朝鮮の障がい者アーティストたちによる公演を観覧してきました。会場は平壌の人民文化宮殿。国際的な会議や国内行事を行う権威ある建物で、中には大小500余にもおよぶ部屋があります。今公演には座席数3000の会議室が利用され、7月16日から21日まで5日間にわたって行われました(19日は休演)。
障がい者アーティストたちは、朝鮮障がい者保護連盟という団体の傘下にある、朝鮮障がい者芸術協会に所属し活動しています。2015年には初めて海外公演(イギリス)を実現。今年、2年ぶり2回目となる海外公演を成功させました。去る6月にも、朝鮮国内で定められた「障がい者の日」に合わせて公演をあげました。
今回の公演は、近年発展している障がい者アーティストたちによる取り組みを、より多くの一般市民に披露しようとの目的で開かれたもの。このような大きな規模で連日公演をするのは初めてだといいます。普段なかなか見ることのできない内容とあって、人民たちも開演前から興奮している様子が伺えました。
舞台は、聴覚障がい者による「手話詩」で幕を開けました。舞台横のパネルに映された詩を、しなやかで力強い動きを加えながら手話で表現します。流れるような動作で、あっという間に引き込まれてしまいました。
続いて、歌、詩の朗読、舞踊、手品、楽器など多彩な演目が並びました。
「옹헤야(オンヘヤ)」「아리랑(アリラン)」「준마처녀(チュンマチョニョ=駿馬少女)」「가리라 백두산으로(カリラ ペットゥサヌロ=行こう、白頭山へ)」はじめ、舞台に上がった作品は人民たちに親しまれたものばかり。客席からはノリノリの手拍子が送られました。
印象深かったのは民俗舞踊「시내가에서(シネッカエソ=川のほとりで)」。はじめは出演者たちが音楽と朝鮮舞踊独特のリズムに合わせて愉快に踊る姿にうっとりしていたのですが、舞台の端に立っている指揮者を見た瞬間ハッとしました。
踊っていたのは聴覚障がい者でした。出演者たちは音楽ではなく、指揮者の手の動きに合わせて踊っていたのです。あまりにも正確で表現力豊かだったため、すっかり忘れていました。
また、視覚障がい者の女性による独唱も心に残りました。広い舞台の真ん中でひとり、3000人以上の観客を前に歌うなんてただでさえ委縮してしまいそうなものなのに、周りが見えない状況はどれだけ不安だろうか、緊張が膨れ上がったりしないのだろうか…、そんなことを考えていたのですが、かのじょが歌った歌詞を聞いて、感動とともにこちらまで大きな安心感に包まれました。
―당이여 어머니시여 그품이 아니라면/그누가 나를 그처럼 그처럼 다정히 보살피랴―
―党よ 母なる党よ その懐でなければ/だれが私をこんなにも温かく労わってくれるだろう―
「당이여 나의 어머니시여(党よ、私の母よ)」という歌。内容の10分の1も伝えられず申し訳ないですが、いちおう日本語にも訳してみました。
ここでいう党は政党ではなく、祖国という意味合いが強いと思います。このような舞台で活躍できるよう背中を押してくれた祖国に対するありがたさ、その前で堂々と歌える喜びと誇り。不安や緊張よりも、そのような気持ちでいっぱいだという風に感じました。
飽きさせない構成と完成度の高さで、約2時間の公演はあっという間に終了。フィナーレでは全出演者が登場し、「세상에 부럼없어라(セサンエ プロムオプソラ=この世に羨むものはない)」を歌と手話で合唱しました。客席から熱い歓声と拍手が送られ、出演者たちの表情はとても生き生きしていました。
朝鮮の障がい者アーティストたちのことは朝鮮新報の記事で知って関心を持っていましたが、まさか実際に公演を見る機会が来るなんて考えもしませんでした。終演後には出演者と少し話すこともできて、とても感慨深かったです。(理)