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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

手作りジュエリーの展示会

2014-10-29 09:00:00 | (淑)のブログ
 先週、12月号の取材のため中目黒で開かれていたジュエリーの展示会に行ってきました。



 デザイナーの成麗奈さんは母校・東京朝鮮第9初級学校の3級上の先輩です。ご自身のお名前である「RYONA」というブランド名で活躍しており、デパートなどでかのじょの特設ブースを見かけるたびに、嬉しく思い、密かに応援していました。

 今回展示されていたのは、2015年の春夏の新作です。
 2015SSコレクションのコンセプトは「city summer」だそうです。リゾートをテーマにしたトロピカルなデザインが麗奈さんオリジナルのジュエリーの特徴といえますが、新しいコレクションでは洗練された都会をイメージしたそうです。詳しい内容と新作のお披露目は、イオ12月号を乞うご期待!です。
 展示会はバイヤー向けのもので販売はしていなかったのですが、個人でもオーダーできると聞いて、記念にピアスを一点お願いしました。色鮮やかで繊細な、麗奈さんのつくるジュエリー。いつか私もほしいと思っていたのでうれしいです。さらに、デザイナーさん本人にアドバイスをもらいながら選ぶなんて、贅沢ですね。まさに役得取材です。同行した(麗)さんには「買い物してる」と笑われましたが。これから製作に入るので、届くのは半年後。待ち遠しいです。麗奈さんの作品は、全国の百貨店や大手セレクトショップでも取り扱っていますよ。
 
 麗奈さん、11月にも同じ中目黒でイベントとポップアップショップを行うそうです。興味のある方はぜひ足を運んで、麗奈さんの世界を楽しんでくださいね。私も遊びに行きます。

 RYONA POP UP SHOP & Flower work shop event(11/7~16)



 今日もこれから麗奈さんに会いに再びの中目黒へ行ってきます。どんなお話を聞けるのか、楽しみです。(淑)

イオ11月号ができあがりました

2014-10-20 09:00:00 | (淑)のブログ


 10月も半分が過ぎ、すっかり秋めいてきました。いつの間にか日も短くなり、向寒の季節ですね。
 体調管理に気をつけたい季節の変わり目。私は数日前から風邪なのか秋花粉なのか、鼻のムズムズに悩まされています。日刊イオ読者のみなさんは、体調など崩されていませんか?

 本日刷り上がったイオ11月号の特集は、「朝鮮のスープであったまろう」です。体調を崩しやすいこの時期にぴったりの特集です。
 朝鮮料理の特徴の一つが、豊富なスープ料理といえますが、皆さんのご家庭では、何種類くらいの朝鮮のスープを作りますか? わが家では、みそ汁やお吸い物などの日本の汁物、コンソメやポタージュなどの西洋のスープが食卓に並ぶことは少なく、ほとんど毎日、朝鮮のスープが食卓に上がります。2世の母が、具だくさんのスープを大鍋で作ってくれます。
 特集では肉、魚介、野菜を使った10種類のスープを紹介します。
 料理の撮影は(愛)(麗)(理)さんと4人で臨み、終了後は10種類のスープをご馳走になりました。
 写真は撮影後の試食会兼昼食のようす。豪快に鍋ごといただきました。


 どのスープもそれぞれ出汁がきいていて美味でしたが、中でも私のオススメは参鶏湯と冬瓜のスープです。ぜひご自宅でチャレンジし、家族や友達と温かいスープ料理を囲み、団欒の時を過ごしてくださいね。

 特別企画は、「朝鮮陶工の足跡を辿る」。400年以上前、豊臣秀吉による2度の朝鮮侵略により、朝鮮半島からいかに陶工たちが連行されてきたか、そしてかれらとその末裔たちがどのように努力を重ね、日本の地に焼き物の文化を発展させていったかを振り返りました。また、十五代沈壽官氏に、薩摩焼への思いと15代続く歴史について聞いたロングインタビューも掲載されています。

 その他にも、仁川アジア競技大会、朝鮮学校児童のプログラミング体験「コリアン・キッズ・ラボ」などを掲載しています。秋の夜長にイオ11月号、ぜひご愛読ください。(淑)

朝鮮での食生活

2014-10-08 09:00:00 | (淑)のブログ
 冷麺、タンコギ(犬肉)、チュオタン(どじょう汁)、ソコリタン(牛テールスープ)、ノットゥチヂミ(モヤシのチヂミ)、カンネンイクッス(トウモロコシのうどん)、松の実のおかゆ、ハマグリのアルコール焼き、マツタケ…

 上記は朝鮮に滞在していた4ヵ月間に食べたものたち。こう並べるとなかなか贅沢しているように見えるが、実際、食生活は充実していたと思う。
 基本的に昼夜の食事はホテルの食堂でとったが、外食も多かった。昼夜と書いたのは、朝食はもともととらないからで、食堂のウェイトレスには何度も叱られた。「どうして食べないんだ」「毎朝寝坊しているのか」。あげく「出席表をつくりますよ!」とまで。そこまできつく言われても行かなかった私は、今思えば罰当たりだ。

 過去の訪朝では決まって痩せて帰ってきたが(食生活ではなく、タイトなスケジュールによるもの)、今回は滞在2ヵ月を過ぎたあたりから、太り始めた。
 それもそのはず、宿泊してる部屋は3階で平壌支局の事務所は5階なので、通勤はドアトゥードアで2分くらいだし、移動はすべて運転手付きの車。1日の消費カロリーが極端に少なかったからだ。
 これではいかんと、大同江の朝の散歩を始めたのが4ヵ月目(遅い)。初日に張り切って、30分間競歩したら、汗もかいて爽快! ごはんもおいしい!と手応えを感じるも、翌朝筋肉痛(それも過度の)になったので、自分で自分に驚いた。

