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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

閲兵式と祝砲夜会

2012-04-23 09:10:31 | (里)のブログ
 この間、平壌で金日成主席生誕100年を祝う朝鮮の国家行事にいくつも参加し、取材をしてきました。
 とくに4月15日は、閲兵式に祝砲夜会と大きな行事が続きました。
 閲兵式では私を含めた参加者全員が、金正恩最高司令官の演説を聞きました。
 ―今から金正恩最高司令官が演説をする、そのことを知った瞬間、私は思わず横に立っていた人と目を合わせて「?!」と言わんばかりの表情を交わしました。
 春の陽ざしとやわらかい風が吹く静けさの中で、最高司令官の声だけが響きわたっていました。
 約20分間の演説でした。明快な言葉の中に核となる内容が詰まっていて、心の奥深くに響くものがありました。
 演説の中で、わが党と共和国政府にとって、平和はこの上なく大事である、しかしわれわれには民族の尊厳と国の自主権がより大事である、という内容がありました。
 私はこの内容に深く共感しながら、民族の一員としての敬意をもって閲兵式を見ました。
 今から100年前の朝鮮の姿は、自国を守るすべを持たず列強の植民地と化した悲しいものでした。しかし、こんにちにおいては強い国防力を持った国へと発展を遂げました。
 その事実が、閲兵式全般を通じて伝わってきたと思います。

 

 夜は祝砲夜会がありました。始まる1時間半ほど前に到着したのですが、すでに河辺には人がいっぱいでした。
 事前に「この位置から写真を撮ろう」と目をつけていた撮影ポイントがあったのですが、もう人で埋め尽くされていて立つ場所もなかったので、急きょ撮影場所を探すことになりました。
 「ミヤナムニダ(すいません)」と言いながら座っている人々の間をかきわけ、大同江畔の船着場のすぐ近くの少し出っ張ったコンクリートの上で撮影することに決めました。
 待ち時間が1時間ほどありましたが、ずっと立っていた私たちを見て、若い男性が「疲れるだろうからこれに座って待ちなさい」と自分が座っていた大きめの石を貸してくれました。
 そうこうしているうちに辺りが暗くなり、ドーンという音とともにチュチェ思想搭の上空に花火があがりました。

 
 
 花火があがった瞬間、人々から「わー!」と歓声が起こりました。「ほら、あそこの花火を撮らないと!」と、私にアドバイスをくれる人もいました。
 カメラ越しにのぞいた人々の表情はとても明るく、こちらまで笑顔になりました。

 余談ですが、行事の取材の際には朝鮮のメディアの記者たちともよく会います。顔なじみになると、立ち話をしたりもします。みな本当に優しく、写真を撮る時にハシゴを譲ってくれたり、いろいろと世話をやいてくれます。(里)

平壌ホテルに展望レストランがオープン

2012-04-09 09:41:14 | (里)のブログ
 

 私が滞在中の平壌ホテルの最上階に5日、展望レストラン(正式名称は、平壌ホテル展望台食堂)がオープンしました。
 平壌ホテルに元々あった展望台を改造してつくられたこの展望レストランは、なんといってもそこから見える景色が最高です。
 大きなガラス窓からは、大同江や羊角島、チュチェ思想搭などが一望できます。
 昼に太陽の光がふりそそぐ雰囲気も素敵ですが、暗くなってからは夜景がキレイなのでオススメです。

 料理は朝鮮料理を基本としていますが、西洋料理や中国式料理など、外国料理も楽しめます。
 私は店オススメの「総合チョンゴル」(チョンゴルとは、鍋という意味)とチョウザメの刺身を食べました。

 

 まず総合チョンゴル(上の写真です)は中国式の辛味スープに牛と羊肉のスライス、海鮮、野菜などたくさんの具材を入れて軽くゆで、タレにつけて食べるというスタイル。
 タレはゴマダレで、そこにトウガラシヤンニョムジャン、醤油ヤンニョム、ネギ、シャンツァイ(香菜)などの薬味を混ぜます。スパイシーな味がやみつきになる感じでした。
 一方のチョウザメ料理は初めてでしたが、チョウザメの刺身は私からするとエンガワの刺身を食べているようでおいしかったです。ワサビ醤油でいただきました。
 そのほかにも、フレンチトーストやスパゲティ・ナポリタン、アイスクリームなど、ちょっとした軽食メニューもたくさんあります。

 平壌ホテルは在日同胞たちが主に泊まるホテルなので、展望レストランでは日本式のメニューも多数そろえてあるそうです。
 今後、平壌ホテルに滞在する機会がある方は、ぜひこの展望レストランに足を運んでみてはどうでしょう。(里)

朝鮮で三つ子に会う

2012-04-02 12:16:06 | (里)のブログ
 

 平壌に滞在しながらいろいろと取材活動をしている(里)です。
祖国での取材は初めてのことなので悪戦苦闘しながらも(とくに言葉)、毎日のように新たな発見があり、感動があり、時間があっという間に過ぎていきます。

 3月末のある日、平壌市大同江区域にある平壌産院に行ってきました。
 現地に着いたのは午前10時頃。入り口の門の前には、色とりどりの花束を持った人たちがたくさん集まっていました。
 聞くと午前と午後の決まった時間帯に、出産を終えた女性たちが退院するそうで、その家族たちが毎日のように訪れるのだといいます。
 体を冷やさないようにと厚着をして頭に帽子をかぶったりスカーフを巻いた産後の女性、そして赤ちゃんを抱いた夫や家族たちが和やかな雰囲気で産院から家路についていました。

