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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

「二十歳」の同胞たちを取材して

2016-06-13 10:00:00 | (S)のブログ
 今年7月、月刊イオが創刊20周年を迎える。
 という事情で、7月号では「二十歳」の在日同胞青年たちを取り上げた。

 正確には1996年生まれを対象にした。今年20歳になった・なる人たちだ。
 二十歳といえば、歩んでいる道はさまざま。多くは大学生や専門学校生。高校卒業と同時に社会に出た人や、2年制の大学・専門学校を卒業し今年4月から働き出した人たちもいる。

 私自身はこの間、6人の二十歳の同胞を取材したが、やはり「進路」という言葉をたくさん聞いた。
 まず大きな選択を迫られるのが、高級部を卒業するときだろう。「進路」に迷いながらも、ぼーっとはしていられないし、受験や何らかの面接などの準備を進めなくてはいけない。徐々に進路が決まっていく周囲にプレッシャーを感じる人もいるはず。家族、友だち、教員と話し合うことで考えがまとまることもあるが、その逆もある。
 そんな時期を葛藤と共に乗り越えたからだろうか、話を聞いた二十歳の人たちは皆、堂々と自身の考えを話してくれた。
 
 一方で、やっと新しい生活をスタートさせたかと思うと、すでに次の「問題」が立ちはだかる。「次の進路はどうする?」「本当にこれでいいのか?」「こういう道もあるかも…」。「二十歳」はそんな時期だと感じた。高校卒業後に進学した人は、いざ「社会」が目の前にあるからこそ、高校のときとはまた違う覚悟がいるかもしれない。

 年齢は私の3つ、4つ下になる。取材をする過程で、同世代として共感できたり、新鮮さを感じたり。また、数年前に自分が何に悩んでいたかも思い返してみた。

 結局は、進学や就職後も「進路選択」の場面は何回も来る。新しい経験をすると、その経験をする前の自分とは少し違う自分がいるかもしれないし、進路を考える「材料」も以前とは違うかもしれない。二十歳のときの考えや決断が、数年後のかれ・かのじょらにとっても同じだとは限らない。「やっぱりこの道しかない!」と思うか、新しい考えが生まれるか、それはその時にまた分かることだと思う。

 何かを「決める」ことは難しい。私もその時々に自分の考えや気持ちと向き合っていかなくてはいけない。迷った時、思い切って踏み出せる「勇気」を持っていたいと思う。(S)

保育園の思い出

2016-06-02 10:00:00 | (S)のブログ
 先日、友人がこんな経験を話していた。
 「日本の保育園に通っていた頃、自分だけ朝鮮の名前なのがいやだった。みんながいる前で先生に名前を呼ばれるたびに、恥ずかしくて仕方なかった」

 似たような話は他にもよく耳にする。私も朝鮮の幼稚園ではなく日本の保育園に通っていたので、こんな話を聞いたときは、自身の保育園時代を振り返ってみる。といっても、保育園の記憶はまだらで、途切れ途切れ印象的なシーンだけが浮かぶ。それでもはっきり言えるのは、自分が「朝鮮人」だと認識していたことと、それが嬉しかったということだ。

 嬉しかった理由も、とても単純。
 当時の私は、すべてにおいて、「自分が主人公なんだ」と思い込んでいた。自分だけ日本人でないことは、「自分は特別なんだ!」ということの証拠のようなもので、「朝鮮人」というものに対して過剰にプライドがあったわけでもなんでもない。
 周囲との違いを自然とポジティブに捉えられたことは、幸いなことだったと思う。当時の私のモチベーションが偶然にも前向きだったおかげだ。

 しかし、今思うと、それもただの「偶然」ではないように感じる。
 先生の弾くピアノに合わせて園児たちが歌をうたうのが日課だが、ある日、その歌が朝鮮語だった。のちのち朝鮮学校の初級部で習う、朝鮮の童謡だ。
 もちろん、私の朝鮮語能力も「アッパ、オンマ」しか言えないレベルだったので、歌詞の意味は分からなかった。が、「今日は(S)ちゃんの国の言葉で歌をうたいま~す」と先生が説明し、みんなが「へ~!」と驚くようすに、この上ない嬉しさが込み上げたのだった。