 話は食べ物に戻り、冒頭の料理の中でダントツ摂取量が多かったのが、冷麺。優に30食以上は食べたと思う。
 平壌の人たちはとにかく冷麺が好きで、一緒によく食べた。滞在していたのは春から夏にかけてなので、季節も手伝ってか、と思いきや真冬でも同じように食べるのだとか。
 向こうでは冷麺ではなく「クッス」と呼ぶ。「우리 시원하게 국수 할가?」(さっぱりと、クッス食べようか?)といった具合に。
 平壌ホテル、解放山ホテル、高麗ホテル、玉流館、アリラン食堂、大劇場食堂などなど、いろんな場所で食べたが、私はやっぱり玉流館の冷麺が一番美味しいと思った。これにはガイドのYさんも同意見。

 朝鮮で食べた珍しい料理といえば、인조고기밥だ。日本語に直訳すと「人造肉ごはん」となる。
 写真がないのが残念だが、日本のいなりずしに似た料理で、揚げではなく大豆で作った衣にごはんが巻かれている。味は淡白で、ヤンニョムをたっぷりぬって食べる。
 ちょっと怖いこの名前の語源は、苦難の行軍の時代に遡る。社会主義の崩壊や相次ぐ自然災害などに見舞われ、あらゆるものが不足し、食糧事情が困難だった頃、肉に替わって大豆で栄養をとろうと作られた料理だそうだ。その頃に比べて食糧事情が格段に改善された今も、この食文化が残っており、인조고기밥のほかにも、大豆を揚げたおつまみのような料理もあり、味付けも各家庭ごとに異なる。

 そんなこんなも含め、私が一番気に入った料理が、ハマグリのアルコール焼きの締めで食べられるおかゆだ(写真)。今もたまに、ハマグリの出汁とゴマ油の芳ばしい匂いを思い出しては、食べたくなる。(淑)




国連・人権勧告の実現を!

2014-09-29 08:56:02 | (淑)のブログ


 昨日の28日、「9・28 国連・人権勧告の実現を!-すべての人に尊厳と人権を-」(主催=同実行委員会)と題する集会が、東京の芝公園で行われた。
 昨年来、日本の劣悪な人権状況について、国連の人種差別撤廃委員会、拷問禁止委員会、社会権規約委員会、自由権規約委員会などの人権条約機関から相次いで勧告が出されている。
 今年の7月には自由権規約委員会で日本審査があり、死刑制度、秘密保護法、ヘイトスピーチ、日本軍「慰安婦」問題などについて、多くの勧告が出され、さらに8月には人種差別撤廃委員会の審査で厳しい勧告が出された。ここでは、ヘイトスピーチ、ヘイトクライム規制、技能実習制度の改革、日本軍「慰安婦」問題のほかに、「高校無償化」からの朝鮮学校排除問題、補助金停止問題も言及された。にもかかわらず日本政府は、「勧告に従う義務がない」と無視を決め込んでいる。

 このような状況下で、さまざまな人権問題に取り組む団体が一堂に会し、日本政府に対し国連勧告の速やかな実施を訴えた。

 集会では、弁護士の海渡雄一さんと師岡康子さんが、自由権規約委員会勧告と人種差別撤廃委員会勧告の概要報告をそれぞれ行ったほか、東京経済大学の寺中誠さんが「日本政府は勧告遵守の義務がある」と題して発言。







 日本軍「慰安婦」問題や「高校無償化」、原発問題、移住労働問題、婚外子差別問題、在沖米軍基地問題などの問題に取り組む、各賛同団体の代表による発言がなされ、「ともに抑圧に立ち向かおう!」と、共闘をアピールした。

 集会後に参加者らは、芝公園から東京駅までデモ行進。休日で賑わう街中を、民族打楽器を打ち鳴らしながら、「日本政府は国連・人権勧告を順守せよ」「朝鮮学校だけ『無償化』制度から外すな」「沖縄に基地を押し付けるな!」「夫婦別姓を認めよ!」などのシュプレヒコールを叫んだ。
 集会の賛同団体には、全国各地の人権団体、約60が名を連ねる。多様な人々の声を真摯に受け止め、勧告の実現に向き合う姿勢が日本政府には求められている。(淑)







 
 

120日間の平壌滞在を終えて

2014-09-17 08:38:45 | (淑)のブログ
 120日間の平壌駐在を終え、昨日からイオ編集部の通常業務に戻っています。
 4ヶ月、社会制度に始まり、仕事の進め方や取材対象、ライフスタイル、食生活に至るまで、もろもろの環境が日本でのそれとは大きく異なる中で生活していたため、今こうして東京にいるのがなんだか不思議です。心にぽっかりと穴が空いたような気がしている反面、フォローできていなかった日本における諸問題に向き合わなければ、と襟を正される思いでもあります。

 発つ前日まで取材や執筆、諸仕事でバタバタしていたため、最後まで日本に戻るという実感が湧かないまま、平壌を後にしました。この間、父と娘のように過ごし、多くの愛情を注いでくれたガイドのYさんとは、涙ではなく、笑顔で再会を約束することができてよかったです。

 ずっと目標にしていた朝鮮での記者活動でしたが、終えてみて、これが始まりに過ぎないと感じています。4ヶ月という期間は決して短くはありません。4ヶ月をかけて、知ったことはもちろんたくさんありますが、それ以上に、知らないことがたくさんあるということを実感させられました。
 工場や学校、農場、病院、市場、デパート、様々なレジャー施設、障がい者の施設などなど、たくさんの場所へ行ってたくさんの人と出会いましたが、本当の意味での人々の暮らしにはまだまだ距離があります。

 私が朝鮮に滞在していた期間は、5月のストックホルム合意をはじめ、日本による対朝鮮制裁の一部解除など、朝・日関係に具体的な動きのある時期でもありました。その流れに関連する、いくつかの取材にも恵まれました。人的往来に関しては、現在、制裁により8年間朝鮮への渡航が閉ざされていた、総聯の最高人民会議代議員らが訪朝中ですし、この間、100人以上の日本人が朝鮮を訪れました。私自身も日本に戻ってくる際、成田空港でトランクを開けられ、二三質問はされましたが、持ち帰ったものを取り上げられることはありませんでした(当然のことですが)。確実に良い風が吹いていることを実感できます。秋ごろに発表される特別調査委員会の第一回調査報告を受け、朝・日間が進展するのか否か、注目が集まります。

