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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

授業参観

2014-05-10 08:37:46 | (淑)のブログ
 たびたび母校のネタを取り上げて「またか」という声が聞こえてきそうですが、今回も東京第9での話を。
 連休前、授業参観にいってきました。新学期が始まって初めての参観日だったので、まだ入学して間もない新1年生と、ウリハッキョ歴2年生の授業を楽しみにしていました。
 2年生の国語(朝鮮語)の授業では、授業の冒頭と最後に、リズムに合わせてウリマルの反対語を当てるゲームをやっていて、とてもにぎやかでした。

ソンセンニム:웃어요!シャンシャン(タンバリンの音)
児童1:울어요!

ソ:넓어요!シャンシャン
児2:좁아요!

といったふうに。

 言葉の種類も名詞、動詞、形容詞と幅広く、語彙もたくさん。でも子どもたちは遅れをとることもなく正確にリズムに合わせて答えていました。自分の番が来るのを前のめりになって待つ真剣な表情と、正解したときに後ろを振り返ってオンマアッパとアイコンタクトをとる姿がとても可愛らしかったです。
 間違えたり答えられなかった子から座っていく勝ち残り形式で、問答のスピードがだんだんとあがってきて一人二人と脱落…。児童らと一緒に私も心の中で参加してみましたが、瞬発力のなさを痛感させられただけでした。
 最後の2人になると、もう、どちらも一歩も引かない真剣勝負。ソンセンニムのタンバリンを打つ手も追いつかず、思わず笑ってしまうほどでした。笑
 ウリハッキョでは1年生が終わる頃には基本的な会話は朝鮮語でできるようになります。この日も授業中に児童らの口から日本語が出ることはありませんでした。

 授業はなぞなぞの出し合いっこがテーマで、会話文の発表や自作のなぞなぞを披露したりで、子どもたちの自由な考えや自発性を伸ばすものになっていました。子どもたちがつくったなぞなぞもユニークでした。
 出題されたなぞなぞの中で、最も難解だったものを紹介します。これは児童らも答られず、保護者の中から正解者が出ました。思わずオンマもガッツポーズ! ちなみに私は答を聞いても理解できず、終了の鐘が鳴ってからソンセンニムに「どういう意味ですか?」と聞きに行きました。こちらです。

 「ブブってな~んだ?」

 ヒントは「“부”が二つ」です。子どものように頭を柔軟にして、考えてみてください。(淑)

「フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳 ――いま、この世界の片隅で」

2014-04-26 09:00:55 | (淑)のブログ
 本の紹介です。



 本書は、2013年9月にフランスで開催された世界最大規模の報道写真祭「ピザ・プール・リマージュ」で、日本人初の最高賞(報道写真特集部門)を受賞した気鋭の写真家が、6ヵ国での取材を記録したもの。筆者は自分と同年代の女性ということもあり、その丹念な仕事、勇猛果敢な志に大いに刺激を受けた。

 結婚や交際を拒否したり、浮気の疑いをかけられたりした女性が、男性や近親者から報復として顔に硫酸をかけられる事件が頻発するパキスタン。独裁政権が20年以上続く中、報道の自由がないガンビア。他にもリベリアの難民問題やカンボジアのHIV感染問題、震災による原発災害に苦しむ福島など、本書では理不尽な国内外情勢や慣習に苦しむ6ヵ国の人々の姿を紹介している。

 中央アジアに位置するキルギスにおいては、女性が突如拉致され、強引に結婚させられる「誘拐結婚」が多発しており、現地のNGOによれば、既婚女性の30~40%が誘拐で結婚しているという。
 キルギス語で「誘拐結婚」は、「奪って去る」という意味の「アラ・カチュー」と呼ばれる。恋愛関係にある女性との結婚を急いで誘拐という手段を使うケースもあれば、数回会った程度の顔見知りや、全く面識のない女性を道端で突然誘拐するケースもあるという。しかしほとんど会ったことのないケースが全体の約3分の2を占めるそうだ。1994年に法律で禁止されたものの、誘拐は現在も絶えず続いており、誘拐された女性たちの間で自殺者が出るなど、キルギスで深刻な社会問題となっている。この事実は世界でどれだけ周知されているだろうか。
 著者は取材を通し、違法である誘拐結婚がなぜなくならないのか、その原因にも迫っている。それは古くから伝わる慣習として社会の中で受け入れられているからだと説明する。誘拐結婚は「伝統」だと話す人々もいるが、それについては、20世紀に入って経済活動や社会システムが急変する中で、女性に対する教育の機会が与えられたり、男女平等の意識がキルギス社会に芽生えを背景に、それまで親が決めていた結婚相手ではなく自由に相手を選びたいという意志が生まれ、その結果として増えた駆け落ちが、ここ半世紀の間に暴力的な「誘拐結婚」の形に捻じ曲げられ、「伝統」と見なされていったという。
 キルギス社会において一度入った男性の家から出るのは「純潔を失った」と見なされ、「恥」であるとされる固定化されたジェンダーバイアスの中で、無力化され、結婚を受け入れていく女性たち。著者はかのじょら一人ひとりと向き合い、底辺に埋れた小さな声を掬い上げている。

