極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

進行胃がん疑惑

2016年09月02日 | 医療健康術

 



           消費過剰な、そして第三次産業に60から70%の働く人たちが集まっている高度な
      社会は、こういうフリーターの生活が成り立ち、そして増大するような「空隙の余裕」
           とも言うべきものを作りだし、しかも、増大させつつあるのだと言ったほうがいい。

           それはフリーターの親たちの年代が、必然かつ不可避的に自分たちの家計
の現在のた
           めばかりでなく、次世代の教育費その他の消費用まで含めた過剰
消費のために、あく
           せく働かざるを得なくなっていることと照応している。
 

                   「吉本隆明TVを読む:消費社会が産むフリーター」

                               朝日新聞 2000.10.22
 

 

                                   
                               Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar,
2012 

  
図解|生活百科事典 進行胃がん

● 我が家の進行胃がん疑惑

今年は気候が不順の所為で二人とも今ひとつ。私の方は皮膚アレルギーで皮膚科クリニックでステロ
イド系軟
膏を塗布し要観察中。そんななかでもルームトウォーキングは、ここ2週間まじめに?プロ
グラムのルーティング
を励行――脈拍160を超えないようにコントロールしているが、これを外し
速度と勾配を強化―――させようかと経過観察中で異変なければ明日からでも負荷レベルを上げる予
定。ところが、彼女の方が内科検診(胃腸臓器の内視鏡検査)通いで穏やかでない状態がつづいてお
り、今日も、むかつき・食欲不振を訴え、「進行がん」あるいは「スキルス胃がん」ではないのかと
心配しネットで調べて欲しいと言い出す。

昼からネットサーフし電子ファイル化しそれを彼女のパソコンで閲覧できるようににする(このピー
ーのOSはウィンドウ7のバイオVGCで動きがものすごく遅い)。しばらくゴソゴソ見ていたが早
々と切り上げ階上に登りしばらくして降りてきたのでどうなのだと聞くと、ナーバスになる過ぎてい
たとのかしらと返事。どうやら昼間のトーンは和らぎ落ち着いている。この調子では当面、山登りの
遠出はできないとスケジュールの再調整が必要だがもう少し様子をみることに。それでも口では、ス
トレスをためないといけないねと言い、その原因もあるという返事があり。忖度しもうそれ以上聞き
返さなかった。

 
がんを成長させない、特殊な糖「p53誘導体DBグルコース」

● 我が家のデフレの経路依存:半パンをめぐって

今朝、半パンを履こうとして、先日彼女が買ってきたもので、ポケットが少なく小さすぎ、裾も窮屈
で野外や外出用としては機能性が悪く
着用しないと断ったものの、これだけでなく、夏用のパジャマ
も、パンツには腰紐タイプ腰紐のはみ出した分、小用時に邪魔で紐タイプはやめて欲しいと言ったば
かりなのに、安ければなんでも良いという考え改めないと、機能性が悪く、商品への愛着がなく(長
く使わない)、'安物買いの銭失い'となり高くつくよと付け加える。どうせこんな粗悪品は中国製か
なんかの国でつくったものだろうとたしなめる。これもデフレの経路依存性というもので、我慢の反
映なんだと、吉本隆明の情況へ発言(※「吉本隆明TVを読む:デフレは悪いことじゃない」朝日新
聞 2001.3.25)を思い出す。これは「富収奪の経路依存」ととらえ、英米流金融資本主義(エセ・グ
ローバリズム)、科学技術の寄与、政治家(与野党とも)・国家官僚の保守反動(あるいは不作為=
サボタージュ)から構成されているとわたしならそう考える。

※ すでに国民は完全失業率が4.9%に至るまで流血の負傷者を出している。平常ならば4.1%か
  4.2%になっているはずだ。/金融機関や企業の合同が行われるたびに、リストラによる負傷
  者は増加する一方だ。アメリカに尻を叩かなければ素知らぬ顔で国民の負傷を盾にしてやり過ご
  そうとする政治家を思い浮かべる、これらの負傷者が全快して社会の戦線に復帰する望みは、ま
  ったく考えられないといっていい。/デフレ傾向はただ政治経済の一現象として起こっているの
  ではない。国民やその負傷者の消費節約の忍耐力で起こっているのだ。公認政党の政治家たちは、
  国民の潜在的な忍耐力を『なめたらあかん』と思う。経済問題に関する限り、すでに主動力は一
    般の国民の手に移っているのが高度化した資本制の段階
だと、わたしは信じている。

