電池(LiB)。低価格製品を展開する韓国系や中国系メ
ーカの台頭で単価が大幅に下落、さまざまな用途での採用が増えている。従来は想定されていなか
った数十~数百MWh(メガワット時)や長時間出力用途での採用も増えると分析する。NAS電池やレ
ドックスフロー電池は現状、実証実験での採用が中心だが、今後は系統設備の安定化用途で6時間
以上の長周期用途はNAS電池、4時間程度の中長周期用途はレドックスフロー電池の採用が多くな
ると予測(詳細は、上グラフダブクリ参照)。

Apr. 27, 2017

【ネオコン倶楽部:原子一個の電気陰性度の測定に成功!】

東京大学の研究グループは、原子間力顕微鏡を用いて、固体表面上の原子一つひとつに対して
電気
陰性度を測定することに成功する。同一の元素でも、周囲の化学環境(どの元素とどのよ
うに結合して
いるか)が異なる場合は、電気陰性度が変化することを実証。このことで、応用
上重要なさまざまな触
媒表面や反応性分子の化学活性度を原子スケールで調べられる見通し。

 

上図のように、化学の重要な基本概念である電気陰性度をこの装置で原子スケール測定できる
ことを世界で初めて発見。測定対象として、酸素原子を(上図2b)酸素を吸着させたシリコン
表面で測定、対象原子のうち酸素原子上では大きな結合エネルギーが働き(図2c)。針の材質
はシリコン、針先端のシリコン原子と表面の酸素原子のあいだにシリコン-酸素間の極性共有
結合が形成(示唆)。同様の測定を表面のシリコン原子上で行うと、シリコン-シリコン間に
形成する共有結合エネルギーが見積もれる(上図2c)。このような二種類の結合エネルギーの
関係を系統的に調べた結果、これらのエネルギーの関係はポーリングの式により説明できるこ
とが分かる。さらに、ポーリングの式は原子間の電気陰性度差と結び付き、個々の原子の電気
陰性度の見積が可能であることも分かる。酸素だけでなく、ゲルマニウム、スズ、アルミニウ
ムの他の元素の電気陰性度も測定する(図3a)。

❶触媒研究に用いられる遷移金属(チタンや鉄など)のセラミックス(酸化物や窒化物など)
表面の各原子や、表面に吸着した単一有機分子の官能基の化学活性度、❷従来のAFMによる元
素識別法は主に第4族の元素に限られていたが、より多くの種類の元素を識別できる、❸触媒
表面や有機分子の化学活性度を評価し、AFM観察によって化学反応を追跡し、そして、反応に
よって生じた最終生成物の分子や原子を元素識別できることになるという。これは実に面白い
革命的な発見だ。

Electronegativity determination of individual surface atoms by atomic force microscopy, DOI:10.1038
/NCOMMS15155

 

 

 

    

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』    
   

   23.みんなほんとにこの世界にいるんだよ

   免色がリモート・コントロールを使って、程よい小さな音で音楽を洗した。聞き覚えのある
 ューベルトの弦楽四重奏曲だった。作品D八〇四。そのスピーカーから出てくるのはクリアで粒
 立ちの良い、洗練された上品な音だった。雨田典彦の家のスピーカーから出てくる素朴で飾りの
 ない音に比べると、違う音楽のようにさえ思える

  ふと気がつくと、部屋の中に騎士団長がいた。彼は書架の前の踏み台に腰を下ろし、腕組みを
 して私の絵を見つめていた。私が目をやると、騎士団長は首を小さく振り、こちらを見るんじや
 ないという合図を送ってよこした。私は再び絵に視線を戻した 

 「どうもありがとうございました」私は椅子から起ち上がり免色にそう言った。「掛けられてい
 る場所も言うことはありません」 

  免色はにこやかに首を振った。「いや、お礼を言わなくてはならないのはこちらの方です。こ
 の場所に落ち着いたことで、ますますこの絵が気に入ってしまいました。この絵を見ていると、
 何と言えばいいんだろう、まるで特殊な鏡の前に立っているような気がしてきます。その中には
 私がいる。しかしそれは私自身ではない。私とは少し違った私自身です。じっと眺めていると、
 次第に不思議な気持ちになってきます」 