 「誘拐結婚」させられた女性たちのポートレートや硫酸で顔を焼かれた女性、難民キャンプで感染症の治療を受ける乳児など、掲載されている多数のカラー写真は衝撃的だが、被写体と丁寧に寄り添い、直視すべき現実を真正面から捉え伝えようとする写真家の気概が伝わってくる。(淑)

矛盾と繊細に向き合う―映画「ぼくを葬(おく)る」を観て

2014-04-19 08:55:46 | (淑)のブログ
 ふと、最近あまり映画を観ていないなぁと思い立ち、レンタルビデオショップで数本借りて観たので、なんとなく今回は映画の紹介。

 「ぼくを葬(おく)る」(2005年/フランス/81分/監督・脚本:フランソワ・オゾン)

 観ようと思ったきっかけは、ゴールデンウイークに下記のような映画祭が開催されることをレインボー・アクションのホームページで知り、いわゆるクィア映画を観ようと思い、この作品にたどり着きました。
 第1回レインボー・アクション映像祭

 監督本人がゲイであることから、これまで作品の中に多々ゲイを登場させてきたフランスの巨匠、フランソワ・オゾン監督は本作で、自身をモデルに、余命3ヵ月を宣告されたゲイが、自らの死をどう受け入れて余生を生きていくのかを描いたそうです。

 以下あらすじ(ネタバレあり)。
 パリで活躍する気鋭の人気ファッション・フォトグラファー、ロマンは、ある日撮影中に突然倒れてしまう。診断の結果は末期のガンで、余命は3ヵ月と宣告されます。
 主人公は医師の勧める化学療法を拒み、家族にも恋人にも告げず、自身の人間関係を一つひとつ清算して、たった一人で死に向き合うことを選びます。唯一、祖母にだけ自分の苦しみを打ち明けて。
 死期が刻一刻と迫る中、ひょんなことから不妊症に悩む夫婦に出会い、「代理父」になってくれないかと頼まれるロマン。一度は断るものの、最後には「父」となることを自ら希望し、さらには自身の一切の財産を生まれてくる子に譲ることを夫婦に約束します…。
(あらすじおわり)

 これまでにクィア映画と称される作品は両手で数えるくらいしか観ていませんが、これは比較的分かり易い(と言い切ってしまうのは当事者の方たちに対し失礼になるかもしれませんが)作品だと思います。
 死を宣告された主人公が両親や姉、恋人との対人関係を整理していく過程は、ゲイである主人公が、やり過ごしてきた生きがたさを見つめ直し、様々な破局を自身で招きながらも、自分自身に正直になることで研ぎ澄まされた自由を手にし、徐々に解放されていくように見えました。
 息子のセクシュアルアイデンティティを無視して「普通」の生き方を暗に強要する母、ヒステリックな姉、ゲイである息子を畏怖する父。家族の誰も、主人公が感じてきた不和に気づいていません。主人公が死を共有する相手に祖母を選んだわけは、作中の主人公のセリフでも明らかであるように、死を身近に感じているもの同士であるからです。
 「子」というのも、主人公の内面世界を垣間見る重要なファクターとして登場します。主人公が姉の子どもを拒絶するのは、子どもが、死を間近にした同性愛者である主人公と対極にある「生」を否応無しに見せつけられる嫉妬の対象であるからゆえでしょう。
 だからこそ、子どもを遺し命をつなぐことを選んだ、主人公の最期の選択がとても尊く思えました。葛藤の末、最期に主人公は自身の生と性―死とともに、「他者」を受け入れようとしたのではないでしょうか。でもそこにジェンダー規範がマジョリティによる暴力として働いていないとは言い切れません。

 セクシュアルマイノリティに限らず、マイノリティ当事者が描いた作品の中には、ぼんやりと生活しているだけでは得られない無数の気づきが散りばめられています。それは少数者の身を削った訴えであり、安易に消費してはいけない、と映画を通して改めて思いました。
 日本に日本人だけでなく私たち在日朝鮮人や在日外国人がいるように、社会には様々なセクシュアリティの人たちがいます。言うまでもなくみな社会の構成員であり、その分だけ生き方や価値観があります。
 厳然と存在するジェンダー規範の中で、無意識の中に内面化している既存の価値観を探すのは簡単ではありませんが、映画でもなんでも、いろんな方法で、様々なライフスタイルや価値観、人間関係のあり方に触れ、想像し、多くの矛盾と繊細に向き合う努力をすることは可能です。
 連休中に前述の映画祭にも足を運ぼうと思っています。(淑)

入学式に行ってきました

2014-04-12 09:00:00 | (淑)のブログ


 先週、母校の入学式を見に行った際、生後8ヶ月の友人の甥っ子を抱っこしていたら、顔見知りの同校の児童たちがわらわらと寄ってくるなり「えー! 赤ちゃん産んだんですか!?」なんて言われました。無邪気な笑顔たちに、「今日入学した一年生の○○トンムの弟だよ。かわいがってねー」なんてさらっと返しましたが、内心、そうか、そう見えてもおかしくない年齢なんだな、と自覚しました。アラサー真っ盛りです。

 改めて、新入園新入学生のみなさん、アボニム、オモニムたち、チュッカトゥリムニダ! 一年生、うれしいですね!

