極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

季節外れの八月

2015年11月12日 | デジタル革命渦論

 

 


     これまで経験してきた中でもトップクラスの操縦性と安全性。  /  安村 佳之 


   

 

   私は理性には耳をかしませんことよ。・・・・・・理性とは、いつも、
             ほかの誰かが言わねばならないことですものね。 
      

                             エリザベス・クレシッグホーン・ガスケル


 

                                          Elizabeth Gaskell



                A little credulily helps one on  through life very smoothly,
                I'll not listen to reason......
                Reason always means what someone else has got to says

                                                                                             Elizabeth C. Gaskel
         
           1. credulity ; 人の言うことを疑いもせずに信じること
        
2. has got to say=has to say
       



 


● 折々の読書  『China 2049』Ⅲ 

                秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     

                                     マイケル・ピルズベリー 著
                                  野中香方子 訳  

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケ
ル・ピルズベリーが、自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえ
で、中国の知られざる秘密戦略「100年マラソン(The Hundred-Year Marathon) 」の全貌を描い
たもの。日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先の世界情勢、日中関係、そして

ビジネスや日常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっている。 

  【目次】 

 序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔

 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)  

  第1章 中国の夢 

  諜報活動についてジョン・ル・カレのスパイ小説やジェームズ・ボンドの映画のよう
 なイメージを抱いていたかどうかはともかく、わたしはじきに現実を知った,わたしの
 コードネームは007のように洗練された謎めいたものではなかった※。中ソ問題につ
 いて最も詳細な報告は、CIAが長明的に行ってきた研究(ESAUおよびPOLO)
 によるもので※、築まった証拠は複雑だった。キッシンジヤー率いるNSC(国家安全
 保障会議)のスタッフの間では、中国との関係を深めるべきかどうかについて意見が分
 かれた’&vは、ニクソン大統領が1969年2月の会議で表明した見方を支持した、
 それは、中国はソ連よりも危険な脅威であり、村中のミサイル防衛が必要だ、というも
 のだ、そういうわけで、その年の11月まで、キッシンジャーのアドバイザーらは「中
 国への開国」に反対していた。当時キッシンジャーは、大統領の訪中の可能性を尋ねら
 れ、「その可能性は低い」と答えている※。

※イアン・フレミングのコードネームの利用とコードネーム"007"については以下の研究
  を参照。Donald McCormick, 17F; The Life of Ian Fleming (London: Peter Owen Publishers、
     1954);Nicholas Rankin Ian Fleming'sCommandos; The Story of the Legendary 30  Assault
     Uni  (New York; Oxfored University Press, 2011); John Pearson, The Life of Ion Fleming  (N-
     ew York; Bloomsbuy, 2013); Craig Cabell, Ian Fleming's Secret War (Barnsley, UK; Pen and
     Sword, 2008).

※例えば次を参照。HaI Ford, “Sovict Thinking about thc Dangcr of a Sino-US RaPProchcmcnt,
    ”CIA lntclligcncc RCPort. Directoratc of lntelligene, Reference Tide; ESAU LI, Feb 1974,
      http://www.foia.cia.gov/sites/dcfault/filcs/documen_convcrsions/14/esau-50.pdf

H.R.Haldeman, THe Ends of Power (New York;  Dell, 1978),91; Roger Morris Memorandum
  for  Henry Kissinger, November 18, 1969, declassified memo, Subject: NSSM 63, Sion-Soviet
    Rivalry――A Dissenting View, Nixon Presidential; August 19, 1969, Nixson Memorandandum
    to Henry Kissinger, Secret、Augist 19, 1969, Nixon Presidential Library. キッシンジャーとハ
  ルデマンの関係についてより深く知るには以下を参照。Robert Dallek, Nixon and Kissinge;
    Partner in Power (New York; HarperCollins, 2007), chpter 11.


  わたしは何時間もかけてESAUおよびPOLOの報沿書を読んだが、中国の野望に
 ついての記述には大いに驚かされた。1960年から62年にかけて、CIAの「IRO
 NBARK」と名づけられた一連の作戦のもと、ソビエトの極秘文書の数千ページがミ
 ノックスカメラで密かに撮影された。信じがたいことにその文書には、モスクワの軍指

 導者が中国をNATO同盟国に並ぶ軍事的脅威と見なしていることが記されていた。ま
 た、ニューヨークのFBIが、三つのスパイ作戦(コードネームは、SOLO、TOP
 HAT、FEDORA)を遂行してきたこともわたしは知った。それらはソ連共産党内
 部の上層部から信頼できる情報を引き出すことに成功していた※。。しかしFBIとC
 IAは、さらに詳細な情報の収集をわたしに求めた。国連本部巾務局のオフィスは国連