 一方で、今年初めから朝鮮は南朝鮮に対し、再三対話を呼びかけてきましたが、決裂したまま、仁川アジア大会は開幕を迎えようとしています。
 朝鮮代表の先発隊が平壌から仁川に向かう日、私も飛行場で見送りましたが、ある人は、初めて南の地を踏むことについて、喜びや感慨よりも「緊張する」と言っていました。北側が提案した応援団を送ることは叶いませんでしたが、約270人の朝鮮代表団の訪問により、北南間に少しでも緊張緩和の風穴が空くことを祈るばかりです。
 
 朝鮮半島を取り巻くさまざまな事象に「本国」で直接携わることができたことは、在日朝鮮人として大きな喜びでした。その機会を与えてくれた周囲に、本当に感謝しています。新しい目標もできました。
 ブログでは今後も折に触れて、平壌での四方山話を綴っていきたいと思います。(淑)

平壌で国際ろう交流会

2014-08-25 09:00:00 | (淑)のブログ
 平壌滞在もあっという間に3ヵ月が経過し、残すところ1ヵ月を切った。決して短くない3ヵ月という期間を振り返ると、金日成主席逝去20周年や朝・日政府間合意関連の取材など、記者として貴重な現場に恵まれ、平壌市内の新スポットや平壌市郊外の農村、地方都市にも足を運び、様々な取材を経験させてもらった。
 平壌の暮らしの中に身をおきながら、農村でごちそうになったり、平壌冷麺をはじめ郷土料理や格段においしくなった国産のお菓子やパンも食べ、初めて電子マネーで買い物もした。つい先日は同胞訪問団に同行し、平壌市郊外にある美林乗馬クラブで乗馬も体験した。毎日、新聞各紙に目を通し、朝鮮中央テレビはじめ各局のテレビプログラムを鑑賞したり、最近の新曲も自然に覚えた。

 思い出深い取材は挙げればきりがないが、中でも3ヵ月のうちに3度ほど行った、朝鮮の障がい者支援事業に関する取材は、どれも印象に残るものだった。
 8月上旬から中旬にかけては、朝鮮の聴覚障がい者たちと世界各国の聴覚障がい者たちとの交流を目的とした、「国際ろう交流会」と「朝・日ろう交流会」を取材した(詳細は朝鮮新報で)。
 この取り組みは、ドイツの非営利団体「TOGETHR-Hamhung e.V.」と世界ろう連盟(WFD)の共催の下、2009年から毎夏行われてきたもので、過去に、日本や中国、米国、スイス、フランス、イギリス、スウェーデンなど、多くの国から聴覚障がい者らが朝鮮を訪れ、交流を深めてきた。
 今回も朝鮮障がい者保護連盟をはじめとした関連施設で、朝鮮の聴覚障がい者との交流が行われた。

 一行が訪れた「普通江障がい者便宜事業所」について少し紹介したいと思う。



 同事業所は理髪、洋裁、時計や靴の修理などを通して、障がい者の就労機会や社会参加を促進するための施設。2005年から障がい者たちが、それぞれの能力に準じた仕事に従事している。現在は約20人の障がい者と、健常者らが協働して仕事にあたっている。理髪などの技術は、事業所と同区域にある「障がい者技能工養成学校」で学ぶという。



 取材で出会った聴覚障がいを持つ理髪師や洋裁技能士は、みな10年選手のベテランで、職場に定着しているようだった。一様に仕事にやりがいがあると話し、周囲ともうまくやっていると話していた。一方で、周りとどのようにコミュニケーションをとっているのか尋ねると、ある男性は、手話を知らない人が多いため、コミュニケーションは筆談で行うということ、それが面倒なのであまり話さない、とも言っていた。

 朝鮮における障がい者支援事業はまだ歴史が浅いものの、近年、拡充傾向にあり、前述の朝鮮障がい者保護連盟が1998年に設立された以降、近年、朝鮮ろう人協会(2012年)、朝鮮盲人協会(2013年)が立て続けに設立された。ろう人協会には聴覚障がいを持つ19名が専従スタッフとして活動しており、目下、聴覚障がい者向けの字幕・手話放送の制作、手話辞典の発刊に取り組んでいるという。
 朝鮮障がい者連盟では、それぞれの協会の自立活動を促す支援事業を行っているとのことだった。

 余談だが、これらの取材はほとんど手話通訳を介すか、筆談で行ったため、一人にコメントをもらうにも普段の倍の時間を要した。
 初めて朝鮮を訪れた各国の聴覚障がい者たちは、訪朝や朝鮮の聴覚障がい者たちとの交流について、一生懸命に「話して」くれた。大胆な手話と豊かな表情で伝えようとする姿から、文字通り「言葉」以上に、心からの充実ぶりが伝わってきた。(淑)

朝鮮の夏休みは

2014-08-08 09:00:00 | (淑)のブログ
 ここ最近、日本にいる編集部員や同僚、知人からのメールには、9割方、気温や暑さに関する内容が含まれている。連日、相当な暑さのようだ。
 平壌の日中の最高気温は30~35度くらいで、こちらも例年より暑いそう。日中に長い時間外を出歩くことがないので、外出から帰ってきたガイドのYさんの表情や言葉から、その日の暑さを感じ取っている。

 暑さがいくらかやわらぐ夕方の時間に、大同江のほとりを散歩するのが週末の楽しみだ。遊歩道では釣りや朝鮮将棋、トランプなどを楽しむハラボジや、音楽に合わせて踊るハルモニなど、夕暮れ時をゆったりと過ごす中高年が多い。はたまた若い夫婦やカップルが原っぱに横になって涼んでいたり、子どもたちがボール遊びをしていたりと、大同江畔には老若男女の生活風景が広がっている。







 つい先日は、ぴったりと寄り添って歩く恋人たちを発見。夏の暑さにも負けないほどのアツアツぶりを見せつけられた。女性のバッグを男性が持っていて、朝鮮にもそんな習慣があるのかと驚いた。でも個人的には、自分の持ち物は自分で持つべきだと思う(決して妬んでいるわけじゃない)。