 母校・東京朝鮮第9初級学校にもかわいい新入生たちが入ってきましたが、入学式が執り行われた多目的ホールのそこかしこにはカラフルな装飾が施され、見るも賑やかでした。新入生たちには各団体から様々なお祝いが贈られ、お馴染み、サランの会からもシルトクがプレゼントされていました。





 第9ハッキョの入学式は、新入生は終始ステージの上。客席にいる保護者や在校生、教員らと対面し、皆が新入生の顔を見る、という構図になっています。衣装も色とりどりのチョゴリをまとって、さながらファッションショーの雰囲気。
 在校生のヒョンニム、ヌナ、オッパ、オンニたちに手を引かれて歩く姿や、ほどけたオッコルムをオンニたちの小さな手で結び直してもらう姿には、頬が緩み、胸に温かいものが染み渡ります。
 こじんまりとはしていても、一人ひとりにたくさんの人たちから愛情が注がれる、ウリハッキョの入学式が好きです。各校でも新入生をお祝いするため、学校をあげて愛情いっぱいの入学式を準備したことと思います。

 さて入学式から一週間、毎日のお弁当づくりは順調ですか? 忙しいウリハッキョのオンマ、アッパたちのことですから、お弁当に限らず日頃から様々な時短術や工夫をされていると思いますが、レシピに行き詰まったときや気分転換したいときなど、イオ5月号を開いて、お弁当特集を役立ててくれたらと思います。最新号は来週発刊です!(淑)

連載・日本軍「慰安婦」の肖像

2014-04-05 08:53:47 | (淑)のブログ
 3月29日、北南、海外の女性らが一堂に会した日本軍性奴隷問題解決のための討論会が、中国・瀋陽で行われました。朝鮮新報はじめ韓国メディアが報じています。
朝鮮新報/日本軍性奴隷問題討論会、中国・瀋陽で開催

 今回の討論会は7年ぶりで、朝鮮民主女性同盟と韓国挺身隊問題対策協議会をはじめ、北と南、海外の20余の女性団体が参加し、日本からも在日同胞代表団が参加しました。記事によると、問題解決に向けた様々な議論がなされ、また、日本軍「慰安婦」被害者である吉元玉さんも参席し、証言しました。

 月刊イオでは2014年から、日本軍性奴隷制度の被害者らの半生を、連載で伝えています。
 これまで奉奇、金学順、朴永心、姜徳景、李京生、金順徳、李桂月、文玉珠さんを紹介してきました。そして来週刷り上がる最新号では李福汝、李寿段さんを紹介しています。
 当連載で伝えているように、被害者ら個々の連行形態や連行先、被害状況は一様ではなく、戦後においても故郷に帰ることができた人、日本や中国、タイなどで他郷ぐらしを強いられた人など様々です。毎回、ハルモニたちの半生をたった800字の枠に詰め込みながら、ハルモニたちの推し量ることのできない痛みを切り取ることへの罪深さと、責任の重みを感じています。
 同時に、歴史修正主義者が跋扈し、相次ぐ政治家の妄言で被害者へのセカンドレイプが繰り返される昨今の日本社会で、この問題を絶えず伝え続けること、「慰安婦」という呼び名ではなく、一人ひとりの名前と顔、声を刻み伝えることの今日的意義を、回を重ねるごとに実感しています。
 連載には毎月多くの感想が寄せられており、予想以上の反響を受けています。誌面では紹介しきれないそれら一部をここで紹介したいと思います。本誌連載で伝えているハルモニらの半生とともに、その凄惨な被害に触れた読者の率直な感想を、ぜひ読んでみて下さい。(淑)

●記事、写真を見て衝撃を受けました。今までテレビのニュースで聞いただけだったのですが、本人の写真、告白を読みとても胸が痛かったです。(京都府、30代同胞女性)
●ハルモニの記事を読み、憤りを感じました。その過去を「売春」と言い放った日本の政治家が許せません。(広島県、30代同胞女性)
●とても心が痛く、また現実に起こった過去を私たちは決して忘れてはいけないと思う。(兵庫県、30代同胞女性)
●毎回記事を読みながら心が引き裂かれる思いです。同時に忘れてはならぬ過去を写真と一緒に読者に伝えて下さり感謝します。このような記事を私たちのような若い世代の人が勉強し、子どもたちに伝えていかなければ…。(千葉県、30代女性)
●文章はあまりにショッキングなものでした。私はもう70年以上前のことだからと思っていましたが、まずこの事実を日本人が認識することが第一だと思います。(岩手県、50代日本人男性)
●言葉にできない怒りと悲しみの気持ちがあふれてきた…。(北海道、20代同胞男性)
●李京生さんの記事を見て、震える思いをしました。こんなにも、人間とは思えないようなひどいことがあったのかと、驚きと戸惑いで目の前が真っ暗になりました。「慰安婦」問題は解決しているなど言っている政府にこの記事を読んでもらいたいです。解決、未解決といったことではなく、実際にこんなにもひどいことがあり、今でも苦しんでいる人がいるということを知るべきです。この記事を読んで何も感じない日本人がいるのであれば、本当に日本の未来は暗いと思います。この事実を、何も知らない日本人に伝えなければならないと感じました。(三重県、20代日本人女性)
●私は「慰安婦」と呼ぶことに怒っています。誰が名づけたの…。当時まだ幼かった被害者の方々に失礼じゃないですか。もしかして、私のオモニだったかもしれない、そう考えこみました。(愛知県、70代同胞女性)

