吉嶺史晴のブログ

リコーダー奏者吉嶺史晴のブログです。演奏活動ならびに鹿児島市で音楽教室を運営しています。

今日は

2019-02-26 | 日常雑記

今日はいつもの曲に加えて移弦の練習をしました。

移弦というのは弦楽器の演奏の際に、ひとつの弦から隣の弦または隣の弦のその隣の弦に弓を移動させる技術です。
ヴァイオリンやチェロの教則動画なども参考になります。

鹿児島地方は菜の花が咲き始めています。

2019年2月25日

2019-02-25 | 思うこと
サッカーの試合などで「アウェイ」と「ホーム」という区別をすることがあります。
このことからひとつアイディアが浮かびました。

「思い」というのは今の科学では数値で測定することは難しいのでしょうが、強さがあるのではないか、ということ。
「ホーム」の試合で選手たちが地元のサポーターから応援を受けてチームに勢いが出るというのは何か、このようなことが反映されているのでは。

もうひとつのアイディアです。
まだうまくまとまっていないのですが、「思い」は時空を超えることがあるのではないか、ということです。

例えば大事な試合を控えた選手やコーチ、あるいは選手の家族やサポーターはその試合の数ヶ月前あるいはもしかしたら数年前からその日の試合のことを思ってその日のその選手の活躍に期待を込めます。

ということは実際に試合で戦う選手たちはその試合のリアルタイムのサポーターだけではなく、それに加えて過去から来る「思い」のチカラも受けながら戦うということになるのでは。

このようなアイディアが浮かびました。

あるいはその試合が終わってしまったら、その試合はすでに過去のことになってしまうので、過去の時点からその試合の時に向けて「思い」を発信するということも出来るかもしれません。

スポーツ選手の場合は試合というものがその競技歴のなかで欠かせないものなのですが、演奏者の場合はやっぱり演奏の機会ということになります。

熟達した奏者もそうでない奏者もそれぞれ、その人なりに懸命な準備を重ねて演奏の機会に臨むわけです。

うまく行く時は良いのですが、そうでない時はもう泣きたくなります。
それまでやって来た努力みたいなものが全部、水の泡になってしまうようなそんな時もあります。

でもそれでももしかしたら、そんな時であっても未来から、あるいは過去から「大丈夫だから、なんとかなるから、ちょっとずつで良いから前進できるよ」というような思いが実は届いているのだとしたら、それは救いになるのでは。。。。そんなことを考えてみました。

ひとりでかかえ込むには大きすぎる失敗にひとりで直面しようとする時でも。

明後日

2019-02-22 | 日常雑記

明後日はマタイ受難曲のあわせの練習です。
お昼の12時半から始まって休憩を挟みながら21時までです。

ヴィオラ・ダ・ガンバのソロが2曲あります。
弦の選定も、楽器の調整も上手く行っています。

ソロのうちの1曲「来たれ、甘き十字架よ」という曲は4分の4拍子なのですが8分音符をひとつの拍として演奏されることが多いようです。明日の練習でもそのようなイメージになることが予想されるのですが、危険としてはそれぞれの拍が重たくなり過ぎるということがあります。

遅いテンポなのだけれども、拍が重くなり過ぎないようにすること。

これも大事な技術のひとつということで明日、心がけたいことのひとつです。

拍の重さについてはいろいろ思うことがあります。
音楽の様々な要素は概して「相対的」に感じられることが多いです。

しかしながら「拍の重さ」については慎重な扱いが必要なのではないかということです。
重たい拍がず~っと続いていたら、聴き手にとっては重たい拍ばかりなので、相対的に重たく聴こえないのではないか、という推論をしてみるのですが、どうも的外れです。

「重たい拍」というのは「それよりもさらに軽い拍」がなければ相対化されません。
あるいは「拍の重さ」はその拍よりも軽い拍だけではなく、その拍よりもさらに重たい拍がなければ明瞭になりません。

ですからやはり軽く弾く技術(小さな音を出すという意味ではなく)が必要となります。
しかしながら小節線の最初にある音で、しかも重音になっていたりすると、どうしても「ずうぅ~ん」とか「ぶうぅ~ん」というような感じに鳴らしたくなってしまって、結果として重たく聴こえてしまうことが多いです。

考えかたとしては遅いテンポであっても、その音が次ぎの音に続いている感じをなるべく保つ、ということがヒントになるのではと考えています。遅いテンポであればあるほど、このような在り方を意識的にしておく必要がありそうです。

