吉嶺史晴のブログ

リコーダー奏者吉嶺史晴のブログです。演奏活動ならびに鹿児島市で音楽教室を運営しています。

本当に美しいもの

2022-02-27 | 日常雑記
最初から「きれいな演奏」を作ろうと思うとうまくゆかない。
もちろん何が「きれい」という点は議論が分かれるところなのだけれども。

でも本当に美しいものと、表面的に「きれい」なだけのものとでは違う。美しいものの内部では相反するチカラが拮抗しあってギリギリのバランスを保ちながら、なおかつ堅固な構造があるけれども、単に「きれい」なだけのものはそういうことがなく、ただ単に「きれい」なだけ。それだけ。

本当に美しいものというのは聴き手の想像力に強く働きかける何かが備わっている。

その何かというのはもしかしたら多分、練習の際にその奏者が「ああでもない」「こうでもない」とか「今日あった、あのコンビニのオンナの子、可愛かったけどもう会えないのかな。。。もう会えないんだったら、もうそれでいいからとにかく頑張って生きてゆかなきゃ」とか、とにかくいろいろあるのだ。

そのいろいろな思いがチカラの源みたいな働きをするのではないだろうか。

それは例えばひとつの演奏のなかに「前進するチカラ」と「アダージョという音楽的情緒」というような一見、相反してみえるような何かが同時に存在する時に起きる何か。。。。

多分、「会いたいけど会えない」というような何か。それに匹敵するようなチカラのぶつかりあい。

本当に美しいもの、それはその内部でとてつもないチカラがせめぎあっている。

それは単に表面的に「きれい」なだけのものとは最も遠いところにある。

もしかしたら「バロック」的な美学ってこういうところにあるのではないだろうか?
だとしたら「バロック」的な美しさって、バロック芸術だけにあるものというよりはもっともっと普遍的なものだ。

5月の発表会に向けて

2022-02-27 | 音楽教室
もうそろそろ2月も終わります。
この間、年があけて2022年の寅年が始まった、と思ったら、もう3月が目の前です。

時がたつのが早いです。

5月末には教室の発表会です。
3月、4月、そして5月とあと3か月です。

あと残すところ3か月、というのは演奏するための準備期間として大事な時期です。
それぞれの生徒さんを思い浮かべながら、この3か月間、どんなペースでレッスン出来るかなと思います。

生徒の皆さんは普段はよく練習して来てもらえるのですが、やはり社会人の場合だとその時によっては忙しくてなかなか練習できない時も避けられません。
そんな時でもレッスンの時間が意味のあるものとして成り立つような工夫をしながら進めています。

レッスンではリコーダーのための作品だけではなく、必要に応じて編曲作品も取り入れています。
なかには古典派のオーボエ協奏曲のようなものもあるのですが、伴奏の練習にも気合が入ります。

長年、音楽に携わってきているのですが、演奏とは何だろう?
と今でも考えます。

考えても、考えても、はっきりとして答えが出てこない時には、問いが漠然としています。

なので、こんな問いは、理屈の上ではあまり意味がないのかもしれません。
でも、やはり考えたくなります。

音楽的な適性のある人が適切な訓練を受ければ、自動的に良い演奏が出来る・・・・・

そんなに簡単なものだったら良いのですが、なかなかそうはゆきません。
人間なので、うまく行く時もゆかない時もあるからです。

問題はうまく行かない時をどうやって乗り切るのか、ということです。

というか、生きていると8割くらいの時間はうまく行かない時をなんとかやりくりしてるだけ、と思うようにすると楽です。
本当にココロから楽しめる時など、そうそうないんだ、と最初から自分に言い聞かせていると、ココロから楽しめなくても、それはそれで良いと思えるようになって来るのは不思議です。

優れた演奏技術や感受性の高い耳や判断力など、なかなか、そういうものを簡単に獲得することも出来ないので、多くの演奏者は限られた条件のなかでやってゆくしかありません。

でもそのなかで淡々と進んでゆくうちに何か見えてくるものもあります。

良い演奏をするのは確かに大事なことなのですが、でも、それはそれとして、たとえ自分の目指す良い演奏にならなくても、それを目指す過程のなかで、得られるものがあります。

あきらめないけど、あきらめる。

あきらめながら、でも、あきらめない。

もしかしたら、途中でジタバタ恰好悪くなるかもしれないけれど、それはそれで良いことにする。
途中だけじゃくて、最後まで恰好悪いかもしれないけれど、もうその時はその時で良い。

