日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

平壌の新スポット、綾羅人民遊園地

2012-08-10 09:00:00 | (相)のブログ

 8月に入って平壌では連日の暑さだ。梅雨も一時お休みなのか、前月ものすごい勢いで降り各地に洪水被害をもたらした雨も今月はほとんどなし。連日の強い日差しで気温は30℃を超え、ここ数日は34℃まで上がった。日本ほどではないが、むし暑い天気が続いている。

 1週間ほど前、平壌の新スポット・綾羅人民遊園地に行ってみた。7月末、大同江に浮かぶ綾羅島の一角にオープンした複合レジャー施設で、プール、遊園地、イルカ館などがある。金正恩第1書記が建設段階から何度も足を運び、7月25日の竣工式には李雪主夫人同伴で出席したこともあって、市民の間でも大きな話題となっていた。
 オープン直後からさっそく多くの人々がつめかけ、連日のにぎわいを見せる綾羅人民遊園地。取材で訪れた日も、午前中からものすごい人出だった。ちょうど学校の夏休み期間ということもあって、家族連れや若者の姿が目立った。

 夏のレジャーを楽しむ人々を尻目に、プールや遊園地で汗だくになりながら写真を撮っている私の姿を見て施設の職員らが、「せっかく来たんだから」とウォータースライダーや絶叫マシン体験をすすめてくれたが、自分が一人でそれをしている姿を想像して気恥ずかしさが猛烈にこみ上げてきたので、丁重にお断りした。

 同遊園地の間近にあるメーデースタジアムでは、10万人出演でギネスブックにも載ったあの「大マスゲームと芸術公演『アリラン』」も上演中なので、綾羅島はいま平壌で最もホットなスポットと化している。
 自分が実際に体験もせずに言うのもなんだが、これから訪朝する在日同胞には綾羅島めぐりをぜひお薦めしたい。午前中にイルカショーを見たあと昼食、午後はプールで遊んで、夕方から遊園地といったコースで1日存分に楽しめる。オプションで「アリラン」観覧までつけて、「お腹いっぱい」になること間違いなしだ。

 平壌発のブログは今回で最後。約3ヵ月にわたるお付き合い、ありがとうございました。来週からは日本で通常の仕事に戻るが、ブログでは次回以降も折に触れて「朝鮮滞在ネタ」を書いていこうと思う。(相)

 


夏休み

2012-08-09 09:00:00 | (瑛)のブログ

夏休みをどう乗り切るか―。

子どもにとっては楽しい夏休みなのに、この文章の出だしは何だと思いますが、小学校低学年の子を持つ働く親にとっては、結構シビアな課題です。周囲の友人を見ても学童保育に送ったり、親類に当番で見てもらったりとそれぞれ対策を立てています。

幸い、今週前半までは学校で宿題指導があったので助かりましたが、問題はこれから。地方に暮らす親類に2泊3日の小旅行を引き受けてもらったり、夫と休みを調整したり…。近場の親戚や友人にも「預かるよ」に声を掛けてもらい、どうにか乗り切れそうです。 

自分が幼い頃を思い出してみると、母方の実家に一人で預けられたり、弟が学校へ通い出してからは2人で新幹線に乗って祖母の家へ遊びに行ったりと、夏休みは地方の両親の実家で過ごしていました。教員をしていた叔母が宿題を見てくれ、自分が働くハッキョ(学校)に連れていってくれたこともありました。その学校の夜会で同じ学校に通う先輩に会ってビックリしたこともあります。

西陣織りで生計を立てていた祖母と仕事の合間に他愛もない笑い話をしたこと、一日の楽しみだった銭湯でひたすらマンガを読んでいたこと…。暇をもてあまして仕事場をのぞくと、機織りに没頭する祖父母を発見! 祖母が90近くなった今、この光景を記憶に留めていることも貴重なものに思えます。

 「かわいい子には旅をさせよ」といいますが、旅は冒険、日常とは違うハプニングがスパイスですね。

京都へ向かう新幹線の車中。途中の名古屋駅で「ジュースを買いに行く」と下車した弟が、新幹線が出発するも、中々席に戻ってきませんでした。一人でハラハラしていると、しばらくして新幹線の後方からダッシュで走ってきました。「(新幹線の)一番後ろまで行ってきた」というので気が抜けたことを覚えています。