 ピルの35階を占めていた。そこで出会った最も印象的なソ連の職員は、アルカディ・シ
 ェフチェンコという名の、小太りで白髪の社交的な人物だった。当時39歳のシェフチェ
 ンコは酒豪で、特にマティーニを好み、マンハッタンのフレンチービストロ、ラ・プテ
 ィートーマルミートで長話をするのが常だった,わたしは彼と親しくなり、よくランチ
 をともにしたが、その席で彼は、国連のプロトコルなどまやかしだと笑い飛ばした。例
 えば、母国の職員との付き合いは控えるようにとされているが、ロシア人の職員は皆、
 毎日のように彼のオフィスにやってきて情報交換し、指示を仰ぐのだと言った。


  1969年4月、シェフチェンコは、信頼できる友人になっていたわたしに、ひと月
 前に中ソ国境で中国軍が行った蛮行の詳細を詰った。y連軍の中隊を待ち伏せして奇襲
 攻撃を什掛けたそうだ。アメリカの諜報機関職員の大半が知らない情報だった。またシ
 ェフチェンコはこう教えてくれた,「ソ連の指導者は、中国が共産圏の支配、ひいては
 世界支配を目論んでいると考え、中国人を憎み恐れている」。何十年もの間、中国はソ
 連の援助に頼る弱者を巧みに演じてきた。その中国があからさまな挑戦を仕掛けてきた
 ことに、ソ連の人々はショックを受けていたのだ。

  シェフチェンコと国連本部ビルのノースデレゲイツ・ラウンジでコーヒーを飲みなが
 ら話した時のことは、特によく覚えている。シェフチェンコの中国の将来についてのジ
 ョークにわたしは大笑いした,こんなジョークだ。

  ソ連の指導者レオニード・ブレジネフがニクソン大統領に電話をかけてきた,
  ブレジネフが言う。
  「KGBによると、あなたは2000年に何か起きるかを予測できるスーパーコンピ
  ユーターを持っているそうですね」

  「ええ、持っていますよ」 ニクソンが答える。
  「では、その頃、誰がソ連政治局を牛耳っているか、教えていただけますか?」
   ニクソンは沈黙し、一向に答えようとしない。
  「はは!」
   ブレジネフは笑った。
  「そのコンピューターはそれほど高性能でもないのですね」
  「とんでもない、書記長」
   ニクソンが答えた。
  「コンピューターはあなたの質問に答えています,ただわたしにはそれが読めないの
  ですI
  「なぜですか?」
  ブレジネフが訊いた。
  「中国語で書かれているからです」

  わたしが笑ったのは、あまりにもばかげていると思ったからだ。自国民さえちゃん

 養えていないマルクス主義の後進国にソ連の将来がかかっているというオチは、当
時の
 わたしにはこっけいに思えた。だが、抜け目ないロシア人は、わたしたちが知ら
ない何
 かを知っていた。わたしは同じ部署の他のロシア人、エフゲュー・クトボイ、
ウラジー
 ミル・ペトロフスキー、ニコライ・フオチンとも付き台いがあったが、彼ら
も別の機会
 にその同じジョークを言った。その裏に深刻なメッセージがあることに、
わたしはまっ
 たく気づいていなかった。


  わたしはほとんどの時間を、政治局の下の階で働いていたクトボイとともに過ごし
た(
 ※。わたしたちの上司ペトロフスキーはのちにソ連の外務次官になった。クト
ボイはの
 ちにソ連のユーゴスラビア大使となる。シェフチェンコと同様、彼らもわた
しの質問に
 喜んで答えてくれた。ふたりとも当時は30代だった。彼らは、中ソの軋轢
の歴史や、中
 国人の回りくどいやり方について、嬉々として教えてくれた。クトボイ
は、中国の共産
 党政権は事実上ソ連が築いたようなもので、ソ連は中国政府の重要な
部門のすべてにア
 ドバイザーを置いた、と語った,武器輸送、軍事訓練、技術的な助
言など、すべては同
 盟国としての中国を近代化するために供与された。しかし195
3年にヨシフ・スター
 リンが亡くなると、両国の関係は悪化した。


※これについては2010年に再びクトボイが Diplomatic Academy in Moscoxvで議論して
 いる。彼は「45年前にわたしが言った通りだ]と発言した。 

              
                                    この項つづく



 

【最新プリンテッドエレクトロニクス工学 Ⅱ: 血糖値を計測する】

ここ数年、医者にかかったことは、歯医者と眼科と皮膚科の3つ。といっても軽い治療。血圧
計ることも、血糖値をはかることもなかったが、眼精疲労による頭痛が度重なり、糖尿病ー
――数
日以上の高血糖が続くと眼のレンズが膨らみ、厚みが増すことがある。つまり、老眼鏡
掛けたような状態。多くの場合は血糖コントロールをよくすれば数日で改善するが、レンズ
完全に元に戻るには6週間以上かかる――の症状もあるとうことでネット検索を行う。下図
のように恐ろしいなることも説明されいる。