 私が、朝鮮にいる親せきに会いに行ってきたことを、保育園で熱心に話したこと、卒園式でチョゴリを堂々と着たこと、「卒園したら、朝鮮学校に行くんだよ~!!」と自慢げに言っていたこと…。全部、「偶然」とは言えないと思う。
 何一ついやな思いをせず、「特別だ!」と子どもなりに自分を肯定できたことは、きっと保育園の先生、友だちとその保護者、近所のおじちゃんおばちゃんといった、周囲の人たちが作ってくれた暖かい空間があったからに違いない。(S)

はらっぱのおはなし

2016-05-24 10:00:00 | (S)のブログ


イオ6月号で紹介した、「はらっぱのおはなし」(松居スーザン、あかね書房、1996年)という児童書がとても良かったので紹介したい。

天気のいい夏の午後、はらっぱの真ん中に寝転んでぼんやりしていると、虫たちの話し声が聞こえてくる…。

物語は全部で10編。ねむくないコオロギ、オニグモじいさん、わるわるバッタ、ロマンチックなアリのぼうや、モンシロチョウに心揺れるくわはちなどなど、個性的な主人公が登場し、虫たちの1日が綴られる。愉快で、前向きで、元気の出る話もあれば、少し胸が痛くなるような話も。

登場人物やストーリーは、どこか身近なものにも感じる。人間の世界で見られる何気ない光景が虫たちによって再現されているようで、読み進めていくと「虫の話」ではないことに気付く。

そして一番に感じたのは、どの物語も優しさにあふれているということ。見返りを求めない、自然で素朴な優しさだ。
是非、機会があれば読んでもらいたい。


これまで、イオの児童書紹介を2回担当した。図書館や書店の児童書コーナーに関心が行かなくなって久しいが、改めて棚に目を通すと、面白そうな本がたくさん並んでいる。
子どもが喜ぶようなイラストや仕掛けにも感心するのだが、なにより内容の深さに驚くことが多い。大人が読むからこそ感じるのか、なにかと心を正される。

以前、捨てずに家に残してあった絵本を取り出してみた。幼い頃、繰り返し読んでいたお気に入りの作品だったが、今になって読むとまったく違う話が見えてきてびっくり。
忘れた頃に、また読んでみよう。(S)




祖父母がLINEデビューした

2016-05-13 10:00:00 | (S)のブログ

 最近、祖父母がタブレットでLINEデビューした。(というより、半分強制的に始めてもらった。)

 祖父は91歳、祖母が85歳。私の家から1時間ほどの距離に住んでいるので時間があれば会いにも行くが、高齢なので常に何かと心配だ。また、写真などを共有して、楽しんでもらえたらという思いもあった。

 なかにはスマホなどの機器を駆使している高齢者もいるが、私の祖父母はほとんどそういったものを扱ったことがない。一応らくらくホンを1台持っているのだが、「電話をかける」「電話に出る」という操作以外は一切分からない。そんな祖父母はタブレットを見せても当然難しそうにしていた。とりあえず、「この絵(スタンプ)から何でもいいから選んで触って!」といいながら、簡単なスタンプの使い方から伝授。すると、出てくるスタンプが動いているのに大興奮。意外なところがウケるものだ。文字の打ち方も一から教えた。

 こうして、祖父母とのラインのやり取りが始まった。はじめはこちらが何か送っても反応がなかったが、徐々に慣れてきたのか会話の内容にぴったりのスタンプが送られてくるようになった。教えられていない画面に切り替わってしまうと対処ができないので、そんなときはSOSの電話がかかってくる。
 
 それを繰り返すうちに、次は文章も打ってくるようになった。短い文章でも一つひとつ、一生懸命打っているのが伝わってくる。小文字の入力などはまだわからないようだが、確実に使いこなしていることに驚きだ。今では「おはよう」から「おやすみ」まで、毎日「連絡」を取り合っている。

 LINEといえば、既読機能がついている。これはしばしば厄介な機能に思われることが多いが、高齢者とのやり取りでは結構大事なように思う。むしろ高齢者にこそ必要な機能かもしれない。返信がなくても、既読がついていると家族としては日々安心だ。

