徳丸無明のブログ

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おやつカンパニー ブタメン とんこつ味・カレーラーメン・しょうゆラーメン・タン塩味ラーメン

2022-12-23 23:07:20 | 
今日はピッグのヌードルです。










駄菓子屋で売ってるカップ麵。味は駄菓子らしからぬ本格派。僕が買ったお店では、ちっちゃいフォークが付いていました。フォークで食べるヌードル、なんかいいですね。
僕が熊本から福岡に移り住んだのは2000年のこと。当時の在福外国人は、中国・朝鮮系が大多数でした。しかし最近では、ネパール・フィリピン・ベトナムを中心とした南アジア・東南アジア系が目立つようになってきました。
中でも飛びぬけて多いのがネパール人。理由は知りません。ネパールでは仕事が少ないのか。「日本は稼げる」と評判になっているのか。ネパール人を日本に招きよせてる斡旋業者でもいるのか。とにかくやたらと増えているのです。
ネパールって仏教国だから、わりと日本に馴染みやすいというのが、理由としてひとつあるのかもしれません。
外を歩いていてもネパールっぽい顔をしょっちゅう目にしますし、ネパールやその周辺のアジア国の輸入食品販売店も増えています。それら食料品店の看板には日本語はなく、見たことのない文字で店名が書かれており、日本人も利用することができるものの、完全に在日アジア人向けの、彼らの需要を満たすためのお店なのです。
あと、ネパールってインドの隣だから食文化がインドと似ていて、日本のインドカレーのお店の経営者は、インド人じゃなくてネパール人であることが多いですよね。ウチの近所にネパール料理のお店が3件できたんですけど、ほぼ在福ネパール人のたまり場になってます。
彼らの仕事先は、日本語が堪能だとコンビニ勤めの人もいるんですけど、多くはヤマト運輸の配送センターでの仕分け業務や、コンビニ向けのお弁当作ってる工場などです。それら勤め先の多くは送迎バスを運行しており、乗降場所になっている駅のロータリーには、バス待ちのネパール人が昼夜を問わずたむろしています。24時間3交代のところがほとんどなのですね。