あぁ、増税

2014-03-29 07:42:35 | (淑)のブログ
 いよいよ4月1日から消費税率が8%へアップしますね。
 「増税よりも前に安く買おう」という駆け込み需要がピークを迎えていますが、読者のなかでも今週末に買い物にでかける予定の方も多いのではないでしょうか。私もつい先週、ママチャリにまたがり、薬局などで買える消耗品、定番品などを大量買いしました。

 家計の見直しも、各家庭では迫られていると思います。私は実家暮らしで家計を担っているわけではありませんが、日用品などの買い物や交際費程度でも、今まで通りの買い物の仕方では負担増は確実。日持ちする消耗品を多めに買ったり、定期券などを早めに更新するなどプラス3%への自衛策は講じられても、その後はどうすればいいかが難しいところです。

 増税後、消費の冷え込みや駆け込み需要の反動による景気の悪化などが指摘されていますが、さらに2015年には消費税率が10パーセントに引き上げられる予定で、増税により今後私たちの暮らしはどうなるのか?という不安は募るばかりです。何のための増税なのか、それがどう使われるのか、そもそも増税は必要なのかといったことをしっかりと考え、見極める視点を持っていきたいものです。(淑)

九州「無償化」裁判、口頭弁論はじまる

2014-03-22 09:21:52 | (淑)のブログ

 先日の20日、福岡における「高校無償化」裁判は第一回目となる口頭弁論を迎えました。この日、81の傍聴席を求めて福岡地裁小倉支部に集まったのは約140人。九州朝鮮中高級学校がある福岡だけでなく、鹿児島県や山口県、春休みで帰省中だった同校卒業生の朝大生も駆けつけており、関心の高さが伺えました。

 法廷ではまず服部弘昭弁護団長が、続いて原告2名による意見陳述が行われました。

 服部弁護士は、朝鮮植民地支配に端を発する日本政府による在日朝鮮人に対する数々の差別・弾圧を挙げ、「高校無償化」制度からの朝鮮学校排除がそれらに列記すべきものであると指摘した上で、「無償化」問題の差別構造に特化して陳述を行いました。服部弁護士は、日本国が教育基本法上の「不当な支配」という曖昧かつ抽象的な要件を持ち出し、政治目的で朝鮮学校を除外したことは許されないと強調。国は、要は就学支援金を支給しても他の目的で流用するのではないかとの懸念を有しているようだが、九州中高の財政状況は透明化されており、過去に生徒の授業料を学校運営目的以外に流用したことはなく、また、同校は政府からの補助金支給を受けておらず、運営を保護者の授業料と寄付金に依存する財政状況を鑑みてても、このような疑いは同校の置かれた現実を顧みないいわれのない偏見であり、被告国は上記の差別の合理性について主張立証しなければならないと指摘。最後に、昨今のヘイトスピーチやJリーグ浦和レッズの差別的横断幕の一件を挙げながら、本件はまさに在日朝鮮人に対する差別の助長であると断じました。

 続く原告による意見陳述は、裁判官席と傍聴席との間にパーテーションを設け、遮へい措置をとった上で行われました。今回陳述したのはこの春同校を卒業した2名で、それぞれ高校3年間「無償化」問題に向き合いながら感じてきた、民族教育とウリハッキョへの思いを語りました。一人は「私たちの両親は、納税をはじめとする日本に住む上での義務をきちんと果たしています。しかし、それにともなう権利が与えられませんでした。義務の面では『国民』として扱い、権利の面では『国民』とは区別し差別しています。国は無償化の対象から除外する理由について、『教育カリキュラムに問題がある』と説明していましたが、朝鮮人である私たちが自分の国について勉強することに問題があるのでしょうか」と話し、もう一人は「私も、先輩たちと同じように悔しい気持ちを抱えて、この3月2日に朝高を卒業しました。私は、朝高の後輩たちに、私たち卒業生と同じような悔しい気持ちを抱えて欲しくありません。私が原告となった理由は、ここにもあります。私は、後輩達に任せるのではなく、今いる朝高の後輩たちのために、これから朝高に入ってくる後輩のために、この裁判を頑張ろうと思っています」と訴えました。

 傍聴席には原告代表を見守る同級生らの姿もありました。生徒らは卒業前、「卒業してそれぞれ別々の進路に進んでも、この問題を引き続き自分たちの問題と捉えて、何かあればすぐにみんなで集まろうと約束した」と、原告の一人が話してくれました。

 鹿児島から新幹線で駆けつけた保護者の一人は傍聴した感想を「裁判ではウリハッキョ出身の弁護士(金敏寛弁護士)、ウリハッキョの生徒が裁判官の前で堂々と発言していて、『私たちの民族教育は間違っていなかったんだ』と、本当に誇らしい気持ちでした」と語ってくれました。一方で、末っ子の中級部進学にともない4月から3人の子どもを寄宿舎に送る財政的負担は、家計にいっそう重くのしかかり、「どこを叩いても鼻血すら出ない。たとえ雀の涙ほどの支援金でも、わが家にとって『無償化』適用は深刻な問題。子どもに最後まで民族教育を受けさせてあげることが、親としての一つの闘いだ」と話していました。