まとはずれな批評が来たり、安全地帯みたいなところから笑われたりするかもしれないけれど、それはそれで良いことにする。

それぞれの生徒さんのこと考えていたら、こんなメモ書きみたいになりました。

音楽的な時間

2022-02-27 | 音楽教室
手洗いや、換気、距離などに注意を払いながら教室での対面レッスン継続しています。

最近ではオンラインレッスンの割合も増えているのですが、やはり対面レッスンならではの良さもあります。

社会人の生徒さんの場合にはなかなか練習の時間を確保することが難しいです。

1週間あるいは2週間、何も練習できずにレッスンにいらっしゃることもあります。
それでも対面レッスンの良いところは、以前やった曲を復習したり、あまり難しくない曲で読む練習をしたり出来るところです。

その場合には私が二重奏の相手を務めたり、ピアノやチェンバロで伴奏するのでアンサンブルの形になります。

バロックの曲だけではなく、古典派の編曲作品や、現代のもの、あるいはポピュラー様式のものをやることもあります。

社会人の生徒さんの場合には、別の時間を設けて、ソルフェージュの訓練をしたりするというようなことは現実的ではないので、ルネサンスの入り組んだリズムのポリフォニーや、20世紀に書かれた半音階的な二重奏曲などを読みながら音を出すことをしています。

新しい曲も知ることが出来て、ソルフェージュの訓練にもなって一石二鳥です。

前やった曲を復習すること、そして新しい曲を読むこと、このふたつの柱がしっかりしていると、和声や対位法などの理論的な勉強もよりよく活かされて来ます。

オンラインでも対面レッスンでも、やはり、音楽それ自体を楽しむ時間の大事さを痛感します。

でも音楽とは何か?
ということを考えてみると、少なくともギリシャ時代くらいには、音楽は今、私たちが考えているような音楽だけではなくて、この宇宙の調和の根本原理のことを「音楽」と呼んでいたわけで、オンライン越しに何かの話題で、互いに笑顔になれるような、そんな時間があれば、それもまた、音楽的な時間と言えるのでは。

自分の弱さと向き合う

2022-02-22 | 音楽教室
自分の弱さと向き合うことの大切さというのはいろいろな分野で言われることなのですが、やはり音楽にも通じます。

演奏の場合には、自分にとってうまくゆかない部分と向き合わないと、いつまでたってもその曲は仕上がりません。

でも、それは反省するということではなく、むしろ、具体的な練習の方策を持ちながら、積極的に改善し続ける、ということです。

そうすると弱い点も自動的に良くなってゆくことが多いです。

弱さと向き合う、と言うと、文字通り自分自身の至らない点を見つめて、ひたすら反省する、というようなイメージが浮かびますが、そうではないです。

弱さを見つめてひとりで部屋の中で正座して、反省していても、弱さが強さに変わることはありません。

弱さは弱さとして、そのままに、ほっておきます。
その傍らでポイントを定めた練習を続ける、というのが具体的な在り方と言えるでしょう。

5月には教室の発表会があります。
レッスンを受ける過程でいろいろな曲を経験して来た生徒の皆さんの演奏が今から楽しみです。

"Caravan II" for recorder duo and piano(option:percussion) Fumiharu Yoshimine

2022-02-22 | 音楽教室
"Caravan II" for recorder duo and piano(option:percussion) Fumiharu Yoshimine


こちらは私が作曲したリコーダー二重奏、ピアノと打楽器のための「キャラバンII」と題した曲です。
楽譜お買い求めの方から演奏法についての質問をいただきました。

作曲したものはドイツやイギリスなどヨーロッパ各国で演奏されているものもあれば、なかなか陽の目を見ない曲もあっていろいろです。
これは昨年の秋に書いたものなのでまださほど古くはありません。

イギリス、スペイン、オランダ、ドイツ、日本、アメリカなど楽譜は様々な国でお買い求めいただいているので、もうしばらくしたら演奏のお知らせもいただけるかもしれません。

教室でのレッスンでも、演奏する喜びに加えて、音楽そのものを書く面白さ、楽しさ、のようなことも伝えて行きたいと思っています。
作曲の場合には、作曲者自身が全く関与してないところで曲がひとり歩きしてゆきます。