 平壌の夏の風物詩といえば、タンコギ(犬肉)だ。昔から朝鮮半島では、夏の最も暑い日を「三伏(サンボク)」といって、暑気払いで滋養食を食べる習慣がある。日本でいう「土用の丑の日」だ。三伏は、7月中旬から8月初旬にかけて3日間あり、それぞれ初伏(チョボク)、中伏(チュンボク)、末伏(マルボク)と呼ばれる。「伏」には「暑気払いする」という意味があり、この3日を「伏日(ポンナル)」ともいう。
 今年は初伏は7月18日、中伏は28日、末伏は8月7日で、初伏と中伏に犬肉を食べた。



 しかし最近は初伏にだけ犬肉を食べて、あとの2日は参鶏湯や牛肉のスープなど、別の料理を食べる人も多いそう。ローカル紙では、それは間違った習慣だと指摘し、伝統にそって3日間犬肉を食べることを推奨していた。とくに若い女性は好まない、と現地の人に聞いたが、実際、犬肉を食べた両日とも、同席したのは30~60代の男性たちで、女性は私一人だった。

 ところで朝鮮には夏の休暇がない。8月の祝日は、祖国解放記念日である8月15日と先軍節の25日だけ。
 7月の祝日、27日の「戦勝記念日」は日曜日と重なった。もちろん振替休日などない。貴重な休みがなくなって、周辺からは残念がる声もちらほら聞こえた。
 ほかに7月の記念日としては男女平等権法令記念日(30日)があり、この日と3・8国際婦女デー、母の日には男性が女性にランチをごちそうするのが通例だそうだ。後者2つはさておき、平等権の日なら割り勘にすべきだと思う。ちなみに婦女デーは女性だけが半ドンだ。

 
 「本社が6連休もしているのに、私たちも何か楽しいことをしないとね!」と、Yさんと2人、ささやかな夏の休日を過ごそうと思っている。
 皆さん、良い夏休みを。(淑)

戦勝61周年の朝鮮からガザ大虐殺を見る

2014-07-30 09:00:00 | (淑)のブログ
 7月8日に始まったイスラエル軍によるガザ攻撃は、開始から1ヵ月が経とうとしている。双方の停戦合意により一時的に沈静化したのもつかの間、攻撃は再開され、停戦への道筋は依然として立っていない。イスラエルのネタニヤフ首相は、国際社会の非難にもかかわらず、ガザ攻撃の継続を改めて強調。この原稿を書いている最中にも、ガザ市内の難民キャンプの運動場が攻撃され、子ども7人が死亡したと報じられた。パレスチナ側の犠牲者は1050人を上回っている。
 おびただしい数の死者を出し、一層の泥沼化に向かうパレスチナの事態を報道で眺めながら、漠然と「何か言わなければ」と思っていたものの、考えがまとまらず先延ばしにしていた。この大それたタイトルに見合う内容とは程遠いが、このほど戦勝61周年を迎え、しかしながら未だ戦時下の朝鮮で、思うことを書きたいと思う。

  
 まず、日本の報道を見ていると、事態の発端はパレスチナによるイスラエル人少年3人の殺害であるとか、ハマスが停戦を受け入れないことが事態の悪化を招いているかのような印象を受ける。主要メディアが報じる内容は情報量が少なく、しかも表面的なため事態を正確に把握しづらい。これまでもイスラエル・パレスチナ問題に関して日本の大手新聞などは、「やられたからやり返す」といった、型にはまった報復合戦のように報じ、「殺す側」と「殺される側」という明確な権力構図を伝えようとしない。客観的な両論併記のつもりだろうが、今回のように、その発端としての責任はつねにパレスチナ側に課せられている。報道がイスラエルに肩入れしていることは明白だ。

  
 朝鮮ではイスラエル軍による大量虐殺について新聞各紙が報じ、糾弾している。朝鮮中央テレビでもイスラエル軍の爆撃を受けるガザの町、パレスチナの民衆の姿が放映された。
 朝鮮外務省のスポークスマンはイスラエルによるガザ侵攻と関連して15日、イスラエルによるパレスチナ人虐殺は「許されない反人倫的犯罪であり、われわれは強くこれを糾弾する」とした上で、「米国の庇護の下に意気軒高のイスラエルが国際舞台で強権と専横に明け暮れる米国をそのまままねて分別のない軍事攻撃で抗争勢力を制圧し、パレスチナ民族統一政府の活動に難関をもたらそうとしているが、それは妄想にすぎない」と指摘した。朝鮮中央通信が報じている。

  
 一方で、英紙デーリー・テレグラフは26日、治安当局筋の話として、ハマスが朝鮮との間でロケット弾や通信装備購入の契約を進めており、既に前金を支払ったと報道。これに対し米国務省は28日の記者会見で、朝鮮による武器拡散の脅威について、米国はかねて強調してきたとし、事実上記事の内容を認める姿勢を示した。
 朝鮮外務省スポークスマンは28日、「米国がわれわれに対する国際的孤立を追求してでっち上げた全く根拠のない荒唐無稽な詭弁」「イスラエルを庇護している自らの犯罪行為を正当化してみようとする不純な企図」「国際社会の非難の焦点をわれわれに向けようと画策している」と強調している。

  
 この間、朝鮮戦争の停戦協定締結(1953年7月27日)から61周年を迎えた朝鮮では、中央報告大会(26日)、金正恩第1書記の指導のもとでの決意大会(27日)など、各種記念行事が行われた。
 27日、平壌市内のいたるところで青年たちによる舞踏会や少年団の大合唱などが開かれ、夜は平壌の夜空を華やかに彩る祝砲で締めくくられた。







 金日成広場を埋め尽くした観衆は、手に手に携帯電話やビデオカメラ、デジカメを持って撮影に興じ、祝砲が打ち上がるたびに歓声をあげた。子どもたちは肩車の上で手を叩いて喜んでいた。
 撮影をしようと人混みをかき分けて進み、周囲に「すみません」と一言告げると、「とんでもない」と、若い男性の明るい返事が返ってきた。その一言のおかげで気兼ねなく撮影に集中することができ、ありがたかった。隣りにいた女の子は、私が液晶モニターで写真を確認するたびに、一緒に覗きこんでは、「わぁ、かっこいい」と言ってくれた。
 打ち上げられる祝砲を見ながらある市民は、「7.27を迎え、朝鮮が歩んできた道が正しかったということを再度実感している」と話していた。大国による脅威の中、自国の自主性と人間としての尊厳を守るためには、戦争も辞さないという覚悟の上に築かれ、保たれ発展してきたこんにちの朝鮮の姿、人々の暮らしを垣間見るようだった。
  

