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木更津で整体、カイロで肩こり、腰痛、スポーツ障害の自然療法の専門家が施術するCCRKです

【拳骨日記】カイロプラクティック・コンディショニング・ルーム・Kの日々の臨床現場を通して医療のあり方を診療日記にしました

No 736 平常心是道

2007-12-03 | 感情ストレス
「要するに平生が大事なのです。このことを昔の人は、「平常心是道(へいじょうしんこれどう)」と申します。つまり、剣を持ったり、座禅をしている間だけが修業ではなく、むしろ真の修業は、竹刀を捨てて座禅を解いてから始まるというわけです。人間もこの辺りの趣が分かりだして初めて、道に入るのです。」修身教授録一日一言より

小生みたいな凡人は、座禅や武道などのその道に足を突っ込んで、研鑽してそのなかで何かを見つけるのが修業と思っていたが、やはり凡人の思考である。日常と修業を切り離していたようだ。日々の生活に修業の場がある。日常の小さな出来事を師匠として修業すべし。

拳骨

No 735  心を開く

2007-12-01 | 感情ストレス
80歳代の御婦人。人生80年も経って過去を振り返ると、楽しくもあり、苦労もある。80歳代の方は、今の方には想像もつかない苦労がたくさんある。

また、その苦労は口に出しては恥や負けと思っている。耐えることが人生そのもののような思いがある。時として過去の苦労がエネルギーをブロックしていることが多く、トラウマみたいになっていて思い出したくもない出来事がある。

このご婦人も、人生我慢のような80年を過ごしてきた。小生みたいなものにはこの苦労がわからないではないが、本人以外は解らないものである。この年代の苦労は物理的はもちろん、精神的にも非情なものが在ったはずである。

あきらかに過去のトラウマが原因で痛みを抱えているのだ、どうしても心を開いてくれない。前回からの治療でやっと開いてくださった。今日は歩きっぷりもよく、なんと言っても顔つきが変わり、血色がよくなった。

娘さんも、こんな笑顔を久しぶりでみたお母さんの顔である。この世代の人は家族が多く小さいうちから働くことを「善」として、子供でも働くのが当たり前になっていた。その苦労が我慢強さをつくり、耐えることができるようになる。しかし、耐え忍ぶことが閉鎖的な心をつくってしまうこともある。

拳骨

No 734 心の養分は足りているか

2007-11-30 | 感情ストレス
「ひとたび「心の食物」となると、われわれは平生それに対して、果たしてどれほどの栄養を与えているといえるでしょうか。からだの養分と比べて、いかにおろそかにしているかということは、改めて言うまでもないでしょう。」(修身教授録一日一言)

身体的栄養は腹いっぱい飯を食えばこと足りる。「心の養分」そうです。心も養分(栄養)が必要である。言われてみて初めて気づいた方もいるだろう。小生も思わずハッとした。そういえば心の養分などとっていなかった。

最近、どうりでつまらないことを考えてしまう。心の養分が不足していたようだ。子供や家族のこと、仕事のこと、健康のことその他日常の生活では心のエネルギーはずいぶん消費している。当然、心も栄養不足になりやせ細っているだろう。

さて、どうやって心の養分を補給するか? これも身近な生活のなかに消費する以上にたくさんある。もう気づいた方もいるだろう。心の養分をしっかり補給して頑張ろう。

拳骨 

No 732 プラスの裏にマイナスあり

2007-11-28 | 感情ストレス
「人間は、順調ということは、表面上からはいかにも結構なようですが、実はそれだけ人間が、お目出たくなりつつあるわけです。すると表面のプラスに対して、裏目にはちゃんとマイナスがくっついているという始末です」(修身教授録一日一言より)

「好事魔多し」という言葉が在る。よいことにはとかく邪魔が入るということらしい。いいことが続くとどうしても天狗になる。天狗になるとマイナスに気付きがなくなり、思わぬ感情が芽生えることもしばしばある。