それは演奏だけでは、なかなか味わえない感覚です。

小さなことではあるのですが、思わぬところで演奏されたという知らせが届くのも嬉しいです。

音楽にまつわるささやかな嬉しさも教室でのレッスンで伝えられればと思います。

レッスンのなかでは音楽理論も

2022-02-22 | 音楽教室

今は教室での対面レッスンと、スカイプ経由でのオンラインでのレッスンも行っています。

どちらもリコーダーのレッスンなのですが、生徒さんの御要望に応じて、レッスンのなかでは対位法や和声のレッスンもしています。
リコーダーと、理論的な内容と2本立てのレッスンです。

リコーダーでは演奏に関する事柄、そして対位法や和声では音楽の書き方を勉強できるので習う人にとっては一石二鳥です。

演奏でも、音楽理論でも共通して言えることがあります。

初期の段階では約束事が多いです。
約束事に合わないことをやってしまうと、それは「間違い」とみなされます。

でも段階が進んでくると、約束事を意識して破る、ということが出来るようになってゆきます。

それは約束事を約束事として自分の身にしみこませた後に実現できる状態です。

例えば演奏の場合だと、拍を正確に数える、というのは初期の段階での約束事です。
初心者の方は、こういうことがうまく出来ません。
なので、まずはこういうことが出来るようになる必要があります。

しかし、いつまでもこういうことに拘り過ぎると演奏における自由さを獲得する妨げになります。
和声や対位法でもやはりこのような点は共通しています。

演奏だけしか習えないレッスンよりもひとつ上の次元で音楽を学ぶことの出来るレッスンです。

春休み

2022-02-22 | 日常雑記
勤務先の大学の授業は終わってしまったので、今、春休みです。
この時期はまとまって自分の仕事を進められる時期です。

教室では生徒の皆さんにレッスン、そして今取り掛かっているのはバッハのフーガの技法の録音作業です。

寒いので楽器のコンディションを整えるのに気をつかいます。
「リコーダーは木と相談しながら音を出す」楽器、と誰かが言ってました。

今の時期は特にそのように強く感じます。
やはり問題になるのはウィンドウェイの状態です。

水がたまり過ぎるとそもそも演奏不可能になりますが、全然、水分がないと、スカスカで密度の薄い音になり勝ちです。


ある程度、ウィンドウェイに水分があったほうが良い音の出る楽器、と、ウィンドウェイに水分がなくても最初から良い音の出る楽器、といろいろです。

この辺はそれぞれの楽器の個性もあって、それに合わせながらやります。

冬場は楽器を暖めるのにホカホカカイロを使うこともあるのですが、暖め過ぎには要注意です。
いろいろな問題が起きます。

かと言って、全然暖めないと、すぐに水が溜まってしまってそれもだめです。

リコーダーは吹けば誰でも音が出るのですが、良い音を出すのは簡単ではないです。
長いことリコーダーを吹いて来ているのですが、それでも、自分の演奏したものをモニタースピーカーで聴いてみると、おかしな音でてる時もあります。

一番、問題になりやすいことのひとつは、自分の吹いている楽器から出ているシューという雑音が許容範囲内に収まっているのか、それともそうでないのか、ということの判断です。

許容範囲でないほどの雑音出しているのに、それに気が付かないまま、やっていると結果として出来上がって来たものは作品として成り立たないので、その録音にかけた時間が全部、無駄になります。

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冬場の録音は難しいです。
かといって、暖かい季節だと虫が鳴くのでそもそも録音作業それ自体が不可能です。

限られたなかでやっているので、しばらくは録音作業は寒い時期限定です。

教室のレッスンは楽しく継続出来ています。
今度の発表会は5月です。
前回よりも参加してくださる方が増えそうです。
これは嬉しいです。

レッスンの時はレッスンプロですが、そうでない時には現役の奏者として録音作業などにエネルギー注いでいます。
今はなかなか演奏会できないので、しばらくの間は録音作業です。

録音で残す

2022-02-15 | 音楽制作覚書
1録音技術がない頃は演奏というものはその時、その場で一瞬立ち現れて消えてゆくものだった。

2録音技術が出来てしばらくの間は演奏を一発録りしてそれを記録することが可能になった。

3録音技術がさらに発達すると多重録音という在り方が可能になった(今ここ)

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ということで、バロックも含めて今、クラシック音楽の大勢は2の在り方ということになる。
それはそれで良いのだ。

僕自身は、3の在り方でもそれなりの表現が可能である、という立場に立って今やっていることを進めてゆきたい。
縦の線やピッチが合いにくいという点などは不利な点である。
しかし生身の奏者同士ではなかなか伝わりにくいような微妙なニュアンスを表現できるという利点もある。