その時は「戻ってこなかったら、どうしよう!」とドキドキしながらも自分なりの対策を練っていました。車掌さんに相談しようか、名古屋まで戻ったら会えるのかなぁ、などと…。今となっては楽しい思い出です。

色んな人に連れられて旅する子を見ると、ついついうらやましくなります。

「いつか、船で故郷にも!」。旅に憧れる今日このごろです。(瑛)


朝鮮の水害に思う

2012-08-08 09:00:00 | (K)のブログ

 朝鮮民主主義人民共和国で水害による被害が広がっている。
 朝鮮中央通信が8月4日に伝えたところによると、朝鮮各地で6月末から7月末の間に、台風や暴雨などによる洪水で、169人が死亡、144人が負傷し、400人の行方不明者が出ている。平安南北道、慈江道、咸鏡南北道をはじめ各地で、8600余戸の住宅が全半壊、4万3770余世帯が浸水被害を受け、21万2200余人が家を失ったとしている。

 洪水被害による169人の死亡者、400人の行方不明者というのはとてつもない数字だ。現地はどうなっているのか、救援活動はいかに行われているのか、何年もの間、朝鮮での水害被害の報道があるが対策はどのようにとってきたのか…など、気をもむことがらが多い。できるなら現地に入り自分の目で見たいと思うが、それができないだけに、かえって心が落ち着かなくなる。

 朝鮮だけに限らず、日本の九州でも、毎年のように水害が起こり、毎年「観測史上最大」などと報道しているように思える。ここ数年の夏の暑さも異常だ。子どもの頃の夏と今の夏は次元の違うものになったような気がする。

 それが地球温暖化と言われるものによるものなのか、地球のこれまでのサイクルの一環によるものなのかわからないが、「たまたま一時的に気温が上がり雨の量が増えているだけで、またおさまるもの」ではないような気がするのだ。


 昔、朝鮮に長期滞在していたとき、農業のまねごとのようなことを体験した。畑を耕しトウモロコシなどの種をまき肥料をやり雑草を取り収穫する。一番最初の作業のときに、哲学を教えてくれていた先生が言ったことが忘れられない。
 「農作業をすることで、土地に対する愛着がわく。晴れが続いても雨が続いても、大丈夫だろうかと、少しの天候の変化にも土地や農作物のことが心配になる。そういう具体的な思いが祖国に対する愛情になっていく」

 そのとき以来、日本に戻っても、自分の住んでいる場所の天候とともに朝鮮半島の天候も気にかけるようになった。と書いているうちに、朝鮮に行きたいという気持ちがまたふつふつとわいてきた。

 それにしても、毎年のように起こる水害、何とかならないのだろうか。今回、被害を被った朝鮮や日本の被災地が1日も早く復興することを願いたい。(k)

 


うちに猫がやってくる!

2012-08-07 09:00:00 | (麗)のブログ

友達が長期出張に行く間、猫を預かることになりました。
私の家は動物を飼ったことがないので不安ですが、
友達は猫のスペシャリスト(?)なので飼い方を教えてくれるそうです。

猫と言えば、犬と違って「マイペース」「なつかない」と聞いたことがあります。
私の母が子どもの頃に猫に引っ掻かれて猫嫌いになったと聞いて、
なぜか私も猫はそんなに…と思う様になってましたが、
最近は猫のそういうつれない所が可愛いと思えるようになりました。(笑)


どんな猫なのかな~と想像しながら、早くうちにやってくることを楽しみにしています。
私の夢は「犬がいる生活」なのですが、これを期に「猫がいる生活」も加えてもいいかもしれません。(麗)


権利の後退招きかねない「寛容主義」

2012-08-06 09:00:00 | (里)のブログ
人権協会(在日本朝鮮人人権協会)が年に2回発行している「人権と生活」。
毎号とても読みごたえがある内容となっていて、勉強にものすごく役立っています。

今年6月発行の第34号の特集テーマは「在日朝鮮人の人権――歴史と現在 ~植民地主義と分断を問い直す~」というもの。
在日朝鮮人の人権については、東アジアや朝鮮半島と日本との歴史的関係性の克服なしに、日本における差別をなくすという観点だけをもってしては大きな陥穽(かんせい)にはまりかねないという重要な問題提起がなされていて、大変参考になりました。


