極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

砂漠のタタウイヌの嘆き

2013年08月31日 | 世界歴史回廊

 

 

 

 

【スターウォーズデザイン エピソードⅠ】
    

すべてはデザインで決まる。 

タトゥイーン:砂漠の惑星

『スター・ウォーズ 新たなる希望』でラルフ・マクォーリーが描いたそもそも最初のプロダクション
・ペイン
ティングから、ダグ・チャンやギャヴィン・ボケーの最新作にいたるまで、タトゥイーンはいつ
でも、ギャングや海
賊たちの群れる無法地帯として、銀河のバーバリー・コーストに喩えられてきた。
容赦なく照りつける二重太
陽、陽射しに灼かれる不毛の大地、肺を焦がす大気、褐色の砂に覆われ
目を灼く地平線。気候に厳しく資源
に乏しく、ために日々の生活は環境との闘いとなる。トゥキジ
デス(古代ギリシャの歴史家)の言葉を引用する
までもなく、タトゥイーンでは「強者は強きがゆえに
強き
をなし、弱者は弱きがゆえに弱きに嘆く」ことになるとい設定で、中東産油国を除く、広漠とし
たアフリカ砂漠を想像させるものである。
タトゥイーンの建築物は以下の2点を反映した特徴を持っ
ているという。情け容赦のない熱波を避けるための
シェルターとして、また、情け容赦のない人間か
ら身を
守る防御として。旧三部作と同じように、タトゥイーンは北アフリカのチュニジアで撮影され
ることになっていた
ため、それに相応しいチュニジア風の建築様式が改めて仔細に研究された。


『新たなる希望』でルーク・スカイウォーカーの住んでいた穴居式住居は、ベルベル・トログロダイト
がもと
になっている。北アフリカのベルベル人が築いたトログロダイト穴居式住居は、地表からはほ
とんど見えな
い地下住居の体を成しているため、日中は灼熱の太陽光線を避けて涼しい安息の場所と
なり、夜間は日中の
熱を保って凍りつく冷気を遮るという効果がある。ルーカスは『ファントム・メ
ナス』の製作初期から、こ
のアイディアを拡大し、街全体を巨大なな穴の底に作ろうと考えていた。
縦穴の底はそのまま渓谷の壁に連なり、
アメリカ南西部のアナサジ・インディアンの居留地のように
街々を取り囲んでいる形だ。近在の街との連絡は、
いくつもの人工渓谷でつながる予定だった。この
穴居
式都市はスケッチには起こされたが、現実にセットを組むにしても、デジタル処理するにしても、
予算も時間も
かかりすぎるため、早々に見送られたが、そのイメージは捨てられることなく、ポッド
レース・アリーナや
ベガーズ・キャニオンに盛り込まれたという。

     

ルーカスはその代替案として、アナキンの故郷モス・
エスパを、ルークのいたモス・アイズリーの街を大
きく
したものとすることに決める。モス・アイズリーの建物は、チュニジア沿岸の島ディエルバに住
むイバダイト人
の家々がもとになり、イバダイト人の建物はたいていの場合、陽光に洗われた壁や円
屋根に、窓のほと
んどない家としておなじみだ。多少の変化をつけるため、今回はこれにクサールの
様式も取り入れた。クサールもベルベル人の建てたもので、材質は土と石から成り、蜂の巣式の複数の
部屋に分かれ、要塞であり穀物倉でもある。タトゥイーンの砂漠はポッドレースの舞台にもなった。
ポッドレースの設定が完成した時点で、次のようなことがわかった。時速数百マイルで走り抜けるよう
な乗り物なら、果てしない大地の広がりも広すぎるということはない。ルーカスは美術部門に、でき
るだけ多種類のクリーチャーを風景のそこかしこに登場させるよう要求した。こうして、コンセプト・
アーチスト兼クリーチャー・デザイナーのテリル・ウィットラッチ率いるアーチストたちは、タトゥイ
ーンの生態系と食物連鎖を考え出した。ちょっと並べるだけでも、アルマジロや野ウサギ、プレーリ
ードッグやコヨーテなどの動物たちがタトゥイーン版にアレンジされて登場する。