「よいことにはとかく邪魔が入る」さて、どんな邪魔かな? 大方はこの邪魔は「外因」として他人のねたみや、ひがみの類に思われがちだが、ところがどっこい、邪魔は内から沸いてくるものである。そうです、「内因(心)」なる気持ちである。

プラスとマイナスは常に表裏いったいであることを忘れてはならない。小生も胆に命じておこう。

拳骨

No 728 プラスの思い込み

2007-11-16 | 感情ストレス
感情的なストレスには、自分でも気づかない感情が常に湧き上がってくる。感情的ストレスと聞くと多くの方はマイナスのイメージがわく。

このマイナスの感情は、他の人には見透かされたくないのが常である。誰だれさんは〇〇にもっている。こんな見方をされたらいやなものである。しかし、こんな感情は夫婦でも親子間でも、ペットと飼い主の間でも沸き上がるものでもある。

面白いのはマイナス感情は、思考や行動を抑制する働きもある。これが曲者であるが、この抑制の恩恵を受けているのも事実である。「恐れ」「恐怖」といった感情は行動の恐れを意識する。

この恐れの感情がなければ高所から飛び降りたり、危険な場所を危険とも思わない。スピードへの恐怖がなければ過剰はスピードを出し自己の確立が高くなる。当然恐れの感情がなければ危険度は高まる。危険回避には潜在的にこのような感情が働いている。「恐れ」や「不安」は全て悪者ではない。

「恐れ」や「不安」を悪者にするのは、それを支配している「脳」でありご主人の「思考」である。自分の中にある「思い込み」が悪さをし、「恐れ」や「不安」を駆り立て煽っている。

できない、これはだめ、~だから、在るべきだ・・・・これらは自己の思考を狭め開放系への弊害となり、次第に窮屈な世界や狭い思考をつくり外へと開放系に向けることができなる。4畳半の手が届く狭い部屋で安心できるようなものである。不健康な方はこのような思い込みが多い。病気も治ると思うと治る。痛くないと思うと痛くなくなる。

拳骨


No 724 親孝行

2007-11-09 | 感情ストレス
やはり年の瀬が近づき舞い込んでくるのが、喪中の手紙である。昨日も早々と届けられ他。

この年代では同級生の訃報は少ないが、年齢的に父親、母親の喪中が多くなりここ1,2年、年始のご挨拶のご辞退が増えてきた。昨年は5件の喪中の手紙が届き何となく年齢を感じさせられる。

ふと、小生の親を思った。今年は父親の23回忌であった。早いものだ。長男が1歳のときなくなったのだと思った。そういえば我が愚息はいずこで何をやっているか? 

先日の彼岸に墓参りをした時に合った母親はやせ細りボケも少し始まり年相応の元気力であった。年のせいか最近やたらと親を思い出す。生きている間に何か一つかたちで親子孝行したい気持ちがある。

意識的な気持ちの裏腹に潜在的には、かたちであらわす親孝行は「偽善者」なのかもしれない。かたちであらわすことによって「自己満足」これだけやってやったのだから悔いはないといった「自己の言い訳」なのかもしれない。自己を納得されるためのものかもしれない。親孝行なんてそんなものなのかも知れない。

後10年もすると同級生の訃報が届くようになってくるのかもしれない。子供に脛を齧られて痩せ細って気がついたら頭が禿げたり、白くなっていたりと鏡をのぞくと情けない顔を想像する。

拳骨

No 718 治りを妨げる原因?