 「人間らしく生きる権利を、人間としての尊厳を認めよ」と抵抗を続けるパレスチナの民衆の悲痛な叫び、殺りくが繰り返されるパレスチナの惨劇から、そして戦勝の祝砲が放つまばゆい光を眺める平壌の人々から、私たちが真に学び取るべきものとは何なのか。今一度考えさせられた。(淑)

金日成広場で猪木氏一行と会う

2014-07-19 09:00:00 | (淑)のブログ
 周知のとおり、先週から今週にかけて参議院議員のアントニオ猪木氏ら日本の国会議員6人が朝鮮を訪れていた。この間、平壌ホテルに滞在している在日同胞も関心を寄せており、「猪木に会えるかな?」と、どこかで居合わせることを期待する声もあった。
  
 そんな中、猪木氏一行への取材許可が降りたのは土曜日の夜。日時は明日5時から、場所は金日成広場。え、なんで? 屋外で取材?
 蓋を開けてみると、日曜日(13日)に福岡で猪木氏主催のプロレスイベントがあり、そこに平壌から生中継でメッセージを送るということで、朝鮮新報の取材も同じ場所で行われたのだった。なるほど、それで平壌を代表するスポットの一つである金日成広場が選ばれたわけだ。

  
 猪木氏らは、平壌市内の各施設や開城などを訪問。今回訪れた議員の中には初めて訪朝する人や十数年ぶりに訪朝する人など様々で、紋繍プールや美林乗馬クラブ、開城工業団地などを訪れ、朝鮮の経済発展を実感したと話していた。
 朝鮮労働党の姜錫柱書記との会談について、猪木氏はじめ国会議員らが一様に話していたのは、朝・日関係改善への朝鮮側の意気込みだった。会談では8月末に平壌で予定している国際プロレス大会について話し合われたほか、朝・日関係について幅広く意見が交わされた。
 会談について猪木氏は、「会談は儀礼的な雰囲気はなく、笑いあり冗談ありで、忌憚なく率直な意見が交わされた。会談では、関係改善における朝鮮側の非常に熱い期待を感じた。日本では拉致の問題が大きく報じられているが、両国におけるいろいろな問題をトータルで解決していかなければならない」と話した。他の議員らも、「連日にわたって労働党の幹部のみなさんとオープンな話し合いをできた」「日本と連携を取りながら、両国間の信頼関係を積み上げていくことが重要だという朝鮮側の意思を感じた」などと話していた。
 一方で、今回の訪朝にあたって少なくない議員が党内でバッシングを受けたと話していた。猪木氏においても、昨年11月に訪朝した際、国会の許可を得なかったとして与野党からバッシングを受け、30日の登院停止という処分をくだされた一件もあった。猪木氏が「朝鮮側のメッセージをわれわれが日本に送ることによって、日本側の姿勢もまた変わってくるはず」と話していたように、今回訪れた議員らも少なからず双方における温度差を感じたのではないだろうか。

  
 広場では、お約束のアレも披露。


「元気ですかー! 行くぞー! いち、に、さん・・・」


「ダーーー!!」

 8月30、31日に柳京・鄭周永体育館行われる「インターナショナル・プロレスリング・フェスティバル in 平壌」にはプロレスや格闘技の試合、テコンドー、合気道、シルムの演武など、日本や米国、フランス、オランダなど10ヵ国のプロレスラーが集結するという。ポスターを見る限り、いくらプロレスにうとい私でも、錚々たるメンバーなのは一目瞭然。大会は両日とも生中継され、ネット配信なども予定されているそう。一連のスケジュールを見ると、プロレスの試合以外にも選手らと市民や子どもたちとの交流会、レセプションなどさまざまなイベントが予定されており、各旅行社ではイベントの観覧日程が含まれたツアーの販売も始まっている。
 ところで平壌の人たちはプロレスに関心はあるのだろうか? 周辺の人に聞いてみると、ピンと来ないのかこれといった反応は返ってこなかった。ことプロレスに関してはこちらにも温度差があるようだ。(淑)

平壌ホテルに実習生来る

2014-07-12 09:00:00 | (淑)のブログ
 まだ梅雨入りしない平壌は、この頃最高気温30度を超える暑い日も増えてきている。この間、ホテルスタッフの制服も夏仕様に衣替えし、涼しげ。とはいえ自分に限っては移動はすべて車、取材のない日は大方ホテルにこもりっきり…、という生活をしているので、さほど季節を実感できていないというのが正直なところ。

 そんなライフスタイルなので平壌に来てからというもの、日頃に輪をかけて運動不足だ。先週末はガイドのYさんと2人で平壌駅までぶらり散歩にでかけた。夕方6時頃、西日が強く照る中、ホテルから駅前までゆっくり歩いて20分。久しぶりに有酸素運動で汗をかいた。その後の生ビールのうまさといったら(ちなみに平壌で生ビールは「ガスメッチュ」と呼ばれる)。
  
 先週から今週にかけてはいろいろと取材や行事が目白押しで、慌ただしい1週間を過ごした。平壌ではイオの仕事と並んで朝鮮新報の取材・執筆も任せてもらっている。が、新聞のサイクルに慣れていないため、遅筆もいいところ…。今は一段落したものの、里方イオの原稿を溜め込んでしまっている。

