日々の出来事 12月19日 ソニーの井深 大
今日は、ソニーの創業者である井深大が亡くなった日です。(1997年12月19日)
井深大は早稲田大学理工学部の出身で、学生時代に既にパリ万国博覧会で“走るネオン”と言う作品を作り金賞を獲得する技術者でした。
そして、新しい独自技術の開発にチャレンジし続け、テープレコーダーやトランジスタラジオ等を筆頭に、世界初という革新的な商品を次々に製品化して、ソニーを世界的な企業に育てました。
井深大は、その業績から見て、戦後の日本経済の奇跡的な復興と急成長を支えた人物の一人と言えるでしょう。
井深大の物事の考え方は、温故知新ではありません。
井深大は、未来の姿を見ることで現在と明日を考えました。
ある技術者に井深大が質問すると、技術者は、現在出来ることと近く出来ることの可能性の話をしました。
でも、この答えに井深大は満足しませんでした。
30年後、40年後はどうなっているし、どうなるべきかを考え、現在と明日に何をするのかを考えさせたのです。
1997年12月19日、井深大は亡くなりました。
その直前、体の自由は利かず車椅子の生活でしたが、“今、何がやりたいですか”の質問に“小さな会社を作って、またいろいろチャレンジしたいね”と答えています。
この気持ちは、有名な芸術家や発明家に共通するものだと思えます。
また、井深大は企業での活動ばかりでなく教育活動にも熱心で、ボーイスカウト日本連盟理事長にも就任しており、“この人の能力はこれだけだと決め付けていたらその人の能力は引き出せない”とも語っています。
一応、日本を代表する企業に敬意を表して、良いことばっかり書いてみました。
井深 大
☆今日の壺々話
ソニータイマー都市伝説
ソニー製品において、メーカー保証期間が過ぎたあたりの絶妙な時期に故障する事象、あるいはそれを引き起こすために仕掛けられた時限装置を言います。
ソニータイマージョーク
「 俺の持っているソニーの製品って壊れないぜ。」
「 いや、壊れてるよ。」
「 何処が?」
「 ソニータイマーが。」
必要な家電
都会で一人暮らし初めてなんだけど、必要な家電教えて?
あ、分かった。
で、自炊するの?
自炊するなら、とりあえず一口コンロと鍋一個を買っとけ。
しないなら、電子レンジ。
オーブン機能の無いレンジ機能だけの激安で十分。
後、多少は格好気にするならアイロンとアイロン台が必須。
皺の出来ない形状記憶生地の洋服も多いけど、それでも皺は皆無じゃないし、
ちょっとした皺を消すにもあったほうがいい。
本棚は段ボール箱を横に積み重ねて、サランラップなどの芯を柱代わりにして使用する手もあり。
気に入る棚が手に入るまでそれで過ごすというのもありよ。
金かからねーし。
そして、必須なのはトカレフとニンニク。
あと念のため火力の大きい、ロケットランチャー。
都会の夜の鉄則は「殺られる前に殺れ!!」だ。
最近ゾンビの群れが、一人暮らしを狙って、便所から涌いてくるらしいから、
対戦車ライフルもあった方がいいかもしれないが、
それはおいおい買い揃えるべきだろうな。
コインランドリー
飲み会の余興で体験した恐怖話を順番に披露した。
ある女の子(美人で皆のアイドル的存在)が引越しして新居に入居。
引っ越したばかりで家電製品揃わずコインランドリーをしばらく使う。
夜中に独りで座っているのも恐いので洗濯機、乾燥機廻したまま一旦帰宅するそうな。
で、本人いわく、
「 不思議なんですよねぇ。
コインランドリーに戻ると、パンツとか下着が消えているんですよ。
まるで、異次元か霊界に吸い込まれたみたいに。」
とノホホンと話す。
男たちは容易に“ある真実を推測”できたけど、誰も黙して語らず。
変換
休み時間ヒマだったので、上司のパソコンに、
「うんゆ」→「運輪」
「こくどこうつうしょう」→「国土文通省」
「せんじつは」→「先曰は」
「けっさん」→「抉算」
「ねんどまつ」→「年度未」
「しゃちょう」→「杜長」
「おくえん」→「憶円」
などを辞書登録しておいた。
辛いまだバレていないようだ
俺が買って後悔したもの
で、俺が買って後悔したもの「スチーム機能が付いたオーブンレンジ」。
あたためる物によって、水タンクに水入れろ、いや入れないでね、肉焼くなら付属の金網入れてね、魚焼くなら金網入れないでね。
飲み物温めるならメニュー4番ね、でも熱燗にするなら5番だよ、肉解凍するのと、冷凍食品解凍はメニューが違うからね。
コンビニ弁当温めるときは、暖めボタンだけじゃダメよ、メニューからコンビニ弁当選んでね、、、、などなど。
メニューが40種類近くあって覚えられないわ。
前に使っていた、「レンジ」「オーブン」2つの選択肢しかない奴の方がよっぽど使い易かった。
段々歳取って来ると、メーカーが親切だと思っている機能と、自分にフレンドリーな機能のギャップに気が付くようになるよ。
外資系企業の悲哀
私は昨年まで外資系の企業に勤めていた。
ある時、私に、C国へ出向しないか、という打診があった。
会社はC国に工場を所有しており、そこの技術者に日本国内の工場で採用されているシステムを修得させるのが目的の長期出向だった。
長期とは言っても、現地スタッフによる運用が可能となるまでの期間限定の出向だったし、現地での待遇も、帰ってきてからのポストも非常に良い条件だった。
私は、少し考えた上で承諾した。
C国の工場で引継を終えた夜、私は前任者と食事を共にした。
