徳丸無明のブログ

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迷惑動画による経済損失、その責任を誰に帰すべきか

2023-02-09 23:39:07 | 時事
飲食店で撮影された迷惑動画が世間を騒がせている。対象となったのはおもに回転寿司店。他人の寿司を勝手に食べる、醬油差しを舐める等のイタズラ行為を撮影し、SNS上に公開された動画が拡散したのだ。被害に遭った大手チェーン店のひとつ、スシローは株価が暴落し、約170億円の損失を出したという。動画撮影者は謝罪したものの、店側はこれを受け入れず、警察に被害届を提出したとのこと。同様の動画はほかにも複数発見されており、事態はなおも拡がりを見せている。
行われた内容も、事態の推移の仕方も、数年前のバイトテロを思わせる。と言うより、ほぼその反復であり、日本社会とSNSのありようがほとんど変化していないことの表れでもあるだろう。
まず経済面で注意すべきは、時価総額が170億減少したからといって、スシローが170億を失ったわけではない、ということである。株価というのは、つねに上がったり下がったりするもので、仮に下落したままであれば170億丸々損したことになるが、普通に考えれば、株価は今後、緩やかにであれ回復していくはずである。なので、「株価170億の暴落」と聞くと、あたかも170億円というおカネが失われたかのように錯覚してしまうが、あくまで株価の上下動の一時的な状況のことを示しているのであって、その下落幅が少し大きかった、ということに過ぎない。このような大幅な変動は投資家の投機のチャンスでもあるから、今回の急落は投資家の思惑による影響も大きい。
よって、株価は問題にならないとしても、この件で回転寿司に行きたくなくなったという人達は少なからずいる。また、唾液を付けられた公共の物品を廃棄せねばならなくなったとしたら、それら備品の損失もある。
しかしながら、なぜこのような大きな騒ぎになったのかという点についての検討を加えなければならない。今回の騒動は、以下のように進展した。
①まず、SNSに投稿された迷惑動画を観て義憤に駆られた人々が、動画を拡散させる。
②次に、その動きを察知したメディアが大々的に取り上げ、社会問題化する。
③最後に、その報道に触れた人々が噴き上がり、怒りの声を唱和する。
この三段階を経て、迷惑動画は大きな社会問題と化し、広く世間に知られるところとなった。これは言い換えるなら、①~③の動きが存在しなければこれほど大きな騒ぎにはなっておらず、迷惑行為による被害額は極めて微細な範囲に止まっていたはずで、従ってスシローの経済損失は、迷惑動画を撮影した本人より、騒ぎを大きくした人々の責任によるところが大きい、ということである。
店側が備品に唾液を付けられる等の迷惑行為によって損害を被ったというのであれば、公開された動画を証拠として事件化したり、民事訴訟を起こしたり、被害の程度に見合った対応を採ればいい。我々はことの推移を粛々と見守るだけだ。なぜ無関係な第三者が怒りの声を上げ、騒ぎを大きくするのか。
許しがたい迷惑行為が行われていたとして、怒りの声を上げることが必ずしも正しい反応であるとは限らない。怒りを抑制し、言動を慎み、騒ぎができるだけ大きくならないよう気を遣いながら、当事者間による適切な対応・処分を静観したほうがいい場合だってあるのだ。
今回の件で噴き上がっている人達、①~③の過程に加担している人達は、誰一人としてその事実に気づいていない。僕はそのことに愕然とする。
大人であれば働かせてしかるべき分別を働かせず、ただ怒りに任せて騒ぎを大きくし、店側の経済損失を増大させてしまっているのだ。自分達の言動こそが経済損失の原因であることに思い至らず、騒ぎ立てることがむしろ店側にとってマイナスになるのではないかと想像することもなく、それどころか自分達が正義であると信じて疑わずにいる。今回の騒動の責任は、ひとり動画撮影者だけにあると思い込んでいる。その出鱈目さに、愕然とせずにはいられない。「分別」という言葉すら知らないのではないだろうか。

冒頭に「飲食店で撮影された迷惑動画が世間を騒がせている」と書いた。あえてそのような書き方をした。だが、迷惑動画の撮影者が意図的に世間を騒がせているのか?正義ヅラした人々が勝手に噴き上がり、起こす必要のない騒ぎを起こしているだけではないのか。
本音を言えばもっと迷惑動画の撮影者を弁護したいところだが、それはしない。あくまで店側に寄り添って議論を進める。
僕は怒りの声を上げている人達に問いたい。本当に店側のことを考えているのかと。店側に同情し、少しでも助けてあげたいと考えているのかと。悪を正すフリをして、誰かを叩きたいだけではないのか?店側を支援するより、騒ぎに乗っかることを優先してはいないか?誰かを叩いて悦に入りたいだけで、本音では店側のことなど露ほども気にしていないのではないか?優先順位を間違えてはいないか?優先されるべきは被害の拡大を食い止め、すでに生じてしまった被害を少しでも回復することであって、特定の誰かを叩くことでも、叩くことによって己の卑近な正義感を満たすことでもないのだ。
もし、店側の心配など全くしておらず、騒ぎに乗じて憂さを晴らしたいと思っているだけならば、これ以上言うことはない。だが、本気で店側の経営を気にしているのであれば、静観すべきなのだ。
そう、「静観」。思うに、現代の日本に決定的に欠けているのがこの静観という態度である。今回の件だけではない。ことあるごとに日本人は噴き上がり、必要以上に騒ぎを大きくしている。
次から次に叩く相手を変え、社会全体でリンチを加えている。まるでつねにリンチを待ち望んでいるかのようだ。

この騒動に対して、迷惑動画の撮影者を擁護する者も一部現れた。社会が冷静さを取り戻すよう、「火消し」の役目を買って出たのだろう。しかし彼らの発言は、大きな非難を浴びている。騒ぎを大きくしている人々、噴き上がっている人々の怒声によって、かき消されようとしている。擁護する者は迷惑動画の撮影者と同類だとばかりに。次なるリンチのターゲットはこいつだと言わんばかりに。その姿、僕には、「新しい社会的集団リンチの標的はどいつだ」と目を光らせ、獲物の訪れを待ち望んでいるように見える。悪を正すことより、リンチを加えることが目的化しているように見える。
彼らはこれからも陰惨なリンチを繰り返すのだろう。騒ぎを起こさなければ生じなかった被害を発生させ、いたずらに混乱を拡大させてゆくのだろう。自省など一切することなく、自分はつねに正しいと錯覚し続けるのだろう。
自らを正義と信じて疑わない人達。彼らは、「静観」という選択肢を考慮することすらないのだろうか。
冷静さが足りない。冷静さが、決定的に足りていないのだ。