 高齢者のLINE利用が増えているという話も聞く。やはり、孫とやり取りしたいという理由が多いようだ。家族にとっても常に連絡を取ることは大事。LINEを含むSNSの留意点は見落とせないところだが、こうした面では少しでも便利に、有効に使っていきたい。(S)

広島無償化裁判/結審の日程決まる

2016-04-28 09:00:00 | (S)のブログ


 広島朝鮮初中高級学校の在校生・卒業生110人が原告となっている広島無償化裁判の第11回口頭弁論が4月20日、広島地裁で開かれた。

 前回の口頭弁論で原告側は、①裁判官に学校を直接訪れ事実を確認してほしいとの検証申出、②校長、生徒、保護者、支援者、一橋大学の田中宏名誉教授の尋問申請を行っていた。今回の法廷でその必要性についての意見書を提出し、口頭でも強調した。
 しかし、裁判長がいずれも却下したため、原告弁護団と傍聴席が一時騒然となった。
 続いて、最終弁論と結審の日程が決まった。

 今回の公判から裁判官の1人が交代したことにともない、弁論更新として、パワポスライド資料配布による訴状補足説明、原告側からの意見陳述が行われた。
 意見陳述をしたのは、広島初中高在学時に無償化制度から除外され、卒業後の裁判で原告となった、同校の教員。学生時代に街頭活動に出たことや、後輩たちに同じ悔しい思いをさせてはいけないとの気持ちで原告に名を連ねたことなどを語った。
 「教員として母校に戻ってきても未だにこの問題と関わっていかなければいけない事がとても悔しくてたまりません。あと何回、幼い妹たちがチョゴリを着て街頭に立ち、ビラを配り、署名を集めればいいのでしょうか。あと何年、朝鮮学校の学生たちが原告となり、裁判を闘えばいいのでしょうか」
 そして、この問題が日本社会の問題でもあると裁判所に強く訴えた。


 

 当日、被告(国)からは準備書面8が提出されたが、「先に述べたとおり」の連続で、具体的な反論などは見られなかった。

 原告からは準備書面11と、108件に及ぶ陳述書が提出された。
 前回、被告は、同校を含む朝鮮高校について、規程13条(適正な学校運営)の基準に適合すると認めるに至らないという判断は不合理ではないと主張し、その証拠として、大阪市立大学の伊地知紀子教授の鑑定意見書を強引に引用した。
 この意見書は、大阪府内にある朝鮮学校全10校(初・中・高)の保護者に実施したアンケートを元に作成され、大阪補助金裁判で原告側が提出したもの。保護者らの生の声を通して、朝鮮学校における民族教育の意義を主張している。
 ところが被告は、保護者らの多様な意見から自分たちに都合のいい記述だけを大量に引用し、「かえって文部科学大臣の判断は不合理ではないことを裏付けるものとなっている」などと言い張った。

 今回の原告の準備書面では、これに対し、強く批判した。
 「アンケートを自己に有利な部分だけをつまみぐいして準備書面への引用および証拠提出(一体となっている意見書を出さずアンケート部分だけ提出)するという法律家としてあるまじき行為をおこない、裁判官の誤解を招かんとしている」
 原告はあらためて、伊地知紀子教授鑑定意見書とその基礎資料を提出した。保護者らが朝鮮学校を選択する理由が、「民族性や母国語の習得」といった朝鮮学校でしか得られないものがあるからだということや、無償化制度からの除外により経済的負担に拍車がかかっていることなどを明らかにした。

 公判終了後の報告会では、申出がすべて却下され結審の日程が決まったことに対するさまざまな意見、今後の予想などが語られた。

 次回の最終弁論は7月13日(13:30~)。原告から最終準備書面、学校紹介DVDが提出される予定。
 結審は9月14日(13:30~)に行われる。(S)

※写真=広島初中高提供

5月号が完成しました!

2016-04-19 09:00:00 | (S)のブログ


月刊イオ5月号が完成しました!