 

【ネオコン工学の此岸:紫外線で発電する窓ガラス】 

先月31日、東京大学物性研究所の松田巌准教授らの研究グループは、二種類の異なる酸化物を接合
させたヘテロ界面で、光起電力を人工的に制御できることを発見。レーザーを使った原子レベルでの
精密結晶成長技術を駆使し、チタン酸ストロンチウム(SrTiO3)結晶基板上に数原子層厚さのルテニ
ウム酸ストロンチウム(SrRuO3)超薄膜を成長させ、ヘテロ構造を作製。紫外光レーザ ー照射によ
り光起電力を発生させ、レーザーと同期したシンクロトロン放射光でヘテロ構造の電子状態変化を追
跡する時間分解光電子分光法により、その緩和過程をリアルタイムで捉える――SrRuO3 薄膜の膜厚
を変えることでヘテロ界面の電子構造が劇的に変化、それに合わせて光学応答が200倍も向上、さ
らに光起電力の大きさと緩和寿命が鋭敏に変化することを発見。また、得られた結果を元に数値シミ
ュレーション、この光学応答の変化に必要な光キャリア
の量やダイナミクスを明らかにする。このこ
とで
化物ヘテロ構造における光起電力の発生とその制御の仕組みを、定量的に説明できるこ
とで光
機能に合わせたヘテロ構造をオンデマンドで作製できるようになる。

SrTiO3は可視光は透過するが紫外線を吸収する半導体材料で、SrRuO3層も原子レベ ルに薄いので高
い可視光透過性を持つ。そのため紫外線から守りかつ透明な太陽電池の新素材としての可能性がある。
つまり、既存の酸化チタン系ペロブスカイト有機無機混合型色素増感太陽電池と同様に窓ガラスなど
に貼り合わせれば、紫外線をカットし太陽電池として使えることから都市のビルディングや一般住宅
用の発電する窓ガラスとしての用途が見込まれるので、昨夜の「ベランダdeソーラー」とドッキング
できそうだ。

 

※ Advanced Materials Interfaces 論文タイトル:Tailoring photovoltage response at the SrRuO3/ SrTiO3
   heterostructures,
R. Yukawa, S. Yamamoto, K. Akikubo, K. Takeuchi, K. Ozawa, H. Kumigashira, and
      
I. Matsuda

光電子分光法金属や半導体などの固体に紫外光以上のエネルギーを持つ光を照射すると電子が放
  出される。この電子を光電子と言い、光電子のエネルギーを分析することで固体表面の電子構造
  を知る実験法を光電子分光法という。特に原子核周りの電子
(内殻電子)を分析すると、元素選択
   的に情報をとることができる。

 

  ● 今夜の一


世界初、燃料電池内部の酸素濃度を深さ方向にリアルタイムでモニタリング。燃料電池でも世
界のトップランナーである。

 

【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】

 

  ● 又吉直樹 著 『火花』 9 


  年が明けて問もない頃、珍しく神谷さんから渋谷に呼び出された。渋谷駅前は幾つかの巨大ス
 クリーンから流れる音が激突しては混合し、それに押し潰されないよう道を行く一人一人が引き
 連れている音もまた巨大なため、街全体が大声で叫んでいるよ
うに感じられた。人々は年末と同
 じ肉体のまま新年の表情で歩いていて、おざなりに
黒い服を着た人が多かったが、時折、鮮やか
 過ぎる服を纏い一人で笑っている若者な
どもいて、むしろ、こういう人物の方が僕を落ち着かせ
 た。神谷さんはハチ公前で煙
草を吸っていた。吉祥寺で見る神谷さんには多少慣れてもきたが、
 渋谷の雑踏を背景
に見る神谷さんは、やはり空間から圧倒的に浮いていた。神谷さんが服装に無
 頓着で
現代的ではないことも、その要因の一つなのかもしれなかった。