今日はこれからまた練習です。
明後日の受難曲のほかに、今取り掛かっている作曲の準備があるので、そちらも進めます。

作曲とは行っても少し前に書いた曲に新しくもうひとつのパートを付け加える作業です。
単純に音を重ねるだけのやりかたで済んでしまう箇所と、そうではなく、新しい次元をひとつ創出する、というような在り方が要求される箇所があって、頭を使います。

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昔から漫画が好きで、今でも時々読んでいます。
松本零士の書く女の人の美しさにしびれます。

作曲と練習で頭が煮詰まった時には漫画も良いです。

最近の練習では

2019-02-19 | 日常雑記

最近の練習では4分の4拍子の曲で歌のパートを歌いながらヴィオラ・ダ・ガンバを弾いて、つまさきで8分の3拍子のリズムを繰り返すことを続けています。

本番の時には歌も歌わずに済み、リズムもしなくても良いので負担がラクになることを狙った練習です。ヴィオラ・ダ・ガンバだけではなくリコーダーや他の楽器にも応用できます。

練習の際に一時的に演奏のための負荷を高くしておくという考えかたです。

格闘技の選手が鉄の下駄をはいて砂浜を走ったりするのと似ています。
このような練習はそれぞれ様々に工夫を凝らしてオリジナルの方法を作ってみるのは良いアイディアです。

あと1週間

2019-02-17 | 日常雑記
あと1週間でマタイ受難曲のあわせの練習の日がやって来る。

自分のソロのところも通奏低音も出来る限りの練習はして来たけれども、歌と他の楽器とあわせるとまた調子が変わってくるからそのあたりもしっかり出来ますように。

ガンバの調整も、弦の選択も今のところ上手くいってるので大丈夫だ。
ソロの曲はもうずいぶん前に暗譜してしまっているけれど、初心忘れるべからず、ということでちゃんと目の前に楽譜も置いて、楽譜読みながら、そして音も聴きながらやる。

弓は手持ちのやつから一番、腰の強い弓を使う。

リコーダーの場合だといちいちこんな道具のことなんか書いたりしないけれども、ことガンバに関していうと、とにかくちゃんと出来なければいけない、というプレッシャーみたいなものがあってなんだかいつもと調子が違うのだ。
やっぱり道具は大事なのだ。
道具の調子も。

ここ最近はモダンチェロもひっぱりだして来て、フレットのないところになるべく正確に左手を持って来る練習もしていたのでその効果も出ているのではと思う。

オーケストラはいいな。

皆でフォルテの音を出しているとまるで自分の音が聴こえなくなるくらいでっかい音がその空間にあって、なんだか一瞬でも皆と一緒になっているような気持ちになるから。

「つまらない世代論なんか忘れて銀河系のかなたの星屑になりたい」なんてそんな台詞を思い出したくなったりする。ちょっとカッコよすぎるか。。。

フランダース・リコーダー・カルテット最終公演の評が掲載されました

2019-02-16 | weblog

鹿児島国際大学教授 久保禎先生が音楽現代3月号にてフランダース・リコーダー・カルテット最終公演の評を書いてくださいました。

和声の初歩

2019-02-16 | 音楽教室
ある程度、リコーダー演奏が出来るようになったら和声や対位法を勉強するのはお勧めです。
このことによって音楽を演奏だけではなく作曲という観点から見ることが出来るようになります。

いわゆる芸大和声の第1巻の始まりの部分では基本的な和音のつながりかたを練習します。

この段階ではそもそも音楽的に美しいとか、そのようなものを書くことよりも、ひたすらつなぎ方を練習するという意図のほうが効率的です。

演奏という点である程度、高度な段階に達していると和声でいきなり初歩になるのは抵抗があるかもしれないのですが、いったん新しい観点を自分のなかに取り込むという点では良いものです。

初歩の段階では「ソプラノの美しい旋律」と言っても、非常に限りがあるのも事実です。
このような段階ではひたすら機械的に課題をこなすという態度が有効です。

国語で言えば、五十音をひらがなで書けるようになるようなそんな段階です。
少し進んだとしても単語を覚えてゆく、そんなところです。

カタカナや漢字の混じった文章で自分の考えを表現できるまでにはまだまだ遠いです。

まずは文字を覚えること、文字の書き方を覚えることからです。
いきなり美しい文章を書こうと思う必要はないです。

今日のレッスンではこんな話がでました。
リコーダーのレッスンなのですが、和声や対位法の話題が出るだけでなく実際に問題を解くところまで行けるのが面白いところです。


昭和の喫茶店

2019-02-15 | 思うこと

喫茶店が好きだ。
楽譜を書いたり、練習したりするのに頭も身体もどうしようもなくなった時によく行く喫茶店があった。
店のなかはタバコと珈琲と古い埃がちょっとだけ混じったようなそんな空気の店だった。

