徳丸無明のブログ

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赤城乳業 ガツン、とみかん

2024-01-19 23:50:41 | 
今日は殴打する柑橘です。




みかん果汁のアイスキャンディーの中にみかん果肉。どこからどうかじってもみかんでしかないアイス。冬はコタツでみかんですよね。
迷惑の話をします。一部の人間のせいで全体が迷惑をこうむるという話。
近所の公営団地の一角に、数台のベンチが設置されているスペースがありました。5人くらい座れる横長のベンチが、道路(公道)に面して3つ並べられていたのです。
団地の敷地内ではあるものの、公道に面しているため、ふらりと立ち寄った通りすがりの人でも気軽に利用できるベンチでした。実際、団地の住人にも、それ以外の人にも使ってもらえるよう、いこいの場所、ふれあいの場所として設計されたのでしょう。
しかしそのベンチ、しょっちゅうゴミが落ちていました。ベンチでたむろしていた常識知らずの連中が捨てていたのです。
管理人がたびたび片付けていたのだろうと思います。それでも、そのベンチの前を通るたびにゴミが目にとまりました。いつ行っても、必ずゴミが落ちていたのです。
ある日、そのベンチはなくなっていました。業を煮やした管理人が撤去したのでしょう。ひょっとしたら、夜中に大声で騒いだりするようなヤカラもいたのかもしれません。
せっかくのいこいの場が、善意によって設置された場所が、恩を仇で返すような一部の愚か者のせいで失われてしまったのです。
ゴミを持ち帰るという、ごく当たり前で最低限のマナーを、利用者全員がわきまえていれば、今もなおベンチはその場にあったはずなのに。一部のバカモンのせいで、いこいの場が永久に失われてしまったのです。
この場所でしか生まれない「出会い」があったかもしれない。その出会いによって人生が好転したり、友人や恋人ができた人もいたかもしれない。もしベンチが撤去されていなければ、そのような出会いがこれからも生まれていたかもしれないのに・・・。
もっとも、ベンチが撤去されていなかったとしても、利用するのはガラの悪いヤンキーばかりで、年寄りなどは近寄りがたい場所でしかなかったのかもしれませんが。四六時中仲間とツルんじゃワーワーわめいてる若者、どんな場所でも我が物顔してますからね。

同じようなことは、ほかにもありました。近所のスーパーが、店内にテーブルを設置していたのです。言うたら、イートインスペースですね。
特にルールが定められていたわけではなく、注意の貼り紙もありませんでしたが、普通に考えて、そのスーパーで買い物をしたら、30分~1時間程度飲食に利用していい、という名目の場所でした。
ですが、そのテーブルも長く持ちませんでした。ヨソの食べ物を持ち込んだり、買い物もしないで勉強場所として利用したり、お酒を飲みながら何時間も居座るような不届き者が多数続出したからです。
おそらくは、ゴミを散らかしたままにしていくヤツもいたのでしょう。思い上がったお客様意識の表れです。
そのため、1年もしないうちにテーブルは撤去されました。行儀よく使っていれば、みんなが末永く利用していけるいこいの場所だったのに。一部の人間のせいでなくなってしまったのです。
スーパーの店員は接客業なので、どれだけ不満があっても客に苦情を言えないだろうと高をくくっていたヤツもいたのでしょう。でも、苦情を言えないのであれば、不満のもとを絶つだけです。客に苦情を言いにくいからこそ、テーブルの撤去という対処になったのかもしれません。
公共というものを考えるとき、このような、一部のせいで全体が損害をこうむる、という問題を念頭に置かねばなりません。外すことができない、解決の難しい問題です。
公共の空間っつーのは、基本的に規則を設けず、個々人の良識に任せているものです。規則があるとしても、あくまでお願いベースで、強制力はほとんどありません。なので、大半の人は常識的に振る舞うのですが、一部にそうではないヤカラが出てくる。そして、そのほんの一部のせいで、全体の秩序がメチャクチャになってしまう。
逆に言えば、大半の人が常識的に振る舞っているからこそ、一部の人間が好き勝手できる余地が出てくる、ということなのでしょうが。大半の人のおかげでキレイに整えられた場所を、一部の人間が傍若無人に踏み荒らすのです。
「ご自由にお持ち帰りください」みたいな無料のものを、ひとりが大量に持ち去る、みたいなこともよくありますよね。常識的には1,2個程度にすべきところを、ゴッソリと持っていく。それでほかの多くの人が、その恩恵に預かれなくなってしまう。
家庭ゴミを持ち込むヤカラがいるせいで、コンビニからゴミ箱が撤去されてしまう。住宅街のど真ん中にある公園で、真夜中に大声で騒ぐ集団が110番通報され、パトカーが駆けつける。こーゆー事例はいくらでもあります。
そーゆーことする人って、他人を思いやることをしないというより、想像力というものが根本的に欠如しているみたいで、迷惑かけられた人の苦悩など、意にも介さずにいるようです。自分が迷惑をかけられたらブチ切れるのでしょうけどね。自分にとっての迷惑だけが、この世のすべての迷惑だと思い込んでいるのでしょう。
いやー、迷惑だ。そーゆー連中をかたっぱしから刑務所にブチ込めたらどんなにいいでしょう。
そうだ、刑務所送りにすればいいんだ。気に食わないヤツは全員塀の向こうに閉じ込めちゃえばいいんだ。そうすりゃハッピーだ。
ああ、私は独裁者になりたい。