現在、朝鮮学校への「高校無償化」適用問題は、政局の混乱の中でまったくもって進展が見られなくなっていますが、
日本における在日朝鮮人の民族教育、ひいては人権をめぐる議論においても、ちゃんとした問題意識を常にもっていなければならないと、「人権と生活」を読みながら再認識させられました。

「人権と生活」34号に掲載されている鄭栄桓さん(明治学院大学教員)の文中では、

「朝鮮学校生の高校無償化排除を批判する議論に象徴的に現れているように、現在の日本のメディアでの排除反対論は『朝鮮学校は北朝鮮とは違う』『朝鮮学校は昔とは違う』『朝鮮学校は日本にとっても有益だ』といった、
朝鮮学校が日本社会にとって許容可能な存在へと変化したことを根拠に政府の排除措置に反対するといった主張が大勢を占めている」


といった指摘がなされています。(鄭さんはこれを「権利論なき擁護論」として批判しています)

つまり、在日朝鮮人の権利が一面的に、抽象的な「マイノリティ」の権利としてのみ語られることによって、日本の朝鮮植民地支配の下でその支配と弾圧を受け続けた存在としての歴史性を有している在日朝鮮人の人権問題を解決することにはつながらず、むしろ権利の後退を招く可能性が高い、ということです。



確かにそうです。
一見リベラルで寛容に聞こえる日本の一部メディアの言説は、朝鮮学校が日本社会に親和的である限りにおいてなら排除する理由はないのだという論理にすぎません。
ここでは日本社会の同化主義的な圧力が問われることはないのです。
日本の一部メディアのみならず、同じような論法を、私たち在日朝鮮人自身が用いてしまっている場合も少なからずあります。


在日朝鮮人の権利を語るうえでは普遍的人権の観点ももちろん用いることもできるとは思いますが、まずは必ず、在日朝鮮人の歴史を明らかにするプロセスが不可欠なんだと肝に銘じなければならないでしょう。
そしてまた、このような命題を、私たちはこれからも絶えず日本社会に向けて発信していかなければならないと感じます。(里)

祭祀について思うこと

2012-08-05 09:00:00 | (愛)のブログ
木曜日に(瑛)さんがブログでも書いていましたが、
9月号の特集は「チェサ料理を作ろう」(仮)という企画です。

私の実家でもずっと祭祀をやっています。
なので、祭祀とは私にとっては生活の一部のようになっています。
祭祀の前々日には母が大量に食材を買い込んで、
前日のお昼過ぎから大人3人ほどで祭祀料理作りが始まります。
母たちの料理作りはとても大変そうな作業ですが、チヂムなどを焼くときのごま油の香りなど、
おいしそうな匂いが漂ってくるのが子どもの頃から好きでした。

今回私は特集担当ではないので詳しくはまだわかっていませんが、
料理の置き方やどの食材は置いてはいけない等、決まり事が祭祀料理にはあるということで、
傍から聞いていても勉強になることが多いです。

子どもの頃から何気なくやっていた祭祀でしたが、
ふと思ってみると、祭祀の際母たちは決まった料理を作り、決まった並べ方をし、
父は祭祀をするご先祖のチバン(紙榜)を書き決まった順序で淡々と行ったりと
普通にやっているが、いざ自分一人で準備してみようと思うとできないことばかりだなと、
今回の特集作りを見ながら思いました。
今度もし実家で祭祀に立ち会う機会があれば、色々聞いてみようと思います。
そしてもちろん、特集の出来上がりを見るのが楽しみです。

祭祀は朝鮮で昔から行われてきた、儒教の思想から発祥した先祖を敬う儀式。
月刊イオ2008年5月号でした祭祀特集では北と南の現在の祭祀が紹介されていました。
在日同胞社会でも祭祀は欠かさず行われており、
なので、祭祀が多い秋夕には同胞社会でも休日になります。
昔は祭祀のため学校に遅れても、当然許されました。
祭祀の文化は1世が少なくなり、
段々と同胞社会でも祭祀を執り行う家庭が少なくなっていると聞きますが、
私個人としては簡素化してもいいから、祭祀はなくなってほしくないなと思います。

