吉嶺史晴のブログ

リコーダー奏者吉嶺史晴のブログです。演奏活動ならびに鹿児島市で音楽教室を運営しています。

拍の打点にしかるべき音があるのか無いのか

2016-05-06 | 音楽制作覚書
拍の打点にしかるべき音があるのか無いのか、ということがその音楽の出来、不出来を左右する場合がある。
もちろん曲の様式にもよるのだけれども。

このような様式の曲では正しい音律とか、音色そのものの美しさとか、そのような要素よりも、拍の打点に音があるのか、ないのか、ということ自体が問題になるので、とにかく制作する上ではそのことを第一に考えなくてはいけない。

考え方:
実際の演奏では実現不可能なありかたも採用して良いということ
(意図は打点の明瞭さと鳴りの豊かさを両立させること。この一点に焦点を絞ること)

個別の声部のクオリティと全体のクオリティ

2016-05-06 | 音楽制作覚書
個別の声部のクオリティと全体のクオリティは正比例する。
つまり、それぞれの声部がそれぞれ良い仕上がりであって、初めて全体が良い仕上がりになるということ。

それぞれの声部がぐちゃぐちゃなのに、全体がすっきりさわやかであるようなことはない。
とにかくそれぞれの声部の出来、すなわち全体の出来上がりなのだ。

立ち上がりの明瞭さと、基音の鳴りの豊かさを両立させること。(特に低音声部で)

録音芸術(?)

2016-05-06 | 音楽制作覚書
昔、初めて「録音芸術」という言葉を目にした時、なんだか、変な言葉だなあと思ったことがあった。
でも今、自分自身が録音(販売用のための音源ではなく、プレゼンテーション用のクオリティだけれども)に携わって思うことはやっぱり、そういうものがあっても良いのだろうなということである。

たとえばコントラバスリコーダーという楽器は豊かな低音が出るのは素晴らしいのだけれども、管が長くなっている関係上、どうしても反応が遅い。拍の打点がはっきりした演奏をしようと思えばいきおい、タンギングもある程度、立ち上がりの速いものでなければならないのだけれども、タンギングが硬いと、実際の音の成分が出る前に複雑な倍音の混じった音が出てしまって、なかなか実際の音が狙ったタイミングで出て来ない。

このあたりのところをどうしようと思うのだけれども、なかなか難しい。
優れたコントラバス奏者や、低音打楽器奏者は、ぴったりのタイミングで鳴っているように聴こえさせるために、実際の拍よりも、ほんのわずか速いタイミングで音を出すのだけれども、このあたりのやりかたが録音というような場でもある程度までは応用できるはずなのだ。

要は目の前にあることに現実的に対処すること。これは日常生活でも、音楽制作でも同じなのだ。
あまり難しく考えすぎないで、やるべきことにあまり感情を乗せすぎないで、さめた頭で淡々とやること。

P.S.
低音リコーダーの立ち上がりの明瞭さ、ならびに実際に出したい音の「鳴り」を両立させること。

P.S.
ひとつの声部だけとりだして聴いても、それが音楽として成り立っているほどのクオリティを備えたものであること。

P.S.
録音という手続きが媒介している以上、録音でなければ実現しないような音の取り扱い方があって良いはず。つまり生演奏では絶対に実現できないような手法があっても良いという考え方。

編曲に際してのふたつの態度

2016-05-02 | 音楽制作覚書
編曲する際にはオリジナルをなるべく改変しないように編曲するという態度、そしてもうひとつはオリジナルにはなかった何か新しいものを付加するという態度があると考えてみる。
編曲者自身はこのどちらの態度に立つのかということを意識すること。

場合によってはひとつの楽曲のなかにふたつの態度が存在することも有り得る。

例:
ピアノを弦楽四重奏に編曲する際にはオリジナルを尊重するという態度を優先するが、ピアノを管弦楽に編曲する際には何か新しいものを付加することが避けられない。