多重録音では演奏と並び、編集作業がそれ自体が表現の本質をなすものとなる。

それは演奏とは一瞬現れて、消えてゆくものである、という過去の現象とは反する。
しかし演奏の在り方自体も変化して良いはずだ。

こんな考え方はバロックやクラシック音楽のなかでは少数、というかほとんど存在しないのだろう。
でも、一部の曲ではそれが可能であることを僕は身をもって体験した。(昨年のバッハ6つのオルガンソナタ)

昔、「録音芸術」という言葉を始めて聞いた時、変な言葉だなあ、と思った。
録音なんて演奏を記録するだけじゃないの、としか当時の僕にはイメージできなかったのだ。
今、思うと恥ずかしい。

昨日も録音作業した。
1曲終わらせたつもりだったけれども、自宅にCD-R持ち帰って聴いてみたら、テナーリコーダーの音色が良くなかった。

楽器が発するシューという雑音が一定以上になれば、それをカットするマイクがないものか、と考えたりするけれど、そんなのは邪道だ。
イコライジングみたいなことはなるべくやらないで済むのだったら、やらない方が良い。

録った音がダメだった、ということは奏者の出す音がダメだった、そういうことだ。
今日は録りなおしするのだ。



リコーダーのハチマキ

2022-02-14 | 日常雑記

今、J.S.バッハの「フーガの技法」をリコーダーで多重録音する企画を進めています。
少しずつ進んでいます。

まだ寒い時期が続くので楽器のウィンドウェイにすぐ水がたまってしまうのが問題です。
今回の録音ではグレートバスリコーダーも使うのですが、そのような場合にはウィンドウェイ付近に貼らないカイロを巻き付けるようにして、その上から適当な大きさのハンカチみたいなもので固定したりしています。

こうすると、少なくともウィンドウェイの周辺部だけは暖かく保つことが出来て、水もたまりません。

いつも録音する時は「今日もハチマキするかなあ」とひとりごと言ってから、結局ハチマキすることが多いです。
アルトリコーダーなど比較的小さな楽器の場合にはハチマキは難しいですが、不可能ではありません。

ハチマキする時の注意点としてはウィンドウェイの近くに来るので、空気の流れを妨げないこと、そしてハチマキの効果はそんなに長くは続かないということです。

ハンカチで固定してしまうので、カイロが熱くなるために必要な空気の供給が少なくなるためです。
なので、時々、ハチマキをはずして、カイロをもんだりしてまた付け直してします。

寒い室内の中で使っているので、熱も逃げています。


読者の皆さんにとってはどうでも良いことなのですが、録音作業を進める本人にとっては大事です。

見た目もごっつい感じのグレートバスリコーダーが、ちょっと御洒落なバンダナみたいな布を頭に巻いているのはなかなか良いものです。

録音作業はだいたい夜やることが多いのですが、室温が10度を切ってしまうと、人間もちょっとその場に居るのがしんどくなります。
そういう時はハチマキ必須の状態です。

昨年の冬もやはり、バッハの曲で録音作業していたのですが、その時は小さな仕事部屋でやっていたので、寒さはさほど問題ではなかった記憶です。録音する前にエアコンで部屋を暖めてからやっていました。

ハチマキもしてませんでした。

ベルギーに居た頃も、かなり寒い時期にカルテットで現地の教会での録音もやりましたが、その時にもハチマキはしませんでした。
録音の合間をぬいながらブロックをその都度抜いて、ドライヤーで乾かすくらいでした。(慣れていない人は真似しないほうが良いです。乾かし過ぎてブロックに亀裂が入ることがあります)

ベルギーでは使い捨てカイロのようなものはあまり売ってた記憶がありません。

ずいぶん長く、リコーダーを演奏して来ているのですが、ハチマキというアイディアはなかなか気にいっています。
貼らないカイロと布きれでも良いのですが、これ誰かが製品化してくれると、助かります。

見た目も可愛い感じとか、カッコイイ感じとか、酸いも甘いもくぐり抜けて来た感じとか、ロマンチックな感じとか、少年漫画っぽい感じとか、いろいろな好みに合わせて選べるようにしたら良いのでは!

ということで今日も録音作業、行って参ります。

5月29日リコーダー発表会の参加者募集(特典付き)

2022-02-06 | weblog
2022年5月29日に鹿児島市シティエラホールで開催される吉嶺音楽教室の発表会に参加してくださる方を募集しています。

参加して下さる方限定の特典付きです。

詳しくはこちらのページをどうぞ。