ある家では祭祀の時、女性は料理を作るだけで祭祀の場には入れないと聞きましたが、
私の実家では男性たちが行った後、女性も同じように女性だけで行います。

そのように、男性も女性も皆でチョルをあげることは
子どもの教育にもとてもいいんだろうなと思うのです。

年に何回か、祭祀のための料理を作って、故人を思い出し、
ご先祖様に自分たちが生きていることへの感謝の気持ちを込めてチョルをして、
皆でその料理をおいしく頂く。
やっぱり、大切な儀式でありとても良い文化だと思います。

取り留めもなく書いてしまいましたが、
撮影時に頂いたチェサパンチャンはとてもおいしかったです!
イオ9月号は8月20日完成します。
ぜひお手にとってみてください。(愛)

帰れない遺骨 ~沖縄取材記⑦

2012-08-04 09:00:00 | (淑)のブログ

 周知のように沖縄戦は、日米最後の激しい地上戦が闘われ、沖縄全土が焦土と化し、おびただしい犠牲を生んだ。沖縄戦戦没者の遺骨は沖縄県の推定で18万8136柱。その内の約4000柱が未収骨のままだという。
 イオ8月号の特集記事の中でも一部取り上げたが、今日のブログは沖縄における遺骨収集の取り組みについて。遺骨収集ボランティアのガマフヤー代表・具志堅隆松さんに伺った話を紹介する。

 沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」は、遺骨を収集し、家族のもとへ返す活動を行なっている。
 沖縄戦の激戦地の一つである那覇市真嘉比地区では、2009年、区画整理の工事に伴って遺骨収集を行うことになった。その際に具志堅さんは、企業に任せる形の国による遺骨収集の、営利事業として遺骨収集を行う倫理的問題と、ずさんな収集方法に異を唱え、緊急雇用創出事業として遺骨収集を行うことを厚生労働省に要請した。提案は、那覇市の委託を受けたNPO法人「プロミスキーパーズ」がホームレスや生活保護受給者を雇用して遺骨収集を行うというもの。具志堅さんは「どうにかして金儲けのための遺骨収集をやめさせたかった。失業した人や困っている人に働いてもらったら、今生きている人も、亡くなった人もどちらも助けられる、遺骨収集活動でそんな絵を描けるんじゃないかと思った」と話していた。
 遺骨収集には55人が参加し、09年10月から12月までの間で見つかった遺骨は、7000平方メートルから約172体分に上ったという。
 企業による遺骨収集は遺骨を一体ずつ掘り起こすのではなく、機械を使って一緒くたに掘り起こすため、身元確定にはつながらないという。対して具志堅さんらによる活動は手掘りで行う。具志堅さんは「犠牲者の尊厳を考えるとき、機械ではなく手でやるべき」と話した。土の中から骨が見えたら、骨を傷つけないように竹串を使って掘っていき、刷毛で土を払う。これを繰り返し、骨だけを浮き上がらせるようにすることで、戦没者の個々がどのような最期を迎えたか確認して、供養することができるという。
 遺骨収集は工事開始の期限が迫り、まだ相当数が埋まっているにも関わらず、2010年9月に打ち切りになった。
 見つかった遺骨の内、遺族に返せたのはたった1体のみだという。遺骨は名前など何らかの目印となる遺品がなければ身元は確定できない。具志堅さんは「国が国民を戦場に送って戦死させたのに、その遺骨を家族のもとに帰してあげるのは当然のこと」と、遺骨のDNA鑑定を政府に要請した。だが政府は戦没者のDNA鑑定は承諾したが、遺族側のDNA鑑定は実施しようとしないという。DNA鑑定にかかる費用は総額3億。要請に応じた職員からは「3億”も”かかる」と言われたそうだ。具志堅さんは、「あまりに無責任な発言に、自分が聞き間違えたかと思った」と言っていた。また「DNA鑑定で遺骨が家族のもとへ帰れると思っているのは具志堅さんだけだと思う」とも言われたという。現在、具志堅さんは、これが全国の声であることを証明するため、政府に対しDNA鑑定を求める市町村決議を、沖縄県内で呼びかけているという。
 具志堅さんは、「国は沖縄の戦後処理はもう終わったということにしたいんだろう。でも終わってないんだよ…全然」と、嘆いていた。 

 つい先日も県南部の中頭郡で旧日本軍兵士と思われる遺骨が発見されたと、沖縄タイムスが報じていた。
 (【沖縄タイムス】「西原で遺骨3体、ガマフヤー発見、日本兵か」
 http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-07-27_3682

  話を聞きながら、日本政府は自国の民の犠牲に対して何故かくも無責任になれるのかと、呆れを超えて不思議で仕方なかった。(淑)

 


平壌はロンドン五輪で盛り上がってる?

