吉嶺史晴のブログ

リコーダー奏者吉嶺史晴のブログです。演奏活動ならびに鹿児島市で音楽教室を運営しています。

その奏者の備える何かが露呈されてしまう時

2017-07-30 | リコーダー奏法
その奏者の備える何かが露呈されてしまう時、こういう時に聴き手はその演奏者が行うことに興味を失ってしまう。
実際にそうなる場合もあるし、このようなことが聴き手の誤解によって起きることもある。
実際には聴き手が演奏者の何かを理解も感得もしていない状態にもかかわらず「わかった」と思い込んでしまうような状況である。

いずれにしてもある条件が整うと聴き手は演奏に対する興味をいっきに失ってしまう。

これは演奏者にとっては恐ろしいことだ。
しかも、このことに対処する方法としてめぼしいものはないようにも見える。
聴き手の心の動きを直接、演奏者が制御することはできないからだ。

ただし、このことについて演奏者の側で制御できないことがまったくないということでもない。

そのひとつは楽器の性能についてその全てをさらけ出さないこと。
例えば強弱に関する変化が得意な楽器があったとする。

その変化を意図的に狭い範囲で行うのである。
とすると少なくともこの点に関して聴き手の興味を引き続けることは可能となる。

あるいはアーティキュレーションの変化の幅において。
短い音はなるべく短く、長い音はなるべく長く、このような考え方は技術的な訓練の方法としては良いものだが聴き手を前にした実際の演奏としては必ずしも有効に働かない。

つまり楽器の限界点まで強弱の変化やアーティキュレーションの変化の幅を持たせないということである。
あるいはまた演奏技術という点に関しても同様。
あきらかに限界とわかるような点が聴き手にばれてしまうと、聴き手はその奏者の格を見切ってしまうのである。

要は自分の台所事情を聴き手にはあかさないということである。
このような切り口で自分自身の作曲作品、あるいは演奏を見直してみると何かが見えてくるかもしれない。


音楽における「きめこまやかさ」

2017-07-24 | 音楽制作覚書
音楽における「きめこまやかさ」という問題。

普通は芸術的な音楽というものはきめこまやかなものだという認識を我々は持っている。
しかし、本当にそうなのだろうか?

芸術的な音楽にもいろいろなものがあって良いのではないだろうか?

例えばテレマンの二重協奏曲ホ短調(リコーダー、トラヴェルソ)の最終楽章。これなどきめこまやか、というよりはどこかの民族音楽の語法をそのまま持って来たようにも見える。少なくとも主題部分を見るかぎり非常に単純な作りになっている。こういうものはバロックの作品のなかにはかなり良く見られる。

それでは具体的にどんなチカラが働いてそれらの曲が最終的に「芸術的」なものに仕上がってるのだろうか?

単に演奏するだけではなく作品の背後に潜むチカラの在り方を探る。
こういうアプローチを伴いながら演奏することが出来ればまた面白い展開が生まれるのではないだろうか。

芸術的な作品をただ今までのように演奏するだけではないひとつのアプローチ、あるいはまたこれから新しい音楽(必ずしも、通常の意味できめこまやかな外見がなくても良い)を作るためのひとつのヒントとして。

p.s.
答えのひとつは形式にある。
ロンド形式。
主題と主題の間にはさまっているエピソードの部分の作りは普通の意味で芸術的。ポリフォニックでもあり、声部と声部との間のダイアログもある。

ということは主題そのものはかなり素朴かつ単純な作りのものであっても、エピソードにあたる部分をある程度まで作りこむことが出来れば最終的な音楽的強度は保証されるということになるのでは。

歌謡曲リコーダー編曲・録音の際に起きる問題について

2017-07-24 | 音楽制作覚書
歌謡曲リコーダー編曲・録音の際に起きる問題について

*もとの曲における繰り返しをどうするのか

最大の問題はこのことに尽きる。つまりもとの曲では1番と2番では歌詞が変化しているので同じ旋律をそのまま繰り返しても良いのだが器楽でこれをやってしまうと得てして退屈なものに陥ってしまう。

この問題を軽減するための方策は次の通り。

*1番と2番で伴奏を変化させる
*もとの旋律そのものを部分的に変化させる(宇多田ヒカルのFirst Loveでこのような例がみられる)
*伴奏楽器(主にピアノ)に旋律を奏させてリコーダーにはオブリガートを担当させる
*1番と2番で部分的に和声を変更する(「雪の華」編曲の例)

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

録音の際には常のことであるが多重録音となるのでこの際の注意は以下の通り。

*モニターする際の音量に最大限の注意を払うこと
*録音する部屋の気温に注意を払うこと。必要であればリコーダーのジョイントを抜く、あるいは基準になるピッチそのものをコンピューター側で調節すること。

特にこの2点は重要である。
モニターの音量が大きすぎる場合には概してリコーダーのピッチが全体にうわずる傾向になる。つまりヘッドホンから聴こえてくる伴奏の音量と比較すると、演奏中のリコーダーの音量が小さくなってしまうためどうしても大きな音を出そうとして結果としてピッチがうわずるという問題である。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

アップロードに際しての注意
出来れば完成したものをすぐに公開するのではなく1日、2日寝かせてからもう一度確認のために聴いてからアップロードすること。
それも異なるスピーカーで異なる音量で聴くのが良い。

小さいスピーカーで小さい音量で聴いた時に、伴奏楽器によりもリコーダーのピッチがうわずっていることがその時になって始めてわかることもある。(重要!)