 平壌産院は女性のための総合病院で、女性特有の疾患を持った患者や出産前の妊婦たちがたくさん訪れます。
 患者はみな、赤と白のストライプ柄の服を着ていました。
 病院は医師や看護婦などスタッフ総勢で1500人ほど。大きな病院なのでとにかく人が多かったです。

 平壌産院では近年、すべての出産が無痛分娩で行われているといいます。
 無償治療制がしかれている朝鮮では、すべての医療費が国家負担なので、女性の出産にかかる諸費用もすべてタダです。
 日本でも通常、無痛分娩には結構高いお金がかかるそうですが、平壌産院での無痛分娩(麻酔分娩)の処置代はもちろん無料です。

 平壌産院の若い女性医師を取材するために行ったんですが、そこで思わぬ朗報にふれることになりました。
 なんと、前の日に3つ子が生まれたというのです(ちなみに、三つ子に会ったのは人生初!)。
 産院の歴代415組目(うち、5組は4つ子)だそうで、朝鮮中央通信が取材に来ていました。
 私も実際に三つ子がいる部屋で写真を撮らせてもらいました(それが上の写真です)。
 「フラッシュをたいてもいいんですか?」と聞くとお医者さんは、「まだ赤ちゃんは目を開いていないので大丈夫ですよ」と笑顔で答えてくれました。
 赤ちゃんは3人とも、すやすやと眠っていました。

 余談ですが平壌産院でその日、私が朝鮮新報社の記者だということを知って話しかけてきてくれたお医者さんがいたのですが、その方が私の大学時代の同じ学部の先輩の親せきということが分かり、とても親近感がわきました。
 取材先で、日本から帰国した同胞に会うこともしばしばあり、日本にいる共通の知人の話で盛り上がることも多いです。(里)

行ってきます!

2012-02-06 09:00:00 | (里)のブログ
ブログを読んでくださってるみなさん、いきなりですが私(里)は今週から朝鮮に滞在することになります。

「ウリナラ」に行くのは実に4年半ぶり。

滞在期間も結構長いので緊張もしていますが、いまのウリナラを自分の目で見て感じられることへの喜びも感じています。

職場の上司や同僚たちからもたくさん激励してもらいました。

少しの間みんなに会えないのがとても淋しいですが、もらったエネルギーをあっちでの活動で活かしたいと思います!


少し落ち着いたら、ブログも書きたいと思うので、こうご期待…です!(里)


丹念に相手の心と向き合う

2012-01-30 09:07:10 | (里)のブログ
いつも自分は取材を「する」立場ですが、
ふと、「取材される」立場だったらどうなんだろう、と考えることが最近増えました。
というのも最近行なった取材で、「人の本音を引き出すのはそう簡単ではないな」と感じたからです。

私はこの前、東日本大震災後、ふるさとを離れ今も避難生活を送る夫婦に会って、
これまでの暮らしはどうだったか、そしてこれからのことをどう考えているのか、など、
現在の彼らの心情を取材しました。
普段の取材とは違って、少し緊張しながら話を始めました。
取材をどうするか、という緊張ももちろんありますが、それよりも、
いろいろと「失礼」がないようにしなければ…と、気を張っていたのかもしれません。
初対面の場で、「被災」という重く辛い体験について語ってもらう訳なので、
まずどういった質問からすべきなのか、いや、質問よりも相手がしゃべるままにお話を聞くのが先じゃないか?など、
行きの電車の中からぐるぐると考えていたのです。
ただ、必要な話を聞いて終わり…というような、形式的な時間にはしたくはありませんでした。


取材した夫婦は震災から約1年が経とうとしている現在、生活はだいぶ落ち着いたと話していました。
笑顔が素敵な夫婦で、一瞬、避難生活を強いられているという現実を忘れてしまうほど、気丈に話をしてくれました。



その後、ファミリーレストランで食事をしようと、私を外に連れていってくれました。
そこでの席で雑談を交わす中でふと、妻のMさんがつぶやいた言葉に、はっとさせられました。
「ここ1年、大声で笑ったことないなぁ。なーんか一緒に笑い合う友だちもいないから…」
何時間かを共にする中で、たまたま聞けた言葉だと思います。
ただ、その一言から汲み取れる心情は、本当に根深いものだと感じ、思わずノートを再び取り出してメモをとりました。
同時に、ほんの数時間で今の夫婦の心情を取材しようとしたことを、少しだけ恥ずかしく思いました(もちろん、仕事にはすべて時間的制約が当たり前のようにあるのでしょうがないことなのですが)。
丹念に取材する、というか、「丹念に人の心と向き合う」ことが大切だな、と感じたのでした。

取材したことによって、相手の苦悩をすべて知れる訳ではない、
そして、取材で伝えられることは、断片的なものでしかないということを十分に自覚して、
それでも伝えられるだけのことを、ちゃんと、誠実に、伝えなければと思います。(里)

止まらないのか?原発

2012-01-23 09:00:00 | (里)のブログ
先週の21日は暦でいう「大寒」でした。
ちょうど雨が降っていて、ものすごく底冷えして大変でした。
今週は、冬一番の寒さになるらしいので、風邪ひかないように注意しなくてはですね!
私も引き続き防寒をしっかりとしたいと思います(今シーズン、まだ一回も風邪をひいてません)。

1月も、もう終盤にさしかかりましたが、相変わらず世の中のニュースは良くないものばっかり、って感じです。
消費税増税を推し進めようとするのもそうですが、とくに原発の問題に関して、日本政府はとんでもなく不誠実だな、と改めて感じています。
正月早々、政府は「原発、40年で廃炉」という方針を出しましたが、
そのわずか10日後に、「最長60年」と政策をすり替えました。
やっぱり、「脱原発」政策ではなく、原発温存のためのからくりなのか?
止まらないのか?原発…と、ため息が出ました。