2012-08-03 09:00:00 | (相)のブログ

 朝鮮滞在77日目。
 平壌駐在勤務を終えて日本へ戻る日が近づいてきた。平壌発のブログも今回の更新分を含めてあと2回ほど。日本と朝鮮を行き来する仕事に就いていた当初は、帰還の日時が確定し出国日が近づくにつれて「日本に戻ったらあれを食べて、ここへ遊びに行って」などという考えが頭の中を巡っていたが、訪朝回数を重ねるごとにそんなことも少なくなっていった。
 今あるのは「焦り」だ。滞在期間中に終えるべき取材がかなりたまっている。書き上げなければいけない原稿も。(時間的に考えて、全てこなすのは厳しいか…)。全部が無理なら、優先順位をつけてやっつけるしかない、とばかりにカレンダーとにらめっこしながらスケジュールを立てている。
 最近、本場の犬料理や「うさぎ丸ごと一匹」(参鶏湯のうさぎ版)料理を食べたおかげか、夏バテもせず、体調はすこぶるよい。

 今回のブログはロンドン五輪に関する平壌現地の話題を。
 朝鮮民主主義人民共和国は8月2日現在、金メダル4つ、銅メダル1つを獲得し、「予想外の快進撃」を見せている。国別の金メダル獲得ランキングでも上位につけている。金メダルの数では、過去最も成績のよかった92年のバルセロナ大会での数に並んだ。このままの勢いで行くと記録更新は確実だろう。総メダル獲得数でも過去最高だったバルセロナ大会の9個を上回ることも十分期待できる。
 それにしても、この序盤のメダルラッシュは市民はもちろんスポーツ関係者にとってすら予想していなかったようだ。この間、会う人々ごとに五輪ネタで話を聞いたが、みな一様に驚いている(もちろん、喜んでいるのは言うまでもないが)。
 5つのメダルのうち4つを重量挙げ種目で取っているので、同競技の関係者は鼻高々だろう。実際に、重量挙げの元選手で五輪メダリストの一人は、56kg級で優勝したオム・ユンチョル選手を指して「隠れた優勝候補」と呼び、「してやったり」の表情を浮かべていたという。大会前、国内の記者数人に注目選手を聞いてみたところ、重量挙げでは62kg級で優勝したキム・ウングクの名前は出たがオム・ユンチョルを挙げた人は誰一人いなかった。知人の記者が協会の関係者にあたってもオムの名前は出なかったというから、まさに「秘密兵器」だったのだろう。

 大会中盤に入って、ますます盛り上がりを見せるロンドン五輪。ただ、ここ平壌では盛り上がっているのかいないのか、いまいちよくわからない。もちろん、人々が関心を示していることは確かだが、それがなかなか目に見えない。
 それも当然といえば当然か。自国選手の競技結果は新聞で逐一報じられ(団体競技での勝ち試合と個人競技でメダルを獲得した場合限定)、毎晩テレビで1時間ほどのダイジェスト番組が放映されるが、目に見えるのはそれくらい。ロンドンからの生中継もなければ、競技結果の速報がメディアに流れるわけでもない。新聞の号外やパブリックビューイングもないし、興奮した人々が街にくりだして大騒ぎすることもない。ただ、なぜか自国選手の活躍が巷間に広まるのは早い。新聞やテレビが公式的に報じるはるか前から競技結果を具体的なスコアつきで知っている人が少なからずいるのだ。インターネットもないのに。
 それはなぜか。自国選手の成績を関係機関に電話で逐一問い合わせるスポーツマニアや、このたぐいの情報に比較的早くアクセスできる人々(スポーツ部門の関係者など)の存在が大きい。そこから口コミで広がるといった具合だ。人々が集まるお店などに速報が控えめに貼り出されていることもある。これはあくまで平壌での話で、地方の実情はわからない。
 国の制度や文化が違えば「盛り上がり」の文化も違う。たぶん傍からは、朝鮮国内では五輪関係の話題などないように見えるかもしれないが、実はそれなりに盛り上がっているのだ。2012年を節目の年ととらえている朝鮮では五輪出場選手たちにかける人々の期待も大きく、選手たちも母国の期待は痛いほど感じている。
 自分は平壌から選手たちの活躍を見届けたい。自宅でロンドン五輪をデジタルハイビジョン放送で楽しむ、というささやかな願いはたぶん実現しそうにない。(相)