 「初詣以来やな。真樹が謝ってたで」

  神谷さんはショートホープの煙を吐きながら、そう言った。
  初詣には、神谷さんと真樹さんと三人で武蔵野ハ幡宮に参り、その後、真樹さんの家でキムチ
 鍋を食べた。僕が例のごとく酒に酔い、漫才のことを熱く語っていると、
神谷さんに命じられた
 真樹さんが、部屋のどこかから僕に向かって寄り目にし、舌を
出す典型的な変な顔をしてきて、
 それを見つけ次第、僕が真樹さんを咎めるという正月らしからぬ謎のやり取りを何時間も繰り返
 していたのだが、徐々に激化していき最後の方は一旦僕の死角に消えた真樹さんが、部屋の片隅
 から僕に向かって、中指を立てたりしていた。おそらく、その件について謝っているのだろう。

  神谷さんは信号が青に変わったタイミングで煙草を捨て、スクランブル交差点を横断しながら、
 「徳永、苦手かもしらんけど、女の子いてるわ」と言った。神谷さんは他の歩行者とよくぶつか
 った。僕も同じようにぷつかった。宇田川交番の近くに居酒屋が何軒も入った雑居ビルがあり、
 そのうちの一軒で女性達と待ち合わせているようだった。いつも呑む占祥寺の店よりも現代的な
 作りで、店内に入った段階で僕はかなり気遅れしていた,女性が三人と、神谷さんの事務所の後
 輩が一人いた,僕は男女が出会う場としての飲み会に参加したことが一度もなかった,神谷さん
 の事務所の後輩は僕よりも芸歴が浅いようで丁寧に挨拶をしてくれたが、無愛想な奴だと思われ
 たかもしれない。神谷さんは、僕や真樹さんと一緒にいる時よりも少し明るいように見えた。

 は普段よりも静かにしていた。この場に相応しい言葉が一つも出てこなかった。僕の隣の席
に座
 る女性が、やたら耳元で話しかけてくるのが鬱陶しかった。 

  神谷さんの独壇場だった。女性達も咄‥谷さんの発言で、よく笑った。僕の隣の女性だけが小
 声で僕に、「大丈夫?」などと話しかけてきて、無理やり二人の空間を作ろうとするのが煩わし
 かった。その回数が増す度に女性の眼は落ち着いていった,僕は、この女の話ではなく神谷さん
 の話を間きにきたのだ。トイレから部屋に戻った時、僕は元にいた場所ではなく神谷さんの隣に
 座った。

 「どこ座っとんねん!」と神谷さんが反射的に声を上げると女子達が一斉に笑い声を上げた。僕
 は黙って冷えた唐揚げを見つめていた。 僕の隣に座っていた女性が、「私、嫌われちやったん
 ですかね?」と言った。僕は黙っていた。このロに限って、全然酔っていなかった。女性達が僕
 のことを不思議な生き物のように見ていた。

 「こいつ、なんか中学生みたいやろ?」と神谷さんが言うと、僕以外の人達が同意を示した。僕
 と神谷さんでは才能に雲泥の差があるということは自覚していたけれど、
こんなにも人としての
 距離を感じたことは今までになかった,違う世界の人間のよう
に見えた。それでも他の人よりは
 知っている顔に思えたので、この場ではこの人を手
掛かりにするしか方法がなかった。

 「でも、こいつこう見えて盗聴が趣味やからな」と神谷さんが言うと、一同は大袈裟
に驚いた。
 「せやんな?]と神谷さんが僕に聞いてきたので、僕が「はい」と返事をしたら、なぜか皆が笑
 った。

 「すっげえ、やばい人じやないですか?」と神谷さんの後輩が言うと女性達がまた派手に笑った、
  
  盗聴と言っても、なにか機器を使ったわけではない。たまたま、神谷さんと真夜中の住宅街を
 歩いていたら、女性の喘ぎ声が聞こえてきたので立ちどまって二十分ほど聞いていたに過ぎない。
 その夜から二週間ほど、毎晩その場所まで通っただけである。しかし、何度通っても、あの声は
 二度と聞こえてこなかった。何日目かの夜に、あれは映像の音だったのではないかという疑問
 頭に浮かんだ。だが、あの音の切実さはアパートから実際に漏れた声だという確信もあった。そ
 の時、僕も神谷さんも映像の音である可能性が頭をよぎらなかったことが何よりの証拠だと思っ
 た。そんな疑問が起こってからは、その虚実を確かめたいという欲求もあって通った面もあった
 ので、盗聴好きと断定されることには抵抗があった。

