吉嶺史晴のブログ

リコーダー奏者吉嶺史晴のブログです。演奏活動ならびに鹿児島市で音楽教室を運営しています。

明日は

2023-01-26 | 日常雑記
明日は勤務先の大学での今年度最後の授業です。
私は音楽理論関連科目、リコーダー関連科目を担当しています。

鹿児島国際大学国際文化学部音楽学科では、リコーダーを主科の楽器として専攻することができます。

守安 功  雅子 Our Favorite Things in2023 

2023-01-26 | 読み物
先日の1月22日(日曜日)、東京は武蔵野スイングホールにて ”守安 功  雅子 Our Favorite Things in2023” が開催され、僕は聴きに行った。
何曲か演奏もさせてもらった。その時の模様を書いておきたい。

きっかけはこのところ自分のレパートリーが固定化されて来てしまっているのが自分でも気になり、とにかく様々な音楽を沢山聴きたいと思い、日本のアイリッシュミュージックの第一人者、守安功氏(以下守安さんと呼ぶ)のCDをインターネット経由で注文したことだった。
事務所の受付みたいな人が返信してくれるのだろうかと思っていたらなんと守安さんから直接、返信をもらってしまった。

彼とは20代の頃に何回か共演させてもらったことがあった。
しかし、僕はなんだか守安さんに対しては「取って食われそうだな」と思い込んでいたのだった。

リコーダーの演奏技術では負けてはいなかったとは思うけれども、それ以外が全く勝ち目のない感じだったのだ。
まず、背の高さと、顔で負けている。それは仕方ないと思う。
問題は頭の回転の速さでも負けていた。それもまあ、仕方なかった。

もっと問題なのは、弁舌のさわやかさである。これは仕方ないとはいえ、なんだか悔しいのである。
未だに悔しいけれども、もうそれは仕方ないのである。

年をとると良いことがいくつかあって、それは諦めが良くなることである。
もうそれらは良いことにする。

守安さんの事務所の受付の人ではなく、守安さんからいきなりメールをもらった僕は、また取って食われそうになるのはやだな、と思いながらとにかく返信の返信を書いた。
なるべく事務的に済ませたかったのであった。

だって、若い頃、取って食われそうな人から、もう何十年もたってからまた食われそうになるのは嫌だもんね。

守安さんの返信にはCDの代金はいらないとあった。
それは困る、と僕は思った。だって事務的にかたづけたいわけだから。こっちは。

数日したらCDが送られてきた。守安さん、そして雅子さん(ハープ、コンサーティーナ、バウロン奏者)の一番新しいCDがふたつ。
CDは悔しいけど、凄く良かった。

問題は、CDと一緒にコンサートのチラシが入っていたことであった。
CDが届いた旨のメールを守安さんに送ったら、返信に1月22日のコンサートを聴きにいらっしゃいませんか、とのことが書いてあった。

どうしようかな、と思った。
届いたCDは凄く良い。とにかく今まで僕が聴いたことのある様々な笛の音楽のなかでも指折りのものだった。CDでは守安功さん、そして雅子さんの演奏がそのまま録音されている。聴けるものなら生で聴いてみたい!
しかも、1月22日には僕の大好きなヴィオラ・ダ・ガンバの演奏もあるみたいだ。アイリッシュダンスや、歌など、とにかく楽しそうだ!

しかし東京は遠い。
その日には教室の振替レッスンが入っていた。
どうしようかな、と思っているうちに守安さんからほぼ1日おきくらいにメールが届くのであった。怒涛のメールであった。

困ったことに、かつ嬉しいことに、守安さんは僕のユーチューブを聴いてくれていて、めぼしい曲について、これまた嬉しい感想を寄せてくれるのであった。

とどめは「ララバイは女泣かせの名曲」なんだと。

ううう、今までこの曲のことほめてもらったことあるけれど、こんなほめられ方経験なかった。
しかも、1月22日のコンサートでララバイ演奏してみませんか、ときた。

これでとどめをさされた僕は東京行きを決めた。
振替レッスンも何のその。

~~女泣かせの名曲を吹いてと言われて吹かずにいらりょか、オトコがすたる~~

やがてコンサートの日がやって来た。
朝8時35分鹿児島空港発の羽田行きスカイマーク便で東京に向かった。

目指すはJR中央線武蔵境駅北口徒歩2分の武蔵野スイングホール。
とにかく、ここで僕は守安さんをひっくり返すような良い演奏をしなければならない、と意気込んでいた。
何故ならば若い頃は逆立ちをしても勝てない相手であり、しかも、一歩間違えたら取って食われてしまっていたかもしれないからなのである。