 裁判後に開かれた報告集会では、弁護団の金敏寛事務局長が法廷で行われたことについて非常にわかりやすく説明していて、同胞たちとともに裁判を進めていきたいという思いが感じられました。金弁護士は、「通常の民事裁判では法廷で陳述書を読み上げることはないが、裁判官にまずは知ってもらい、偏見を取り除くことが重要であるから、今後も法廷で直接陳述していこうと考えている」と話しました。この日の裁判で被告側は、昨年12月に弁護団が提出した訴状に対する答弁書を陳述したという扱いになり、金弁護士によると「まだ具体的な反論は示されていない」とのことでした。

 裁判の同時刻には抽選に外れた人たちのためにミニ学習会が行われ、場内には募金箱も設置されたほか、朝鮮学校無償化実現・福岡連絡協議会-朝鮮学校無償化裁判を支援する会-が作成した会報も配布されました。同会では3ヵ月に一度会報を発刊し、裁判の経過や当事者・支援者の声など、何よりも日本人の支援者を募るために、様々な情報を伝えていくとしています。ほかにホームページも立ち上がり、今後は財政支援のためのグッズ販売等も検討しているそうです。九州では裁判とともに、運動を支えるための多方面からの取り組みが始まっています。(淑) 


「無償化」裁判に集う人々

2014-03-15 09:00:00 | (淑)のブログ
 周知のように、現在「高校無償化」裁判が全国5ヵ所で係争中ですが、原告側弁護団では3ヵ月毎に各地の弁護団代表らが一堂に集い、経過報告や意見交換を行っています。先月、大阪へ出張に出た際、全国弁護団会議のあとに行われた懇親会に同席させていただく機会がありました。
 各地で裁判を担う弁護士ら、朝鮮学校関係者や保護者代表、日本の支援者たち、総勢30人ほどがテーブルを囲んで大きな輪をつくる姿に、この裁判をともに闘いぬく仲間たちの存在を実感し、本当にたのもしいなと思いました。

 来週刷り上がらるイオ4月号に全国の弁護団代表による座談会が掲載されます。その座談会の席で大阪の弁護団長・丹羽雅雄弁護士は大阪朝高グラウンド裁判(2009年に和解が成立)を振り返りながら、その裁判には当時修習生だった金英哲弁護士(大阪弁護団)が会議に出入りしていただけで同胞の弁護士はおらず、今回の裁判では同胞の弁護士とともに取り組めることに、感無量といったようすでした。「日本人と在日、いろんな歴史的な背景があるが同じテーブルで同じ目標に向かって闘っていく。私にとってはこんなにうれしいことありません。涙が出ますよ」。そう話していました。
 
 今回の弁護団会議にも近畿地方の同胞修習生やロースクール生が参加しており、大先輩たちの話に目を白黒させながら聞き入って、一所懸命に学んでいるようでした。

 座談会の席で李春熙弁護士が「この裁判が運動の結集地になりつつある」とおっしゃったように、この裁判に集う人々こそがまさに希望だとひしひしと感じています。今後も、この心強い仲間たちの数多の思いを伝えていきたいと思っています。(淑)

4月号はサッカー特集!

2014-03-08 08:40:01 | (淑)のブログ


 昨日のブログにもあったように、4月号の特集はサッカーです!

 1993年のJリーグ開幕から20余年。この間に選手のみならず、監督、コーチ、通訳をはじめとしたスタッフまで含めて、多くの同胞がさまざまな分野でサッカーに携わるようになりました。

 Jリーグの在日外国人枠は各クラブに一人までと制限(通称「在日枠」※)がある中でも、仙台の梁勇基選手が昨年までキャプテンを務めたり(現在は副キャプテン)、今シーズンからは町田の李漢宰選手もキャプテンに就任するなど、各チームでも存在感を発揮しています。今シーズンは開幕したばかりですが、水戸の金聖基選手が開幕戦で得点するなど、早くも活躍を見せています。
 ※日本サッカー協会は日本で生まれて一条校または該当する高校、大学を卒業した者を外国人扱いしないと定めています。

 この在日枠を広げるための取り組みも行われてきました。現役選手らが「後輩のために道を広げたい」とアンケートを提案し、選手協会の選手を対象に実施したこともあるそうです。
 当時現役選手としてこの取り組みに携わった、現在はヴィッセル神戸のスクールコーチとして活躍されている朴康造さんは、今回の取材の際、「在日同胞の中からもっとたくさんのプロ選手が生まれてほしい」と話しながらも、「まずは現役選手がもっと活躍して実績を残さなければ」と厳しい指摘をしていました。

 今回もそうですが、サッカー関連の取材をしていて感じるのは、サッカー関係者のみならず同胞たちのサッカーに対する並々ならぬ情熱です。今でこそラグビーやボクシングなど幅広いスポーツの世界で同胞たちが活躍していますが、同胞たちがサッカーに託してきた思いというのは、格別なものがあると感じます。

 4月号、サッカーファンもそうでない方も楽しんでいただける内容になっていると思います。ご期待ください。(淑)

乗り間違え

2014-03-01 08:45:55 | (淑)のブログ
 先週から今週にかけて、大阪、兵庫、徳島、岡山に出張に出ていました。近畿、四国、中国地方をまたいだので、今回の出張は移動に多くの時間を費やしました。
 というわけで、今回は取材に関する話しではなく、移動手段に関する失敗談を、今後の教訓として恥を忍んでここに記したいと思います。