特集は「STOP! ヘイトスピーチ~共に生きる社会を目指して」。
ヘイトスピーチが世に台頭してから、在日朝鮮人をはじめとする多くの人々が心に傷を負ってきました。これを日本社会全体の問題とする市民たちの行動によって、国もようやく法律の制定に向け動き出しています。差別をなくし、すべての人が共に生きる社会をつくるため、ヘイトスピーチのある今の社会をもう一度見つめなおします。
23歳のフォトグラファー・矢部真太さんをはじめ、師岡康子さん、文公輝さん、中村一成さんに原稿を寄せていただきました。また、ヘイトスピーチ解決のために闘う有田芳生参議院議員、金尚均さん、崔江以子さんらが登場します。

特別企画は「この春おすすめ! 映画&本&音楽」。
映画監督、教員、大学院生、アスリート、役者、音楽家など、さまざまな分野の方々に、この春おすすめの映画・本・音楽を挙げてもらいました。あらゆる観点から選び出された作品は、定番のものからマニアックなものまで幅広く、どれもこだわりがあふれています。
この春、本企画をきっかけに是非、新たな世界に触れてみてください。

その他に、東日本大震災復興支援チャリティ公演 in福島「手と手をつなごう」、美貴展、前北陸朝鮮初中級学校教務主任から寄せていただいたエッセイ、政府が地方自治体に出した朝鮮学校の補助金停止を促す通知などについて掲載しています。
手話通訳士・桑原絵美さんの短期連載「私が見た、韓国ろうと朝鮮ろう」は最終回です。

今月号もご愛読ください!(S)

4月22日(東京)、6月18日(大阪)は、「ウルボ」上映会へ!

2016-04-08 09:00:00 | (S)のブログ


 東京朝鮮中高級学校のボクシング部を追ったドキュメンタリー映画「울보권투부(ウルボ~泣き虫ボクシング部~)」(監督: イ・イルハ)の特別上映会が、東京・大阪で行われます。
ウェブサイト→http://ulbo.exposedfilm.net/
Facebook→https://www.facebook.com/ulbo76/

【東京上映会】
日時:4/22(金)開場18:30/上映19:00
場所:練馬文化センター 大ホール(西武「練馬」駅北口から徒歩1分)
チケット:前売1000円、当日1200円
チケット予約・問合せ:東京上映会事務局(Email: wook@wafactory.com)

【大阪上映会】
日時:6/18(土)開場18:00/上映18:45
場所:東成区民センター 大ホール(地下鉄「今里」駅2番出口から徒歩3分)
チケット:前売1000円、当日1200円
チケット予約・問合せ:大阪上映会事務局(Email: ulboosaka@gmail.com)


 勝って泣き、負けて泣き、仲間がたたかう姿にも涙する…。そんな「ウルボ(泣き虫)」部員たちの青春物語です。高校無償化制度からの除外やヘイトスピーチなど、彼らを取り巻く日本社会の厳しい現実も描かれています。

 韓国では、「第6回DMZ国際ドキュメンタリー映画祭(2014年)」の開幕作品として注目を集め、映画館上映もされました。さらに、「青少年のための優良映画(2015)」にも選ばれた話題作です。今後はカナダ、ドイツでの上映も控えています。

 朝鮮学校に対する政治的・社会的差別が公然と行われている今、当事者たちの姿を伝える一つひとつの機会がとても大切だと思います。1人でも多くの方に足を運んでもらい、今後の各地での上映に繋がればと思います。(S)

2年目、更なる飛躍を!

2016-03-31 09:00:00 | (S)のブログ
あっという間に1年が過ぎました。

入社後を振り返ってみたら色々なことがありましたが、何よりもたくさんの同胞と日本の方にお会いし、お話を聞けたことが貴重な経験となりました。
それぞれの場所で頑張る同世代の話はとても興味深く、在日の歴史でもある1世同胞のお話は深く印象に刻まれました。
特に、朝鮮学校の建設に携わってこられた方のお話は、3世の自分にとってとても貴重なものでした。

一方で、「たくさんの経験」をしましたが、知らないことがまだまだ多いと感じています。この1年間は、そんな自分の力不足を痛感した期間でもありました。新たな2年目、やりたいことはたくさんありますが、そのための知識と力を養わなければ、と改めて思います。

イオを通して、一つ一つの誌面を通して、読者に何を伝えたらいいか...。
常に模索しながら、今後も初心を忘れずコツコツと頑張りたいと思います。(S)