なんで当然、ネパール人とかかわる機会も多くなります。これは去年の夏ごろの話。
当時、ほっともっとの期間限定のお弁当で、スパイス野菜カレーというのがありました。スパイスの調合が絶妙で、サラサラのルーに刻み野菜がよくマッチしていて、とても美味しかったのです。僕はすごく気に入っていて、週1,2のペースで食べていました。
ある日、そのお気に入りカレーを買って自転車のカゴに入れ、コンビニにも寄って買い物をしました。コンビニで買ったものはハンドルに引っかけ、まだほかに買いたいものがあったため、次のコンビニに向かいました。午後7時くらいだったと思います。
そのコンビニの前には、ちょうどネパール人男性3人組がたむろしていました。友達らしく、楽しげに母国語で談笑していました。僕は彼らの横に自転車を止め、コンビニに入りました。
パンを買って戻ってくると、自転車のカゴに入れてあったカレーがなくなっています。とっさに盗まれたのかと思いましたが、よく見てみると、ハンドルのコンビニの袋と一緒に引っかけられていました。しかし手に取ってみると、弁当の容器が歪み、カレーが袋の内側に飛び出しています。僕は思わず、「グチャグチャや」とつぶやきました。
すると、ネパール人3人組のひとりが大声で話しかけてきました。「彼は酔っ払っていた。ゴミを捨てた人がいた。誰かはわからない。彼はよく見ていなかった」
かなりの剣幕でまくし立ててきました。そのネパール人はカタコトなうえ、順序立てた話になっていなかったので、僕は意味がわからず、ポカンとしてしまいました。しかししばらく説明を聞いているうちに、事態が飲み込めてきました。
まず、彼ら3人がコンビニのゴミ箱前でおしゃべりをしていた。そこに通りがかった人が、ゴミを捨てようとした。なので、ゴミ箱の真ん前にいた1人がよけた。しかし周りをよく見ておらず、酔っ払っていたこともあり、僕の自転車にぶつかってしまった。自転車は倒れ、カゴのカレーは地面に叩きつけられた。つまり、不慮の事故でカレーは潰れてしまった、ということです。
僕が戻ってきたときにハンドルに引っかけられていたのは、元々カゴの中に入れてあったことがわからなかったため、コンビニの袋と一緒にしたのでしょう。たぶん僕が買い物をしていた間、彼らは次のようなやり取りをしたはずです。
「今ゴミを捨てた人のせいで自転車を倒してしまった」「でもあの人は普通にゴミを捨てただけじゃないか」「そうだ、周りをよく見ていなかったお前の責任だろ」「こうなった以上、正直に説明するしかない」
事情を説明してきた1人(その人が一番日本語が達者なのか、ほぼ1人だけでずっと話してました)は、限られた日本語でなんとか伝えようとしているのか、同じことを何度も繰り返しました。「彼は酔っ払って、よく見ていなかった」「ゴミを捨てた人がいるが、誰なのかはわからない」(自転車を倒したのは3人の誰なのか、倒した1人だけが酔っ払っていたのか、それとも全員酔っていたけど、倒した1人が特別酔っ払っていたということなのか、そのへんの詳細は最後までわかりませんでした)
そして最後にコンビニを指さし、「代わりに何か買う」と言いました。お詫びとして代わりの食べ物を弁償する、という提案です。
僕は彼の言い分を理解したあと、あまりのことに大笑いしてしまいました。アクシデントの面白さはもとより、彼らが逃げ出さず、正直に打ち明けてきたこと、カタコトの日本語で懸命にまくし立ててきた様子などが相まって、おかしくてしょうがなかったのです。
ひとしきり笑った僕は、「じゃあ代わりのお願い」と、提案を受け入れました。できればほっともっとに戻って買いなおしたかったのですが、彼らをそこまで連れて行くのも、お金だけもらって自分ひとりで行くのもなんかちょっとな、という気がしたのです。
なので、「やっぱカレーがいいから」と、ちょうどそこのコンビニにあったカツカレーを選びました。説明担当の男の子が、「何か他に、ジュースとかあったら」と、「お詫びのプラス一品」を持ちかけてきましたが、「弁当だけでいいよ」と遠慮しときました。
僕が一切怒ることなく笑い飛ばしたことや、弁当以外は要求しなかったことで、いい人だと思ってもらえたのか、説明担当の男の子は、途中から親しげに肩を組んできました。まるで僕も友達のひとりであるかのような雰囲気になり、別れ際にはグータッチを求められました。

お気に入りのカレーを食べそこなってしまいましたが、なかなかゆかいな体験でした。
ちなみに、正直に経緯を打ち明けた彼らですが、謝罪の言葉はひとこともありませんでした。ですが、これは何も「本心では悪いと思っていない」ということではなく、日本人とは謝罪の仕方が違う、ということなのでしょうね。
日本人はすぐに「すみません」という言葉が口をついて出ます。この言葉をいかに早く口にするかが誠意の表れのように思われていますが、あくまでそれは日本人の感覚。四六時中「すみませんごめんなさい」と言い合っていると、謝罪の言葉がないのを不自然に感じてしまいますが、「謝罪の言葉を用いない謝罪」というのもあるのですね。
ただ、ひょっとしたら彼らがあのとき動揺していたため、うっかり謝罪の言葉を言い忘れていただけ、ということもあり得ますし、ネパール人の中でも謝罪の言葉を口にする人としない人がいて、たまたま3人が「しない人」だった、という可能性もあります。仮にネパールの文化ではあまり謝罪の言葉を口にしないとしても、日本に来て、できるだけ日本人に合わせようとしたり、無自覚にその習慣に染まってしまえば、日本人と同じように謝るようになるでしょうしね。
なので、この1件だけで「ネパール人全員がそう」だと決めつけるのは早計ですが、「謝罪の言葉がないと謝ったとは言えない」というのは、あくまで日本人固有の感覚でしかない、ということは理解しておいたほうがいいでしょう。