  免色はシューベルトの音楽を聴きながら、またひとしきり胆石のうちにその絵を眺めていた。
 騎士団長もやはり踏み台に腰掛けたまま、免色と同じように眼を細めてその絵を見ていた。まる
 で真似をしてからかっているみたいに(おそらくそんな意図はないのだろうが)。
  免色はそれから壁の時計に目をやった。「食堂に移りましょう。そろそろ夕食の用意が整って
 いるはずです。騎士団長が見えているといいのですが」

  私は書架の前の踏み台に目をやった。騎士団長の姿はもうそこにはなかった 

 「騎士団長はたぶんもうここに来ていると思います」と私は言った
 「それはよかった」と免色は安心したように言った。そしてリモート・コントロールを使ってシ
 ューベルトの音楽を止めた。「もちろん彼の席もちやんと用意してあります。夕食を召し上がっ
 ていただけないのはかえすがえすも残念ですが」 

  その下の階(玄関を一階とすれば、地下二階に相当する)は貯蔵庫と、ランドリー設備と、運
 効用のジムに使われていると免色は説明してくれた。ジムにはトレーニングのための各種マシン
 が揃っている。運動をしながら音楽が聴けるようになっている。週に一度、専門のインストラク
 夕ーがやってきて、筋肉トレーニングの指導をしてくれる。それから往み込みのメイドのための
 ステュディオ式の居室もある。そこには簡易キッチンと小さなバスルームがついているが、現在
 のところ誰も使っていない。その外には小さなプールもあったのだが、実用には適さないし手入
 れも面倒なので、埋めて温室にしてしまった。でもそのうちに二レーン二十五メートルのラップ
 プールを新たに作ることになるかもしれない。もしそうなったら是非泳ぎに来てください。それ
 は素晴らしいと私は言った。

  それから我々は食堂に移った。   

  Giuseppe Verdi, Ernani (2000, Madrid)

    24.純粋な第一次情報を収集しているだけ

  食堂は書斎と同じ階にあった。キッチンがその奥にある。横に長いかたちをした部屋で、やは
 り横に長い大きなテーブルが部屋の真ん中に置かれていた。厚さ十センチはある樫村でできてい
 て、十人くらいはコ皮に食事ができる。ロビン・フッドの家来たちが宴会をしたら似合いそうな、
 いかにも頑丈なテーブルだ。しかし今、そこに腰を下ろしているのは陽気な無法者たちではなく、
 私と免色の二人きりだった。騎士団長のための席が設けられていたが、彼の姿はそこにはなかっ
 た。そこにはマットと銀器と空のグラスが置かれていたが、あくまでしるしだけのことだった。
 それが彼のための席であることが儀礼的に示されているだけだ。

  壁の長い一面は居間と同様、すべてガラス張りになっていた。そこからは谷の向こうの山肌が
 見渡せた。私の家から免色の家が見えるのと同じように、免色の家からも当然私の家が見えるは
 ずだ。しかし私の住んでいる家は免色の屋敷ほど大きくはないし、目立たない色合いの木造住宅
 だから、暗い中ではそれがどこにあるのか判別できなかった。山にはそれほど多くの家は建って
 いなかったが、まばらに点在するそれらの家々には、ひとつひとつ確かな明かり灯っていた。
 夕食の時刻なのだ。人々はおそらく家族と共に食卓について、これから温かい食事を目にしよう
 としている。そのようなささやかな温もりを、それらの光の中に感じとることができた。

