吉嶺史晴のブログ

リコーダー奏者吉嶺史晴のブログです。演奏活動ならびに鹿児島市で音楽教室を運営しています。

庭の千草 "The Last Rose of Summer" Fumiharu Yoshimine

2018-07-31 | weblog
庭の千草 "The Last Rose of Summer" Fumiharu Yoshimine

無伴奏テナーリコーダー用に「庭の千草」を編曲してみました。

作曲者よりの曲と演奏者よりの曲

2018-07-31 | リコーダー奏法
例えば主題労作(バロックのフーガや古典派のソナタなど)というようなやりかたで書いてある曲はどうしても作曲者よりになってしまう。

例えば演奏者自身が作曲したものを彼自身が演奏するような場合は、曲それ自体がもともと演奏者と近い位置にある。

例えば、通常の通奏低音付きバロックのソナタがあるとする。
このようなものはフーガや古典派のソナタほどは主題が労作されていないけれども、演奏者自身の作曲作品ほどは演奏者と近くない。

このような位置にある曲をなんとかして出来る限りの手段をとりながら演奏者に近いところへ引き寄せる工夫は出来るだろうか?

あるいはその逆。自分自身で作曲したり編曲したりしたものがあまりにも自分の近くにあるのではなく、それをなるべく遠い距離を保ちながら客観的な態度をくずさずに演奏するための具体的な手続きがあるとしたらそれはどのようなものだろう?

庭の千草

2018-07-31 | weblog

無伴奏テナーリコーダー用に「庭の千草」を編曲してみた。
ゆっくりテンポの曲をちゃんとニュアンスをつけて演奏できるように。
ゼロだけではなくて、ちゃんと楽器の表側の穴の隙間の分量も調節できるように。
ピッチもちゃんと保てるように。

すいぶん長い間、リコーダーを演奏して来ているけれども、なんだかいつまでも基礎的なこともやっぱりずっと練習あるのみなのだ。最近、とくに思うのは、テンポの遅い曲をちゃんと吹くのはとても難しいということだ。

僕でも難しいのだから生徒諸君はなおさらのことだろうと思う。

ニュアンスをつけるための具体的な考えかたはふたつ。
■替え指を可能な限りたくさん使う
■可能な限り、標準の指使いだけでやる

実際はこの両極端の間のちょうど良いところをとるのだけれども、練習の時にはどちらのやりかたでも出来るようにしておくとラクだ。




ほど良くピッチがずれた音

2018-07-31 | リコーダー奏法
ほど良くピッチがずれた音を演奏に活かすことができれば良いだろうな、と常々思っていたのですが、そのあたりのところを実現できそうな方向!

いろいろなところにヒントあり。
たとえば、ボーカロイドの打ち込みの際にピッチを意図的にずらしたほうが効果的に聴こえる箇所があるのだけれども、そのあたりのところも、もしかしたらリコーダー演奏に活かせるかも。

わざわざボーカロイドの打ち込みやらなくても、いろいろな様式の歌手の表現など、とても良いヒントが沢山ありそう。(演歌とか!)

■ピッチがずれた表現をする際にはそのずれが聴き手に明瞭に知覚されて良い場合と、そうでない場合がありそう。このあたりのところも要注意。

ニュアンス

2018-07-31 | リコーダー奏法
演奏の際にどこまで演奏者の意図を実際の音として表現できるか、というのは楽器の性能もさることながら、奏者の技術によるところが大きい。
ゆっくりしたテンポの曲のニュアンスがある程度まで表現できると、ことさら「乱れた美しさ」とか、そのようなことを目指さなくても良いような感じもある。

もちろんそこには「何時、どのように乱れるのか」という期待(?)みたいなものがあるに越したことはないのだけれども。

でも「乱れた美しさ」が表現できるためにはその対極「整った美しさ」みたいなものがある程度まで表現できていなければいけない。最初から最後まで乱れっぱなしということは有り得ないので。

でも表現には段階があるから、初心者はまず整った美しさを目指すべきであって、この段階においては独自の表現をする余地みたいなものはあまりない。中級くらすの人もやっぱりそうなのではないだろうか。中級になると曲が難しくなって来るから、それなりに「整った」表現をするだけでも大変だ。

