5月3日の吉井町での演奏会ではバッハのシャコンヌBWV1004が曲目の中に入っている。
今日は練習してみた。
もう暗譜で吹ける曲なので、あまり沢山練習することもない。
もう沢山吹いた。
今度で最後にしようと思う。
曲に飽きたとか、そういうことではなくて、もっと自分でなければ出来ないことがあるように思える。
でも、それはヨーロッパの音楽の歴史からみたらとるに足りないようなものだ。
ずいぶん、昔、ベルギーでまだ学生生活していた頃、彼の地で日本の音楽仲間と話をする機会があって、どんな音楽やりたい~??という話題になった。
そこで「日本の田植え唄みたいな音楽やりたい」と言ったら、すごく変な顔してその場の空気がすごくしらけてしまった。
皆まだ若くて、「もっとバロック音楽の歴史的な演奏解釈を突き詰めてゆきたい」とか、そういうのが主流だったのだ。
もうずいぶん早くからそういう方向とは違うものをやりたかったのだけれども、やりかたがわからなかった。
今度初演させてもらう「権太の御芋」は僕自身が本当にやりたかった表現がここにあると言えるものだ。
ヴィオラ・ダ・ガンバでバロックの曲が弾けるようになって、対位法や和声など勉強させてもらって、大学で教える機会も与えてもらって、実際の作曲活動もさせてもらって、ようやく日本語の歌詞も自分で書けるようになって、
やっと出来た曲というか朗読劇だ。
ここまで来るのにすごく時間がかかってしまった。
自作の歌と日本語の語りが交互に出てくるという構成になっていて、題材は薩摩芋の伝来が主題で、ヨーロッパの古典的な音楽とはほど遠い。
伴奏の楽器としてヴィオラ・ダ・ガンバを使っていることと、曲によっては西洋の機能和声を使っていることくらいだ。
それもポリフォニックとは程遠い単純な形になっている。
今日、テナーリコーダーでシャコンヌの練習を始めた時の違和感はなんとも言葉に出来ないものだった。
今月に入ってからずっと創作朗読劇の作曲と練習に入っていて、頭のなかは「権太の御芋」だけでほとんど占められていた。
シャコンヌの居場所はすぐには見つからなかった。
演奏会当日はどうなるだろう。
蔵のギャラリーでそんなに席も沢山はないみたいだけれど、せっかく来てくださるお客さんの前でおかしな演奏は出来ない。
もう曲目も出してしまっているから今更、変更することもかなわない。
シャコンヌBWV1004なんて、そういう曲ではなくてもっと軽い曲にすればよかったかなと思うけれども、もうこれで最後だと思うと悔いがない。
でも、もう本当に本当にこれで最後にしたい。
シャコンヌとさよならしたい。
別れるならきれいに別れたいのだ。