前回紹介した「ブレインマップ」(この場合のブレインマップはPCRTの手法である)の応用で、痛みの部位と脳の関係でブレインマップと痛みの部位を打ち消すは反応を見つける。
要するに痛みの反応部位にコンタクトしてブレインマップで反応した部位を両側コンタクトすると痛みが消えたり、軽減する。
筋骨格系の問題ではかなりの確立でその場で反応がみられる。また、関節機能の柔軟性の欠乏に関しても、その場で改善がみられる。例えば、体前屈で固い人がブレインマップで反応する部位をコンタクトして体前屈をする。コンタクト部位が間違っていなければかなり柔軟性が向上する。
この発想は「いたいの、痛いの飛んでケー」である。ぶつけたりしていたいところを触ると痛みが軽減する。あるいは、手を優しく触れられると何となく痛みが和らぐような経験があるはずだ。
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「ぶつけたところを触ると治る」のは脳のいたずら!「どこかに膝をぶつけたとき、痛てて、、」と反射的にぶつけた膝を触ったり抑えたりしてしまうことがある。小さい頃なら、母親が痛いの飛んでいけ、、」と幹部を優しくさすってくれたことによって、痛みが和らいだ気がしたものだ。
ところが、この行為はただのおまじないでなく、脳の働きにも大きく関係していることをご存じだろうか?膝をぶつけると当然、痛みが走り、脳には「膝が痛い」という信号が送られる。そのとき、膝を触るとことでぶつけたときとは別に「膝を触った」という二つ目の信号が送られることになる。
このとき、脳は二つの信号を同時に処理しなくてはならなくなり、その対応に追われるため、痛みが分散されて緩和するという仕組みになるのだ。私たちはこれらを理屈ではなく経験として知っているので、反射的に幹部を触ってしまうわけである。(脳の地図帳、米山公啓著(青春出版社))
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ブレインマップと痛みの部位を同時にコンタクトして痛みが軽減するのはこんなところに裏づけが取れるかもしれない。痛みという感覚がそうであるように、痛みだけでなく脳のなかで潜在的な思考パターンとして興奮と抑制のバランスを取る働きがあるはずである。
潜在的な思考パターンを作り出すのは脳への情報入力と入ってきた情報をどのように処理するかになる。脳は快感や安心を求め不安を少しでも解消しようと一般化された常識的な方向へ行きたがる。40%より60%を求めたがるものである。たとえ60%が間違いであっても。
東洋医学の陰陽バランスでも同じである。昼間のでも曇りがあり、夜でも月明かりがあるように、陰と陽の共存、興奮と抑制の共存、快感と不快感の共存それぞれ対局したところにともに生かさず殺さずと共存しているのではと思う。それを考えると痛みも必要なものなのかもしれない。
拳骨
要するに痛みの反応部位にコンタクトしてブレインマップで反応した部位を両側コンタクトすると痛みが消えたり、軽減する。
筋骨格系の問題ではかなりの確立でその場で反応がみられる。また、関節機能の柔軟性の欠乏に関しても、その場で改善がみられる。例えば、体前屈で固い人がブレインマップで反応する部位をコンタクトして体前屈をする。コンタクト部位が間違っていなければかなり柔軟性が向上する。
この発想は「いたいの、痛いの飛んでケー」である。ぶつけたりしていたいところを触ると痛みが軽減する。あるいは、手を優しく触れられると何となく痛みが和らぐような経験があるはずだ。
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「ぶつけたところを触ると治る」のは脳のいたずら!「どこかに膝をぶつけたとき、痛てて、、」と反射的にぶつけた膝を触ったり抑えたりしてしまうことがある。小さい頃なら、母親が痛いの飛んでいけ、、」と幹部を優しくさすってくれたことによって、痛みが和らいだ気がしたものだ。
ところが、この行為はただのおまじないでなく、脳の働きにも大きく関係していることをご存じだろうか?膝をぶつけると当然、痛みが走り、脳には「膝が痛い」という信号が送られる。そのとき、膝を触るとことでぶつけたときとは別に「膝を触った」という二つ目の信号が送られることになる。
このとき、脳は二つの信号を同時に処理しなくてはならなくなり、その対応に追われるため、痛みが分散されて緩和するという仕組みになるのだ。私たちはこれらを理屈ではなく経験として知っているので、反射的に幹部を触ってしまうわけである。(脳の地図帳、米山公啓著(青春出版社))
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ブレインマップと痛みの部位を同時にコンタクトして痛みが軽減するのはこんなところに裏づけが取れるかもしれない。痛みという感覚がそうであるように、痛みだけでなく脳のなかで潜在的な思考パターンとして興奮と抑制のバランスを取る働きがあるはずである。
潜在的な思考パターンを作り出すのは脳への情報入力と入ってきた情報をどのように処理するかになる。脳は快感や安心を求め不安を少しでも解消しようと一般化された常識的な方向へ行きたがる。40%より60%を求めたがるものである。たとえ60%が間違いであっても。
東洋医学の陰陽バランスでも同じである。昼間のでも曇りがあり、夜でも月明かりがあるように、陰と陽の共存、興奮と抑制の共存、快感と不快感の共存それぞれ対局したところにともに生かさず殺さずと共存しているのではと思う。それを考えると痛みも必要なものなのかもしれない。
拳骨
そのエネルギーブロックがどうして起きるのか? そこがポイントです。食べ物、人間関係、仕事などのストレスは外的要因と考えてください。
そして、その外的要因に影響を受けて、人間はいろいろなことを考えて対処して、行動や人間関係を保っているのです。
外的要因を処理する際に脳(心)がどのように処理するかはその人の、経験や成長環境、あるいは教育などに大きく影響します。
それらがその人の「こころ」といってもいいのではないでしょうか。その「心」を自分で第三者的に評価することのできる人は少ないでしょう。
自己を客観的に評価すると言うことは、意識的な自己評価でなく、無意識的な自己評価になります。
要するに、潜在的な自己をみているということです。潜在的な自己評価は脳で学習された、良いも悪いも思考の想起されない部分です。
潜在的意識は96%といわれています。96%と4%では潜在的な能力に勝てないということです。
行動や言葉、思考は意識的より潜在的なものが先発になっているようです。ですから、その人の言葉や会話は意識ではなく潜在的な意識の根底があるということでしょう。
「不甲斐ない」と感じるのは自己を客観的評価できたものですから、すばらしいことでしょう。その気づきこそが生命エネルギーのブロックを解除するキーとなるのではないでしょうか。
PCRTは宗教でもないし、カウンセリングでもないのです。八幡の藪知らずのように抜け出すことができないようなおかしなものではにでしょう。
どう思うかは、その人の価値観であったり、その思いを発展的に捉えて踏み台にして成長する材料にすることもできると思います。
不甲斐ない自己が見えるのは、成長している自分に気づいたということになると思います
ココロの中で思っていることが顕著に身体に出てくるというのはなんとなく理解は出来るのですが難しいです。
知人はPCRTを受けて不甲斐ない自分に気づくたびに悔しくてたまらなくなると言われました。
そういうものなのでしょうか…