それにしても、ほんとにネパール人は増えています。こないだも、帰宅中にネパール人留学生に呼び止められて「◯◯駅に行きたい」と言われ、お互い自転車だったんで、そこまで送ってあげたこともあります。
その人はほんとにカタコト中のカタコトで、言ってることがイマイチよくわかんなかったんですけど、こっちに来てまだ3ヵ月ほどで、自宅の周辺の地理しか覚えていないため、少し遠出して帰り道がわからなくなった、ということだったようです。そんなカタコトで授業受けられるのかって心配になるほどでしたが、日本語を学びにきたのでしょうか。
ひとつ思うのが、福岡以外の都市でもそうなのか、ということ。東京や大阪、それ以外の県でも、仕事を求め、あるいは勉強しにやってくるネパール人は増えているのでしょうか。それともこれは、福岡特有の変化なのでしょうか。福岡以外の方、何かご存じでしたら教えてください。

そのうえで気になるのが、今後の影響です。彼らはこれからもこちらに住み続けるのでしょうか。
労働ビザとか、留学ビザとか、ビザも種類がありますけど、彼らが望むのであれば、ずっとこちらに滞在できるものなのでしょうか。もし結婚したり出産したりした場合、どのような待遇を受けられるのかも気になります。
保守的な人なんかはあまり外国人を歓迎していないでしょうし、「日本の文化が破壊される」なんて考えているかもしれませんけど、僕は外国人大歓迎なんですよね。日本人って、ともすれば閉鎖的・排他的になりやすい。それは社会に硬直性をもたらします。息苦しさの元です。
なので、在日外国人の存在は、硬直した日本社会に風穴を開け、風通しを良くしてくれる効果が期待できるんですよね。だから歓迎なのです。
たとえば、公教育の現場には、「毛髪は黒でなければならない」という、無意味極まりない校則があります。様々な人種の子供が当たり前にように入学してくれば、その校則がいかにバカげているかがわかるはずです。このように、自明のものとされてきた考えが、いかに偏狭で非建設的であるかという気づきを得る機会の増加が期待できるのです。
日本政府には、彼らを「都合のいい労働力の調整弁」として扱うのではなく、日本国民と同様の権利を積極的に与えていただきたい。100%の同権は非現実的かもしれませんが、できるだけ対等に近づける努力はすべきでしょう。
以前は中国・朝鮮系が多数派で、今はネパールが増加しているように、これから先、ほかの外国人の流入が増えていく可能性もあります。在福外国人の勢力図は、さらに変化していくのかもしれません。それはさらなるダイナミズムとして、地域に活力を与えてくれることでしょう。
日本国、および日本人には、この変化、異文化の流入を肯定的に受け入れ、自国の活性化に活かしていく度量が必要でしょう。
これだけグローバル化が進んだ今の時代に、「日本の文化が破壊される」などと時代錯誤なことを言っている場合ではありません。


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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
在日なんたら (和田ヶゐ)
2023-01-10 19:56:13
全然好きではないけど(@_@)

挨拶してくるので挨拶はしてます
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和田ヶゐさん江 (徳丸無明)
2023-01-10 23:58:41
在日は全員好きじゃないのですか?
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まあ (和田ヶゐ)
2023-01-11 19:35:31
在日問わず(@_@)

日本人でも別に好きじゃなく

ただ、どんなやつでもいいやつは好きです
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和田ヶゐさん江 (徳丸無明)
2023-01-12 22:34:46
人格に基づいて判断しているならやむを得ないですね。
在日をすべてひとくくりにして劣等人種と決めつけているどうしようもない人たちもいますけど。
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ひとくくりに嫌いですが (和田ヶゐ)
2023-01-16 23:58:06
出会ったそういう人たちは(@_@)

結構いい人が多くて嫌いな人は少ないです

もちろん、猫かぶってるかもしれないけど

で、数多く出会った日本人には、嫌いになった人も多くいますよ
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