【お知らせ】東日本大震災復興支援チャリティー公演 in福島「手と手をつなごう」

2016-03-23 09:00:00 | (S)のブログ

今日はイベントの紹介です。

福島の郡山市民文化センターで4月2日、東日本大震災復興支援チャリティー公演「手と手をつなごう」が開かれます。

民族器楽重奏団「民楽(ミナク)」の主催で、震災の翌年から「5年計画」で始まった本公演。これまで東京、大阪、京都で開かれ、たくさんの演奏家や舞踊家たちが出演してきました。今年は民族器楽重奏団「民楽(ミナク)」を始め、民族器楽重奏団「ヒャンギ」、福島県音楽愛好家グループ「福音(ポグム)」、ヘグムアンサンブル「ケナリ」、男性重唱・アエ☆ユニットなどが参加する予定です。

毎年、得た収益を東北朝鮮初中級学校、福島朝鮮初中級学校、茨城朝鮮初中高級学校に寄付。5年間で各学校に100万円を寄付することを目標に続けられてきました。昨年の第4回公演で目標額を達成し、最終公演となる今年は福島での無料公演が実現しました。

地域、世代、民族の枠を超えた人と人とのつながりが、この公演を支えてきました。「手と手をつなごう」という今年のテーマには、活動を続けるなかで得た、参加者たちのさまざまな思いが込められています。

当日、たくさんの方が会場に足を運んでくれたらと思います!!(S)


日時:4/2(土)開場17:30/開演18:00

場所:郡山市民センター中ホール(JR郡山駅からバスで5分、市民文化センター前下車)

内容:民族楽器演奏、歌、踊り

出演者:男性重唱 アエ☆ユニット、民族楽器重唱団ミナク、金英蘭舞踊研究所ほか

入場料:無料

問合せ:民族楽器重奏団ミナク(Tel:080-3124-9806/担当・カン)

「あの日」から5年

2016-03-14 09:00:00 | (S)のブログ
東日本大震災から5年が過ぎた。

「あの日」、私は家に1人だった。携帯を片手に家を飛び出したが、電話も繋がらないし、メールも届かない。余震が怖くて家にも戻れず、近所をぐるぐる回っていたが、交通機関が停止した影響で家族が一晩帰って来れないと分かり、しかたなく家に戻った。

すぐに避難できるよう靴を履いたまま家に上がり、とりあえずテレビの前で地震速報を見ていたら、あの津波の映像が目に飛び込んだ。衝撃と恐怖で涙が止まらなかった。私が東京で地震を経験したその同じ時間に、まさか被災地でこんな事が…。犠牲者の数がどんどん増えて、1万人を越したあたりから、もう実感がわかなかった。

震災による(関連死含む)死者・行方不明者は2万人を超えたという。でもその2万人は全員違う人間で、それぞれの人生を歩んでいた人たちで、「2万人」と統計に出すだけでは説明がつかない。「1人の死×2万」ということを、人はどこまで想像できるだろうと思う。

家族や友人を失った人は、何人になるのだろう。私にとっては「あの日」だが、大切な人や家、生活を奪われた人たちは、「あの日」から今日までずっと震災と向き合ってきた。同じ5年という期間を過ごしたが全く違う。

東日本大震災を忘れることはないけれど、被災した人々のその後の5年を「どこまで想像できていたか」と聞かれると、答えることができない。「震災を忘れない」とはどういうことなのだろう…。

いつか被災地に行こうと思いながら5年が過ぎてしまった。直接足を運んで現状を見た友人が「絶対、現地を見るべき」と言っていた。必ず行こうと思う。(S)


長野初中の教員室で1日

2016-03-04 09:00:00 | (S)のブログ
数日前、出張で長野に行きました。1日目の取材が終わり、あとは2日目の長野朝鮮初中級学校の保護者の方の取材。予定が午後の4時だったので、それまでどこかで原稿に取り掛かろうと考えていました。

