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日々の出来事 12月29日 南方熊楠の記憶力

2018-12-29 10:38:00 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 12月29日 南方熊楠の記憶力






 今日は、南方熊楠が亡くなった日です。(1941年12月29日)
南方熊楠は、博物学者、生物学者、民俗学者で“歩くエンサイクロペディア”と言われています。
これは、子供のころから驚異的な記憶力を持ち、蔵書家の家で100冊を越える本を見た後、家に帰ってからそれらをすべて書写した逸話からも分かるように、膨大な知識を記憶し頭に溜め込んでいたからです。
また、語学が非常に得意で、英語、フランス語、ドイツ語、サンスクリット語等、19ヶ国語の言語を理解していました。
 1887年アメリカに渡り、ミシガン州ランシング市州立農大に入学するも、酒豪であったため寄宿舎での飲酒を禁ずる校則を違反して自主退学、その後、新発見の緑藻を科学雑誌Natureに発表、次にキューバで採集旅行し石灰岩生地衣グァレクタ・クバーナを発見、サーカスに入団し中南米旅行、イギリスに渡り大英博物館に就職、1900年に和歌山に帰って来ました。
 和歌山に帰ってからは、粘菌新属“ミナカテルラ・ロンギフィラ”を発見するなどの業績をあげる中、1906年に布告された“神社合祀令”について、生態系が破壊されてしまうことから反対、自然保護運動を展開し、この活動は2004年に世界遺産にも登録された熊野古道が今に残る端緒ともなっています。
 南方熊楠と交流のあった人は、地衣類学者カルキンス、ディキンズ、孫文、柳田國男、江戸川乱歩等が挙げられます。
また、飼っていた猫の名前は一貫して“チョボ六”です。









  南方熊楠
















☆今日の壺々話









     記憶無し




 ひどい二日酔いで目を覚ましましたジャックは、記憶が無くどうやって家に帰ってきたのか覚えていなかったので、何か悪いことはしなかったかと思い返しました。

 最初に目に入ったものは、サイドテーブルの上にある頭痛薬2錠と水でした。
その横にはバラの花が1本添えてあります。
不思議に思い起き上がってみると、彼の服がきれいにアイロン掛けされて置いてあります。
あたりを見回しました。
全てがきちんと整っています。
部屋もとてもきれいで、部屋以外も掃除が行き届いています。

 とりあえず二日酔いの頭痛薬を飲み、洗面所に行きました。
鏡を見てみると、昨日まで無かった大きな青アザが出来ていて驚きました。
鏡の片隅にはメモがあり、赤く小さなハートマークとキスマークと共にメッセージが添えられていました。

「 あなた、朝食はストーブの上よ。
あなたの大好物の夕食を作るためにスーパーに行って来るわ。
愛してるわ、ダーリン!」

 よたよたとキッチンまで行ってみると、確かにストーブの上に湯気の立ったコーヒーと朝食がありました。
息子がちょうど朝食を食べていたため、ジャックは尋ねました。

「 昨日はいったい何があったんだ?」

息子は言いました。

「 父さんは朝方の3時に帰ってきたよ。
すごく酔っ払ってた。
コーヒーテーブルのところで転んでテーブルを壊しちゃったんだ。
それから廊下で吐いてたよ。
そのままドアにぶつかって目に青タンが出来たんだよ。」

ジャックはますます困惑して尋ねました。

「 じゃあどうして家の中はこうパーフェクトなんだい?
いつもはないバラの花と朝食がパパを待っているんだ。」

息子は答えました。

「 ああ、それね。
昨日ママがパパをベッドに引きずって、ズボンを脱がそうとしたんだよ。
そうしたらパパが突然叫んだんだ。
“触らないでくれ!オレには妻がいる!”ってね。」

















医者の記憶力





 10年以上前に大病して手術したときの病院に、同じような部位の別の病気の疑いでかかりに行ったら、手術のときの執刀医が担当になって、こっちも名前はともかく顔は覚えてなかったし、向こうもカルテの病歴とかみても、ふーん、って覚えてないふうだったのに、

「 どれ、まずはエコーで診ましょう。」

って、その部位を出したら、術痕見て、

「 あ~!あーあー!」

ってなって、あのときはどーも、いやぁあれはけっこう今お元気そうだから言いますがあけたら大変で云々と、昨日のオペのように話し出したのにはびっくりした、ということがある。
ほんと、医者って患部以外どーでもいいんだな、と思った。