2007-11-01 | 感情ストレス
最近の治療結果。多くの方がよくなってくれている。ありがたい。患者さんの前向きな治したい気持ちが、患者さん自身の潜在的な働きかけで治りを促進させていい結果が出ている。

しかし、なかには治りが悪い、遅い患者さんもいる。どこに違いがあるのか? 障害の程度? 重症だから? それもあるかもしれない。治りの悪い結果が出ない患者さんの共通点は幾つかある。

その一つに「慢性」である。それも痛みの場所が変わる。今日はここが痛い。今日はあっちが痛い。また、痛みの強弱もある。症状も変わる。腰痛から頭痛、鼻炎、湿疹、下痢といった次から次へと症状を変えることも少なくない。

よくよく調べると、このような患者さんは「無意識の感情」が働いていることが多い。患者さん自身はそんなことは意識したことがないが「健康になりたくない」「病気を治したくない」「病気でいたい」などの無意識の感情が働いている。

「無意識の感情」を開放すると急激に進展する。患者さんの顔色も変わり笑顔が戻る。感動の一瞬である。小生も無意識の感情で何か人生に悪さをしているものを抱いているのかもしれない。毎日が仏頂面である(笑)。

拳骨

No 717 母親

2007-10-31 | 感情ストレス
お母さん達の潜在的なストレスは子供に関することが多い。亭主の事ははそっちのけ? そんなことはないと思うが子供に関することが多いようだ。

仕事と家庭を両立させている頑張りやのお母さんたちは自分の事はさて置き、お父さん、子供と家族のことが第一優先させる。これも母性本能なのか? 世間的な思い込みなのか?

いつの間にか社会的は概念として、お父さんは外(会社)お母さんは内(家庭)というような図式が成立してしまった。外も内もそれぞれストレスがある。外での人間関係もかなりストレスになる。他人という遠慮がある。

内の人間関係もそれなりに遠慮がある。血縁関係だからと言って遠慮なく何でもいえるかというとそうでもない。いっていいことと悪いことがある。どうしても遠慮はある。

特に夫婦関係に関しては遠慮が出て、言いたい事もいえないこともある。子供は血筋が通っているのか親子の関係は遠慮はないみたいだ。夫婦は他人? 意識的にはお母さんと子供関係は遠慮がないようだが、お母さんは潜在的に子供に関しては気を使っている。

お母さんは、お父さん子供を比較対象にすることがある。お父さんみたいに立派になってもらいたい(これは少ないか 笑)、あるいはお父さんを超えてもらいたい。(情けないお父さんなのか 笑)お母さんは潜在的にこのような感情を持っている。

なかには子供が全てのようなお母さんもいる。子供に意識が向くのはある意味では潜在的な現実の「逃避感情」かも知れない。生活の不満、家族関係の不満、自己の諦めや望みを託すなどの感情があるのかもしれない。お子さんに期待を寄せるために頑張りすぎるお母さんは疲れてしまう。程ほどに。

拳骨 

No 713 エコノミー症候群

2007-10-26 | 感情ストレス
エコノミー症候群について下記のような報告がなされた。

「エコノミークラス症候群のリスクはそう高くない。飛行機の乗客が重篤な静脈血栓症を発症したとメディアで報じられることもあるが、実際のリスクはわずか5,000人に1人と低いことが示され、オンライン医学誌「PLoS Medicine」9月号で報告された。」


「エコノミー症候群」などと奇妙な病気?が流行?り始めてから何となくエコノミークラスは気になる。かといってビジネスやファーストなど乗れるはずもない。良く考えてみると血栓などは個人の身体的リスクである。

飛行機や狭い車が必ずしも原因かというとそうでもないらしい。震災などで長期の非難などで狭い車で生活するなどしていると真理的なストレスが重なる。こちらの影響が大きいはずだ。

「エコノミー症候群」この言葉の響きは無意識の中に呪縛のように刻まれる。これも社会現象である。社会によって、人間によってつくられた症候群ともいえる。

拳骨



No 710 怒りは腰痛である

2007-10-23 | 感情ストレス
「怒りは腰痛である」言わずと知れた長谷川先生の著書である。何度読んでも臨床と一致している。構造由来の腰痛は過去の無知の産物となりつつある。