先生たちの配慮で、取材までの間、職員室で作業をさせていただくことになりました。授業中はほとんどの先生たちは職員室にいませんが、短い休み時間には授業を終えた先生たちで一瞬のうちににぎわいます。あたりまえの風景が繰り返されて時間が過ぎていきますが、それがとても新鮮でした。何よりも先生たちの会話ひとつひとつが、ひたすら子どもたちに向けられていることを肌で感じることができました。あたりまえかもしれませんが…

長野初中では、小学1年生から中学3年生まで全員が一緒に食堂でお昼を食べます。一クラスは少人数ですが、全員だとにぎやかです。私も小1の子どもたちに混じってお昼をとりました。これも楽しい経験になりました。

初めて訪れた新鮮さを味わいつつも、どこか懐かしさのようなものも感じる、そんな1日でした。(S)

インフルエンザの予防を

2016-02-25 09:00:00 | (S)のブログ
インフルエンザが流行している。実際は周囲にかかった人があまりいないので、実感がわかない。

学生の頃に何度かかかったことがあるが、早めの処方のおかげで、幸い症状は軽く済んだ。熱も1日ほどで下がり、ピンピンしたまま学校を休めるのが嬉しかったり…。

そういったこともあり、インフルエンザを特に警戒したこはなかったが、一度だけ予防接種をしたことがあった。去年、大学4年生のとき。この時期にサークルの最後の定期公演があり、まさかのインフルエンザで公演に出られなくなってしまっては大変だと思い、初めて予防接種にお金を使った。学生にとっては痛い出費だったが、かかってはいけない絶対的な理由がある場合は、今まではどうでもよかった予防接種にも積極的になるものだ。

社会人になるとなおさらだ。
もしインフルエンザにかかったら、予定していた取材や出張のスケジュールはどうなってしまうのだろう。想像するとヒヤッとする。学生時代と違って、仕事に支障をきたすことを考えると、自身の体調管理は本当に重要だと思う。(S)

「朝鮮学校百物語」に思うこと

2016-02-19 09:00:00 | (S)のブログ

イオの連載「朝鮮学校百物語」の取材を何度かしました。
朝鮮学校にまつわるさまざまな話をまとめるもので、現在は「はじまり」というテーマで連載を進めています。

取材の前は、「何かいい話があるだろうか」と頭の中が漠然としています。地域の方もあまり知らないような話を掘り起こせるのか、限られた時間で取材が十分に出来るのかなど、実際は不安でもあります。それでも、取材を重ねると少しずつ見えてくるものがあったり、自分にとっての発見があったりと、とても印象に残る取材です。なによりも、貴重なお話を聞けた瞬間や、残っていないだろうと思っていた当時の写真を目にした瞬間は、宝石を見つけたような嬉しい気持ちになります。

昨日完成したイオ3月号では、広島朝鮮初中高級学校の吹奏楽部の創部初期について取り上げました。部活は、あくまで学校生活の一部にすぎませんが、生徒たちの中には「学校生活のすべて」といってもいいくらい全身全霊を注ぐ子たちがたくさんいます。部活に泣き、部活に笑い、そんな濃い時間をともにした部員同士の絆もとても深いものです。それほど学校になくてはならないものですが、部活の歴史というと、これまであまり考える機会がありませんでした。個人的に吹奏楽に触れたことはありませんでしたが、そんな意味で今回の取材はとても興味深いものでした。

広島初中高の吹奏楽部ができたころは、演奏どころか楽譜すら誰も読めなかったそうです。そんな時期に指導にあたってくれたのが日本の方だったことには驚きました。当時、部員だった金さんが、目を輝かせながら昔の思い出を語ってくれたのが印象的でした。「昔から、日本の方たちと手を取り合ってきた。在日や朝鮮学校に理解ある方たちの存在は大きな励みになった」(金さん)

部活の歴史に、このような形で日本の方との繋がりがあったということに感動しました。複雑な朝・日関係の中でも、個々人の絆が存在したということを改めて感じました。形は違っても朝鮮学校の無償化適用を求める運動や、いろいろな現場で今も変わらず、それぞれの絆があるということも。

日の目を見ていない物語が、一人ひとりの記憶の中にたくさんあります。それらを一つでも多く掘り起こすことで、未来につながる小さなヒントが見つけられればと思います。(S)