その一方で昨日、「野田首相が福島県の子どもの医療費無料化を断念する」というニュースが。
そして同時に、原発の安全神話を学校の教育によって植え付けてきた「原子力・エネルギー教育支援事業交付金」が、
福島第一原発の事故後の現在も、各自治体に交付されているというニュース。
お金の使われ方が明らかにおかしすぎまやしませんか。
(「原子力に関する教育」は、旧文部省と旧科学技術庁が文部科学省へ統合されたことにより、強められていると言われています。今後、数十年かかる福島第一原発事故の収束のため、原子力研究者の育成は必要ですが、政府が行おうとしている「原発教育」は、脱原子力ではなく原子力推進のためのものであると考えられます。 ※旧科学技術庁は原子力を推進してきました)


とにかく、列島の下には巨大なプレートが複数あります。
東日本大震災で生じたプレートの「ひずみ」が、またいつ巨大地震を起こしてもおかしくない状況です。
お金の問題と天秤にかけられない危険が変わらずあるということを忘れたら、大変なことになると思います。(里)



大阪府教育基本条例案 「教育への政治介入」

2012-01-16 09:11:36 | (里)のブログ
橋下徹大阪市長(前大阪府知事)ひきいる地域政党・「大阪維新の会」が、「大阪府教育基本条例案」を実現させようと躍起になっています。
「大阪の教育を良くするため」というこの条例、果たして本当に役立つのかどうか、論議が起こっています。
(※大阪府知事となった松井一郎氏も、「維新の会」のメンバーです。彼は記者会見で、年度内に教育基本条例案を成立させたいと明言しています)


教育基本条例案で目立っているのは、政治と教育が一体化しているという点です。
学校の教育目標、人事などを執拗に管理し、締め付けを強化するといった内容が、事細かに書き連ねられています。

具体的に見ると、第6条2項で「知事は教育委員会との協議を経て、学校が実現すべき目標を設定する」と定められており、続く条項で、教育委員会も校長も教員も、目標実現に向けて学校運営を行うよう求めています。
また府教育委員会の委員が、(知事が一方的に定めた)「教育目標」を実現する責務を果たさなかった場合、罷免できるともあります。君が代斉唱不起立など、ある同一の職務命令に3回違反した教員は、分限免職という処分を受けてしまうのです。

学校の人事については、校長・副校長は知事・市長採用の外部の人間が面接した上で決め、
そうして選ばれた校長・副校長たちは、教科書採択・教員任用・人事異動・教員評価にわたり絶大な権力を握ることになります。


大阪府教育基本条例案はこのように、「政治的中立性の確保」を原則とした、今の教育委員会制度を真正面から否定しているものと見れます。
戦後の教育から、戦前の教育へと逆戻りするかのようでもあります。
過去に、「教育は本来人間の内面に関わる文化的営みである」とし、多数決原理を元とする政治はなじまない、だから政治家が多数で教育内容を決議して、それを教育現場に押し付けることはやってはならない、というのを教育の在り方の本質的な問題であると認めた最高裁大法廷判決(1976年、「旭川学力テスト事件」)があり、教育への政治介入は否定されています。




はっきり言って、この条例が現実のものとなれば、
現場の先生たちはおのずと、自分たちの職を守るために、言いたいことも言えない、「イエスマン」になってしまうでしょう。
そうすると、上(校長たちや、彼らを動かす大阪の首長)の思うままの組織に、学校がなってしまいかねないと思います。

「上」がやろうとしていることで気になることの一つが、教科書の問題です。
橋下市長ひきいる大阪維新の会は、「つくる会」系教科書を支持しているので、
今後の教科書採択に、必ず意見をつけてくると思います。
(「つくる会」系教科書は、日本の過去の侵略戦争の歴史をわい曲している、右傾化した教科書です)



橋下市長がかねてから主張してきた「民意=政治家」という持論。
彼は、「自分たちが国民の支持によって選ばれているのだから、自分たちの言い分を教育に押し付けるのは正当なんだ」という論理を堂々とのべています。
昨日のテレビ番組の中でも、「少数者の意見を聞くのは大事だが、多数派の意見こそがもっと大事」というような物言いをしていました。
自分たちを正当化しているようにしか聞こえませんでしたが。



最後に、橋下市長とこの人がタッグを組んでいるあたりも見過ごせません。

橋下・石原両氏が対談 教育基本条例案、公務員改革で意気投合


石原都知事も、右よりな歴史観の持ち主です。
上でも書きましたが、条例が現実のものとなった後、何が行われるのかという問題に非常に危機感を覚えます。(里)

今日は妹の成人式です♪

2012-01-09 10:08:50 | (里)のブログ
連休3日目、イオのブログをご覧のみなさんはどうすごされていますか?(イオ編集部は土曜日出勤でしたが)

実は今日1月9日は妹の成人式なんです。
そして私は母と一緒に参席して、彼女の写真を撮る予定です。
最初は行かないつもりでいましたが、妹が母の前で
「イオは取材にこないの??笑 写真、撮ってもらいたいかも!」とかなんとか言っていたらしいので、
とりあえず足を運んでみることにします。^^
(少しは可愛いとこあるんだね…)なんて、密かに思いました。
取材ではなく、家族として妹の晴れの姿をカメラで撮りたいと思います。


在日コリアンの成人式は、男子はスーツ、女子はチマチョゴリというのが一般的だと思います。
とくに女子のチマチョゴリは毎年見ものです。
私の時は日本で同胞が経営しているチョゴリ屋で仕立てる子もいれば、韓国で仕立ててくる子もいました。
朝鮮でもチマチョゴリを作ることはできますが、成人式用につくった子も中にはいたかもしれません。
みんなそれぞれ違っていて、眺めているだけでも楽しいものです。
一大ファッションショーみたいな感じです。^^;