ことあるごとに、僕の耳には「守安さん、アイルランドでCD発売したらしいよ」とか「アイルランドのテレビで守安さんが特集された番組が作られたらしいよ」とか「オキャロランの作品集作ってるらしいよ」とか「また新しい本書いたらしいよ」とか、そういう話が飛び込んで来ており、その活躍はいやおうなしにも目にせざるを得なかったのだ。

鹿児島で開催された守安さん、雅子さんのコンサートを聴いたけれども、それはもう言葉にならないほど素晴らしかった。
でも、その頃の僕は本気で悔しがっていたのだ。今、思うと青臭いというか、バカみたいである

ヨーロッパのリコーダー奏者には誰ひとりとしてこういう思いを抱いたことはないけれども、守安さんだけにはそうなってしまうのだった。


鼻息荒く、僕は武蔵野スイングホールに到着した。
勢いあまって当初の予定より1時間も早く武蔵境駅についてしまった僕はそのあたりをうろうろ歩きまわることにした。

鼻息は荒かったが、腹がぐ~ぐ~鳴り出した。
武蔵境駅前にある、なんとか水産という和食の店で腹ごしらえをした。
煮魚の定食をがっつり、御飯大盛り、味噌汁お替りでようやくエネルギーが充填されて来つつあった。

煮魚の小骨を真剣な顔で取り除きつつ、御飯と一緒にちょっと甘辛い味付けの魚をほおばり、味噌汁をぐびぐび飲み込んだ。
ついでにコップの水もごっくんごっくん飲み込んだ。


準備万端とあいなった。


しかし、それでも時間が余ってしまった。
仕方がないので、そのあたりをぐるぐると歩き回ることにした。

まだまだ時間があまっていたけれども、歩き回ってばかりいても、本日の舞台に差し支えてはいかん。

意を決して武蔵野スイングホールに向かった。
13時25分ほどであったかと思う。

なんとそこでリコーダー奏者大塚照道さんと遭遇した。
鹿児島出発、飛行機、羽田からのモノレール、JR中央線、武蔵境駅前のなんとか水産と言う和食の店を経て、そのあたりをぐるぐる歩き回りながら、いよいよ鼻息の荒くなってきた僕は、若手リコーダー奏者大塚照道さんとばったり会った。彼も守安さんのコンサートを聴きに来たらしいのだった。

大塚さんとは昨年の12月に鹿児島で共演させてもらって、その潤滑油のようなキャラクターに僕は惚れこんだ。
スイングホールのロビーでしばし大塚さんと談笑していたら、いきなりホールのドアがあいて「お~、お~、よしみねくん、ようこそいらっしゃいましたぁぁぁ、中にどうぞ~~~」と言って声をかけてくれたのは守安功さんであった。

ここはひとつ、落ち着いた風情で大人っぽく振る舞わなけばならぬ、と瞬間的に判断した僕は大塚さんととりあえず挨拶を交わした後、演奏会場に入った。
守安さんは「会場の響きでもチェックしてくださいね」と優しかった。

そうなのである。彼は紳士的なのである。ただし演奏となると、凄く激しくなったり、彼は横笛も吹くのだけれど、これがまた素晴らしく、僕には絶対に実現できないような節回しがあって、それはもう彼だけのものなのだろう。
守安さんは自分のリハーサル、そしてゲストの方々のリハーサルは終えて、演奏前の準備をしている様子だった。

ロビーではなにやら楽し気な音楽が鳴り響いていた。
横笛と小型のアコーディオンで踊りの音楽らしきものを奏されている風だった。

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やがてコンサートが始まろうとしていた。
しかし、主役の守安さんは相変わらず舞台でなにやら、ゴソゴソやっている。
ロビーではまだ音楽が鳴っているみたいだったし、開演直前にいらしたお客さんと、守安さんは舞台越しに挨拶したりしている。

鹿児島の時の守安さんの演奏会を思い出した。
確かにこんな感じだった。
クラシックの演奏会とはこういう点が全然違うのだろう。

やがて開演5分前から「前座」の人の演奏が始まった。
中学2年生くらいの年頃に見えた娘さんがホイッスルを演奏した。
ドリア旋法の曲だったと思う。
守安さんは横笛で、そして雅子さんがアイリッシュハープで伴奏した。