 そんな日々の癒やしとなっているのが、平壌ホテルの食堂にやってきた実習生たち。先週からホテル2階の食堂では、ホテルスタッフに混ざって、ショートヘアにブラウスとスカート姿の初々しい大学生たちが接客実習を受けており、ホテルスタッフが実習生に付き添い指導する姿が見られる。実習生が慣れない手つきで配膳したり、照れながら在日同胞と接する姿はなんとも微笑ましく、食堂の片隅で一人わびしく食事をとる孤独な記者(私)の頬もゆるむ。
 現在、平壌ホテルは総聯の各代表団や朝高生で満室状態で、食堂も端から端まで満席。実習生はそんな時期にやってきたので、人手が足りなくて人員補充したのか?と思いきや、スタッフに聞くと、それとは関係なしに、平壌ホテルでは毎年接客・サービス専門の大学から実習生を受け入れているとのことだった。実習生らに在日同胞の印象を聞くと、とくに朝高生はみな礼儀正しく、ヌナ・オンニと呼んでくれるのでかわいい、と答えてくれた。実習生らはこの先2ヵ月間研修を受けるというので、折にふれて話しかけて仲良くなろうと思う。(淑)

日本人遺族ら、69年ぶりの訪朝

2014-07-05 08:38:19 | (淑)のブログ
 5月のスウェーデン・ストックホルムに続き、朝・日政府間会談が1日、北京で行われた。ストックホルム合意にもとづいて、朝鮮側はすべての日本人行方不明者を調査する「特別調査委員会」を発足させ、そして日本側は昨日の閣議決定で、8年にわたる対朝鮮制裁の一部をついに解除した。合意履行における両政府間の意思疎通と連携には、膠着状態だった朝・日関係を打開するための糸口が見える。

 時を同じくして、第2次世界大戦の終戦前後に朝鮮で死亡した日本人の遺族ら9人が、墓参のため26日から朝鮮を訪れている。一行は滞在期間、平壌市の龍山墓地、咸鏡北道の古茂山など、各地の日本人埋葬地を訪れた。今回の墓参はストックホルム合意がなされて以降、初めてで、合意には終戦前後に朝鮮で死亡した日本人の遺骨及び墓地に関する調査も含まれている。

 この間、地方への取材はできなかったが、龍山墓地へ同行し、一行が宿泊してる高麗ホテルで関係者や遺族ら数人と会うことができた。
 「北朝鮮地域に残された日本人遺骨の収容と墓参を求める遺族の連絡会」(北遺族連絡会)によると、今回、戦前に日本人が多く住んでいた咸鏡北道の清津市羅南、咸鏡南道の咸興への墓参が初めて実現された。とりわけ咸興の日本人埋葬地の調査は広範囲にわたり、困難を極めた。僅かな情報を頼りに、調査は1年半を要したという。
 同連絡会は2012年から計8回訪朝しており、今回で9回目。日本人遺骨問題に関して日本政府の積極的な支援が得られない中、関係者は「墓参を続けてこられたのは朝鮮側の誠意ある協力と尽力のおかげ」と話していた。

 69年ぶりに、父が眠る咸興を訪れたある遺族は、「ずっと父のことが頭から離れなかった。会いに来たよと伝えた。朝鮮政府の調査のおかげで、おおよその場所ではなく特定した場所を墓参できたことがとてもよかった」と話し、埋葬地について地元の人が丁寧に説明してくれたことにもいたく感動していた。
 また、朝鮮では行く先々で人々から格別な待遇を受けた一方で、戦前、朝鮮に滞在していた頃、父が営む製鉄所で朝鮮人を使用人として使い、自身も朝鮮人に対し無下に接してしまったことについて、「人として大事なものを見失っていた」と話していた。
 69年ぶりに訪れた咸興をはじめ、地方都市を見て回った印象については、「地方の暮らしは裕福ではないかもしれないが、人々の表情は穏やかで苦しそうな印象などなく、平和に暮らしていると感じた」と話し、平壌については「女性たちの歩く姿勢が美しく、街がいきいきしている」と話してくれた。

 終戦前後、朝鮮北部で死亡した約3万4000人の日本人の遺骨のほとんどは、いまも朝鮮各地の墓地・埋葬地に眠っている。今回遺族らの思いや訪朝の感想を聞きながら、墓参が遺族らにとって、両国間の歴史と現在を見直す重要なきっかけになっているのではないか、と感じた。
 日本人遺骨問題はこれまで朝鮮政府の協力の下、日本の民間団体によって進められてきたが、政府間の議題にのったことで今後はよりスピードをもって進められることが期待される。
 また同時に、日本各地に眠る朝鮮人強制連行・強制労働の被害者らの遺骨問題に対する日本政府の歴史的責任も、決して看過されてはならない。(淑)


朝鮮での取材で思うこと

2014-06-28 11:12:44 | (淑)のブログ
 5月下旬から日本各地の朝高が修学旅行で朝鮮を訪問している。毎年この時期は修学旅行シーズンで、平壌ホテルにも5月から愛知、九州、続けて神戸、広島の生徒らが訪れた。ホテル内では生徒らが歌の練習をしたり、空き時間には部活の自主練をしていてにぎやかだ。
 朝高の修学旅行といえば移動のバスの中での歌合戦がおなじみで、現地ガイドが新しい歌も教えてくれる。私が高校3年生の頃は「통일아리랑」をよく歌っていた。数人の朝高生に尋ねたところ、朝高生たちに人気の歌は「내 심장의 목소리」と「인민의 환희」だった。どちらもモランボン楽団が歌った人気ソングだ。
 そのときどきの朝鮮の時世や社会全般の雰囲気を表す流行歌は、生徒たちにとって、ともすれば訪れた場所よりも印象深く、長く、記憶に残るもの。通常の学校生活に戻った生徒たちは今頃、ウリナラで習った数々の歌を懐かしく口ずさんでいるだろうか。という自分も、連日テレビからも流れてくるそれらの歌をわれ知らず口ずさんでいる今日この頃だ。