それだけじゃなく、血糖値の乱高下はよくない――欠陥の内壁を劣化や動脈・静脈瘤・血栓を
発生させるというもので、血管が破れるとどうなるかは、今年かかけがえのない友を失ってい
るから切実でもある。眼精疲労による偏頭痛の対処の仕方はわかっているので、過剰ななスト
レスを減らし、過剰なデスクワークを減らせば対応できる(下記参照「●今夜の一曲」)。


 

そこで、血糖値をウエアラブルで即時測定できないかと特許技術を検索(過剰適応症まるだし)
継続的な血糖値の計測は、血糖値が低い低血糖状態の速やかな検出が目的。低血糖状態は、命
に関わる危険な状態があり速やかな検出が必要とされている。現在、糖尿病患者などが自分で
血糖値を計測するための携帯型の血糖値測定装置として、光を用いた非侵襲式の血糖値測定装
置の開
発が進められ、血糖値は食事や運動などによって一日のうちでも大きく変動するため、
こまめに測定す
る必要だが、継続的な使用を前提とした携帯型の血糖値測定装置には、バッテ
リー動作が前提で。使
用可能時間や、充電や電池交換の頻度等の観点からは大容量のバッテリ
ーが望ましいが、携帯性等
の観点からは小型・軽量である小容量のバッテリーが望ましい。
下図(クリック)の血糖値測定装置10は、使用者2の手首等に装着され、光を用いた非侵襲の測定装
置で、使用者2の血糖値を間欠的に測定。測定間隔は、測定した血糖値に応じて設定され、測定した
血糖値が低い場合には、測定間隔を短く設定。 消費電力の低減を図る。

 

また、下図(クリック)は、血糖値計測装置10において、血糖値予測部166は、使用者の
血糖値を予測
する。発光部111は、使用者の生体内に向けて計測光を照射する。発光制御部
161、計測点候補設定部164、光量制御方法決定部168、及び計測点選択部169は、
予測された糖値に基づいて1回の計測当たりの計測光の光量を制御する。受光制御部162、
吸光スペクトル生成部170、及び血糖値算出部171は、使用者からの反射光を受光して
糖値
を計測することで、消費電力の低減を図るっている。

 
特開2015-142667 血糖値計測装置及び血糖値計測方法



 

 ● 今夜の一品

 

   ● 今夜の一品

 【季節はずれの八月】 

 

   愛で向日葵が揺れている
   一度はやぶれた恋なのに
   もしも許されて逢えるなら
   大事な命も惜しくない 

   涙で星屑も滲む空の下
   彷徨う旅人の夜は長い
   月の満ち欠け心乱されて
   哀しき迷い子はとこへ行くの?

   八月の蒼さにキラめく海では
   潮風が歌う魔性の Love song

        この胸に皆川ま波音はせつなく
      Oh、恋人たちのセレナード※

     Preuy little baby    

     いつか来た道は遠いけど
   振り向く場所に君がいる
   夕暮れにほほを寄せ口づけた
   海辺のテラスは色褪せた
  
   愛しい女性のために生きた毎日を
   秋待つ黄昏の海に想う
   生まれたこの街の空は霞んでも
   遙かな面影は赤く燃えている

   ギラギラと輝く真夏の太陽が
   この身を焦がすようなRomance
     見つめ合う涙に溺れたわけとは
   Oh,瞳の中のエメラルド

   今夜茅ヶ崎に帰るなら
   君の幻想に抱かれたい

       八月の蒼さにキタめく海では
   潮風が唱う魔性の Love song     
          この胸に響くは波音のせつなく
     Oh、恋人たちのセレナード

     Pretty little baby
     Come-a Come-a mabe ・・・・・・
 



                               『八月の詩』
                                      
                                      歌 サザンオールスターズ
                                                                     作曲/作曲   桑田佳祐  
                                
                           


朝から右目の眼底が痛み、彼女の昼のうどんを食べ終えると、水が浜「シャーレ」へ車を飛ば
し、対岸の
を眺めながら、ラークを1本深々と吸う。風は強いが上天気だ。水曜日だというの
に店にはたくさんの客
で溢れ、時折、サイクリングを楽しむ人たちが通り過ぎていく。いつも
のウエルカム・ベルをならすことなく
帰宅する。フルオープンでカーステのバリュームを上げ
湖岸を走る。「茅ヶ崎」という歌詞で、彼女と別れ
たあの日が去来する。冷たい浜風に、季節
の外れの八月とたわむむれながら湖岸を疾走する。

● 訃報

綾瀬靖夫さんが他界された。樹脂旋盤加工の専門家(自営業)で、実験器や試作器の製作を依
頼させていたが、町内の親父会などは気さくな職人気質は多くのひとに愛された。顔を会わせ
ば「仕事をくれ!」がいつもの挨拶だった。享年72。

                                       合掌

 

 

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