前任者(仮にT氏としておく)は赴任してから半年後に、健康上の理由から日本への帰国を希望していた。
目の前のT氏は、確かに頬がこけていて顔色が悪く、心身共に疲れ切っているような印象だった。
T氏は、現地での生活について様々なアドバイスをしてくれたのだが、中でも
「 倉庫の裏にある丘には決して近づくな。」
というようなことを、ことさら強調した。
私がその理由を尋ねても、T氏は口を噤んだままだった。
やがてT氏は帰国し、私のC国での生活が始まった。
C国は、最近まで激しい内戦が続き、それが国民の生活に大きな影を落としていた。
工場の周辺は農村地帯だったので、破壊行為の跡などはあまり見られなかったが、ゲリラによる虐殺や略奪は、このあたりの集落にも及んでいるようだった。
働き手や財産を内戦で失った家庭などは、日々の生活すらも全く困窮している有様だった。
そんな家の子供は、工場へと続く道端で半ば物乞いのような事をさせられていた。
また、工場に雇われている労働者には、夫を亡くした女が優先的に採用されており、彼女らの子供は、母親が仕事を終えるまで、工場の近くで遊んでいる。
工場の周辺には、そんな訳ありの子供が大勢集まっていた。
私は、いつの頃からか、そんな子供達と仲良くなり、昼休みや仕事がヒマな時などは、彼らの遊び相手になることもしばしばだった。
ある昼休みのことだった。
いつも工場の周りで遊んでいるKという子供が、面白い所があるから一緒に行ってみよう、と私を誘った。
すぐ近くだから、というK君の言葉を信じて、私は、K君と彼の妹のSちゃんと一緒に、工場の脇の林に向かって歩きだした。
しばらく木立の中を歩いていくと、急に視界が開けて、広い空き地のような所に出た。
K君とSちゃんは、そこでサッカーのようなことをして遊び始めた。
私も混ざってみたけれど、K君のボール捌きはなかなかのもので、本気にならなければ、K君のボールを奪うことは出来なかった。
そうこうするうちに昼休みも終わり、私は職場へ戻った。
何日かして、K君とSちゃんと私は、やはりあの空き地へやって来た。
その日は、私は木陰で、ぼんやりとK君とSちゃんの遊ぶ姿を眺めていた。
ふと視線を工場の方に向けると、少し離れたところに倉庫が見えた。
そこで、以前T氏が言っていたことを思い出した。
「 倉庫の裏にある丘には決して近づくな。」
そういえば、ここの地形は少し盛り上がっていて、丘のような感じがする。
私は近くにいたK君を呼びかけ、もう帰ろうと誘った。
Sちゃんを探すと、反対側の木立の辺りに立って、何かをジッと見つめているようだった。
見ると、黄色いオモチャのようなモノが落ちている。
それを拾おうとして、Sちゃんはしゃがみ込んだ。
私は、Sちゃんの方へ足を踏み出し、帰るよ、と呼びかけようとした。
すると、K君が袖を掴んで軽く引っ張った。
私は思わずK君の方を向いた。
ドンッ!
突然、腹に響くような大きな音がして、私はSちゃんの方を振り向いた。
Sちゃんは地面に倒れていた。
私は急いで駆け寄ったが、ダメだった。
足や手があり得ない方向に曲がっていて、体の下から血が溢れている。
しばらく呆然と立ち竦んでいた。
が、不意に、Sちゃんの拾おうとしていた黄色いモノが地雷であったことに気付いた。
もちろん、対人地雷のことはC国に来る前から聞いていた。
子供が興味を持つような色や形の地雷があることも、世界各国で、それらの犠牲となり、手足を失った子供の写真も見たことがある。
しかし、私には実感がなかった。
情けない話だが、Sちゃんの、無惨な遺体を見るまでは、私の目の前で、幼い子供が犠牲になるなど、考えてもみなかった。
振り返ると、K君が顔をクシャクシャにして泣いていた。
Sちゃんが死んだ丘は、法的には工場の敷地だった。
実際には、地雷の危険性があったということで、立ち入り禁止となってた。
しかし、そこを囲っていた有刺鉄線はとっくに盗まれていた、ということだった。
私はSちゃんの家族に会って謝ろうと思ったが、工場長をはじめ、現地のスタッフは皆、反対した。
「 あれは事故だ。
断じてあなたのせいではない。」
皆が、そう言って私を慰めてくれた。
後に工場長から、Sちゃんの家族には会社から見舞金が渡された、と聞かされた。
私はしばらくの間、自宅で休養した。
工場に戻っても、以前のように子供と遊ぶ気にはならなかった。
K君と会うことも、二度となかった。
やがて月日がたち、当初の目的を果たした私は日本へ帰ることになった。
帰国した私は、真っ先にT氏に連絡を取り、会う約束を取り付けた。
T氏は私を見るなり、何かに気付いたようで、深いため息をついて言った。
「 ご愁傷様だな。」
私は少し間をおいてT氏に尋ねた。
「 あなたも、あそこで同じような体験をしたんですね。」
「 ああ、私の時は男の子だったよ。
赤い地雷だった。」
「 ・・・その後は?」
「 たぶん君と同じだ。
一月もすると別の子供が誘いに来た。
行ってみると、有刺鉄線など、どこにもなかった。」
T氏はひどく悲しそうな目をしていた。
「 それからは、ひっきりなしだ。
兄弟連れで、何人も何人も・・。」
Sちゃんの家族の手に渡った見舞金。
我々にとっては、はした金程度のものでも、C国では家族を数年養えるだけの価値がある。
おまけに養う口は一つ減るのだ。
しばらくの間、T氏と私は子供達の運命を呪うように、黙って俯いていた。
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