  
 6月も終わりに近づき、滞在期間もそろそろ折り返し地点が見えてきた。時間ばかりが過ぎて、慣れないこともまだ多くはやる気持ちもあるが、なんとか取材を続けている。朝鮮での取材はさまざまな制約を伴う、とは諸先輩方から聞いていたが、私は今回が初めてなのでなおさら悪戦苦闘続きだ。
 中でも「言葉」。朝鮮語で現地の人と意思疎通できるというのはギリギリの及第点であって、現地の人の独特の表現や言い回しはもとより、日常的に飛び交う政治に関する語句も正確に聞き取って理解することが求められる。
 その点ではまだまだ至らない。それどころかつい先日もトホホな聞き間違いをしてガイドのYさんを困らせてしまった。比較的わかるのは、数年前にとある目的で勉強した野菜や魚、果物などの朝鮮語くらい(苦笑)。
 あんずは살구(サルグ)だ。今の季節、街路樹には黄金色のあんずが実っていて、平壌の街を彩ってくれている。おすそ分けでいただいたので食べてみたが、甘酸っぱくておいしかった。

  
 話は変わり、朝鮮戦争が始まった日である6月25日を迎えて、金日成広場では平壌市民大会が行われた。広場には市内の労働者、大学生など約10万人の群衆が集い、普段ののどかな平壌の雰囲気とは一変して、緊張感が漂っていた。こういった行事では、朝鮮半島がいまだ「戦時下」にあるという現実を否が応でもつきつけられる。
 この日だけでなく、取材先で出会った人や現地スタッフとの会話の中でも、朝鮮半島に横たわる分断体制を言葉の端々から実感させられることがままあった。朝鮮半島に関する問題を見るとき、「朝鮮戦争はまだ終わっていない」という視点は不可欠で、「戦時下」ということを前提に物事を見聞きし認識しなければならないのはいうまでもない。しかし生活の中でそれを体感している「本国」の人々の意識と自身のそれとでは、ずいぶんと開きがあるように思えた。


 余談だが、どうも朝鮮で私は21、22歳くらいに見えるらしく(ごめんなさい)、ある店では年齢を言ったら従業員に「嘘をいえ」と笑われ、百貨店では販売員に「記者なの? いったい何歳で?」と訝しげに聞かれた。言われるたびに(やっぱり朝鮮語が拙いからだろうか…)と落ち込む。市民大会の日も、ハシゴを持ってくれたり親切に接してくれた現地メディアのカメラマンに年下だと誤解され、「ヌナに向かって失礼なことを言ってミアナムニダ」と冗談交じりに謝られた。でも託児所に行った際、子どもを迎えに来た母親が私を見ながら「ほら、アジミ(おばさん)にあいさつして」と子に促したときは、ちょっとほっとした。(淑)

平壌市民の暮らしあれこれ

2014-06-21 09:00:00 | (淑)のブログ
 久しぶりの平壌は大小様々な新発見の連続である。4年ぶりなのでなおさらなのだろうが、ここ数年に限っては毎年訪れている人であっても来るたびに必ず何かしらの変化を実感できるほど、首都は変貌を続けている。
 代表的なのが急ピッチで進む各施設の増改築や新しいレジャー施設の建設。国家建設の勢いを目に見えて感じられる一方で、人々の暮らしに視線を落とせば、街ゆく人のファッションや百貨店に並ぶ食料品、衣類、靴、化粧品などの生活必需品は、市民の生活における変化の一端を示してくれる。頻繁に朝鮮を訪れている人からすれば取るに足らないことかもしれないが、今回は暮らしの中の四方山話を。

 「平壌の女性たちがおしゃれになった」とはよく聞いた話しだが、これまさに。市内を歩いている女性たちを見ると、ボトムスはスラックスのようなパンツと膝丈のスカートが大半でも、トップスのバリエーションは色・デザインともにかなり豊富になった。ネックレスにブレスレット、指輪などのアクセサリーの類もひと通り身につけている。
 中でも驚いたのがピアスだ。NGだとばかり思っていたのに、普通につけている。一粒のものから揺れるピアスまで、女性たちはみんないろいろつけておめかししているのに、一つしか持ってこなかった(それもピアスホール維持のため)自分がなんだかちょっぴり惨めになった。
 それは冗談として、ファッションにおいて最も顕著な変化は靴だと思う。ハイヒールやミュール、プラットフォームの靴を履いている女性は、「増えた」なんて次元じゃない。若い女性たちは、見る限りほぼ全員ハイヒール。しかも7センチ以上の。赤いスカーフを巻いた中学生と思しき女の子まで(!)。
 それから日傘を差す人も増えた。朝鮮は日差しがとても強いので、浅黒い人が多いという印象だったけど、最近は美白志向? でも女性たちが差している日傘は大抵キラキラのレース仕様で、紫外線カットよりもファッション性の高いものが多い。日本に行くまでに、日焼け防止には真っ黒の傘がより効果的だと誰かに耳打ちしたい。


 ローカル紙の広告で知った平壌第1百貨店の商品展示会にも行ってみた。





 平壌第1百貨店は、国産商品を扱う国内最大のデパート。今回展示された1600種、340余万点の商品のうち70%が国産の商品だ。展示会なので通常営業のときよりも商品が多いのは当然だが、こんなにたくさんの国産商品を見たのは初めてだったので感動だった。
 食料品の中では、とりわけ菓子コーナーが目を引いた。朝鮮のお菓子といえば沖縄の「ちんすこう」に似た焼き菓子のイメージしか持っていなかったため(情報が古すぎる)、これには驚いた。クッキーは多数あったし、チョコレートがコーティングされたパイのようなものやチーズ味のスナック、フルーツ味の飴などなど。パッケージもチョゴリを着た子どもが描かれた民族的なものからシックなものなど様々あり、朝鮮仕様のパッケージデザインにいっそう愛着が芽生えて、あれもこれも買いたくなった。
 別の日に他の店に行った際に、何個か買った国産のお菓子はどれもシンプルな味で、甘いものが好きじゃない私には程良かった。中でも気に入ったのがゴマクッキー。クッキーの表面にぎっしりとのったゴマが香ばしくて美味だった。これは菓子類、パンなどの加工品で有名なソヌン食料工場のもので、包装も食べきりサイズで個装されているので保存もきく。
 ただ、滞在している平壌ホテルの売店や各フロアの喫茶店に常備してある菓子類の多くは輸入品のため、国産の商品は外出しなければ手に入らないのが残念だ。