 「えっ、なんで盗聴で興奮するんですか?」と一人の女性が僕に向かって質問を投げかけた。
 「対象者が誰かに聞かれることを前提で放っている音ではないからです。本来、聞け る音では
 ないので」
  答えたくなかったが、場を白けさすことも、僕は望んでいなかった。
 「研究者じやん!」ともう一人の女性が言うと、皆が笑った。そんなことは気にもならないが、
 神谷さんが一緒になって楽しそうに笑っているのが苦痛だった。師匠がそちら側にいると、僕は
 そいつらを取るに足らないものと簡単に否定することが出来なかった。
 

  最後まで、僕は全く飲み会に馴染まなかった。神谷さんは、全ての女性達と連絡先を交換して
 いた。とにかく僕は早く帰りたかった。

  僕の願いが通じたのか、終電があるうちに解散となり、僕は神谷さんと井の頭線で吉祥寺に向
 かった。渋谷発なので、一本だけ電車をやり過ごすと、二人で並んで座ることが出来た。神谷さ
 んは随分と満足そうだった。
  電車が走り出すと、「今日も盗聴行くんか?」と神谷さんが言った。
 「あんなん、急に言わんといて下さいよ」と僕は神谷さんを見ずに答えた,
 「いや、俺等な、二人だけでずっと喋ってたら、ほんまに趣味の世界に行ってまうから、たまに
 は他の人とも会話して自分がどういう人間かわかっとかなあかんねん。でも笑ってたやん」
 「いや、笑われてただけでしょ」

  僕は自分の意志で人を笑わせたことがあるのか急に不安になった。
 「笑われたらあかん、笑わさなあかん。って凄く格好良い言葉やけど、あれ楽屋から洩れたらあ
 かん言葉やったな]と神谷さんが言った。
  下北沢の駅で人が沢山降りたが、降車したのと同じくらいの人間がまた乗ってきた。
 「あの言葉のせいで、笑われるふりが出来にくくなったやろ? あの人は阿呆なふりしてはるけ
 ど、ほんまは賢いんや。なんて、本来は、お客さんが知らんでいいことやん。ほんで、新しい審
 査の基準が生まれてもうたやろ。なんも考えずに、この人達阿呆やなって笑ってくれてたらよか
 ったのにな。お客さんが、笑かされてる。って自分で気づいてもうてんのって、もったいないよ
 な]
 「だからこそ、新しい基準を越えて生まれるものもあるんじやないですか?」
 「それも一部あるんやろうけど。名画の上から、色んな絵具足し過ぎて、もう元に戻れんように
 なって、途方に暮れてる状態に思えるねんな。その点、お前は自分の面白い部分に自分で気づい
 てないやろ? それがいいねん」
 「誰がほんまの阿呆やねん!」
 「やかましいわ」と、神谷さんは優しい声で僕を黙らせた。

  明大前で多くの人が降りて、ようやく呼吸がしやすくなった。居酒屋にいた時とは違う、普段
 の神谷さんに戻ってきた。神谷さんは、僕と遊んでいると周りから偽善者と思われないか不安に
 なるとたまに言うことがあった。その言葉には僕に対する侮蔑の意味も少しは含まれているのだ
 ろうけど、それはあくまでも冗談の一つと捉えていた。自分のことになると客観視することが難
 しいのだが、今日の飲み会での僕の立いちち居振る舞いを振り返ると、あながちただの冗談では
 ないのかもしれないと思った。おそらく、女性達は変な男がいたと僕のことをどこかで話すだろ
 う。神谷さんの後輩は僕のことを芸人の癖に勘の鈍い奴だと思っただろう。