 普段から、都内でもよく電車の乗り間違えをします。目的地と逆の電車に乗っていることに気づかずしばらく乗っていた、なんてことはざらですし、特快や経由地の違う電車に乗り目的地と別の場所へ連れて行かれたことも一度や二度ではありません。しかも、初めての場所の場合だけでなく、何度も行ったことのある場所でも平気で乗り間違えるから始末が悪い。最近でもJR十条駅へ向かうのに、高校3年間通ったという絶対的な安心感からか、新宿から湘南新宿線に乗ってしまったということがありました。

 今回の出張でも、取材に支障はなかったものの、類似の凡ミスをいくつもやらかしました。
 徳島では2時間に一本のバスを逃してしまい、電車で向かうことにしたのですが、鈍行は時間が合わず、特急に乗車。目的の駅には着きましたが、タクシー乗り場にあるはずのタクシーがなく、タクシー会社に電話してもすべての台が出払っていて何時に戻るかわからない、とのこと。時間には余裕があったため歩こうと思いましたが、徒歩50分。はい、無理。その後なんとかタクシーをつかまえ、無事に着きました。
(タクシーの運転手さんに聞くと、当該の目的地までは今回利用した交通手段が主流だとのことで、安心しました)

 岡山では、最終の一つ前の新幹線で東京に戻るつもりで、電車の時間に合わせて取材地にタクシーを手配しました。ここまでは完璧。取材地は公共の交通機関がない辺鄙な場所だったのでしっかり調べました。ですが、まんまと岡山駅と逆方面の電車に乗り、乗るはずの新幹線を逃しました。構内アナウンスもない無人駅で、さらに単線だったため、というのは言い訳に過ぎません。結局最終の新幹線で帰ってきました。

 などなど(まだあります)。

 都市とは公共交通手段事情が全然異なる地方では、なおさら綿密な確認作業が必要だということを改めて思い知らされました。自分の学習能力のなさと、自分の勘がまったく信用ならないということも。
 田舎ならではの移動の失敗もありますが、根本的には私の確認不足が主たる原因です。それに、乗れば着くだろうという適当さと根拠のない自信。これだけ失敗を繰り返しても直らないなら、今後もそう簡単には克服できないと思うので、ここは開き直り、乗り間違えを見越した時間配分を心がけたいと思います。(淑)

「無償化」裁判、勝訴の日まで

2014-02-22 08:21:36 | (淑)のブログ
 高校無償化制度からの朝鮮学校排除の問題と裁判闘争について、当ブログで今週水曜から連日取り上げているが、私も17日の提訴及び記者会見、翌18日の集会を通してこの問題について改めて思うこと、また昨年1月の大阪を皮切りにいくつかの裁判闘争の現場を見ながら感じることを書きたいと思う。

 各地で係争中の訴訟形態についておさらいすると、東京と福岡が制度除外によって被った被害に対して慰謝料を求める国家賠償請求訴訟で、大阪は朝鮮高校を無償化の対象に指定することを求める「義務付け訴訟」、愛知、広島はその両方の2種類の裁判が争われている。

 大きく見ると上記の二つに分けられるが、裁判の焦点はそれぞれ異なり、各地では知恵を絞って工夫を凝らしながら裁判闘争が進められている。
 今回満を持して提訴に至った東京では、集会で李春熙弁護士が「訴状は、生徒たちと意見交換し弁護団で議論を重ねながら、事実と経過を一つひとつ積み上げて、法律家として最低限の良心と法解釈能力があれば、違法だと言えるものを作った」と話していたように、「高校無償化法に則り、朝鮮高校生徒への就学支援金不支給は違反である」という、極めて論点を焦点化した訴状となっている。李弁護士は、「訴状を見るたびに身の引き締まる思いだ」とも話しており、訴状に込めた「勝訴」への強い意志が感じられた。
 一方昨年12月に広島地裁で開かれた第1回口頭弁論での広島朝鮮学園の韓政美理事長、生徒代表による意見陳述では、朝鮮学校と民族教育への思いが切々と語られた。このように各地では手続き論、実体論、民族教育の歴史的正当性…、多方面からのアプローチで試行錯誤が続いている。

 「高校無償化」からの朝鮮学校排除という国家権力による暴力は、継続する日本の植民地主義の最たる現れといえるだろう。「無償化」裁判は、戦前戦後と一貫して続いてきた日本による在日朝鮮人に対する抑圧への抵抗、尊厳回復の意味を持つ。ある同胞弁護士は「『無償化』裁判なしに在日朝鮮人運動の未来はない」と断じ、また、他の同胞弁護士は「裁判を契機に、もう一度同胞自身が立ち上がり、朝鮮学校と同胞社会を守り抜くという思いを一つにしなければいけない」と話していた。同胞弁護士らの言葉は、日本社会に蔓延する差別と排除の風潮の中でともすれば無力化されそうな当事者――私たちへの、「やられっぱなしでいいのか」という叱咤激励に思えた。

 そして、各朝高で原告となった朝鮮学校の生徒たち。取材を通して最も多く聞いた言葉は「後輩たちのために」だった。このシンプルな言葉には、1世から2世、3世と、同胞たちが愛情を注いで守ってきた民族教育を自分たち自身の手で守り受け継ぐという精神が集約されていると思う。
 誇らしいウリハッキョの生徒たちに大きく背中を押されながら、勝訴まで一時も裁判に目を離さず継続して伝えることで、裁判運動を支えていきたい。(淑)