当時はわかりませんでしたが、東と西ではチマチョゴリの流行も違うみたいですね。
「エルファネット」に関西の成人式の動画がアップされているのを見たことがありますが、
(関西ではチョゴリはこんな風になるんだ~~~)と、かなりの「異文化」っぷりを実感しました。笑
やっぱり派手目??でも、晴れの日なんだしあれぐらい目立ってなんぼ??
見習うべき点は多かったです。笑



今年の成人式ではどんなチョゴリが見られるんでしょうか?楽しみです♪
その前に今日はひとつ取材があります。
どんなお話が聞けるのか、緊張とワクワク、といった心境です。
それでは行ってきます!(里)

今年も残りあと6日

2011-12-26 09:24:50 | (里)のブログ
タイトル通り、今年も残すところ約1週間となりました。
2011年を振り返ると、世の中ではいろんなことが起きていました。大体は良くないことばかりだったような気がします。

日本では毎年、「今年の漢字」は何だったかと話題になります。今年は「絆」でした。
(絆…?!)と強烈に違和感を感じたため、自分でも少し考えてみました。
私が思った今年を表す漢字は「嘘」です。
思えば3月、東日本大震災は自分の人生において本当に大きな衝撃となりました。
福島第一原子力発電所の事故が起こり、それまで「放射性物質」やら「被曝」についてまったく知識がなかった私は、
一体何をどうするべきなのかよくわからないでいました。
あの時ほど無知が恐ろしいと思ったことはありませんでした。
それからは、自分なりに必死にいろいろと情報を収集していきました。
調べれば調べるほど、事態がすごく深刻なのがわかり、ひどく落ち込んだりもしました。
テレビでは政府や東電があからさまな嘘をしゃべっていることも知りました。
そういう違和感やギャップでいっぱいでした。
日本という国や企業の体制、もっと大きくいえば嘘でも鵜呑みにしてしまうような世間の雰囲気みたいなものに
あれほど強く不信感を抱いたことはありませんでした。
今まで、頭ではわかっていても、心から、という訳ではなかったみたいです。
でも、今回のように「命」に関わる問題が起こってから、自分の中で何かが音をたてて崩れていくのを感じました。
少し大げさかもしれませんが、地震と原発事故は自分にとってそういう力を持って迫ってきたのです。


その「違和感」は、今もずっとあります。増すことはあっても減りはしません。
最近では「朝鮮学校がダミー版教科書を提出した」「補助金が朝鮮総聯に還流されている」という事実無根の話、
「従軍慰安婦問題は1965年の日韓基本条約で完全に解決している」という歴史的事実に反した嘘の主張などが、
ただそこに存在しているだけでなく、国や行政の決定にそのまま反映されてしまっています。
「嘘も百回言えば真実となる」という言葉を聞いたことがありますが、
その通りではないでしょうか。









先週、朝鮮の金正日総書記の突然の逝去のニュースが飛び込んできました。
その事実自体がまず私自身にとっても衝撃的でした。同時に、日本のメディアの報じ方もすさまじく、
総書記逝去を受けての大きなショックと、報道への嫌悪感が入りまじって、
しばらく沈黙せざるを得なかったというのが正直なところです。
人が死してもなお、ああいう風に辱めるのか、と、怒りがこみ上げてきました。
金正日総書記亡き後の朝鮮はどうなっていくのか、いろいろと心配ではあります。
しかし、来年以降、関係各国と引き続き関わりあいながら、朝鮮が朝鮮のための最善の選択をし、自国の尊厳を守っていってほしいと願っています。(里)


教育に対する不当な介入  日本の学校の教科書について

2011-12-19 09:00:00 | (里)のブログ

先週のブログで、「朝鮮学校は今、激しく弾圧されている」と書きましたが、
今日は日本の学校教育の現場で起こっていること、とくに学校で使われる教科書のことについて少し考えてみたいと思います。
国や地方自治体は今、朝鮮学校で行われている教育の内容に対し、不当に介入しようとしていることはこの前のべましたが、
日本の教育現場でも今、同様の事態が起こっているということを中心に書きたいと思います。


日本の小学校・中学校・高等学校・中等教育学校・特別支援学校においては、
文科省の検定を受けた、もしくは文科省が著作名義を有する教科用図書を使用することが定められています。
一方で、大学などの高等教育や、各種学校(朝鮮学校は各種学校)などにおいては、教科書の使用に関する法的な規定はありません。
教科用図書を授業で使用することが定められている学校においては、
教科書検定制度の下で各教科・科目ごとに1種類ずつの教科書を選定して採択することになっています。
義務教育においては教科書採択は4年ごとに実施され、一度採択された教科書は4年間同じ種類のものを使用することになります。
採択は原則として、市・郡単位で設定された採択区域単位で実施されます。
今年は実は、中学校の教科書採択の年でした。


「つくる会」のことは皆さんご存知だと思います。
「歴史わい曲」「日本国憲法を敵視している」として問題となった教科書をつくり、普及するための活動を進めてきた団体です。
「新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)」は2006年に「仲間割れ」した後、
「つくる会」は自由社から、そして分裂して出来た日本教育再生機構=「教科書改善の会」は育鵬社(扶桑社の子会社)から教科書を発行するようになりました。
両者とも、他社の教科書の「反戦平和や護憲、核廃絶、アイヌや在日外国人への差別撤廃、環境保護」などの記述を「有害添加物=毒」だと決め付けるなど、従来の教科書内容を強く否定する立場をとっています。
現に「つくる会」のホームページには、従来の他社の教科書が、
「教室で使われてきたトンデモ教科書」という風に紹介されています。
育鵬社・自由社版の教科書は今まで、市民の抵抗などで低い採用率に抑えられていましたが、
今年は育鵬社の教科書(歴史・公民ともに)の需要数が大幅に増えたそうです。