  僕は周囲の人達から斜に構えていると捉えられることが多かった。緊張で顔が強張っているだ
 けであっても、それは他者に興味を持っていないことの意志表示、もしくは好戦的な敵意と受け
 取られた。周りから「奴は朱に交わらず独自の道を進もうとしている」と半ば嘲りながら言われ
 ると、そんなことは露程も思っていなかったのにいつの間にか自分でもそうしなければならない
 ような気になり、少しずつ自分主義の言動が増えた。すると、その言動を証拠として周りがそれ
 を信じ始める。ただし才能の部分は一切認めていないので残酷な評価になる。確固たる立脚点を
 持たぬまま芸人としての自分が形成されていく。その様に自分でも戸惑いつつも、あるいは、こ
 れこそが本当の自分なのではないかなどと右往左往するのである。つまり、僕は凄まじく面倒な
 奴だと認識されていた。

  僕のような退屈で面倒な男と遊ぶことによって、周囲から色眼鏡で見られ、偽善者と呼ばれる
 可能性があるということを、この時まで現実的に考えたことがなかった。僕は神谷さんを、どこ
 かで人におもねることの出来ない、自分と同種の人間だと思っていたが、そうではなかった。
 は永遠に誰にもおもねることの出来ない人間で、神谷さんは、おもねる器量はあるが、それを選
 択しない人だったのだ。両者には絶対的な差があった。神谷さんは他の人のように僕に対して身
 構えたりせず、徹底的に馬鹿にすることもあれば、率直に褒めてくれることもあった。他の尺度
 に左右されずに僕と向き合ってくれた。

  そんな神谷さんに寄りかかっていたため根本的なことを忘れかけていた。神谷さんの突飛な言
 動や才能を恐れながらも、変態的であることが正義であるかのように思い違いをしていた。いや、
 芸人にとって変態的であることが一つの利点であることは真実だけれど、僕はただ不器用なだけ
 で、その不器用さえも売り物に出来ない程の単なる不器用に過ぎなかった。それを神谷さんの変
 態性と混同して安心していたのである。僕が思っていたよりも事態は深刻だったのだ。

誰とも妥協できない、変態的芸人がどの用に描かれていくのか、『火花』はいよいよこれから本番に入っていく。
ネタばれなどの情報があるのかないのか知らないが、そんなことは委細構わず読み進めていこう。

                                                             この項つづく

 

  ● 今夜のアラカルト

【熟した無花果とミントのサラダ】

先月20日より、彦根市の特産品「彦根梨」を使った商品を扱う店舗を巡るスタンプラリーが彦根市、
多賀、甲良町でスタートされている。彦根梨は大きな実とみずみずしい食感が特徴で、市南部の荒神
山麓で二十一戸の農家が栽培している。確かに家で出されたものを頂くと大変おいしく、「ラ・フラ
ンス」のようでもありこれは全国展開できそうだ。しかし、価格は高く、これはこれにかぎったこと
でなく、果物全般が高いことにあると彼女が説明する。幼少期の大阪・奈良は後背地に恵まれ、デラ
ウエア、20世紀梨、白桃、西瓜、枇杷、無花果、西瓜など安く手に入ったものだ。大阪大学の理工
学部の枇杷の木や、京町堀の従兄弟の家の無花果、奈良の親戚の丘陵の西瓜などの記憶はいまも鮮や
かに残っているいるが、調理したものといえば焼きリンゴやジャム程度(ソース原料としても使われ
ている)。そこで、先回、記載した「無花果とマンチェゴのクルトンハーブサラダ」につづき、果実
のレシピを掲載し、果実の付加価値(用途拡大)を高める方法を考えてみる。

材 料:(5、6人分)売れた無花果5、6個、脂肪を取り除いた薄切り生ハム3枚、新鮮なミント
    の葉12~15枚、レモン1個、塩少々、生クリーム1/4カップ
作り方:①無花果(皮むきでも可)をナイフを押し十字に半カットするかあるいはスライス。冷蔵庫
    に約1時間、皿に半カット無花果を盛り冷やしておく。②生ハムを細かい千切り(約25ミ
    リの長さ、マッチ棒の幅にカット)③レモンを絞りミントの葉を半分程度砕き、約20~
    30分間熟成しておく。④.レモン汁に塩を加え、ゆっくりと生クリームを加え混ぜ レモン
    の酸味を強めにする加えながら攪拌、必要に応じ塩を加える。⑤スライスした生ハムの半分
    とクリームソースをスプーンで無花果にふりかけ、表面に残った生ハムで乗せ、残りのミン
    トの葉を飾れば完成。

※ ソースは他のドレッシングなど、適当にアレンジ開発できる。

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