書かれたアドリブなのか本当のアドリブなのか聴き手にばれない方法

2017-07-22 | リコーダー奏法
書かれたアドリブなのか本当のアドリブなのか聴き手にばれない方法があれば良いなと思ってメモ。

書かれたアドリブをやる際には許されるギリギリの限界まで拍を前後させながら演奏するということ。つまり意図的にリズムが安定していない感じで演奏する方法。
あるいはそれと同時に故意にピッチを不安定にしたり、音色を荒れた感じにしてみる。

これをやることによってかなりアドリブぽい感じになる。

本当のアドリブとしてやっているものがアドリブらしく聴こえなく理由もここから推測できる。つまり縦の線や音色、ピッチなどがあまりにも安定しているとそれはアドリブに聴こえにくくなってしまうのだ。

また本当のアドリブとしてやっている場合であっても、それがお決まりのパターン(II V の進行パターンなど)によっている場合には要注意。この場合は楽譜にあるのか、ないのか、という違いだけで実際は前もって決まっているものをその場でやっているわけだから面白さという点では半減する。

ただし、全く何もない状態からアドリブするのは不可能なわけで、このあたりのところをどこまで準備するのか、しないのかという加減。
具体的には楽譜としての最終形をどうするのかという問題とも関連。

編曲作業におけるふたつの態度

2017-07-20 | 音楽制作覚書
編曲作業におけるふたつの態度。
今更こういうこと書くのも何だけれども、ちょこっとだけ確認事項。

*もとの曲をなるべく忠実に反映させようとする態度
*もとの曲をヒントにそこから何か新しいものを引き出そうとする態度

このふたつ。後者の場合、やりかた次第ではもとの曲から似ても似つかぬようなものが出てくる可能性あり。
もちろんどのような意図で編曲を行うのかということにもよる。

実際にはこのふたつの態度をうまく混ぜ合わせるということになることもある。
出来上がりの編曲のある部分はもとの曲をかなり忠実に反映し、また別の部分においてはかなりオリジナルな考え方で作ってゆくという方法。

「***華」の最後で繰り返される3回のサビの部分。ここを1回と2回にわけてその間にテンションを高めるためのつなぎを入れるというアイディアが浮かんだ。
曲の規模が多少、大きくなってしまうのは否めないけれどもこれだとせっかくのサビの旋律を無理やり変えてアドリブっぽくしなくても良いし、限られた長さだけれども本当に器楽的な動きを入れられる余裕がじゅうぶんある。

この部分で歌には出来ないような器楽的な動きを入れることによってひとつの器楽曲としての形を整えることにも貢献できるし、聴き手に別の次元での聴く面白みを提供することに出来るのではないだろうか。

これ、和声の仕組みとしては単純なものでも十分。
ベートーヴェン風の再現部直前の保続音(ドミナントペダル)みたいな形とか。例えばそこにラヴェルのボレロみたいな感じの動きを入れてみるとか、あるいはまたジャズ風オルタードスケールを入れてみるとか。

あとはテンションを制御すること。
つなぎで盛り上げておいてその先のサビでさらに盛り上げるのか、それともつなぎで盛り上がったテンションを最後のサビで落ち着けるのかという判断。

ここ、こう来るだろうなと相手に予想されてしまって、そう行ってしまう

2017-07-20 | 音楽制作覚書
ここ音楽の場合、どうなのだろう?
「***華」編曲作業進めながら思う。
この曲のサビの部分があまりにも良いので全部で6回ある繰り返しのどこかでアドリブっぽい展開にしたいのだけれどもなかなか難しい。
1番でいきなりアドリブにするのはちょっと考えられない。
2番でアドリブにしても良いのだけれどもまだ必然性が足りない感じがする。
大きいサビの後にくるサビでアドリブっぽい感じにするのであれば良さそうだけれども、これだと聴き手に完全に予想されてしまってその通りやってしまうということになりそう。

こんなこと考え始めたらアドリブっぽい展開を入れる場所がなくなりそうなのだ。
もとは歌の曲なので歌詞が変わり、伴奏が変化したりしている。旋律それ自体は変化していない。