  一方、谷間のこちら側では、免色と私と騎士団長がその大きなテーブルに着いて、あまり家庭
 的とは言いがたい一風変わった夕食会を始めようとしていた。外では雨がまだ細かく静かに降り
 続けていた。しかし風はほとんどなく、いかにもひっそりとした秋の夜だった。窓の外を眺めな
 がら、私はまたあの穴のことを考えた。祠の裏手の孤独な石室のことだ。こうしている今もあの
 穴は暗く冷たくそこにあるに違いない。その風景の記憶は私の胸の奥に特殊な冷ややかさを違ん
 できた。

 「このテーブルは、私がイタリアを旅行しているときに見つけて、買い求めたものです」と免色
 は、私がテーブルを裏めたあとで言った。そこには自慢するような響きはなかった。ただ淡々と
 事実を述べているだけだ。「ルッカという町の家其屋で見つけて買い求め、船便で送らせました。
 なにしろひどく重いものなので、ここに運び込かのが一仕事でした」
 「よく外国に行かれるのですか?」

  彼は少しだけ唇を歪めた。そしてすぐに元に戻した。「昔はよく行ったものです。半分は仕事
 で半分は遊びです。最近はあまり行く機会がありません。仕事の内容を少しばかり変えたもので
 すから。それに加えて私自身、あまり外に出て行くことを好まなくなったということもあります。
 ほとんどここにいます」

  彼はここがどこであるかをより明らかにするために、手で家の中を示した。そのあと変化した
 仕事の内容についての言及があるのかと思ったが、話はそこで終わった。彼は自分の仕事につい
 ては相変わらずあまり多くを語りたくないようだった。もちろん私もそれについてとくに質問は
 しなかった。

 「最初によく冷えたシャンパンを飲みたいと思いますが、いかがですか? それでかまいません
 か?」

  もちろんかまわないと私は言った。すべておまかせする。
  免色が小さく合図をすると、ポニーテイルの青年がやってきて、細長いグラスにしっかりと冷
 えたシャンパンを注いでくれた。心地よい泡がグラスの中に細かく立ち上った。グラスは上質な
 紙でできたみたいに軽く薄かった。私たちはテーブルを挟んで祝杯をあげた。免色はそのあと、
 無人の騎士団長の席に向かってグラスを恭しく上げた。

 「騎士団長、よくお越しくださいました」と彼は言った。

  もちろん騎士団長からの返事はなかった。
  免色はシャンパンを飲みながら、オづフの語をした。シチリアを訪れたときに、カターニア
 歌劇場で観たヴェルディの『エルナーニ』がとても素晴らしかったこと。隣の客がみかんを食べ
 ながら、歌手の飲にあわせて歌っていたこと。そこでとてもおいしいシャンパンを飲んだこと。



  やがて騎士団長が食堂に姿を見せた。ただし彼のために用意された席には着かなかった。背丈
 が低いせいで、席に座るとたぶん鼻のあたりまでテーブルに隠れてしまうからだろう。彼は免色
 の斜め背後にある飾り棚のようなところにちょこんと腰を下ろしていた。床から一メートル半ほ
 どの高さにいて、奇妙な形の黒い靴を履いた両脚を軽く揺すっていた。私は免色にはわからない
 ように、彼に向かって軽くグラスを上げた。騎士団長はそれに対してもちろん知らん顔をしてい
 た。

  それから料理が運ばれてきた。台所と食堂のあいだには配膳用の取り出し口がついていて、ボ
 ウタイをしめたポニーテイルの青年が、そこに出された皿をひとつひとつ我々のテーブルに運ん
 だ。オードブルは有機野菜と新鮮なイサキをあしらった美しい料理だった。それに合わせて白ワ
 インが開けられた。ポニーテイルの青年が、まるで特殊な地雷を扱う専門家のような注意深い手
 つきでワインのコルクを開けた。どこのどんなワインか説明はなかったが、もちろん完璧な味わ
 いの白ワインだった。言うまでもない。免色が完璧でない白ワインを用意するわけがないのだ