育鵬社・自由社版の教科書(歴史・公民)を教育現場に広げようとしているメンバーの中には、
自民党の政治家らも含まれています。
自民党は過去、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(自民党「教科書議連」)」を結成し、「つくる会」と綿密に連携し、活動をバックアップしてきた経緯があります。
(※「慰安婦」問題で旧日本軍と日本政府の関与を認めた「河野談話」(1993)について、「確たる証拠もなく『強制性』を先方に求められるままに認めた」と非難し、河野官房長官(当時)を会に呼びつけ、談話の撤回を迫ったこともあります。)

各地で育鵬社・自由社版教科書を採択させるための条件作りとして、自民党の議員らが指令を出して地方議員を動かすといった事例もあります。
学校で実際に教科書を使って教える教員たちの意見を排除するよう、教育委員会に働きかけるということも起きています。
また教科書採択を促すだけではなく、一旦採択された地域に対し、教科書を「忠実に」教えること、教科書の間違いを指摘してはいけないことが、教育委員会によって教員に強制されているのだというのです(現在一部の地域で使われている扶桑社・自由社の教科書とも多くの間違いが指摘されているにも関わらず、です)。

このような「圧力」をかけることは、教育への不当な政治的介入であって、2006年に「改正」された教育基本法にも違反するものだと指摘されています。
これは、朝鮮学校の教育内容を問題視して弾圧するのと同じような構図のもと起こっている事件だと思います。

育鵬社・自由社版の教科書には、具体的にどのような内容が記述されているのでしょうか。
日本は戦後、武力を放棄し、平和主義に基づいて世界の人々と信頼関係を築くことを憲法で宣言しました。
しかし今、その憲法改悪に向けた動きがさまざまな方面で進んでいます。
育鵬社・自由社版教科書に込められた内容も、そのような流れをさらに推し進めるための役割を果たすものとなってしまっているのです。
育鵬社・自由社版の教科書に共通するのが、自衛隊は実質上の「軍隊」であると強調する点です。
また日本国憲法は兵役の義務を否定しているにも関わらず、過去の明治憲法や他国の憲法を例にあげて、あたかも兵役が国民の当然の義務であるかのように述べます。
一方で、世界では徴兵制のない国も多いことや、良心的兵役拒否が多くの国で認められていることにはふれていません。
育鵬社も自由社も、狙いは憲法を「改正」して、戦争をする国の担い手に子どもたちを育てることなのです。

また、アジア太平洋戦争の美化など、誤った歴史観を押し付ける向きも感じ取れます。
各社それぞれ「大東亜戦争(太平洋戦争)」(自由社)、「太平洋戦争(大東亜戦争)」という項目を立て、
育鵬社では「戦争初期のわが国の勝利は、東南アジアやインドの人々に独立への希望をあたえました」と書き、
自由社でも同様の文章に加え、「アジアの人々をふるい立たせた日本の行動」「日本を解放軍として迎えたインドネシアの人々」と題するコラムまで載せています。
沖縄戦の「集団自決」に関しても日本軍の関与を認めません。
もちろん、両社とも韓国併合については正当化する記述を行っています。

さらに、今回の福島原発事故があったにも関わらず、相変わらず原発を礼賛し、危険性についてはほとんどふれない記述にとどまっています。


長くなってしまいましたが、最近NHKで「坂の上の雲」が放送されていることとか、
「武器輸出緩和へ新基準」や「日本が次世代戦闘機にF35を選定」とかいうニュースを目にしながら、
きな臭さを感じています。(里)

「朝鮮学校を閉鎖しろ」と言わしめてしまう状況を危惧する

2011-12-12 09:00:05 | (里)のブログ
朝鮮学校への「高校無償化」適用がいまだに実現されていない中、
12月9日、自民党の文部科学部会は「朝鮮学校の教育内容や朝鮮総聯との関係について実態を把握する必要がある」として、
「高校無償化」適用の審査手続きを停止するよう求める決議をまとめました。

「朝鮮学校の教育内容」があたかも問題であるように取りざたされていますが、
そもそも(ブログで以前書いたと思いますが)、朝鮮学校(生徒)への「高校無償化」制度適用をめぐって問題となったのは、
朝鮮学校が日本の高等学校の課程に類する課程を置いているか、という問題
でした。
「課程」とは、「学校などで、一定期間に割り当ててさせる学習・作業の範囲・順序」のこと。
つまり「教育課程」とは、教科、カリキュラム、授業時間数などの形式的・外形的なものであって、
教育の「中身」「内容」とはまったく異なるものなのです



それが今、多くの報道によって論点が誤った方向に傾いています。
多くのメディアが「朝鮮学校の教育内容をチェック」などと煽り立てることによって、
あたかも「朝鮮学校の教育『内容』に問題があるから」「反日教育が行われているから駄目なんだ」という風な世論が作り上げられているのです。
メディアによる虚偽の報道も酷いものです。
一つひとつ指摘するのは、まさしく「ハエ叩き」をするように気の遠くなる作業です。


「高校無償化」からの排除と同じような論理で、朝鮮学校への補助金打ち切りの動きも加速しています。
東京都の石原都知事は8日、都議会の席で都内の朝鮮学校に対する補助金を来年度予算に計上しない考えを示唆しました。
石原都知事は見送り検討の理由について、
「反日的内容の教科書、朝鮮総聯の運営関与」などをあげ、
都の職員が張り付いて実態を調査したらいいと思うし、それが嫌なら学校を閉鎖したらよろしい」という
信じられない発言をしました。