不覚にもそこで涙腺がゆるんでしまった。そこで演奏される何かが僕の深いところに到達して来たような感じだった。
これは職業的に音楽に携わっている自分としては、不覚以外の何ものでもなかった。

だって、涙腺がゆるんでなんかいたら、適格な判断が出来なくなってしまうではないか。

瞬間的にその場で一番ふさわしい判断をしながら演奏したり、曲を書いたりするのが職業的な音楽家の務めだと訓練されて来た。
今でもそう思う。
少なくとも仕事で音楽やってるんだったら冷徹無比。これしかない。

(ただし、それがプロとかアマチュアとかいう枠を超えたところで、つまりただの音楽家として、どう働くべきなのか、それについてはいろいろな考え方が有ろうかと思うけれども)

不覚の瞬間はその度ごとに何回もやって来た。

歌う方が舞台でサリーガーデンやアメージンググレースを歌ってくれた時はそうだった。

守安さんは鹿児島からわざわざやって来た僕のために、18世紀初頭にロンドンで出版されたディヴィジョンフルートに収録されているリコーダーの曲を演奏してくれた。
最前列の席に座っていた僕の前で、舞台の一番前のところで守安さんは僕に向かって吹いてくれたのだった。

白黒つけてやろうじゃないの、なんて考えていた僕はすごく恥ずかしくなった。
同時にまたまた涙腺がゆるんで来てしまいそうになって困った。

一応僕はプロの奏者だから、必死に顔面の筋肉を緊張させて頑張った。

ここだけの話とは言っても、もうブログの読者の皆さんには、ばれてしまう話なのだけれども、20代の頃はすごく人と人のつながりが濃かった。もう40年くらい前だ。皆そうだったんじゃないだろうか。
僕はすごく煮え切らない若者だったので、守安さんは僕に対して、便箋で12枚くらいの手紙をくださったことがあったのだった。

そこには守安さんが考える音楽家としての在り方とか、当時の僕に必要なことが何なのか、ということを熱く書いてくださっていたのだった。
思えば熱い時代だった。
皆、熱かった。
変わった人も面白い人も沢山いた。

携帯電話もインターネットもなかった。
電話を持っていないアパート住まいの若者はその辺の公衆電話から電話するしかなかった。
駅で待ち合わせしても、携帯電話なんか誰も持っていなかったから、駅の掲示板に「おれは1時間も待ってたんだぞ!怒ってるぞ!もう帰るからな!」なんていうことが書かれたりするそんな時代だった。
まとまって伝えたいことは皆、手紙を書いて郵便でやりとりするしかなかったのだった。

その頃、彼女の家に電話したら間違って親父さんが出て来て「君は一体だれかね?」とか「娘に何の用かね?」とか電話の先で詰問されて公衆電話ボックスのなかで電話機に向かって必死で自己紹介したり(以下 略)
昔は携帯電話なんか誰も持っていなかったので仕方がなかったのである。

守安さん、雅子さんがアイルランドを旅していた頃もそういう時代の最後の時だったのだろうと思う。

2023年、1月22日、前座の娘さんのホイッスルで不覚にも涙腺がゆるんだ僕はかなり涙腺の弱った状態で「ララバイ」を吹くはめとあいなった。
涙腺だけではなく、鼻水もずるずる来てしまっていた。

非常にまずい状態であった。

「オンナ泣かせの名曲」のはずだったが、しかし、自分が泣いてちゃ話にならんので、そこは、しっかり、自分としてはキリっと気分を引き締めてなんとか演奏出来たのではないかと思う。
ララバイの演奏中に鼻水たれてこなくて良かった。

コンサートは14時と18時の2部構成であった。
それぞれが休憩をはさんで2時間半ほどの長さだったと思う。
ひとつのコンサートが始まってから終わるまで2時間半というのはかなり長い。

これもアイルランド的なのかもしれない。
何しろ守安さんいわく、80年代、90年代頃まではアイルランドではコンサートとはいっても、チラシに開演時刻の表示がなくて、19時に始まるのだろうと見当をつけて、そこに行っても誰もいなくて、20時になっても誰もいなくて、ようやく21時とか22時頃から演奏が始まって、たっぷり演奏したらそれから1時間くらいたっぷり飲んで、それから朝の2時、3時頃までまたまた、たっぷり演奏する、というそういうスタイルが日常的にあったとのこと。