  それからレンコンイカ白いんげんをあしらったサラダが出てきた。ウミガメスープが出
 てきた。魚料理はアンコウたった。

 「少し季節は早いのですが、珍しく漁港に立派なアンコウがあがったのだそうです」と免色は言
 った。たしかに素晴らしく新鮮なアンコウたった。しっかりとした食慾で、上品な甘みがあり、
 それでいて後味はさっぱりしていた。さっと蒸したあとに、タラゴンソース(だと思う)がか
 けられていた。
  そのあとに厚い鹿肉ステーキが出された。特殊なソースについての言及があったが、専門用
 語が多すぎて覚えきれなかった。いずれにせよ素晴らしく香ばしいソースだった。
  ポニーテイルの青年が、私たちのグラスに赤ワインを注いでくれた。一時間ほど前にボトルを
 開け、デキャンターに移しておいたのだと免色は言った。

 「空気がうまく入って、ちょうど飲み頃になっているはずです」

  空気のことはよくわからないが、ずいぶん味わいの深いワインだった最初に舌に触れたとき
 と、口の中にしっかり含んだときと、それを飲み下したときの味がすべてそれぞれに違うまる
 で角度や光線によって美しさの傾向が微妙に違って見えるミステリアスな女性のように。そして
 後味が心地よく残る。

 「ボルドーです」と免色は言った。「能書きは省きます。ただのボルドーです」
 「しかしいったん能書きを並べ始めると、ずいぶん長くなりそうなワインですね」

  免色は笑みを浮かべた。目の脇に心地よく皺が寄った。「おっしゃるとおりです。能書きを並
 べ始めると、ずいぶん長くなりそうだ。でもワインの能書きを並べるのが、私はあまり好きじゃ
 ありません。何によらず効能書きみたいなものが苦手です。ただのおいしいワイン――それでい
 いじやないですか」

  もちろん私にも異存はなかった。

  私たちが飲んだり食べたりする様子を、騎士団長はずっと飾り棚の上から眺めていた。彼は終
 始身動きすることもなく、そこにある光景を細部まで克明に観察していたが、自分が目にしたも
 のについてとくに感想は持たないようだった。本人がいつか言ったとおり、彼はすべての物事を
 ただ眺めるだけなのだ。それについて何かを判断するわけではないし、好悪の情を持つわけでも
 ない。ただ純粋な第一次情報を収集しているだけなのだ

  私とガールフレンドが午後のベッドの上で交わっているあいたち、彼はこのようにして私たち
 をじっと眺めていたのかもしれない。その光景を想像すると、なんとなく落ち着かない気持ちに
 なった。彼は人がセックスをしているところを見ても、それはラジオ体操や煙突掃除を眺めてい
 るのとまったく変わりないのだと私に言った。たしかにそのとおりかもしれない。しかし見られ
 ている方が落ち着かない気持ちになるのもまた事実だ。

  一時間半ほどをかけて、免色と私はようやくデザート(スフレ)とエスプレッソにまでたどり
 着いた。長い、しかし充実した道のりだった。そこでシェフが初めて調理場から出てきて、食卓
 に顔を見せた。白い調理用の衣服に身を包んだ、背の高い男だった。おそらく三十代半ば、頬か
 ら顎にかけてうっすら黒い祭をはやしていた。技は私に丁寧に挨拶をした。

 「素晴らしい料理でした」と私は言った。「こんなにおいしい料理を口にしたのは、ほとんど初
 めてです」
  それは私の正直な感想だった。これはどの凝った料理をつくる料理人が、小田原の漁港近くで
 人知れず小さなフレンチ・レストランを経営しているというのが、まだうまく信じられなかった。
 「ありがとうございます」と彼はにこやかに言った。「免色さんにはいつもとてもお世話になっ
 ているんです」
  そして一礼して台所に下がっていった。

 Sea turtle soup

奇妙な味の料理を口にするような小説だ。何か物足りない?料理で言えば洗練されているのだが、
「コク」が足りない気がする――途中で投げ出してしまうかもしれない――と思いながら読み進め
る。

                                    この項つづく

    

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