 
 数日前には平壌市内のあるパン工場にも行ってきた。


 この工場では20種類、250点のパンを生産しており、そのほとんどに食品添加物を使用していないため消費期限が3~5日と他の工場の商品に比べて短い。それでも回収率は5%未満とのこと。職員の一人が「平壌でパンの需要を独占する!」と豪語していたように、他の工場や企業所に負けじと、市民たちによりよいものを提供するため国産商品の改良を重ねる多くの労働者たちが、市民生活を底上げしていると感じた。ヘアスタイルが印象的(本人は気にしていた)なその職員は、うちの工場でつくったパンをぜひ食べてほしいと言って、ダンボールニつ分の大量のパンをお土産に持たせてくれた。消費期限、短いのに…(笑)。

 最後に、W杯ネタの続きを。
 朝鮮中央テレビでは開幕戦にはじまり、連日ほぼ全試合放映している。近年「スポーツ強国」を掲げてスポーツに注力する国の施策もあって、予想以上の盛り上がりだ。平壌駅では、大型スクリーンの周辺にいつも以上に多くの市民が群がって試合を観戦しており、さながらパブリックビューイングの雰囲気だった。私自身、W杯に寄せる関心は、「スペイン敗退したんだ、へー」くらいのくせに、あの人だかりの中で一緒に観戦できないものかと密かに目論んでいる。(淑)


異常気象とW杯

2014-06-14 09:00:00 | (淑)のブログ
 日本は梅雨入りしたようですね。こっちはまだです。朝鮮に来て1ヵ月が経とうとしていますが、外出時に傘を使用したのは1回きりで、ほとんど雨が降っていません。田植えも終わるというのに雨が降らず、周囲からはためいき混じりに恵みの雨を請う声がちらほら聞こえてきます。

 そんな中、平壌支局のオフィスでデスクワークをしていた先日のこと。
 雨音が聞こえてきたので、(夕立かしら)と思いながら気に留めず仕事を続けていました。が、次第に激しくなる雨音…。いくらなんでも雨でこの爆音はないだろうと窓の外を見たら、大粒のひょうがボッコボコ降っていました。これには平壌支局のガイド役のYさんも驚いたようで、「写真撮ったか!?」と登場。なんだか楽しそうで、興奮気味でした(笑)。いわく「こんなのは数十年に1度あるかないか」だそうです。





 あっという間に平壌ホテルの裏庭も真っ白に。私が見た中でも大きいもので直径2センチはありました。外を歩いていた人は相当痛かったろうと思います。異常気象に浮かれて写真撮影に興じたりして、気の毒なことをしたなと後々思ったり。



 話は変わり、W杯が開幕しましたね。日本ではさぞ盛り上がっていることでしょう。朝鮮ではテレビでの生中継はありませんが、後からダイジェストなどで放映はするようです。でも「スポーツの常識」というテレビ番組で、W杯開催にちなんでW杯創始者のジュール・リメを紹介するプログラムが組まれていたり、朝鮮でもほんのちょっとだけW杯の雰囲気を感じられます。
 先日、愛知朝高と一緒に平壌国際サッカー学校を参観した際は、「同校の児童ら(11~13歳)VS朝高生」でゲームを行ったのですが、2-4で負けました。朝高が(笑)。







 同校には国内から集めたサッカー少年ら131人が在籍しており、現在、在学生の38人がスペイン、イタリアなどヨーロッパをはじめとする海外遠征に参加しているそうです。試合を終え、サッカー部のある生徒は「日本の同年代にもひけをとらない技術。人工芝で設備もいいし。将来この子たちの中から国家選手が生まれると思うとうれしい」と話していました。今回のブラジル大会、W杯2大会連続出場は惜しくもなりませんでしたが、今後に期待を持たせてくれるミニゲームでした。(淑)

フロム平壌

2014-06-07 09:00:00 | (淑)のブログ
 日刊イオ読者の皆さん、ご無沙汰しております。3週間ぶりの更新です。
 突然ですが私は今、取材のため朝鮮民主主義人民共和国に来ています。5月16日に日本を離れ、北京に1泊して翌17日に平壌に入りました。
 滞在期間は3ヵ月間。イオの記者が平壌に駐在するのは2012年の(相)さん以来2年ぶり、私自身は4年ぶりの訪朝です。本誌でも朝鮮に関する特集や連載をいろいろと用意していますが、ブログも可能な限り執筆し、現地からいろんな情報を発信していきたいと思っています。

 さて、朝鮮に来て今日でちょうど3週間が経ちました。到着早々から平壌科学技術大学や各地の農村を取材し、国際的な観光都市として開発が進む元山市にも出張に行ったり、はたまた修学旅行中の朝高生に同行して平壌市内の新スポットを見て回ったりと、充実した日々を送っています。
 訪朝は今回で5度目ですが記者としての駐在は初めてで、学生時代の迎春公演や修学旅行、代表団などのそれとはわけが違います。過去の訪朝と比べて、見聞きできるものの幅の広さに記者としてやりがいを感じる一方で、責任の重さや不安も感じています。
 私が最後に訪朝した2010年以降、2012年を前後して朝鮮民主主義人民共和国をめぐる内外の情勢はめまぐるしく変化しています。人々の生活レベルでも、4年の間で様々な変化があったようです。街並みしかり、人々の服装しかり、車の台数しかり。百貨店には国産の商品も格段に増え、パッケージデザインも多様化しており、文化生活の拡充も実感できます。一方で、人々の温かさや自負心といった面には、何度訪れても変わらないものを感じます。まだまだ断片的ではありますが、知識と経験をこつこつと積み重ねながら視点を広げ、これから本格的に始まる取材に臨んでいきたいと思います。

 余談ですが、元山を訪れた際、楽しみにしていた万景峰92号との再会は、折しも定期修理中で叶いませんでした。朝・日政府間合意の発表は、出張から戻った翌日のこと。単なる偶然ではありますが、万景峰92号も久しぶりに同胞たちを乗せるため準備をしていたのかな、なんて考えたりしました。もし滞在中に日本による制裁が解除され、8年ぶりに運航が再開し万景峰92号が同胞たちを満載して入港するならば、そのときはぜひまた元山まで出向き、在日同胞たちと朝鮮の人々の喜びの声を伝えたいと思います。(淑)