その一方でタトゥイーンは、誰にも発見されたくない者たちが逃げ込んでくる場所でもあり、タトゥ
イーンの
「居留民」たちは実に種々雑多である。しかし、どんな者も自然と対峙していかなければなら
ないことは確か
だ。そしてまずほとんどの者が照りつける太陽から身を守るため、使い占した革のよ
うな素材を身に着けて
いる。こうした特異な外装を作りIこげるため、アーチストたちはアラブ、中央
アジア、アフリカなどの服装文化
をもとにデザインし、必要に応じてアメリカのバイク・ギャングたち
のファッションも取り入れている。
ポッドレーサーやスピーダー、ドロイドに関しては、タトゥイー
ンの生き物にとって永遠不滅の3要素、資源
の不足、灼熱の太陽、舞い上がる砂に対応できるよう作
られているという設定にある。C-3POの構造か
らもわかるように、タトゥイーンのテクノロジーは、
まる
で機械廃品から成りたっているように見え。余りものを組み合わせ、厳しい天候にさらされ、核戦
をくぐり抜けてきたような印象を与える。そう、タトゥイーンは、ひとつの広大な廃品処理場-ジ
ャンクヤード惑星だ。
そこには数々の驚きや予期せぬ宝物が待ち構えているという「アリババと四十
人の盗賊」を連想させるかのような設定になっている。その宝石のひとつが
アナキン・スカイウォーカ
ー。
幼い奴隷の少年は、遠くはなれた惑星ナブーをトレード・フェデレーションの脅威から解放するた
め思いもよらぬ活躍をはたすヒーローとして描かれている


ところで、前述した「強者は強きがゆえに強きをなし、弱者は弱きがゆえに弱きに嘆く」のトゥキジデ
スらの著書『ギリシャ史』の舞台のペロポネソス戦争(Peloponnesian War)は、紀元前431年~ 紀元
前404年)のアテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間に発
生した古代ギリシア世界全域を巻き込んだ戦争。紀元前405年、ケルソネソス半島(トルコ領ゲリボ
ル半島)を流れるアイゴスポタモイ川の河口付近でアイゴスポタモイの海戦が勃発。この海戦では、
食料調達のために上陸。休息を取っていたアテナイ軍をリュサンドロス率いるペロポネソス同盟軍が
急襲し勝利を収めた。この勝利により黒海方面の制海権を完全にペロポネソス同盟が掌握、同時にア
テナイ市への食料供給路を断った。翌紀元前404年にはアテナイ市が包囲され、アテナイの降伏を以
ってこの“三○戦争”は終結した。

“三○戦争”では終わらぬ理由

“三○戦争”?!まてよ、1978年にエジプトがイスラエルとの単独和平に踏み切った(キャンプ・デ
ーヴィッド合意)し、一方で、1979年にイランはイラン・イスラーム革命を成就、それまでの親米・
新イスラエル路線から反米・反イスラエル路線へと180度転換する。その後、イスラエルとの戦争状
態にあったシリアは、エジプトに代わる新たな同盟者としてイランへと接近する。こうして
エジプト
を中心としたアラブ諸国がイスラエルに対峙する構図から、イランとシリアの戦略的同盟関係がイス
ラエルとその最大の支援国である米国の覇権拡大を阻止しようとする構図へと変わり、イラン・イラ
ク戦争(1980~88年)とレバノン戦争(1982~85年)のなかで、「敵の敵は味方」の論理に基づき強
固になり、アラブの春にはじまるシリア騒動(内戦)を“シリアをめぐる三○戦争”と末近浩太は呼
んでいることに気付いた(『シリア「内戦」の見取り図  / 中東地域研究』)。

     

オバマ米大統領は、単独でも限定的な武力懲罰行動(過去の事例では、“限定的”=“長期化”)に
出ると主張している
が、ビジョンなき軍事行動が成功するとは思えない。四年前の“イエス・ウイ・
キャン“は、果たして“イエス・ウイ・キャノ
ット”に終わることを見透かしている。わたし(たち
)は早くからこの広域動乱に匙を投げているが、この地
区の権力者ら(教祖・軍人・族長)は、千年
戦争を覚悟して戦っているのかもしれない。それは、この動乱の収束方法を知る、わたし(たち)極
東の島国に
住む日本人には図り難いものでもあるが、“砂漠のタタウイヌの嘆き”をなくさなければ
と祈るばかりだ。

ひれを小さな足のように使って海底を移動する新種のサメが、インドネシア東部の沖合で見つかった
という。環境保護団体コンサベーション・インターナショナル(Conservation International)の科
学者らによると、茶と白色のこのサメはイヌザメの一種で、夜に海底をひれで押しながら進み、餌と
なる小魚や甲殻類を探す。体長は最大で80センチにしかならず、人間に危害を加えることはないとの
こと。ニューギニア(New Guinea)島の西に浮かぶマルク諸島(Maluku Islands)の一つ、ハルマヘ
ラ(Halmahera)島沖で発見。イヌザメは「ロングテール・カーペット・シャーク」として知られ、他
の近縁種と比べ小型で、成魚でも体長は約120センチにしかならないという。尻尾は非常に長く、体
長の大半を占める。インドネシア、オーストラリア、パプアニューギニア周辺の熱帯海域に生息して
いると
このと。これは変態形態なのか、突然変異なのか知るよしもないが、なんとなく気持ちが和む
新聞だ。明日か
ら長月。この季節になると、深夜に「九月の雨」の歌とともに彼女たちの哀切の思い
出の雨となり降り注ぎ心を
濡らす。

 

 

 

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