徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

映画『シン・ゴジラ』評――修羅が再び日本を壊す・前編

2016-12-19 21:13:38 | 雑文
以前、「さようなら、みなさんさようなら」という論考を書いた(2016・6・20、21)。
詳しくはそちらを読んでいただきたいのだが、小生はその中で、「戦後の日本社会は、太平洋戦争を正しく終わらせることができなかったため欺瞞を孕むことになり、「文明と心中したい願望」を抱えることになった。ゴジラ映画はその願望を反映したものであるが、日本社会にゴジラと同様の存在(老朽化した原子力発電所)が現れたので、ゴジラシリーズは制作されなくなった」という内容の主張を(おもに佐藤建志に拠りながら)行った。
恥ずかしながら、この論考を練っている段階で、今年の夏に12年ぶりの劇場作『シン・ゴジラ』の公開が控えているということを知らずにいた。「日本社会の中に、日本人の心中願望を満たす存在――老朽化によって放射能漏れのおそれが高まった原発――が現れたので、フィクションのゴジラは必要とされなくなった」という分析だったのだが、新しくゴジラ映画が製作・公開されてしまうと、この見立てが破綻してしまう。
うーん、これは自説を修正せねばなるまいか?
だが、今ゴジラの新作が公開されるのには何かしらの意味がありそうである。とりあえず、映画を観てみないことには何とも言えまい。
というわけで、『シン・ゴジラ』を観てまいりました。
まず最初に気づいたのが、今作は、過去のゴジラシリーズを踏まえていない、という点である。これまでのゴジラシリーズは、過去作を踏まえた内容になっていた。それは作中の人々がゴジラのことを知っており、ゴジラが登場すると「ゴジラだ!」という反応を見せていた、ということである。
すべてのゴジラ作品を観たわけではないので、全てがそうだとは断定できないが、2作目以降、ゴジラは既知の存在となっており、人々はこれまでの被襲撃経験を踏まえて行動していたのだ。
しかし、『シン・ゴジラ』の世界では、ゴジラは未知の存在であり、登場してすぐは「正体不明の巨大生物」扱いされる。
制作側のコンセプトとして、原点回帰ということが言われていたらしい。一作目のゴジラを、現代の日本に即した形で創ることが目指されていた、ということだろう。であれば、ゴジラが未知の存在となるのも当然と言える。
また、どうせ撮るなら新しくゴジラを造形し直したい、という思惑もあったのだろう。実際今作のゴジラは、第1形態から第4形態まで変化するという、これまでにはない特徴を備えており、過去のゴジラとは造形が異なっている。
新しくゴジラを造形し直すのであれば、過去作は邪魔になる。なので、これまでのシリーズを踏まえない作りにする、というのは、ごく自然な選択と言える。
だが、それとは違った見方もできるのではないだろうか。例えば、『シン・ゴジラ』が過去のゴジラシリーズをリセットした、という見方も。映画の中でゴジラが日本を壊す前に、『シン・ゴジラ』がゴジラシリーズを壊したのだ。しかし、それは何を意味するのか。
小生は当初、『シン・ゴジラ』の中には、日本の現在を読み解くヒントが含まれているのではないか、と期待していた。総監督が、『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明であったから、なおのことその予感がしたのである。あの、伏線を張りまくって、視聴者に様々な解釈を誘発させ、喧々諤々の議論を巻き起こした『エヴァ』の監督作であったのだから。
しかしながら、『シン・ゴジラ』の構成は、『エヴァ』とはかけ離れたものであった。一言で言うと、単純明快でわかり易い、怪獣映画の王道のような作品であったのだ。
そのドラマツルギーをごく大まかに説明すると、①巨大な怪獣が突如出現、都市を破壊しまくる。②人々は恐怖に慄き逃げ惑う。③怪獣に翻弄されつつも撃退の意思を固めた人々が、力を結集して対策を練る。④最初のうちは人間側の攻撃は全く効果がなく、被害が拡大し続ける。⑤最後の最後、奥の手を繰り出し、なんとか撃退に成功。人間側の勝利に終わる・・・というものである。
そこには、張り巡らされた伏線も、複雑なストーリー構成も存在しない。子供からお年寄りまで理解できる、ごくシンプルな物語なのである。
本当に、ストーリーだけ抽出すれば、『シン・ゴジラ』には真新しいものは何一つないのである。
映画の中盤まで鑑賞したところで、「これは何も読み取るべきメッセージがなさそうだな」と思い始めたのだが、実際その通りになってしまった(だがそれは、小生の読解能力が低いだけなのかもしれないが)。
では、『シン・ゴジラ』の中には読み取るべきものが何もないのかと言うと、そうではない。一つだけヒントがあったのだ。
映画はまず、東京湾を漂流していたプレジャーボートが発見されるところから始まる。のちに明らかになることだが、このボートの所有者の名は牧悟郎。前々からゴジラの存在を察知していたアメリカエネルギー省の命を受け、ゴジラ研究を進めていた生物学者であった。牧は行方不明となっており、映画内でその行方は描かれてはいないのだが、おそらく入水自殺したと思われる。ボートの中には、いくつかの遺留品が残されていたのだが、そのうちのひとつが宮沢賢治の詩集『春と修羅』であった。
映画の中では、この詩集の内容に触れる描写は一切ない。牧悟郎という人物の特徴づけのために持ち出された遺品でしかないのかもしれない。しかし、小生にはこの詩集の映り込み方が何やら意味ありげに見えたのである。
『春と修羅』には、『シン・ゴジラ』を解析するためのカギがあるのではないか。そう思って、これまで一度も読んだことがなかった当詩集を手に取ってみた。
が、しかし。結論から先に言うと、『春と修羅』の中には、具体的なカギは含まれていなかった(こちらもまた、小生の読解能力の問題かもしれない)。
確かに、天才として名高い賢治の代表作だけのことはある。しかしながら、この詩を分析することで『シン・ゴジラ』の中の隠されたメッセージを浮かび上がらせることができるか、というと、それはどうも不可能に思えた。
だが、また一つだけヒントのようなものを見付けた。
この詩の中の一番有名な箇所が、《四月の気層のひかりの底を/唾(つばき)し はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ》である。「おれ」とは賢治自身のことを指している。
題名の一部でもある修羅。この修羅とは一体何なのか。
修羅は「阿修羅」のことであり、講談社の日本語大辞典には、「インドの鬼神の一つで、闘争の絶えない者」「形相のすさまじいことのたとえ」とある。また、「修羅の巷」という言葉は「激戦・激闘の場所」のことであり、「修羅を燃やす」は「激しいねたみ・恨みを燃えたたせる」ことであるらしい。
賢治がこのような物騒な存在に己を同定したというのも興味深い話ではあるが、この「修羅」とは、まさしくゴジラそのものではないか。
ここに、〈宮沢賢治=修羅=ゴジラ〉という等式が成立する。
だとすれば、賢治の人物像を通して『シン・ゴジラ』を解析することができるのではないか。と、思ったのだが・・・。
申し訳ない。賢治に詳しくない小生には、「宮沢賢治を通じての『シン・ゴジラ』解析」ができないのである。
本当に申し訳ない。探究はここまで来て壁に打ち当たってしまった。(賢治に詳しい方、助言を寄せて下さったら幸いです)