今はもうどこにいっても規格化された同じような音楽になってしまったのかもしれない。

でも、2023年、東京は武蔵野スイングホールにあの頃の目撃者としての守安さん、雅子さん、そしてその当時の事を知るゲストの方々によって、それは確かなものとしてその空間に現出していたのではないだろうか。
コンサートでは印刷されたプログラムはなく、守安さんが舞台上で、「次は***ゆきましょうかぁ~」と一声かけると、ゲストの方々はそれに応えてささっと準備をして演奏。

そしてゲストの誰かが、なにか筋書きにない曲を演奏したがっている様子があると、守安さんはそれをキャッチして「よ~し、その曲でゆきましょう」と声をかけたり。
おおまかな筋書きみたいな流れはあったのかも、と推測するけれど、それでもかなりの割合はその場の空気の変化や演奏者の状態によって守安さんが作って行ったように見える。

反対の意味で涙腺がゆるくなったのは守安さん自身が作曲した「鶏卵丼」組曲というものだった。
京都のある店に、玉子を使った美味しい丼料理があるそうなのだが、それにちなんだ3楽章形式の作品となっていた。

それぞれの楽章にはモチーフとなる音型が仕込んであり、その音型の詳しい解説が作曲者である守安さん自身によって舞台上で語られるのだが、これが絶妙の話術で最高に笑えるのだ。
とにかく彼の作曲した「鶏卵丼」組曲の解説は最高で、会場内は爆笑の連続だった。

しかも、さらにすごいのはそこには演奏だけではなく、4人のダンサーによる踊りまでついて来ているのだった。
こんな贅沢な演目を味わえる機会はそうそうないのでは。

でも、これ、英国とアイルランドのバロックでも伝統音楽でもない・・・
だって鶏卵丼がテーマの曲というのは・・・・・そもそも鶏の卵の丼料理とヨーロッパの伝統音楽や、バロック音楽に何の関連があるのだろうか???

でも、それも、かつてのアイルランドのパブみたいな在り方なのかもしれない。
僕は80年代のアイルランドのパブに行ったことはない。
なのでその場の空気がどんなものか知らない。

でも筋書きにないものが突然、現れたり、そのことがきっかけて物事が想像をはるかに超えた展開をしてゆくのは演奏会だけではなく、僕らの人生がまさにそうなのだ。
もしかしたら、1月22日に東京は武蔵野スイングホールで現れたのは80年代のアイルランドのパブに象徴されるところの、もう今はなき最後の時代の空気だったのではないだろうか。

ほんの少し前まで、多分、80年代もしくはギリギリ90年代くらいまでは今の管理化された社会の前に生きる人々がまだあちらこちらに居たのだろう。
当時のアイルランドもパブでも、筋書きにない演目が突然、登場するのは日常的に起こり得ることだったのではないだろうか。

泣いて笑って圧巻の2時間半の演奏が2回。合計5時間。
2023年1月22日の ”守安 功  雅子 Our Favorite Things in2023”は終わった。

ゲストの方々によるヴィオラ・ダ・ガンバ、バウロン、コンサーティーナ、アコーディオン、ホイッスル、アイリッシュフルート、リコーダー、トラヴェルソ、歌、ダンス、そして守安さん、雅子さん。

あの時間と空間はもしかしたら夢だったのだろうか?
でも、まだ余韻が残っている。
ほっぺたつねってみる。ちゃんと痛さが伝わって来る。夢ではない。

ひとつの旅の終わり、そこには別れがある。でもそれはまた新しい旅の始まりでもあるのだろう・・・・

2020年

2023-01-26 | 日常雑記

2020年の2月に近江楽堂でバルト・スパンホフさんと一緒に講習会をさせてもらった時の写真が出てきました。
時がどんどん過ぎてゆきます。

リコーダーの練習

2023-01-26 | 日常雑記

リコーダーの練習もやはり少しずつ進めます。
写真の楽器はA=392Hzのアルトリコーダーです。
黄楊材で出来ていて、F.モルガン氏製作になる楽器です。

フランスのバロックの曲や、テレマンの無伴奏曲などを吹くのに最高です。

日々、練習あるのみ

2023-01-26 | 日常雑記

日々、練習あるのみということで今日はスコアリーでイングの練習です。
バッハのフーガの技法(ハ音記号が3つ、ヘ音記号がひとつ)をその場でピアノ用に頭の中で直しながら弾く練習です。
調子が良い時にはそのまま移調演奏の練習もやっています。