広島無償化裁判第10回口頭弁論

2016-02-05 09:00:00 | (S)のブログ

広島朝鮮高級学校生たちが無償化適用を訴えた、広島無償化裁判第10回口頭弁論が2月3日、広島地裁で開かれた。
今回は被告(国)側が準備書面7を提出。前回原告側が提出した準備書面9、10に対する反論が行われた。

前回、原告である広島朝鮮学園が提出した準備書面9では、大阪のとある日本私立学校で5億円の不正流用があった以降も就学支援金が支給され続けている一方で、朝鮮学園については運営を問題視し無償化の対象から外しているのは、被告側の明らかな差別だと指摘。国が大阪の私立学校への就学支援金を打ち切らない理由を被告側に求めていた。

これに対し国は、大阪府を通じ、同校で不正経理があっても就学支援金に関する不正はないとの回答を得たと主張した。
国は、広島朝鮮学園を無償化から除外する理由を、規程13条が定める「運営の適正」に適合すると認めるに至らなかったとしている。今回の私立学校での不正流用は明らかに「運営の不適切」に該当するものであり、「就学支援金に関する不正」は全く異なる論点といえる。

また被告は、文部科学大臣の判断が不合理ではないと主張し、その裏付けとして、大阪市立大学の伊地知紀子教授の鑑定意見書を引用した。この鑑定意見書は大阪府内にある朝鮮学校全10校の保護者を対象としたアンケートをもとに作成され、大阪補助金裁判で過去に原告が提出したものだ。朝鮮学校における民族教育の意義を主張している。

そもそも、広島朝鮮学園は伊地知教授の鑑定意見書は提出していない。それにも関わらず本書面では、アンケートに書かれた保護者らの多様な意見から、朝鮮学校は総連と距離を置いた方がいいなどといった被告側に有利な記述だけを大量に引用し、意図的に悪用した。さらに無償化除外による経済的変化はなかったなどの保護者個人の記述を取り上げ、無償化制度からの除外と家庭での経済的問題は無関係であると主張した。

今回、原告は裁判官に学校を直接訪れ事実を確認してほしいとの検証申出を行った。また、校長先生、生徒、保護者、支援者、一橋大学の田中宏名誉教授の尋問申請を行った。

閉廷後の報告会では、被告側の主張に対する矛盾点を指摘、今後の裁判の流れについて説明が行われた。いよいよ次の法廷で生徒などの生の証言を聞く機会が設けられる予定だ。

第11回口頭弁論は4月20日の午前11時から行われる。(S)

演劇「震~忘れない~」を観て

2016-01-27 09:00:00 | (S)のブログ

東日本大震災をテーマにした演劇「震~忘れない~」(Unstoppable Film PRODUCE、脚本・演出:鄭光誠)。今月20日から24日にかけて計10回、東京・池袋にあるシアターグリーンBOXinBOX THEATERで上映された。

開始早々起きる大地震。耳を塞ぎそうになるくらい大きな音が体に響いて、地震と津波の恐ろしさを感じさせる。

作品は、震災が起きたときとその後に被災地で何が起きていたのかを、さまざまな立場から伝えていた。
大切なものをすべて失った被災者の絶望、どうにか力になろうとする人たちの無力感と葛藤、精神的ダメージ。被災者とボランティアに訪れた人との間に起きる擦れ違い。同時に、確かに存在した「思いやり」「助け合い」。

脚本を手掛けた鄭光誠さんも出演者たちも、被災地出身ではない。食べ物にもモノにあふれた環境で、喪失感、虚無感、孤独感をいかに表現するかに、なによりも苦心したという。鄭さんは去年3月頃から被災地の人々の声を拾い、そこで聞いた話や言葉を脚本に反映した。また「助け合いの場がそこにあったのでは…」と感じ、その思いを作品に込めたという。

「人間が1人で生きられる所なんてない。今死にたいと思っている人がいたら、生きようと思ってほしいし、そんな人がいたら、誰かが声をかけてあげてほしい。『震災だから』『被災地だから』ではなく、あらゆるものに置き換えられる」(鄭さん)

震災をただ「怖い」と受け取るのではなく、しっかり向き合い、決して忘れてはいけないと改めて感じた。(S)