喫茶店というからには客のテーブルがなければいけないのだが、普通の喫茶店風のこじんまりしたテーブルに混じって動かなくなったゲーム機(それも1970年代、80年代風とおぼしき!)もあった。

「このゲーム機、動かないんですか?」と尋ねたことがあったが50代風とおぼしき髪の毛の量の少ない男の店主は「すみませんねえ」と言った。

スピーカーも古そうだった。高度成長期のものと思しき立派な外見に似つかわしくない小さな音量で昔の歌謡曲が流れていた。

かといって「昭和」の郷愁を売り物にするわけでもないところが好きだった。

狭くもなく広くもないその店にはテーブルが10個あまり並んでいた。
客が沢山居た、という記憶はない。
僕だけか、あるいは他に1組の客がいるか、いないか、そんな感じだった。
その喫茶店はその店主が道楽でやっていただけのものだったのかもしれない。

時々、その店で店主が作ってくれる「白身フライ定食」とか「ミックスフライ定食」、「しょうが焼き定食」というのが好きで、練習の合間に食べたりしてた。動かなくなったゲーム機の上で食べる喫茶店の御飯はなかなか美味なのだった。
実際に美味しかった。

珈琲は350円だった。定食と一緒に珈琲たのむと安くしてくれた。

漫画本も沢山おいてあって「がんばれ元気」というボクシング漫画のなかに登場する「芦川先生」というヒロインの圧倒的な美しさに参ってしまったのもこの店だった。

それまで漫画のヒロインは手塚治虫が一番だと思っていたが、この芦川先生は圧倒的だった。

この店を見つけてからかれこれ4.5年は通っていた。
顔なじみになっていたはずだけれど店主と親しく話しをするわけでもなく、その点も居心地が良かった。

店主も僕に必要以上に話しかけてくることはなく、僕も彼に話しかけなかった。
鹿児島にも良いとこあるんだよなあ、と思って僕はその店に行って珈琲飲んだり、漫画みたり、時々美味しい御飯食べたりしてた。

ある時、店の前に貼紙があった。
「都合により閉店します。御愛顧ありがとうございました」というようなことが書いてあった。
突然だった。

店がなくなってから、もうどのくらいたつだろうかな。

どんどん時が流れてゆくのだ。

また今年の桜の季節もやってくるのだ。

もうすぐマタイ受難曲の演奏旅行

2019-02-15 | 日常雑記

もうすぐマタイ受難曲の演奏旅行が始まる。
鹿児島(3月15日)、東京(3月21日)、神戸(3月23日)、岡山(3月24日)の4公演。
僕にとっては3回目のマタイ受難曲全曲演奏。今度で4回目だ。

課題だった弦の選択もある程度、うまく行ってあとはしっかり練習して演奏に臨むだけというところに来た。
今度の日曜日からあわせの練習が始まる。

僕は第2部の通奏低音、そしてガンバのソロで参加することになっている。
今までの3回の演奏、いずれも反省点があったから今回はそれらを良い形で修正してゆきたい。

今回のマタイ受難曲では勤務先の管弦楽団のなかの一員として参加させてもらうのだけれども、とにかくちゃんとした演奏したい。

近くにガンバの先生、居てくれたらなあ、と思う。
先生じゃなくても良いから一緒にガンバ弾いてくれる人とか。
時々、弱音が出てしまう。
そんな時は隣の芝生がすごく綺麗に見えてしまう、というか、そんな感じになってしまう。でも進むしかないのだ。

この間、いつも演奏活動を手伝ってくれる人と、引き際の話をした。
その人は「何歳まで現役で演奏活動したい?」って僕に尋ねた。
僕は言葉に詰まってしまった。
なんとなくその場をやり過ごすような答え方しか出来なかったような気がする。

もうそんな季節に差し掛かっているのだ。


演奏会の準備

2019-02-13 | 日常雑記


5月の演奏会の準備が少しずつ進んでいます。
今回は作曲作品の発表もあるのでスコアやパート譜を作ったりしています。

3月には東京、神戸、岡山でマタイ受難曲の演奏もあるので、そちらの準備も進めています。
レオンハルト指揮の録音を聴きながら楽譜を読んだりしています。

左手で弦を押さえて、右手で弦を擦る感覚を鋭敏にするため以前買った古いチェロを出して来て音階の練習をしたりしています。
ガンバと違ってフレットがないので左手があいまいな場所にあるとすぐに狂った音程になるので良い練習になります。

春休みで学校に行くこともないのでこのところ家と教室を行ったり来たり、時々卓球に行ってます。
もうすぐ桜の季節がやって来るんだなあ、とそんなこと思います。