今、朝鮮学校に対して行われているのは「差別」や「排除」を通り越した「弾圧」です。
「高校無償化」からの排除を皮切りに、ここまで公然と「朝鮮学校つぶし」が行われていること、
これがどれだけ恐ろしいことか、私たちは過去の歴史からはっきりと学ぶことができます。
1949年、「団体等規正令」をもって朝聯が強制解散させられ、
その直後に「教育基本法」「学校教育法」違反という「理由」で朝鮮学校も無理やり閉鎖させられました。
先にも書きましたが、12月9日に自民党の文部科学部会が朝鮮学校の教育「内容」と朝鮮総聯との関係を理由に「無償化」手続き停止を求める決議をまとめました。
特定の民族団体を治安・管理の対象と見なし、そこと関係を持つ学校は潰してしまえ、という論理は昔も今も変わっていないのです。
日本当局は結局、過去も現在もまったく同じ論理で朝鮮学校を潰そうとしているのです。
何度でも言いますが、朝鮮学校は今、はげしく弾圧されています。
石原都知事が放った「朝鮮学校を閉鎖してしまえ」という言葉は、
単なるヘイトスピーチなどではなく、朝鮮学校が実際に閉鎖された過去を分かっていてから放ったもの、つまり確信犯的な言動だと思うのです。
そこにまた、非常に恐ろしさを感じます。
私たちは今、もっともっと事態を深刻に受け止めて、「怒る」べきなんだと思います。


日本の学校の教育現場でも今、同じような次元で重大な問題が起こっています。
歴史わい曲・侵略戦争肯定・憲法敵視・アジアの人々との共生を否定する「新しい教科書」(自由社と育鵬社版歴史と公民教科書)の問題です。
これについては、次回書きたいと思います。(里)



もう待てない、高校無償化

2011-12-05 09:10:00 | (里)のブログ



おととい、東京大田区で、朝鮮学校への高校無償化を求める全国集会が行われました
会場となったホールには、1400人もの人々が集いました。
集会のキャッチフレーズは、「もう待てない、高校無償化」。
高校無償化適用をめぐる状況、関係者の心情をそのまま表したものでした。

朝鮮学校に対する「高校無償化」はいまだに実現されていません。
昨年11月、菅直人前首相が朝高の無償化審査手続きを「凍結」した時から、
半年以上もの長い間、審査再開を求めてたくさんの人たちが闘ってきました。
今年8月、菅前首相が退任とともに「凍結」を解除したことにより、事態の進展が期待されましたが、
3ヵ月が経った今もなお、審査が済んでいません。審査にかかる時間は2ヵ月程度だという話だったのに。

その背景の一つには、朝鮮学校に対する国の無償化審査再開を「暴挙だ」として、妨害する勢力の影があります。
11月末に、民主党と文科省を訪れ、朝高無償化の早期実現を求めたという日本の市民団体の方は、
「教育上の観点からぜひ実現までがんばっていきたい。ただ、菅首相が審査再開指示を出した後、
反対、妨害の意見が多数寄せられ、その対応に追われている現状がある。今しばらく時間をいただきたい」と言われたそうです。

さらに警戒すべきなのは、地方自治体による、各級朝鮮学校への補助金打ち切りの広がりです。
東京、埼玉などの自治体は2010年度の補助金を実際に打ち切り、その影響が各地に広がっているのが現状です。
集会でも、そのことについて発言する方が多くいました。
ある区議会議員は「議員たちの中には、『国も朝鮮学校を高校無償化から外しているし、東京都も補助金を停めているのに、区はどうして補助金を出し続けなければいけないのか』と迫る者もいる」と警鐘をならしていました。
埼玉の市民団体の人は「次々と難題を突きつけて、補助金の支給を引き伸ばしていこうというやり方は許せない」と怒りをあらわにしていました。
埼玉県知事は朝鮮学校の教科書の内容に問題があるとした上に、さらには整理回収機構(RCC)の債権問題まで取り上げ、補助金を打ち切りました。
「教育問題に政治や外交を結びつけるべきではない」「教育内容に対する不当な介入をしてはならない」といった論は、
まったく通用しない状況が広がってしまっています。


集会は「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会の主催で行われました。
ほとんどが日本の方々です。
そして韓国からは、地震被害を受けた朝鮮学校を支援するための団体である「モンダンヨンピル」代表の
クォン・ヘヒョさんはじめ、支援者が駆けつけてくれました。
「日本社会の人権意識を問う問題だ」「私たち自身の未来の問題だ」と、本当に熱い気持ちを寄せてくれていることに、
ただただありがたいな、と感じます。希望もわいてきます。
でもそれとは逆に、「朝鮮学校つぶし」を「熱意を持って」行う人たちが存在することもまた、事実です。
それが大きく露呈したのが、この「高校無償化問題」だと思っています。
朝鮮学校を守るために、そして私たちが暮らす日本社会をよくしていくために、
この闘いから引き下がることはできないと、いま一度感じさせられました。(里)



九州出張

2011-11-28 09:00:00 | (里)のブログ
先週から九州に出張に来ています。
まずはじめに、鹿児島県出水市という場所に行ってきました。
出水市はツルの渡来地として有名な場所だそうで、町全体が「ツル一色」という感じでした。
昨年は鳥インフルエンザが発生してしまい、大変な状況にあったそうですが、
今年は例年通り、ツル観光もできるようになったと地元の人は話していました。
私が出水市に着いて食べた肉うどんの中にも、ツルの形と思われるかまぼこが入っていました。