今日の腰痛患者さん。急性腰痛で前屈、側屈、進展ができず両手を膝について千鳥足で治療室に入ってくる。2,3日前に下のものを取ろうとして前かがみになったらそのまま動けなくなった。

いわゆる「ギックリ腰」である。重いものをもったわけでもなく、ただ前かがみになっただけである。その他の症状は吹き出物、鼻炎がある。やはり最近出始めた。

この方は1月前に仕事を辞めた。その後、鼻炎、吹き出物、肩こりと次々に症状が出てきた。そして「ギックリ腰」というように酷い痛みが出てきた。

「怒りは腰痛である」というように「怒り」でなくとも「感情的ストレス」特に本人も気付きがない無意識の「潜在的ストレス」が原因である。今日の治療は本質的な原因に気づいて頂いた。

「そういえば、仕事をやめてからいろいろな症状が出てきた。そうか。」患者さんの言葉である。気付きが得られたので回復も早い。構造由来で腰痛を治療をしている先生方も早く気づくといいのだが。

拳骨

NO 708 痛みはサイン

2007-10-20 | 感情ストレス
患者さんは痛いから治療をする。もっともでる。なかには痛みを我慢する人もいる。我慢に我慢を重ねてどうにもならなくなり医療機関に行く。

なかには我慢を重ねて命を落とす人もいる。日本人特有の「我慢の美徳」は段階の世代以前の方に多い。痛みや不調を口に出したり、顔に出したりしないのが日本人であるかのごとき我慢を美徳とする。

我慢も良し悪しである。希に病気で痛みを感じない人もいる。「痛みが感じない」とどうなるか。最悪の場合は命を落とす。よって痛みは大切な「サイン」である。痛みを感じない人は、身体のどこに怪我をしたかもどこの内臓がいたいのかもわからない。

気がつかないうちに重篤な感染症を発症したり、四肢を壊死で切断したりしなければならなくなってしまうことがある。痛みは不快であるが大切な情報である。痛みをなくせばいいのではなく、どうして痛みが発しているのか原因を追究しなければならない。

慢性的な痛みは「脳の可塑性」ということがわかってきている。これも面白い。痛いの第二現場である「脳」が痛みのひずみを記録してしまう。また、情動的にも影響し日頃のストレスも一緒になり病的な反射条件を引き金に、一定の情動的なものに再発を繰り返す。

「腰痛は脳の勘違いだった」―痛みのループからの脱出(著 戸澤 洋二)などは面白い。自らの慢性的な腰痛体験を自己治療で治す腰痛体験記である。

拳骨

No 705 枕

2007-10-17 | 感情ストレス
昨日の患者さん。いつも定期的に治療にきている。いつもは腰が調子悪く来院している。ほとんど痛みはないが時には痛みが強くなることもある。最近は原因がわかっているので改善も早い。

昨日は久しぶりに肩がこり首が痛くなった。調べてみると「生活環境」「寝具」「枕」が出た。どんな枕をしているの? 「枕は使っていない。タオルをグルグル巻いている。そのタオルが何となくフィトさが合わず参っている。」

一時はやったタオル枕である。ずいぶん前に肩こりで治療院にいったら「首の骨がずれている。軟骨が磨り減ってしまう。タオルで好きな太さにして合うようにするといい。」といわれてその後タオルを使用している。しかし、首に合った太さ加減ができない。

それ以後「枕が合わないと首の骨がずれる」と思い込んでいたようだ。何で今頃首が痛くなったのかか。TVで枕が合わないと首に悪い影響が出ると、どこかの偉い先生が言っていたのをみたために、潜在的に思い込んでいた抑圧された感情が表面化したのだろう。

根拠の無い治療家の一言が患者さんを苦しめることになる。患者さんもTVや新聞などの社会的メディアの情報(正しくても間違っていても)を鵜呑みにする傾向にある。もう少し疑うことも必要かもしれない。しかし、人をみても泥棒と思ってはいけない。