チェサパンチャン

2012-08-02 09:00:00 | (瑛)のブログ

現在制作中の9月号は、9月30日の秋夕にちなみ、チェサ(祭祀、제사)で食べるパンチャン(반찬、おかず)を本格的に作ってみようという料理特集です。昨日はイオの編集部全員で横浜市のとある場所で撮影を行ってきました。

チェサパンチャンといえば、作るのもたいへんですが、独特の並べ方がありますね。「魚東肉西」と言って、肉類は西側に、魚は東側に並べる、頭尾のあるものは「東頭西尾」といって、頭を東の方に、尾は西の方に向ける、果物は「紅東白西」と言って、白色は西側に、紅色は東側に並べる…等など。

「朝鮮の通過儀礼」(金奉鉉著、図書刊行会、1982年)によると、朝鮮半島で「名節(명절、祝日)」とは、元旦(陰暦の正月1日)・上元(正月15日)・寒食(冬至後百五日に当たる日)・三辰(3月3日)・端午(5月5日)・流頭(6月15日)・秋夕(8月15日)・重陽(9月9日)・臘日(12月8日)などの節日に行う祭りをいい、そのうち寒食と秋夕は一般的に墓祭を行うそうです。唐の文献には、「秋祭は五穀の熟を報する所以なり」との記述があり、収穫に対する神への感謝を捧げる「祭り」の意味も込められていたと言います。

秋夕の朝は、子孫たちが寄り集まって墓の雑草を切り取り、秋節の食を携え、墓所を訪れていました。私事になりますが、私の祖父の墓も生涯の大半を過ごした場所ではなく、息子たちが住む関東地方に建てられましたが、墓参りに行くたびに雑草をむしることから始めます。同じ墓には長らく人が訪れていない墓もたくさんあり、墓の場所は人が集まりやすい場所でなければ、と毎回感じさせられます。

上記の本は、「命日に喧嘩はつきもの」という朝鮮のことわざを紹介しながら、祭祀の作法をめぐって遠方から集まった親戚同士の口論が絶えなかった朝鮮人の姿を描いていますが、まさに私の幼い頃のチェサもこの言葉がピッタリのものでした。パンチャンの並べ方、数について意見するおじちゃんもいれば、政治談議に花を咲かせるおじちゃんもいたりと、いい意味でも悪い意味でも「にぎわいの風景」が私にとってのチェサです。もちろん女性たちは前日からひたすら台所で料理を作り続けていました。

李氏朝鮮時代には、チェサの作法をめぐって、政界が四分五裂し、血が流されたこともあったという記述を見ると、チェサが人々の人生を大きく変えた、社会にとって重大な儀式だったことが読み取れます。ケンカは、まだましなんですね。

今回の特集には、チェサパンチャンを囲んでみんなに集まってほしいという思いを込めました。私も年に3回ほどチェサの料理を作っていますが、普段の家庭料理に応用できるものも多く、チェサの準備を通じて朝鮮料理を学ぶ、という感覚を持っています。

以前、チェサの特集をした際、「私の代になったら、チェサは焼肉パーティーにする」と意見を寄せる女性がいました。時代と社会の変化によってチェサの形は変わってきているし、1、2世の時代のように女性がひたすらチヂムを焼き続け、男性はビール片手に政治談議、という風にはいかないでしょう。もっともチェサをしない家庭が増えている気がします。 

ただ4世のわが子を見ながら感じるのは、朝鮮の食、哲学が込められたチェサは、1世のウリマルが飛び交わない家庭で、私たちにつながる「文化の匂い」を実感できる場ではないか、ということ。そして、自分の親の親、そのまた親やきょうだいについて語りあえる場であるということです。

とにかく、若い世代に負担のない形で、ウリ文化を楽しんでほしいです。(瑛)