さて、なんで私が出水市を訪れたかというと、金剛山歌劇団の公演が6年ぶりに(鹿児島県では通算3回目)行われたため、
その取材に行ってきたのです。
最近、いろんな地方で、金剛山歌劇団公演を主催することが難しくなってきていると聞きます。
大きくは財政的な問題だと思います。都会と違い、小さな地方都市で歌劇団公演を行うには、
人もお金もなかなか集まらないのです。
私も以前大分県に取材に行った際、金剛山歌劇団の方が歌劇団公演を企画してもらうためのあいさつ回り(?)として
九州全県をまわってらっしゃる光景を目にし、
簡単なことではないんだな、と実感させられた経験があります。
今年は久しぶりに九州4県で公演が実現しました。
中でも、鹿児島県出水市では昼夜2回公演が行われました。
同胞が数えるくらいしかいない出水市。実行委員会のほとんどが日本の方たちでした。
彼らは公演のためだけに集まった人たちではないです。日ごろから培ってきた絆がこういう大きな仕事を成し遂げる力となっているそうです。
九州の端っこで、こんな光景に出会えたことが、不思議でたまりませんでした。
そしてもちろん、歌劇団のみなさんの奮闘ぶりにも感動しました。
来月号で、その様子はお伝えしたいと思います!


話は変わって、九州には私の大好きな友達、先輩後輩たちがいます。
今回の出張にかこつけて(笑)、久々の再会を楽しみました。
鹿児島の次は福岡県の北九州に行ったのですが、そこでは大学時代にほんとに仲良くさせてもらったオンニ(お姉ちゃん)に会いました。
先輩は同級生が出しているしゃぶしゃぶ屋に連れていってくれました。

肉はなんと鹿児島県産黒豚!なんとなく鹿児島に引き戻された気分…(笑)。本当に九州は食の宝庫で、何でもおいしいです。
先輩とは、何でも話せる中なので、ついついお店に長居して
いろいろ語り合ってしまいました。
あと、大学で同じ学部でいつも一緒にいた同級生Sちゃんとも再会。
Sちゃんと会うと、お互いすごく居心地が良くて終始笑顔でいられます。
…とまぁ、なんとも幸せな時間をすごしたのでした。



出張で良い思いをさせてもらった分、東京に帰ったら仕事がんばりたいと思います(^ ^)。(里)

客観的に理解する

2011-11-21 09:00:00 | (里)のブログ
先週のサッカー朝・日戦が終わって、思ったことを書こうと思います。
試合結果は個人的にはうれしいものでした。
それとは別に、日本のメディアと一般市民があのように朝鮮に入国するのは今の朝・日関係を考えると異例なこと。
その分、とても意義のあることだったと思います。
先週土曜日の夜に放送されていたニュース番組で、朝鮮に取材に行ってきた日本のメディア関係者8人の中の一人が、
自身が見聞きした朝鮮のいろいろについて話していましたが、
私はその人のリポートに好感を持ちました。
簡単に言うと、「良くも悪くも言わない」、見たこと聞いたことそのままを淡々と報告していた感じでした。
移動の際、バスの中から見た平壌市内のようす(ローラーブレードを履いて滑っている子どもや、朝の通勤者を旗を旗を振りながら鼓舞する(?)女性たち…)、
宿泊した平壌高麗ホテルの美味しい食事、
試合中、「日本人サポーターたちを監視していた」と報じられていた朝鮮の軍人たちが、
試合のようすを食い入るように見つめている姿などなど。
番組はそれに付け加えて、朝鮮関連のニュース解説者が昨今の朝鮮の「建設ラッシュ」のことを話したり、
ファッションジャーナリストが金日成スタジアムで応援にあたっていた朝鮮の女性たちの「ファッションチェック」をしたり…といった内容でした。
最後、番組の司会者が「まぁ、北朝鮮は表に出る部分は良く見せようとしているんでしょうか」云々と、少々皮肉っぽく締めくくっていたのが残念でしたが、
他のテレビ番組よりはいくらか良心的というか、偏向的な報道ではなかったと思いました。


「良い悪い」は別問題として、日本の方々にはいわゆる「北朝鮮」を客観的に理解してもらいたい、そう願います。
メディアに大きな責任があるとは思いますが、一体どれくらいの方たちが、
「北朝鮮への想像力」を働かせられているでしょうか。
また、それが欠けていることを自覚されているでしょうか。
一方で、「拉致」「ミサイル」の国と恐れ、侮蔑する感情の方はどんどん大きくなって、
それがますます「北朝鮮」との距離を遠くする悪循環を生んでいて、とても残念だと思います。

例えば、朝鮮のあの迫力ある応援も、日本の多くのメディアでは「怖い」「殺気立っている」などと報じられていましたが、
朝鮮の応援文化のあらわれとして理解すれば、また違った見え方になると思うんです。
朝鮮の政治や経済の仕組み、社会と文化など、知らなければ語れない現象は他にもたくさんあります。

でも、今回のサッカー試合のような人と人との往来は、両国の間で何かを変えるきっかけを生む機会だと思います。
人と人が出会えば、何かが溶けて混じり合っていくというか、互いにまっすぐ「興味」を持つことによって
人々の背景にある歴史や社会の仕組みなどについて、誤解や偏見ではなく、正しい理解が進んでいくのではないでしょうか。(里)







在日ブラジル人をたずねて

2011-11-14 09:37:48 | (里)のブログ
今年最後のイオ12月号では、在日外国人たちのビジネス活動を紹介します。

私は今回、在日ブラジル人を取材してきました。
イオ編集部に入って2年目の頃、在日するインドシナ難民の方たちとその周辺の日本人を取材したことはありましたが、
在日コリアン以外の在日外国人を取材する機会は普段はあまりないため、
そういった意味では新鮮な取材となりました。