こんなこともありました。まだ熊本に住んでいた、10代後半ごろのことです。
バスで帰宅中に、よく渋滞が起こる道にさしかかりました。その道路は、片側一車線で、歩道の幅も狭い道なのですが、熊本市の中心部に向かって伸びており、また、道路沿いに高校もいくつかあるため、通勤・通学の車とバスが多く通っていました。
時刻は夕方。渋滞が起こりやすい時間帯ではありましたが、その日はいつも以上に混み合っていました。まったくと言っていいほど、前に進みません。
なぜここまで渋滞がひどいのか、不思議に思いましたが、とあるバス会社の前を通ったとき、疑問が解けました。
そのバス会社は、車庫も併設されていたのですが、その車庫前に、高校生の団体がいたのです。みんな荷物を持っており、その様子から、修学旅行帰りなのだと見て取れました。
そして、バス会社の敷地にそって、自家用車が5台ほど停められていたのです。渋滞の大本はこれでした。
修学旅行帰りの高校生を、親が車で迎えに来ていたのです。バスの中から眺めると、母親らしき人が、高校生と立ち話をしていました。
お迎えの母親は、ちょっとだけのつもりで車を停めたのでしょう。でも、ついついその場で「旅行はどうだったね~」などと話し込んでしまった。
しかも、自分だけのつもりが、ほかにも車を停めた迎えの親がいた。数台の車が、長時間道路をふさぐことになってしまったのです。
片側一車線の道路です。そのうえ路肩も狭く、停まってる車を追い越すには、対向車線に出るしかない。
しかし交通量の多い道。対向車線が空きになるタイミングなど、そうそうこない。
運よくそのタイミングがきたとしても、ひとつ車を追い越したら、すぐ先に次の車が停まっている。
そのため、バス会社横の通りをなかなか抜けることができず、異常な渋滞が発生してしまっていたのです。
お迎えのお母さんに悪意はなかったのかもしれません。ですが、自分だけならとか、ほんのちょっとならという甘い考えの停車によって、結果的に多くの人に迷惑をかけてしまった。
・・・いや、悪気がなかったとしても、やっぱり許せない!どれだけ帰りが遅くなったと思ってるんだ!
私は独裁者。渋滞引き起こしたお母さんは強制収容所送り。修学旅行のおみやげは没収とする。


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