(後編に続く)

江戸と飢餓と食料輸入

2016-12-07 21:35:28 | 雑文
今現在、我々の身の回りにある事物・文化は、人類の誕生とともに生まれたものではない。歴史のいずれかの段階で創出されたものである。
しかし、その事物が当たり前のように存在し、空気のごとく知覚されていると、あたかも遥か昔から存在していたかのような錯覚が生じてしまう。今回はそんな話。
HONZという、ノンフィクションを専門とした書評サイトがある。HONZには20名ほどのメンバーが所属しており、それぞれが独自にノンフィクション作品を探してきてはその書評を行う、という運営方式になっている。
そのHONZの書評をまとめた『ノンフィクションはこれを読め!』という書籍が刊行されている(今までのところ2012年版から2014年版まで計3冊)。その2014年度版に、タレントで、HONZのメンバーでもある麻木久仁子と、ライフネット生命保険の代表取締役会長兼CEOの出口治明の対談が掲載されている。主に本についての対話なのだが、話題が歴史に及んだ時、出口が次のように述べている。


僕は、江戸時代は最低の時代だと言い続けています。江戸時代がすばらしいという根拠は何百も挙げられます。(中略)でも僕がなぜ最低だと思うかと言うと、日本の歴史の中で身長が一番低い時代だから。一番いい政治は何かといえば、治めている地域や国の民が腹いっぱい食べられることでしょう。でも、江戸時代は飢餓が起こっても鎖国していたから食料の輸入ができない。だから小さくなるしかなかった。明治の鹿鳴館の衣装がたくさん残っているのですが、女性は今の小学4年生くらい、男性も150センチ台しかなかった。


