例えばバロック期の曲を演奏する際に、通奏低音のパートだけになる箇所があったとして、そこのテンポがそれまでのテンポと異なってしまった場合、音楽の流れが変わってしまいます。
それまでの流れよりも、もっと良くなれば最高です。
しかしながら、それまで良い流れで来たものが、そうでない方向にゆく場合は残念なことになります。
なのですが、残念なことがその時には起きたとしても、残念な状況がそのまま続くか、どうかは、演奏者次第です。
音楽的な感受性の鋭い奏者であれば、あるほど、このようなことには敏感です。
残念な状況がいったん起きてしまえば、そのことにより影響を受ける度合いも大きいかもしれません。
逆に鈍感な奏者はちょっとした違いなどにはさほどの影響を受けないので、演奏の途中で何が起きても傷ついたりすることは少ないかもしれません。
アンサンブルはうまく行く時には楽しいものですが、そうでない時もあります。
状況の良い時にはそのまま進めば良いのですが、要はそうでない時です。
そうでない時にどのような在り方で居られるのか、どうか、という点にその奏者の成熟度が如実に示されるのでしょう。
成熟した演奏者は大人っぽいです。
大人と子供の違いは何だろう?
と、ここ数日、ずっと考えています。
列挙すれば沢山出てくるはずですが、とりあえず、今の時点で言えるのは次のようなことを考えてみました。
大人の条件:
*自分の置かれた状況を客観的に、俯瞰的に見ることが出来ること
*その状況があまり良くない時であっても、途中で投げ捨てないで、そのなかでなんとかチカラを尽くそうと出来ること
演奏の場合、とくにアンサンブルの場合には、出来上がって来るテンポや表情がアンサンブルのなかの奏者の理想的な形で出て来ることはまず有り得ません。
なので、アンサンブルの奏者は曲の最初から最後まで予期できないことは起きるものだ、という構えで居るのが良いです。
その点から言っても、「練習でやったことをよく覚えて、そのまま表現する」というような形だけでは、アンサンブルは成り立ちません。
まだまだ学びが続きます。
それまでの流れよりも、もっと良くなれば最高です。
しかしながら、それまで良い流れで来たものが、そうでない方向にゆく場合は残念なことになります。
なのですが、残念なことがその時には起きたとしても、残念な状況がそのまま続くか、どうかは、演奏者次第です。
音楽的な感受性の鋭い奏者であれば、あるほど、このようなことには敏感です。
残念な状況がいったん起きてしまえば、そのことにより影響を受ける度合いも大きいかもしれません。
逆に鈍感な奏者はちょっとした違いなどにはさほどの影響を受けないので、演奏の途中で何が起きても傷ついたりすることは少ないかもしれません。
アンサンブルはうまく行く時には楽しいものですが、そうでない時もあります。
状況の良い時にはそのまま進めば良いのですが、要はそうでない時です。
そうでない時にどのような在り方で居られるのか、どうか、という点にその奏者の成熟度が如実に示されるのでしょう。
成熟した演奏者は大人っぽいです。
大人と子供の違いは何だろう?
と、ここ数日、ずっと考えています。
列挙すれば沢山出てくるはずですが、とりあえず、今の時点で言えるのは次のようなことを考えてみました。
大人の条件:
*自分の置かれた状況を客観的に、俯瞰的に見ることが出来ること
*その状況があまり良くない時であっても、途中で投げ捨てないで、そのなかでなんとかチカラを尽くそうと出来ること
演奏の場合、とくにアンサンブルの場合には、出来上がって来るテンポや表情がアンサンブルのなかの奏者の理想的な形で出て来ることはまず有り得ません。
なので、アンサンブルの奏者は曲の最初から最後まで予期できないことは起きるものだ、という構えで居るのが良いです。
その点から言っても、「練習でやったことをよく覚えて、そのまま表現する」というような形だけでは、アンサンブルは成り立ちません。
まだまだ学びが続きます。