しかし全部で6回というのは僕の基準ではあまりにも多すぎる。
変化のない繰り返しが6回。
もしクラシックのような様式でこれをやったら少なくとも2回まではOKだけれども3回目あたりで聴き手の耳にはふたがかぶさってしまうのではないか。

そういう時の聴き手は聴いているふりをしながら何か別のこと考えている感じになってしまう。
表現する側としては完全に負けパターンである。

難しい。。。。。

こういうことと似たことあるな、と書きながら思い出した。



「こう来るだろうなと予想されてしまって、そう行ってしまうという」というのは恋愛における負けパターンそのものではないか。

ああ・・・

アドリブ

2017-07-19 | 音楽制作覚書
アドリブについて思うこと、忘れないうちに書いておきたい。(「**の華」 編曲作業)

アドリブ、これ、奏者がアドリブしたいという欲求があって出て来たアドリブとそうでないアドリブって、もうそれはもう全然、別の質を持ったものとして現れて来てしまうのではないだろうか。

今、ある曲の編曲作業を進めているのだけれども、リコーダーにアドリブさせられそうな箇所がほとんどない。
すごくわかりやすい書き方してしまえば指がまわる奏者にとってはヒマで仕方がないくらいの楽譜になってしまうかもしれない。

そこで最後の最後にアドリブ。とはいえ、ジャズミュージシャンではないのでアドリブに聴こえそうな音をあらかじめ書いておくということなのだけれども。

でも、これ本当にその奏者がアドリブせずには居られないようなそんな必然性のある曲の展開に持ってゆきたい。
指のまわる奏者でもそうでない奏者でも。

(ああ、指がまわるなんて、あんまりデリカシーのない言葉だなと今、書きながら思った。音楽の本当の本当のところとそういうことってあんまり関係ないんじゃないか、と改めて思う)

イタリア風の装飾ではアダージョに装飾つけよう、という試みがなされるのだけれども、これ本当のところはどうなのだろう?
本当にその奏者がアドリブしたいと思ってやったアドリブとそうでないアドリブ、これ天と地ほどの差があるのではないかと、そんなことを思う。

「**の華」 編曲作業の途中で 2017年7月19日

歌謡曲編曲における注意点

2017-07-18 | 音楽制作覚書
歌謡曲編曲における注意点のなかでも重要なのはカラオケにだまされない、ということ。

つまりCDやユーチューブで聴くことの出来る完成形では入念に作りこまれたカラオケと歌が一緒に鳴っている状態であるということをよくよく認識すること。

カラオケと一緒だと作りこまれた楽器群の音と歌が一体化して、ほとんど歌の線を装飾する余地はないように感じられることが多い。
しかし、いったんカラオケをすべて取り去ってもとの旋律と簡単な和音だけにばらしてしまうとどうなるだろうか?

ここまでやってももとの線を変えられる余地が見つからない時はどうするのか?

アドリブをするべき箇所

2017-07-18 | リコーダー奏法
アドリブをするべき箇所にはおおまかな約束事がある。
同じ旋律が複数回でて来る場合、最初と最後にはやらない。
ジャズでもそうだし、バロックのロンドみたいなものでもそう。ということはこれ、かなり普遍的な音楽言語。

まんなかに挟まっているところにはアドリブをやる。

これをおおきな約束事として知っておくと自分で実際に演奏する場合、あるいは編曲などをする際に役立つ。

歌謡曲編曲の際にはたとえばサビの部分は1番のおわり、2番のおわりに出て来て、最後に複数回くりかえされることが多い。

ということはサビに関していえば1番のおわりのサビ、そして最後のサビ以外については音の形を変更しても良いということになる。
それに対してAメロ、Bメロは、それぞれ1番、2番に出てくるだけでそれ以降繰り返しされることがない場合、アドリブらしき音の動きを加えることは出来ないということになる(あくまでも大きな原則)

これすごく大事!
こういう原則を知っているのか、知らないのか、そのあたりで大きな違いが出ることあり。

良い旋律には装飾を拒むチカラが秘められている

2017-07-18 | 音楽制作覚書
良い旋律には装飾を拒むチカラが秘められているのではないか。

ここ数日、編曲作業に取り掛かりながら思う。
つまり、旋律そのものがあまりにも完成されていてそこから先に手を入れることがなかなか出来ないのだ。

じゃあ、ファンエイクが笛の楽園でやったことは?テレマンがメトーディッシュソナタでやったことは?
過去と現在の優れたジャズミュージシャンがやっていることは?

ヒント:
もとの旋律の音をたった1個か2個、変えるだけで、それだけで大きな変化が出るような、そんな在り方もあるはず。

もとの旋律の音を変えないでリズムを変えることによって変化をつけるとか。。。。

あまり良くないのは、無駄な音がただ沢山付け加わるようなパターン。あんまり良くない。準備しないで本当にいきなり即興する際には許容される場合もあるけれども。。。。。