大阪府庁前の火曜日行動、いつまで続けなければいけないのか

2012-08-01 09:00:00 | (K)のブログ

 昨日のこのブログのタイトルが「盛り上がるロンドン五輪」でした。個人的に今回のオリンピック、始まる直前までほとんど関心がなかったのですが、夜遅くにテレビをつけていると、女子柔道の試合を放送していて朝鮮のアン・クメ選手が勝ちあがっており、結局、優勝の瞬間を夜中まで見てしまいました。アン・クメ選手の素晴らしい技術、闘志、そして闘っているときの表情、勝利したときの表情が非常に美しかった。これだけ金メダルが続くと、確かに盛り上がります。オリンピックを見ると、子どもが生まれたときに「메달(メダル)」という名前をつけようかと思いながら、子どもの将来を考えてやめたことを思い出します。

 今日の本題はオリンピックのことではなく、4月から毎週火曜日に大阪府庁前で行われている火曜日行動のことを書きたいと思います。
 先週、関西に出張に行った際、府庁前へ行ってきました。

 ご存知の通り、2010年4月にスタートした「高校無償化」制度は今も朝鮮高校だけを除外したままで、大阪では長年支給されてきた朝鮮学校への府と市の補助金が今年3月から切られています。火曜日行動は速やかな「高校無償化」の適用、補助金再開を実現するために行っているものです。火曜日行動を呼びかけたのは「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」で朝鮮学校関係者、支援する会、弁護士の三者共同により今年3月1日に結成されました。
 連絡会を中心に、これまで何度も集会を開き、街頭でのビラ配りなどの活動を行ってきましたが、継続的でより目に見える行動を起こそう、府庁の職員たちに直接呼びかけようと提起されたのが火曜日行動でした。雨の降り続いた梅雨の時期も、猛暑の今も、毎回30人前後の同胞と日本人が集まって午後1時半から1時間に渡り、ビラを配りプラカードを掲げたりして訴えています。私が取材した日が14回目、昨日の火曜日で15回を数えました。

 火曜日行動に参加している人たちの思いなど詳しい内容は、9月号の月刊イオで報告するのでここでは長くは書きません。日本人のコメントを一人だけ紹介したいと思います。72歳の日本人女性は次のように語っていました。
 「怒りしかない。橋下市長らの朝鮮学校に対する仕打ちは暴力。1948年の教育闘争の時と何も変わっていない。この政治を変えなければいけない日本人より在日朝鮮人の方が多く参加されていて心苦しい。分断の痛みを背負いずっと日本で生きることのしんどさを在日朝鮮人の方たちは感じてきた。そして、ずっと隣人として生きてきた。私たち日本人が立つのは当然のこと」
 そして続けて、「こういった運動は始めるのは簡単だけれど、止めるのは難しい。勝ち取るまでやらないといけない」と語っていました。これは参加者全員の思いであり、皆が「勝利するまで続ける」と決意をのべていました。

 この火曜日行動は、日本軍「慰安婦」制度被害者(日本軍性奴隷制被害者)のハルモニたちや支援者たちが毎週水曜日にソウルの日本大使館前で行っている水曜デモをヒントにしたといいます。水曜デモは昨年末に1000回を越えてさらに続いています。本来なら、1回でも早く終わるべきものなのに、日本政府がハルモニたちの訴えを無視し自らの責任に向き合わないため、極寒の日も猛暑の日も雨の日も、毎週水曜日に集まらなければならないのです。
 火曜日行動も同じです。日本政府や大阪府・市はいつまで「高校無償化」から朝鮮学校を除外し続け、補助金をカットし続けるのでしょうか。同胞や日本人はいつまで火曜日に府庁前で訴え続けなければならないのでしょうか。
 水曜デモや火曜日行動が続くということは、日本はそれだけ罪を重ねるということです。(k)

 月刊イオの8月号でも紹介しましたが、「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」を中心に6月16日、「大阪朝鮮学園支援府民基金」(ホンギルトン基金)を立ち上げ、幅広い人々で朝鮮学校を支えようと募金運動を開始しました。ぜひご協力ください。

寄付=個人1口1000円、団体1口1万円(何口でも可)
 
振込先
ゆうちょ銀行 店名〇九九 当座 0164342 口座名義=大阪朝鮮学園支援府民基金
郵便振替口座記号 00980-6-164342 口座名義=大阪朝鮮学園支援府民基金
ミレ信用組合西成支店 普通口座 1088887 口座名義=大阪朝鮮学園支援府民基金
※お振り込みの後に、お名前とご住所を、E-mail でお送りくださるようお願いします。
E-mail =osakakikin@yahoo.co.jp