「60万回のトライ」、ぜひ劇場で

2014-02-15 10:18:53 | (淑)のブログ
 ものすごい雪ですね。本日お仕事のみなさんは無事に出勤できましたか? 私は普段通勤に利用しているJRは運転を見合わせていたため、地下鉄を乗り継いで途中何度も心折れそうになりながら会社にたどり着きました。まだ自宅にいてこれから外出されるという方は、全神経を両足に集中させて地面をつかむようにして一歩一歩前進することを熱烈におすすめします…。

 さて、先日、一足先に映画「60万回のトライ」を鑑賞しました。来週土曜日に行われる東京上映会に行くつもりでいましたが、大阪での上映会は満員御礼、作中登場するラグビー部の生徒らもステージにあがって会場を大いに盛り上げたとの朝鮮新報の記事http://chosonsinbo.com/jp/2014/01/il-205/を読み、欲に敵わずフライングして試写会に足を運んでしまいました。

 監督の朴思柔さんは、3年に渡って大阪朝高ラグビー部を記録してきましたが、映画はその膨大な記録テープから2010学年度の子供たちにフォーカスして作られました。
 映画には、朝鮮学校や在日朝鮮人を取り巻く、非常に象徴的な出来事や生徒らの経験、言葉たちが凝縮されており、映画は在日朝鮮人の歴史、現在に対する理解を広げられる可能性を持っていると思いました。
 ドキュメンタリー映画としても、随所にドラマあり、笑いあり、涙あり、起承転結ありで、よくまとまっています。また、全編を通して監督の視点が全面に映しだされており、彼女の同胞社会に対する深い愛情がいかんなくあらわれている作品でした。
 それを、来週の上映会で同胞たちと分かち合いたいと思っていましたが、出張のため行けそうもありません。残念です…。試写鑑賞後、プロデューサーの岡本有佳さんとお話しし、東京上映会にも帝京大学ラグビー部に所属する大阪朝高OBを呼んだらどうかと提案したところ、ぜひ呼びたいと思っている、とおっしゃっていました。
 来週の上映会のほかにも、続々と劇場公開が決定しているので、ぜひ劇場でもご覧になってください。(淑)

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3/15(土)より オーディトリウム渋谷でキックオフ!http://a-shibuya.jp/archives/9164
【特別鑑賞券1,000円(税込み)】絶賛発売中
問い合わせは浦安ドキュメンタリーオフィス TEL:070-5454-1980 FAX:047-355-8455
info@urayasu-doc.com
連日10:30~(本編106分)
当日一般1,500円 学生・専門1,300円 シニア・会員1,200円
映画公式サイトhttp://www.komapress.net/

◆映画を語ろう~トークイベント情報
3/15(土)初日舞台挨拶・朴思柔監督ほか
3/16(日)朴思柔監督
3/17(月)鵜飼哲(フランス文学・思想/一橋大学)
3/18(火)鄭栄桓(在日朝鮮人史・朝鮮近現代史/明治学院大学)
3/21(金・祝)田中優子(日本近代文化・アジア比較文化/法政大学)
3/22(土)中竹竜二(日本ラグビーフットボール協会コーチングディレクター)
3/24(月)村上晃一(ラグビージャーナリスト)

※3/29より、第七藝術劇場にて、ロードショー。以降、名古屋、神戸、札幌など全国順次ロードショー(韓国で夏以降、劇場公開予定)

独身実家族

2014-02-07 22:16:06 | (淑)のブログ
 最近のできごと。自宅のリビングで何気なしにテレビを見ていたら、とある情報番組で「独身実家族」なんてテーマを取り上げていました。
 なんでも、30歳を超えて独身で実家に暮らす人のことを「独身実家族」と呼ぶそうです。つまり、「働かない」「結婚しない」「実家から出ない」の三拍子で、親の老後の財産を食い潰して生活する人のことなんですと。
 チャンネルを変えずにしばらく見ていると、リビングに不穏な空気が流れ、背後からなにやらいや~な予感が。案の定、台所に立っていた母が一言。

「うちのことだ」



 いや、オモニ、オモニの子どもたちはみんなまじめに働いてます。

 わが家の話はさておき。日本政府の調査によると、35~44歳の男女で親と同居する未婚者数は、295万人。その割合はこの年代の約6人に1人が実家暮らしで、これは30年前の約8倍に値するそう。番組では「子の自立を促すためのノウハウ」みたいなことも紹介していました。
 「独身実家族」って…、おいおい。そもそも「働かない」「結婚しない」「実家から出ない」を全部同列視して「半人前」みたいに括るのってどうなの?
 まず「結婚しない」のはまったく悪いことではなく、結婚するしないは一個人の人生における選択だし、「働かない」だって、就職氷河期と呼ばれて久しい今、多くの人が不安定な非正規雇用や失業に甘んじざるを得ない社会状況があります。「実家から出ない」も様々な理由があり親の介護をしている人だっていますよね。まったく、想像力の欠如したナンセンスなネーミング。こうした言葉がおもしろおかしく多用されて、多様な生き方に対する無理解が広がっていくんじゃないかとため息が出ます。以上、〆切前のぼやきでした。(淑)

