徳丸無明のブログ

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カルビー さやえんどう しお味

2024-02-09 23:26:33 | 
今日は野菜まるごとです。




お豆でできたスナック菓子。だからなんとなくヘルシー。なんとなく体にいいっぽい。
罪悪感もたぶんなし。・・・ってなんなんですかね、罪悪感って。食事に罪悪感が入り込む、不思議な飽食の国ニッポン。
猫の話をします。みんな大好き、猫ちゃんの話。
ある日、自宅近くの住宅街の道路を自転車で通っていたときのこと。道端からふいに、猫が跳び出してきました。茶トラの野良猫です。
道を横切ろうとしているのかと思いましたが、猫はこちらに近づいてきます。そのままどんどん距離を縮め、自転車と並走する形になりました。
僕はあわてて立ち止まりました。あまりに近寄りすぎて、猫をひきそうになったからです。
猫はこちらをチラリと見ると、離れていきました。いったい何がしたかったのか。わけがわかりませんでした。
それから2週間ほどして、同じその道を自転車で通りかかりました。するとまた、茶トラの猫が姿を現したのです。
猫は「ニャーニャー」鳴きながら追いすがってきます。悲哀に満ちた、たまらなく同情心をそそられる鳴き声をしていました。明らかに、「エサちょうだい」という鳴き声です。
なぜ僕にエサをねだるのか。わけがわからないまま通り過ぎました。
あとからふと思ったのですが、たぶんその猫には、エサをくれる人がいたのでしょう。その人は、自転車に乗ってやってくる人だった。猫は、いつもエサをくれる人と、僕を間違えたのです。
このように話せば、「猫だって人の顔の区別くらいつく。いくらなんでも間違えないだろ」と思われるかもしれません。僕もそう思ってました。
ですが、猫の立場に立って考えてみると、必ずしもそうではないと思えてきました。
ポイントは、猫の目線です。猫の目線は、人と比べるとだいぶ低い。体の大きさもありますし、四足歩行という姿勢の制限もあります。
だから、歩いている人や、自転車に乗っている人の顔を、目視しづらいのです。猫の目線で識別しやすいのは、人間だと足元。顔よりも、足元のほうが識別しやすいのです。自転車に乗ってる人だと、自転車が足元の位置に当たります。
つまり茶トラの猫は、僕じゃなくて、僕の自転車に反応していたのです。おそらくいつもエサをくれる人は、僕のと似た自転車に乗っていたのでしょう。
僕の自転車を見て、いつもエサをくれる人が来たと勘違いしてしまったのです。
足元であれば、下半身の服装や靴なども識別材料になりますが、それは毎日違ってきます。猫は、これまでの経験から、服と靴では判別できないと学んでいたのでしょう。
そのことに思い至ったとき、世界を把握するやり方は生き物によってそれぞれ違うということを、つくづく感じ入りました。
あ、でもひょっとしたら、ニオイで判別していた可能性もありますね。いつもエサをくれる人のニオイと、僕のニオイが似ていたと。何せ猫ですからね。
ほかの猫からも同じ反応をされたことがあります。自宅アパートに帰宅して、自転車を停めていたとき、背後で猫の鳴き声がしました。かなり大きな声だったので驚いて振り向くと、灰色の猫がいました。見覚えのない猫です。
なぜ鳴いたのか、わけがわからずにいると、灰色は僕の足に体をすり寄せてきました。猫が人間に甘えるときにやる、あのしぐさです。
僕はその灰色にエサをやったこともなければ、なでてやったこともありません。なのに、親しげに体を寄せてきた。このコもやはり、普段エサをくれるほかの誰かと勘違いしたのでしょう。

それとはまた別の話。ある夏の暑い日の夜、自宅のドアを開けっぱなしにしていたことがありました。
僕は2階建てアパートの2階に住んでいます。1階だと人目につきますが、2階だし、大通りに面しているわけでもないので、気兼ねなく入り口のドアを開け放つことができるのです。
居間の窓と、玄関のドアを開けておくと、1DKの部屋を風が通り抜けます。そうやって夏の猛暑をしのいでいたのです。
長時間ドアを開け放ったまま、居間でテレビを観たり、パソコン作業をしたりしていました。そしてふと、流し台で水をくむために、リビングに行きました。
するとリビングの洗濯機の横に、猫がいました。洗濯機の横で、座ってくつろいでいたのです。
僕は驚き、猫も驚きました。当然猫はすぐ、表に逃げていきました。
開け放っていたドアから入ってきたのでしょうが、なぜわざわざこんな所に、と思いました。
その反応からして、絶対に人になつかないタイプの野良猫のはずです。警戒心は強いはずです。
人の存在にはつねに警戒しているはずの野良猫。なのに、家の中にノコノコ入ってきた。
マヌケすぎやしないか?と思いました。
ですがそれも、よくよく考えてみるとそうではない、ということがわかりました。
そもそも、建物の中だの外だの、私有地だのといった見方は、人間が勝手に決めたものです。そんなルール、猫が知るわけない。
猫だって「ナワバリ」っていうのがありますけど、それを除けば、「安全な場所」と「そうでない場所」があるだけです。「安全なんじゃないか」と思えば、どこにだって入っていく。たとえ人が住んでる家の中だろうと。
だから僕の家に入り込んだ猫は、「ここは静かでくつろげそうな場所」「一晩過ごすにはちょうどよさそうな場所」だと判断したのです。居間にいた僕に気づかなかったのは少々マヌケだと思いますけどね。
せっかく訪れてくれたのですから、ゆっくりしていってもらいたかった気もしますが、人になつかない野良だからしょうがないですね。

僕が子供のころ、野良猫も野良犬も当たり前のようにいました。ですが今、保健所の取り組みによるものか、野良犬はいません。
これはたぶん、野良犬のほうを優先的に駆除してきたということではなく、犬と猫の「捕まえやすさ」の差によるものでしょうね。猫よりも犬のほうが人間に親しげにすり寄ってくるから、駆除されやすかったと。
保育園の帰り道、野良犬がずっとつきまとってきて、こいつを飼わなきゃならなくなるのかと、恐怖を覚えた思い出があります。授業中校庭に野良犬が侵入してきて大騒ぎになる、っていう「小学校あるある」もありました。
いずれ野良猫もいなくなるのでしょうか。野良猫は自由を享受しているようにも見えますが、つねに車にひかれるリスクがあります。夏の猛暑、冬の極寒にも耐えないといけない。
だから野良猫をかわいそうと見る人もいるし、不妊手術をしてなくしていこうとする取り組みもあります(「地域猫」という呼び方もありますね)。近い将来、野良猫はいなくなるのかもしれません。
表を歩いていて、ふと猫を見つける。道端でくつろぐ猫の姿を、微笑ましく眺める。そんな光景もなくなってしまうのでしょうか。
少し寂しい気もしますが、それが猫にとっての幸せであるのなら、肯定的に受け入れねばなりませんね。


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