徳丸無明のブログ

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江戸と飢餓と食料輸入

2016-12-07 21:35:28 | 雑文
今現在、我々の身の回りにある事物・文化は、人類の誕生とともに生まれたものではない。歴史のいずれかの段階で創出されたものである。
しかし、その事物が当たり前のように存在し、空気のごとく知覚されていると、あたかも遥か昔から存在していたかのような錯覚が生じてしまう。今回はそんな話。
HONZという、ノンフィクションを専門とした書評サイトがある。HONZには20名ほどのメンバーが所属しており、それぞれが独自にノンフィクション作品を探してきてはその書評を行う、という運営方式になっている。
そのHONZの書評をまとめた『ノンフィクションはこれを読め!』という書籍が刊行されている(今までのところ2012年版から2014年版まで計3冊)。その2014年度版に、タレントで、HONZのメンバーでもある麻木久仁子と、ライフネット生命保険の代表取締役会長兼CEOの出口治明の対談が掲載されている。主に本についての対話なのだが、話題が歴史に及んだ時、出口が次のように述べている。


僕は、江戸時代は最低の時代だと言い続けています。江戸時代がすばらしいという根拠は何百も挙げられます。(中略)でも僕がなぜ最低だと思うかと言うと、日本の歴史の中で身長が一番低い時代だから。一番いい政治は何かといえば、治めている地域や国の民が腹いっぱい食べられることでしょう。でも、江戸時代は飢餓が起こっても鎖国していたから食料の輸入ができない。だから小さくなるしかなかった。明治の鹿鳴館の衣装がたくさん残っているのですが、女性は今の小学4年生くらい、男性も150センチ台しかなかった。


この意見、どう思われるだろうか。
「あ、なるほど、そういう見方もあるのか」と思わなかっただろうか。最初は小生もそう思った。
だが、よくよく考えてみると、これはおかしな見解であることがわかる。
「江戸時代に、食料の輸入など、技術的に可能だったのか?そして、それが可能だったとして、食料を販売してくれる国(ないしは共同体)は存在したのか?」
今は飛行機があるが、当時の海外からの輸送手段はエンジンのない船のみ。輸送するにしても長い時間がかかるし、合成保存料や防腐剤があるわけではないので、生鮮食品の輸入はまず無理。缶詰などの保存食もない。可能なのは穀物と乾物くらいだろう。
では、穀物か乾物を販売してくれる国(ないしは共同体)は、存在したか?
近代以前は、どこの国も、どこの共同体も、常に飢餓と隣り合わせであった。農薬や化学肥料などないため、悪天候や害虫・伝染病の発生がすぐさま凶作に直結し、また、ダムなどの治水・灌漑施設もないので、水害で作物が流されることも珍しくなかったし、日照りが続けば簡単に渇水が起きていた。
当然ながら農業機器があるわけでもないので、大規模生産も不可能。なので、どこの国(共同体)も自分達の食料を確保するのに精一杯で、必要以上の食料を生産し、それを他国に販売する余裕などなかったはずである。たとえどんなに大金(あるいはアヘンなどの嗜好品)を積まれようとも、食料を手放せば自分達が飢えてしまうので、食料輸出など考えもしなかっただろう。
輸出入という営為自体は古くから行われてはいたが、その対象は書物や美術品や工芸品などの文物に限られていた。
つまり出口の主張は、現代の食料輸入の在り方が、あたかも大昔から存在していたかのような思い込みからくる誤解に過ぎないわけだ。
では、江戸時代が一番身長が低かった、とはどういうことだろう。
食料の輸入が望めないのは江戸以前も同じなはずで、それならば江戸以前からずっと変わらず背が低いはずである。なぜ、江戸時代はそれ以前よりも背が低かったのだろう。
黒田基樹の『百姓から見た戦国大名』によれば、日本の中世において、飢餓を原因とした戦が度々勃発していたらしい。
当時の日本の共同体の単位は、列島全てをひっくるめて国民とするものではなく、各地方ごとを単位としており、「郷里」の字であらわされる「くに」こそが人々が所属する共同体であった。で、その郷里の中で飢饉が起きると、食料や耕作地を分捕るために、よその郷里に戦を仕掛けていたらしい。
現代の我々の感覚からしたら、イデオロギーの対立とか、領土権争いなんかが戦争の誘因であって、食料不足がそれに当たるとは考えにくくなっている。しかし、人類の歴史の中ではむしろ「食料争奪のための戦」のほうが高い割合で起こっていたのである。中国の武経七書のひとつ「呉子」では、戦争の動機を①名誉欲②利益③憎悪④内乱⑤飢饉としている。
また、戦争(戦)と言うと、職業軍人たる侍(武士)を想像しがちであるが、豊臣秀吉の兵農分離までは、百姓であっても武装しているのが当たり前であった。なので、平時は農耕にいそしむ人々が、いざ有事となると、鍬を刃物に持ち替えて命のやり取りをする、というのが普通であった(鉄砲を所有している者もいたらしい)。
何もせずに餓死に至るより、余所者を殺して食い物を奪う方がマシ、というのが当時の社会的常識であったのだ。また、戦になれば少なからず死者が出るので、「口減らし」にもなる。勝ち戦であれば食料確保と同時に口減らしもできて一石二鳥。負け戦なら食料は手に入らないものの、口減らしにはなるので、残った者達に行き渡る食料の割合が少しは増える。
何ともすさんだ話であるが、これが確実に食料を確保できない時代の現実であったわけだ。それに対して、江戸時代は幕藩体制によって、飢饉が起ころうとも戦を行うことができない時代。
「飢饉が起きれば戦になる時代」と「飢饉が起きてもそれに耐えるしかない時代」では、口減らしが行われる前者の方が、一人一人に行き渡る食料の割合が多くなるので、その分身長も高くなる・・・・・・ということではないだろうか。
一体、どちらの時代の方がマシなのだろうか。価値観によって見方は変わってくるだろうが、少なくとも「江戸時代は最低」というのは一面的な見方に過ぎないと言えるだろう。
また、以上の議論を踏まえて考えると、秀吉が行った刀狩りも、自らが権力を一元化するためのみならず、飢饉による戦の発生という不毛を防ぐ意味合いもあったのではないだろうか。
まあいずれにせよ、ひとつはっきり言えるのは、現代に生まれてよかった、ってことですかね。そう思いませんか、皆さん。