 笑っていいのかわからないけど、ごめん、ワラタ。
傷跡で全部思い出すんだね。
その後どうでした?同じ部位の具合は。


 隣の臓器をおかしくしたんだけど、それは投薬で完治可能で投薬中。
大病については再発なく安定。
術痕もそうだけど術痕のわきに生まれつきのうすいシミがあったりしたのも記憶にあったかもしれないな。
 エコーでもなんだか懐かしそうに大病した臓器のほうを投影して「うん、いいですね、うん」とか言ってたな。
具合悪いのそっちじゃないっつーの。
おまけに「お元気そうで~」とか。
元気じゃないっつーの。
まぁ深刻な病状じゃなかったけどさ。


 歯医者でも、ほったらかしの虫歯いっぱいとかで恥ずかしいと患者が思ってても、歯医者の方は充分そんな口内見慣れてるし、逆に綺麗にしてやるぞ!ってやる気が出るとか。


 自分が執刀したなら、自分の作品みたいなものなのかな。
一つ一つ全部の症例覚えてるとも思えないから、特に大変だったのかもね。
薬で完治出来るそうで良かったです、お大事にね。


確かに歯科医の先生がそうだった。
患者の名前を出しても『誰?』と。
カルテ見せてレントゲン写真を見た途端『あー!あの人ね!』。
口の中しか見てないんだな、と思った。


作品といえば作品だな。


 脳外科医だけど、半年もたつと特に女性は化粧やら、髪が伸びて、(緊急だとすぐバリカンで丸坊主にしちゃうので)、外来で会ってもすぐには思い出せないこともあります。
意識状態によっては会話もあまり無いですし。
 画像(CT、MRI、脳血管撮影)なんかをみると、「ああ~、あのときの!」ってすぐ思い出しますけど。


 教授や部長クラスの先生は、自科の入院患者30人近く大抵覚えてるよ。
名前で、あ~〇〇の患者さんねって大抵なる。


顔や名前は忘れても患部覚えててくれる医者っていいと思うよ。


 学生時代に東京で新聞配達やってて、先週20年ぶりに出張で上京したから、一日前泊取って毎朝チャリこいでた町内を散歩して見た。
…配達ルートはあんま覚えてなかったが、ドアやポストは意外なほど覚えてたなw
「あ~あ~こんなボロポストだったw このドア20年前から変わらねーwww」
こんな感じ。
学生時代4年間世話になった、当時で築30年超だったボロアパートは更地になってたな。
大家の爺さん当時70超えてたから亡くなったんだろう。
蔦だらけの壁のボロアパート思い出してちょっと泣けた


 むしろ、こういうふうに病気のことだけ覚えててあとは忘れてほしいな。
うっかりばったり会ったとき、
“ あっ!コイツの痔はすごかったなあ~~!”
とか思い出されたくないもん。


 うちの病院だと一人の先生が500~700人くらい患者さんを持っている。
「よく覚えきれますね」と聞いたら、「覚えきれるわけないだろう」とアッサリ返された。
じゃどうやって?
先生によるとカルテを見ると全部思い出すそうな。
患者の身の上話やら過去の経緯とか。
 これが不思議とコンピュータの電子カルテだと思い出せないとか。
お陰でうちの病院は未だに紙カルテです。
ただ、この院長決してコンピュータが苦手ではないというか大好き。
院長室の机の三方にコンピュータを配置し、まるでエンタープライズの指揮室。
 ただ院長、確かに私はコンピュータ好きですが、勝手にサーバー管理者やネットワーク管理者にしないで下さい。
ネットが繋がらないからと電話で呼び出さないで下さい。
保険請求の締め切り明日何です。
今、修羅場なんです。


 ごめん、俺もこれだわ。。。
顔と名前で覚えてない。
外傷で覚えてる。。。


いいお医者さんじゃないか。


 何年も前の手術を傷跡で思い出せるほど手術に全神経集中させてるんだろ。
いい事じゃないか。


むしろ、こういうプロ臭のする医者を選びたい。


お元気そうで~って、大病した臓器に言ってんだろな・・・。


















同級生の記憶





 夏の同窓会であった一件。
小学校の同級生達とだったんだけど、うちの小学校は田舎なので各学年一クラス。
人数も三十人程度で六年間一緒だから、なんというか全員幼なじみみたいなもん。
当然ある程度の水準でみんな仲良かったといえるくらいのクラスだったんだけど。