東北、震災から3度目の冬

2014-02-01 08:53:55 | (淑)のブログ
 先週から今週にかけて、出張で宮城と岩手へ行ってきました。1月の東北とあって、真っ白い世界を想像していましたが、思いのほか暖かく、宮城も岩手も今年は全然雪が降らないそうです。震災のあった2011年から去年までは厳しい寒さで雪も多かったのに、と何人かの同胞が話していました。

 被災地を訪れたのは約3年ぶり。前回は震災から1ヶ月、電気、水道、ガスのライフラインが復旧した直後でした。
 3年前は仙台市内も、言うまでもなく沿岸部も、町のいたるところに瓦礫の山や倒壊した家屋があったり、地盤が割れていたりと、地震や大津波の爪痕が色濃く残っていましたが(それでも、直後に比べたら別世界だと当時聞かされました)、現在はその頃の痕跡はほとんど見つけられませんでした。

 仙台市内は建設ラッシュで、中でも南部の長町では大型商業施設や新市立病院のオープンを控え、高層マンションが相次いで建設されています。その一方、一角にはプレハブ仮設住宅団地があり、仙台市内にもいまだ仮設住宅に身を寄せる同胞がいます。
 「震災バブル」をもたらしている建設ラッシュの裏側で、住宅を失った被災者のための災害公営住宅の建設は遅々として進んでおらず、沿岸部においては用地確保すらままならない現実。仮設住宅で暮らす同胞たちは、寒くて不便な仮設住宅をいつ出られるのかもわからない、先が全く不透明な現状が続いています。

 津波で壊滅的な被害を受けた宮城の石巻や女川、気仙沼、岩手の釜石、大槌、大船渡へも足を伸ばしました。かつて港町だった場所は、雑草が生い茂る広大な更地となり、津波も、ましてやここに人間の暮らしがあったということなど想像すらできない「無」の光景でした。

 1週間でたくさんの同胞たちと会い、話を聞いて多くを感じましたが、印象的だったのは、記憶をつなごうとする被災地の同胞らの営みでした。
 津波に家を奪われ、現在も仮設住宅に暮らす岩手・釜石の同胞は、自宅のあった場所や避難場所、町の風景などを撮影した写真を見せてくれました。撮影したのは震災からたった10日後のことです。なぜ写真を撮ったのか尋ねると、「記録として残して、次にどこかで震災が起こった時に役に立つように」と話していました。仮設受託団地では自治会長を務め、住民の相談役となって行政とのやりとりにも取り組んでいます。
 仙台に住む20代の夫婦は、震災後に産まれた2歳の息子を連れて、妻の実家があった気仙沼へ度々赴いているそうです。「息子にはまだ理解できないかもしれないけど、東北で震災があったこと、多くの同胞たちの温かい支援に助けられたことを、この子にも知ってほしい」と話していました。

 イオ3月号では東日本大震災から3年が経った被災地の同胞社会を特集で伝えます。東北の同胞たちの、震災時、そしてその後も続いているたくさんのストーリーを、少しでも伝えられたらと思います。(淑)

東京駅で平壌に出会う

2014-01-25 07:52:37 | (淑)のブログ
 昨日、東京駅に向かう道で思いがけなく平壌の風景に出会いました。
 大手町駅から東京駅につながる地下通路をなんとなしに歩いていたら、世界各国のさまざまな写真が展示されており、そういえば、と、AP通信社の写真展が開催されていることを思い出しました。
 現在、丸ビルと新丸ビルの間にある行幸地下ギャラリーで開催されている「A VIEW OF DAILY LIFE ~世界五大陸の日常風景~」では、AP通信社のフォト・ジャーナリストが撮影した世界の文化や遊び、お祭り、食事、動物、子どもたちの姿など、56点を観ることができます。

 平壌の写真も数枚あったはず…と、少し速度を落として進んでいくと、ありました。



 

 展示されているのは、写真上から順に「ゲームを楽しむ兵士たち」「未完成」「カラオケ」の3点。
 上記を含め展示の写真には、それぞれのカメラマンによるコメントも掲示されており、それが見どころで、デビット・グッテンフェルダー氏による「カラオケ」には、次のようなコメントが添えられています。
 
 「『ノレパン』と北朝鮮で呼ばれているカラオケは、この国で最も人気のある娯楽です。平壌にあるレストランや他の街でも、ノレパンをいたるところで見かけます。北朝鮮で働くアメリカ人フォトグラファーの私にとって、北朝鮮の同僚たちと飲みに行ったりノレパンで歌うことは、交流を深めるためにとても大切なことです。国家間の大きな政治的論争を超えて、個人間でお互いに理解することが重要なのです。歌はそれを助けてくれます。」

 平壌に欧米系の主要通信社としては初となるAP通信社の支局が開設(2012年1月)されて2年。写真は、アメリカ人のカメラマンが平壌市民たちと朝鮮の娯楽を通した交流で、自分自身と朝鮮という国との距離を縮めていく様を、ごく自然に伝えてくれています。また、このような朝鮮の日常風景が、他国の写真とフラットに展示されている点もよかったと思います。写真展は4月22日まで。東京駅にお立ち寄りの際は、寄り道してみてください。(淑)