発展的リコーダー奏法

吉嶺史晴によるリコーダー奏法解説ブログです。上達してゆくための全般的な考えかた・生き方のヒントについても書いています。

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Stephan Braun Jazz-cello: Rococo Improvisation (Tchaikovsky)

2019-06-12 01:36:26 | 即興演奏
Stephan Braun Jazz-cello: Rococo Improvisation (Tchaikovsky)

即興演奏の例としてこのような動画がありました。
楽器は異なりますが、器楽奏者としてこのような表現が可能、というひとつの例としておおいに参考になります。

長期的に練習してゆく曲と短期で仕上げる曲を区別する

2019-06-06 13:44:15 | 練習の方法
長期的に練習してゆく曲は例えば1年あるいはそれ以上の時間を使いながら少しずつ作ってゆく曲、短期て仕上げる曲はそれこそ2、3日、長くても1週間以内で本番に持ってゆけるような曲。

このふたつを同時に進めてゆくことでいろいろなことが見えて来そうです。

長期的に練習してゆく曲に関しては、少し練習した程度ではその成果が曲にすぐにわかりやすい形で演奏に反映されないことがある(というか、そのような場合がほとんど)ので、やはり、このような際にはその時の見た目の仕上がりの良さについては意識的に関与しない、そのような態度が重要になって来るようです。

古い音楽だけを主に演奏する、ということであれば長期的に練習してゆく、ということ自体あまり意味をなさない場合もあるので、この点は要注意です。

このような場合は、むしろ練習に1週間以上を要するような曲はその奏者にとっては難しすぎる曲なので、そもそも公開の場での演奏曲目としてはふさわしくない、ということも言えます。

例えばバロック期のリコーダーソナタのようなものを1週間かけても満足な演奏が出来ない、といいうような場合には、曲の選択そのものが間違っている、ということも言えます。

ただし、今はリコーダーのレパートリーとは言っても、現代的な作品や編曲されたものなど多岐に渡っているのでルネサンスやバロック期の音楽に対する態度がそのまま通用しないことも有り得ます。

この場合には現代のピアニストやヴァイオリニストがロマン派の協奏曲ひとつに長い時間をかけて仕上げてゆく、ようなそんな在り方も必要になることがあります。

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どのような曲にどのような態度で臨むのか、ということによってその曲にかける練習時間も変わってくる、という話題でした。

即興演奏の教則本 古いもの、新しいもの

2019-05-20 00:55:44 | 即興演奏
オルティス、ガナッシ、ヴィルジリアーノ、バッサーノらの記述(ルネサンス)

クヴァンツのイタリア装飾に関する記述(バロック)

種々のジャズ教本(現代)

これらの教則本を見ると、ある共通のことに気がつきます。
まず最初に定まった音の動きがあり、それに対しての装飾型が提示されます。

ルネサンス、バロック、ジャズと様式は異なっているのですが即興演奏の技法をどのようにして学ぶのか、という考えかたがここに示されています。

ということはこれから新しい様式の音楽(即興演奏が重要な位置づけとなるようなもの)を作ってゆく際には、歴史上の即興演奏の教則本を成り立たせてきた考えかたに着目する、というのはひとつの方向性です。

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ギリシャ時代の哲学者ソクラテスは文字を否定していたそうです。「文字など使っては記憶能力が失われてしまうではないか」といったような意味の彼なりの理由があったようです。

音楽の世界ではどうでしょうか。歴史に名前をとどめていませんが、もしかしたらソクラテスのような人が居たかもしれません。

「楽譜など使っては記憶能力や即興能力が失われてしまう」とその人は言ったかもしれません。

少なくとも西洋の音楽の歴史を見る限り、それは作曲者と演奏者が分断されてゆく歴史でした。その流れは今も変わっていません。しかし、ここでもう一度、即興演奏というものに目を向けてみるのは面白いです。
何か新しいものが生まれる可能性があります。

有限のチカラを垂直方向に働かせるのか、それとも水平方向に働かせるのか

2019-01-30 11:10:22 | 全般的な事柄
有限のチカラを垂直方向に働かせるのか、それとも水平方向に働かせるのか、という選択は演奏に大きな違いを作るのではないでしょうか。

拍を重たくするという形でエネルギーを使うのか、それとも水平方向に進ませる、という形のエネルギーとして使うのか、という在り方。

このふたつの違いは大きいです。

いろいろな演奏を聴いてみると、傾向としては水平方向ではなく、全体として拍が重たくなってしまうことが多いように見えます。

得策ではないように見えます。
なぜならば、このような在り方では曲のなかで特定の拍を重たく演奏することが困難になるからです。
別の言い方ならば、音楽は推進力が備わっているのが通常の状態であり、そのためにはある程度の「軽さ」が必要だからということも出来るでしょう。

拍の「重さ」「軽さ」ということは必ずしもテンポとは比例しません。

遅いテンポの曲では重たくなりがちなのは自明のことですが、遅いテンポの曲であればあるほど軽く、速いテンポの曲であればあるほど重く演奏する、という考えかたもあります。(振り子の原理)

いずれにしても奏者の持っているエネルギーは有限なので、それをどのような方向に使うのか、ということはなるべく意識してみたいところです。

歌う付点にするのか、それとも跳ねる付点にするのか

2019-01-29 21:04:58 | 全般的な事柄
歌う付点にするのか、それとも跳ねる付点にするのか、という切り口は演奏における様々な要素のひとつとして興味深いものです。

付点8分音符に連なる16分音符。
これをどのように演奏するのか、という判断、これは演奏全体のキャラクターを決めるのに大きな影響を持つことがあるでしょう。

このような事柄についてはあえて練習の際に最後まで決めておかない、というのも考えかたとしては有り得ます。

つまり練習の際にはどちらにもゆけるような方向で練習しておき、本番ではその時のインスピレーションにまかせるという在り方です。

追伸:
でも、なかなかうまくゆかないことも多いでしょう。
「その時のインスピレーション」などと言ってしまうと、言葉ではカッコ良い感じですが、実際は緊張しすぎてしまって、思わぬ方向に行ってしまうことだってあるわけです。(またはその逆もあるかも。あまりにも緊張感のない舞台はこびでダラケタ演奏になってしまうとか。。。)

追伸の追伸:
練習の際に「決めておきたいこと」と「あえて決めておかないこと」の区別をしておく、というのはひとつの考えかたです。

ここでは付点をどのように演奏するのか、ということについて書きましたが、たとえば息継ぎの場所について、など様々な事柄について応用できるでしょう。

ある程度、熟達してきたら本番の舞台で奏者である自分自身がなるべく自由で居られるような練習の進め方ということを考えてみる、こんなことも演奏にアプローチするためのひとつのヒントになるのではないでしょうか。