11月26日の教室の発表会が近づいて来ました。
以下は参考までに、私自身の演奏数日前のメモ書きです。
ここで「シャコンヌ」と言ってるのはJ.S.バッハの無伴奏パルティータ第2番BWV1004の最終楽章のシャコンヌです。
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ここ数日、シャコンヌを録音しながら練習しているとなかなか勉強になる。
この間は勤務先の大学のリコーダー関連授業のなかで学生諸君の前でシャコンヌを演奏してみた。
自分で練習していても、もうあまり細かいところを念入りにやる、というような時期でもないので、全体の構築力が上がるような見通しの良い演奏を目指したい・・・・と言いたいところなのだけれども、やっぱり細かいところも大事なのだ。
楽器の特性と僕の技術のふたつが邪魔をしてどうしても、なかなかすんなり行かない箇所があるから、そこはやっぱり練習あるのみなのだ。
昔に比べて、少しラクになって来たな、と思うことがあってそれは「難しい箇所はゆっくりやる」、とか「つばがたまって来たら飲み込む」というようなことを抵抗なく出来るようになって来た。
でも、これいわゆる芸術至上主義みたいな考え方(昔の僕はこういう感じで凝り固まっていたと思う)だと、あんまりよろしくないのだろう。
でも芸術、芸術と言っても、肝心の音が出なくては話にならないわけなので、まずは音をちゃんと出すこと。
頭のなかで鳴っている理想の音、それはそれ。
現実は必ずしもそうなるとは限らない、というか、95パーセント以上の確率でそうならない。
出来る限りの練習はしてから舞台に臨むけれども、うまく行く時は行くし、ダメな時はダメなのだ。
でもその時はダメでもいつまでもダメとは限らないところがこういう分野の面白いところでもあるし、ダメな箇所がありながらも、そこに囚われずに前に進むこと、これが肝心のところ。
経験上、ある程度の規模以上の曲を演奏する場合にダメが箇所が起こらないことはない。(お客さんに気付かれるかどうかはまた別の話だけれども)
で、演奏に臨む構えとしては「良い演奏しよう」というのと同じくらいの割り合いで「今から自分がやる演奏のなかではダメな箇所や失敗する箇所が起こり得る」というものがあるのが良いのではないかと僕自身は自分に対して思う。
これは多分、人によって様々な考えかたがあるのではと思うけれども。
でも、今まで何度も演奏して来てやっぱりそういう構えのほうが結果としてはうまく行くように感じるのだ。
ダメな箇所があって当たり前。
でもダメな箇所があることイコール、その演奏全体がダメであるということにはならない、というような、そんな構え。
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