日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

引き続き、東北太平洋沖地震について

2011-03-15 10:13:23 | (麗)のブログ

地震が発生した3月11日2時46分ごろ、編集部ではこの時、5月号の担当を決めている真っ最中でした。
いつもの地震だろうと思っていたら、ずいぶん長く大きい揺れ。
朝鮮出版会館の人たちも次々と外へと避難し、長く続く余震に皆が不安な表情で揺れがおさまるのを待っていました。

「地震」というと思い出すのが「阪神・淡路大震災」。
1995年1月17日、当時私はまだ小学3年生でした。
地震が起こった4時半ごろ、震度5の揺れが突然、大阪を襲いました。

「地震や!」

そう言ったアボジの声が聞こえて目が覚めた私が見たのは、激しい揺れの中、
両親が覆いかぶさり必死に私たちを守っている姿でした。
翌朝、ハッキョに登校し教室のテレビで見たものは、大火で覆われた神戸の街、
跡形もなく潰れた家々、無残にも横倒れた高速道路、その先には今にも落ちそうなバス。
映画でしか見たことがない、恐ろしい光景がいま起きているのだと、
当時、必死にその現実を受け止めようとしていました。


地震発生から早くも4日が経とうとしています。
テレビやラジオでは連日連夜、震災に遭われた被災者の声や、生々しい町の傷跡が幾度も映し出されています。

地震情報を伝えていたあるラジオ番組で寄せられたリスナーの声では、
「テレビでは苦しんでいる大勢の人たちがいるのに、自分はいまこうして暖かい部屋にいて、
おいしい食事にもありつけている。ものすごく罪悪感でいっぱいです。」という言葉に対し、
ラジオのパーソナリティは「いまこうして私たちが普通に生活できていること、
生きていることを感謝しなければいけないのではないか。
生きていることに罪悪感を感じるのではなく、募金をするだとか、節電を心掛けるといった、
小さなことから、いま自分が出来る精一杯のことを考えましょう。」と、多くの聴衆者に投げかけていました。


きっと、このリスナー同様、被災者の皆さんに、少なからず「罪悪感」を感じている人はいるのではないでしょうか。
私もいまこうして親や友人の生きている声が聞ける、普通に食事をして、風呂に入って、布団に入って寝る。
当たり前のこの行為がどれほど幸せなことだろうかとひしひしと感じます。


現在、イオでは(相)さんが現地へ取材に行っており、ツイッターで現地の状況を報告しています。
茨城ハッキョでは学生、教員、イルクンたち70人ほどが生活しているそうで、
ライフラインは寸断、寄宿舎はめちゃくちゃになっていたそうですが、
翌日からは電気、水道ともに復旧しはじめたそうです。


昨日、(里)さんも報告していた通り、たくさんの同胞も被害に遭われています。
今回の大地震の影響でコンビニやスーパーなどで食材が売り切れ状態。
「計画停電」で照明器具もほとんど売り切れ、首都圏への交通機関も
大混乱になっていたりと東京にも大きな影響が出ています。


まさに他人事とは言えない今回の大地震。
亡くなられた犠牲者の方には、心よりご冥福をお祈ります。
多くの被災者の方、残されたご家族を考えると、本当に心が痛みます。
どうか一刻も早く多くの命が救われ、これ以上被害が拡大しませんように…。(麗)

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