この意見、どう思われるだろうか。
「あ、なるほど、そういう見方もあるのか」と思わなかっただろうか。最初は小生もそう思った。
だが、よくよく考えてみると、これはおかしな見解であることがわかる。
「江戸時代に、食料の輸入など、技術的に可能だったのか?そして、それが可能だったとして、食料を販売してくれる国(ないしは共同体)は存在したのか?」
今は飛行機があるが、当時の海外からの輸送手段はエンジンのない船のみ。輸送するにしても長い時間がかかるし、合成保存料や防腐剤があるわけではないので、生鮮食品の輸入はまず無理。缶詰などの保存食もない。可能なのは穀物と乾物くらいだろう。
では、穀物か乾物を販売してくれる国(ないしは共同体)は、存在したか?
近代以前は、どこの国も、どこの共同体も、常に飢餓と隣り合わせであった。農薬や化学肥料などないため、悪天候や害虫・伝染病の発生がすぐさま凶作に直結し、また、ダムなどの治水・灌漑施設もないので、水害で作物が流されることも珍しくなかったし、日照りが続けば簡単に渇水が起きていた。
当然ながら農業機器があるわけでもないので、大規模生産も不可能。なので、どこの国(共同体)も自分達の食料を確保するのに精一杯で、必要以上の食料を生産し、それを他国に販売する余裕などなかったはずである。たとえどんなに大金(あるいはアヘンなどの嗜好品)を積まれようとも、食料を手放せば自分達が飢えてしまうので、食料輸出など考えもしなかっただろう。
輸出入という営為自体は古くから行われてはいたが、その対象は書物や美術品や工芸品などの文物に限られていた。
つまり出口の主張は、現代の食料輸入の在り方が、あたかも大昔から存在していたかのような思い込みからくる誤解に過ぎないわけだ。
では、江戸時代が一番身長が低かった、とはどういうことだろう。
食料の輸入が望めないのは江戸以前も同じなはずで、それならば江戸以前からずっと変わらず背が低いはずである。なぜ、江戸時代はそれ以前よりも背が低かったのだろう。
黒田基樹の『百姓から見た戦国大名』によれば、日本の中世において、飢餓を原因とした戦が度々勃発していたらしい。
当時の日本の共同体の単位は、列島全てをひっくるめて国民とするものではなく、各地方ごとを単位としており、「郷里」の字であらわされる「くに」こそが人々が所属する共同体であった。で、その郷里の中で飢饉が起きると、食料や耕作地を分捕るために、よその郷里に戦を仕掛けていたらしい。
現代の我々の感覚からしたら、イデオロギーの対立とか、領土権争いなんかが戦争の誘因であって、食料不足がそれに当たるとは考えにくくなっている。しかし、人類の歴史の中ではむしろ「食料争奪のための戦」のほうが高い割合で起こっていたのである。中国の武経七書のひとつ「呉子」では、戦争の動機を①名誉欲②利益③憎悪④内乱⑤飢饉としている。
また、戦争(戦)と言うと、職業軍人たる侍(武士)を想像しがちであるが、豊臣秀吉の兵農分離までは、百姓であっても武装しているのが当たり前であった。なので、平時は農耕にいそしむ人々が、いざ有事となると、鍬を刃物に持ち替えて命のやり取りをする、というのが普通であった(鉄砲を所有している者もいたらしい)。
何もせずに餓死に至るより、余所者を殺して食い物を奪う方がマシ、というのが当時の社会的常識であったのだ。また、戦になれば少なからず死者が出るので、「口減らし」にもなる。勝ち戦であれば食料確保と同時に口減らしもできて一石二鳥。負け戦なら食料は手に入らないものの、口減らしにはなるので、残った者達に行き渡る食料の割合が少しは増える。
何ともすさんだ話であるが、これが確実に食料を確保できない時代の現実であったわけだ。それに対して、江戸時代は幕藩体制によって、飢饉が起ころうとも戦を行うことができない時代。
「飢饉が起きれば戦になる時代」と「飢饉が起きてもそれに耐えるしかない時代」では、口減らしが行われる前者の方が、一人一人に行き渡る食料の割合が多くなるので、その分身長も高くなる・・・・・・ということではないだろうか。
一体、どちらの時代の方がマシなのだろうか。価値観によって見方は変わってくるだろうが、少なくとも「江戸時代は最低」というのは一面的な見方に過ぎないと言えるだろう。
また、以上の議論を踏まえて考えると、秀吉が行った刀狩りも、自らが権力を一元化するためのみならず、飢饉による戦の発生という不毛を防ぐ意味合いもあったのではないだろうか。
まあいずれにせよ、ひとつはっきり言えるのは、現代に生まれてよかった、ってことですかね。そう思いませんか、皆さん。