拳骨

NO 703 健康への不安

2007-10-15 | 感情ストレス
最近の患者さん多い症状が「健康に対する不安」が目立つ。これも立派な症状である。

健康に不安があると、身体的な症状の改善も進まない。健康に不安を抱える要因はいろいろあるが、意識的な健康の不安より潜在的な健康の不安が悪さをすることが多い。

特に身体的な症状の改善の妨げになるのは「信念」がある。ある特定の「信念」が自己の頭の中(潜在的)で「~あるべきだ」とつくってしまう。要は「思い込み」である。

特定の「信念」は、何かの出来事がきっかけになり思い込みとなることがある。特に社会的なメディアの影響は大きい。テレビで健康特集などやると釘付けになる。テレビどおりにならないと健康になれないものと思い込む。

メタボリックシンドロームなど典型的なものである。「太る」事は結果である。「太る」結果に対して「何センチ以下にならないと大変だ」と自己にいい聞かせる。

また、社会全体でなかには会社が総力を挙げて家族まで矯正しないとペナルティーまで与えるようなことに発展している。仕事どころではない。

「太る」のいけないから痩せればいいのか、そんな機械論的な単純発想で痩せさせても根本的な解決策にはならない。「太る」原因の背景には何があるのか突き詰めて対策を考えなければ解決しない。

社会減少で「信念(思い込み)」を知らず知らずのうちにつくりあげている。その潜在的な「信念」が脳が勘違いをして「太る=病気」と思い込む。脳の思い込みでもある。脳の思い込みは健康への不安を駆り立てる。


拳骨(16日記)


No 702 暗示・条件付けによる症状出現

2007-10-13 | 感情ストレス
アレルギー症状の一定の条件づけによる喘息発作としては、歴史的には、19世紀後半にMackenzieによって報告されている。

内容は、バラ花粉に過敏に反応するの患者さんが、診察室で「造花のバラの花」を見せられると、その場で鼻炎症状と、喘息の発作症状が誘発された例が報告されている。有名な話らしい。

その後、特定の条件や状況下で誘発される喘息発作に関しては多数報告されているらしい。

その発作機序については、特定の条件や状況下で引き起こされる不安や葛藤などの情動が、迷走神経を介して気道の狭窄を引き起こす「条件情動反射機制が関与されていると考えられている。

この一定の条件付けをするのは誰か? それは社会環境や、教育、家庭生活、自己の感情などなどである。小生も経験がある。テレビでスギ花粉情報を見ると(聞くと)その場で鼻水、くしゃみが出た。自己の思い込みが条件付けしているようだ。

拳骨

No 701 リズム感

2007-10-12 | 感情ストレス
「リズム感」と言っても音楽のリズム感ではない。もっとも音楽のリズム感も一緒だが。小生は全く音楽のリズム感がない。

スポーツにおいてもリズム感が重要である。一流選手は何事においてもリズムが取れている。会話、動作、生活、仕事全てにおいてギクシャクしていないはずだ。

自己の過去を振り返ってみると、仕事が上手くいかない、家庭が上手くいかない、不健康になる、など結構浮き沈みがあるはずだ。人生長くやればやるほど浮き沈みはでてくる。

も一度振り返ってみよう。この浮き沈みもリズムである。面白い。マイナスで沈んだかと思うと、回復しプラスに浮いて行く、プラスで有頂天になっているとマイナスに沈む。浮き沈みのリズムである。

この浮き沈みのリズム感が狂ううと沈みっぱなしで浮き上がれない。そんな人が病気や家庭不不和になる。さて、このリズムが取れる人と取れない人はどう違うのか?

人生を80年生きるとする。その80年を横線にたとえ過去を振りかえると必ず、人生の出来事に浮き沈みがあるはずだ。気づくことができるかな? 気づいた方はリズム感がいい人とである。気付きがなく沈んでいる時期しか思い浮かばない人はリズム感のない人である。

拳骨