在日ブラジル人の多くは、日本にルーツを持つ日系ブラジル人。
その背景には、日本の企業の労働力不足を解消するために施行された、改正入管難民法(1990年施行)がありました。
この法律によって日系人は3世まで日本に定住して働けるようになり、出稼ぎ労働者が急増しました。
日系人の配偶者や子どもたちも来日できるようになり、家族単位で日本に住むようになるケースが多いそうです。
しかし2008年の金融危機以降、企業の派遣切りなどに遭うなどして困窮する人たちが多くいました。

今回の取材で人選などに協力いただいたのは、岐阜県可児市国際交流協会の方たち。
東海地方に在日ブラジル人の大半が在留していますが、岐阜県にも多く、中でも可児市には県内で一番ブラジル人が多く暮らしています。
国際交流協会の方たちは事前に取材候補者の方たちを挙げてくれて、連絡をとってくれました。
ドキドキしながら返答を待っていたところ、意外にもあっさり「みんないいって言ってくれてますよ~」とのこと。
ひと安心しながら、「いついつ伺います」とだけ伝えて、岐阜に向かいました。

可児駅に着いて国際交流協会の方に電話をしたところ、「農業やってる方がちょうど来てくれたましたよ~」ということで、
着いたその場から取材がスタート(笑)。
それだけでなく、農業をされているMさんの運転する車で、可児市内で商売を営む他のブラジル人を紹介してもらえることになりました。
このMさん(女性)と、一番長い時間をともにすごすことになったのですが、すごく素直でチャーミングな方で、
話しやすかったです。何より、(今回取材したブラジル人全員そうでしたが)とっても親切にしていただきました。
「お腹空いたでしょ?空いたよね。お昼食べましょう」と、ブラジル料理をバイキング形式でいただけるレストランに入りました。

横はスーパーマーケットになっています。赤くてポップな建物が可愛いです。

私はブラジル料理は初めてでした。Mさんが手馴れたようすでパッパッとお皿に盛っていくのを目で追いながら、
自分なりに食べたいものを皿に盛りました。





皿の重さをはかってお会計。私は1000円弱でした。(少し割高?食べすぎ?笑)
Mさんが一つひとつの料理の説明をしてくれて、楽しく食べることができました。
私が気に入ったのはご飯の上にかかっている豆の煮物「フェジョン」。ニンニクの風味が利いていて、とてもおいしかったです。
ご飯のおかずにぴったりって感じで、これを毎日食べたら健康でいられそうです。
赤いカブの酢漬けも、柔らかい食感でおいしかったです。

車に乗って、次は在日ブラジル人が営む美容室へ。そこでの取材を済ませた後、美容室の横にあるブラジル料理のお店に入りました。
そこでまた、おやつに「パステル」というお菓子を食べました。

横幅は17~18cmくらいあったんじゃないでしょうか、かなりボリューミーな見た目。
しかし、揚げたてサックサクのパイ生地の中は案外空洞で、気づいたらぺろりと食べてしまっていました。
とろりとした練乳クリームみたいなソースが入っていて、それがまた美味でした。
本来のパステルは、ひき肉やチーズが入っているものが主流だそうで、今度はそっちも食べてみたいです。
値段も大きさの割りに250円と安めでした。


次に、Mさんの畑をめざしました。車の中でMさんは、いろんな話をしてくれました。
ブラジルでは暮らしていけずに、日本に出稼ぎにやってきたこと、
日本に来てからは東京・品川で4年間家政婦の仕事をし、可児に移って車関連の会社の工場で働いてきたこと、
そして2年前、会社の景気が悪く、勤務時間が大幅に短縮されるなど処遇が悪化したため自ら会社を辞めて農業を始めたこと…など。

昨年末から今年3月までの約4ヵ月間、Mさんはお母さんが危篤状態になったため
急きょブラジルに帰って生活していたといいます。
その間、畑は夫に任せていたそうです。しかしお母さんは今年に入って亡くなりました。
お父さんが1人きりになってしまったため、Mさんは来年いっぱいでブラジルに引き揚げ、
お父さんの面倒を見ようかと考えているそうです。


畑に着くと、Mさんはいろんな野菜を見せてくれました。


野菜を一つひとつ見ながら、「かわいい。ね?かわいいでしょ」とうれしそうに話すMさん。
「かわいい」という形容詞は少々おもしろいな、と感じましたが、
丹精こめて野菜を育てているMさんならではの表現なんだろうな、と温かい気持ちになりました。
Mさんのおじいちゃん、おばあちゃんは九州の人でブラジルに移り、農業で貢献をされた方たちだったといいます。


6人ほどから話を聞くことがでいた今回の取材の中で感じたことは、
在日ブラジル人の方たちが、ほかの在日外国人についてあまり知らない、知りたがっているのかな、ということです。
私は取材中、「金さんは『日系』ですか?」「在日コリアンも日本人から差別されることはあるのですか?」などいろんな質問を受けました。
話をしながら私も、在日コリアンと在日ブラジル人同士、互いに共感し合えることがらはたくさんあるだろうな、と思い、一緒に力を合わせていけることがあればいいな、と思いました。
あと、これはすべての在日外国人にあてはまることだと思いますが、本当に新しいアイデアに富んでいるなと思いました。
ブラジルスーパーを営むOさんは私に、
「(新大久保などにある)韓国のスーパーには、韓国のものしか置いてないのですか?」と聞いてきました。
Oさんのスーパーにはブラジルの商品以外にも、フィリピン、ペルーの商品も置いています。
多分、需要があるなら、自店の扱う商品を他の店にも置こうと考えたのでしょう。
「ビジネスの隙間あらば」という、攻めの姿勢をありありと感じました。目のつけどころを見習いたいなと思いました。(里)