 そんなクラスの実に十数年ぶりの同窓会でのこと。
六年間同じメンツだったんだけど、毎年転校してくやつ転校してくるやつが、それぞれひとりふたりくらいいたんだ。
そんな転校生達のなかの一人の話。
 彼女は記憶してる限り、二年の二学期頃、変な時期に転校してきた。
普通の可愛い子で、明るくよく笑うし、すぐにクラスにも馴染んだ。
女子とも男子とも仲良くて、放課後遊んだりしたことも結構あったし、彼女の家に友達何人かで遊びに行ったりとかも勿論してた。
 彼女はその後、四年だか五年の時に親の仕事の都合で転校していった。
さすがに転校先までは失念してしまったけど、どっか遠方だったと思う。
それで、友達も多くて人気もあったから、ずっと覚えてた彼女の事を、

「 あの子どうしてるかね~。」

って、ぽろっと言ったら場の空気が変わった。
変わったというか、正確に言うと、反応がまっぷたつに分かれた。

「 あーいたね!どこに転校したんだっけ?」
「 可愛かったよね、今どんなんなってるんだろ?」

みたいな連中と、

「 誰?転校生?いたっけ?」
「 いやいやいや二年の時は転校生一人もいなかったろ。」

っていう連中に二分された。
俺含めた半分くらいは、

“ 何言ってんだ、こいつら?”

みたいな感じだった。
まあ残りの半分も同じような感じだったんだけど。


 それで不思議なのが、俺は普通に仲良かったから当然だろうけど、別段仲が良いって訳でもない連中が彼女の事しっかり覚えてたり、逆にむちゃくちゃ仲良くていつも一緒にいたろレベルの女子が全く覚えてなかったり、単純に印象が薄いとか関わりがなかったとかで言い切れない感じだったんだ。
 それでまあ当然のように学級委員が持ってきてた卒アルを出してきたんだけど、当然彼女は途中で転校しちゃったから卒アルには載ってない訳で、他の日常スナップにも写ってない。
(いなくなった子の写真は載せない方針だったようで、他に途中で転校した子も同じ扱い)

 で、こうなってくると明確な証拠がないので“いなかった組”がほらみろ、みたいになった。
でも、

「 実際、俺等は覚えてるし、彼女の両親に会った事もあるし、家の場所まで覚えてる。」

ってとこまで話がすすんだ所で、ふと思い出したんだ。

「 そういや、彼女が住んでた家の場所は今更地になってるよね。」

そこからまた更に話がこじれた。
 彼女のことを覚えてる組はその事を知ってるし、賛同するんだけど、そうでない連中がみんな一様に「?」って顔するもんだから、

「 どこそこの角曲がって抜けた所だよ。」

って説明したら、

「 あー確かに今更地だけど、あそこは前神社だったじゃん。」

とか言い出す。

「 いやいやあそこは彼女が住んでた借家があった。」
「 いやずっと神社だし。」
「 んなわけあるか、この辺の神社は○○と○○と○○だけだろ。」
「 いや、でもあそこの神社でよく遊んだよ、ねえ○○ちゃん?」

そんな議論が続く続く。


 で、結局そこでああだこうだ言ってても仕方ないし、とりあえず後で調べてみるかー、って事で、ちょっともやもやしたままその話は終わり。
そのあとは二次会組だ何だに分かれて解散になった。

 俺はそのあと調べてみたんだけど、というかわかる範囲でだけどね。
まとめると

・彼女の家があった場所は確かに更地で、家は確実にあった、写真があった。

・彼女は卒アルには写ってなかったけど、各年度ごとに出す文集には名前があった。
(四年の終わりに出した文集にまで名前があったのでそこまでは確実にいたはず。)
(白黒印刷で鮮明ではないけど集合写真に彼女も写ってる、文集の人数とはあってる。)

・親とばあちゃんに聞いたけど、更地の所に神社が建ってたことはないとのこと。
(そもそも神社ってそんな簡単に取り壊したりするのか?)

・意外だったのが覚えてた連中、誰一人として転校先だけはっきり覚えてない
(ドタバタで転校していった訳ではなくお別れ会的なものをやったのは覚えてる。)

・覚えてない奴らはみんなしてあそこは神社だったと主張する。
(ちいさな公園が隣りにあって遊具がどうのという所までだいたい一緒の証言)


とまあ、大体そんな結論に軟着陸したけど、なんとなく釈然としない。
家が写ってる写真は、その内覚えてない組に見せようとは思ってる。
連絡は取ってないけど多分覚えてない連中も文集見て彼女の実在を確認してるとは思う。
それでも「?」みたいな感じなんだろうけど。

 あと転校してきて、そのままこっちずっといて卒業したヤツ(こいつは覚えてた組)が、ぼそっと、

「 もしかして、俺がこうなってた可能性もあるのか…。」

とか言ってたのは、ちょっと笑った。

まあそんな長い割にオチのない話でごめんよ。

『 大○明○ちゃん、今どこにいますか?元気にしてますか?』
















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