いくつも段階を通り越して上級のさらに上級あたりになるとテンポのゆっくりしたものをどれだけのニュアンスを持って表現できるか、というようなことになるのではないかと思う。

で、このあたりなって来ると「上手なんだか下手なんだかわからない」ような表現も可能になって来る。ヴィヴァルディの協奏曲とか、複雑な現代作品みたいなものとか、バッハの編曲ものとか、そういうものの次に来るのは、なんと、その辺にある誰でも知っているようなテンポのゆっくりした曲になるのではないか、とそんなことを思う。

補足:
表現において大事なことのひとつは生の感情を出さないこと。
これに関連して言えば、「乱れてるのか、乱れてないのかわからないような」在り方というようなことも考えられるかもしれない。そのあたりのところも含めて目指すべき到達地点のひとつ。

要は台所事情を全部ばれてしまうのを避ける工夫。
もうひとつ大事なこと:機械的な演奏技術が前面に出てしまうのを上手に避ける工夫も。
(もしくはそのようなタイプの曲は最初から演奏曲目として選ばないということも)

「乱れた音」

2018-07-31 | 思うこと
シャガール Blue Lovers 1914

以前、どこかの記事で書いたかと思うのだけれども、もう一度、確認のために書いてみたい。
「乱れた音」が出せるようになったらとても良いのだろうなと思う。
でも最初から最後まで乱れっぱなしだとつまらない。

「この演奏者は乱れる、なんてことはないんだろうな。。。」と聴き手は思ったとする。だって彼または彼女の演奏はリズムもピッチもなにもかも整っていて、文句のつけようにない演奏が非常な安定感をもってなされているから。

でもそんな演奏が何かの拍子で乱れてしまったらどうだろう。
それまでの演奏ぶりからはまるで考えられないほどの乱れた音、ピッチ、リズム、突如として失われてしまったかのようなそれまでの安定感。。。

芸事の本質的なところ(多分、それはバロック的な美学の本質とも通じている)はもしかしたらこのあたりにあるのではないかと僕などは思う。

それまで整然と進んで来たはずの何かが突如として乱れてしまった際に起きるその場の空間の質の変化!

(「庭の千草」無伴奏テナーリコーダー編曲・録音の際のメモ 2018年7月31日)

幻想曲第5番

2018-07-30 | weblog
Fantasia no.5 for tenor recorder Fumiharu Yoshimine

イギリスから問い合わせがあった幻想曲第2番が出来たので今度は録音だけしてある第5番を清書してみます。
無伴奏テナーリコーダーのための曲です。
どうぞ御期待ください!

テナーリコーダーのための幻想曲第2番

2018-07-30 | weblog
Fantasia no.2 for tenor recorder Fumiharu Yoshimine


吉嶺史晴作曲テナーリコーダーのための幻想曲第2番の楽譜の販売ページが出来ました。
https://music.dlmarket.jp/products/detail/612918?
無伴奏テナーリコーダーと演奏者の声が同時に鳴るように書いてある曲です。
もしよろしければどうぞ。

テナーリコーダーのための短い練習曲

2018-07-30 | リコーダー奏法

テナーリコーダーの短い練習曲を作ってみました。左手の中指の穴をふさいで残りの穴は全部開いたまま、1種類の指使いだけで息の速度だけ変化させて音の高さを変える練習です。
普通は音の高さを変化させるためには指使いを変化させなければいけないと考え勝ちなのですが、リコーダーにはそうではない可能性もありそうです。

全体はとても小さな音です。
普通のバロックの曲にはなかなか出て来ないような音なので奏者はあまりこのような音を出すのに慣れていません。

私自身もこのような音を出すことには慣れていないので今、楽器の性能と自分の演奏能力がどこまでゆけるかということを探りながら進めています。

新しい可能性がこのあたりにはまだ沢山、隠れているのではないかと感じています。
このような音を実際の曲のなかで使うような曲がこれから現れたらリコーダーの世界にまた大きな広がりが出来るのではないかと思います。


「古い技術」と「新しい技術」の境界線

2018-07-29 | リコーダー奏法
「古い技術」と「新しい技術」の境界線は何処にあるのだろう?

僕はリコーダー奏者なのでリコーダー演奏に関する技術のことを考える。例えば「フラジオレット奏法」。あまりにも小さい音なので実際の曲のなかで使われることはほとんどない。

ただし、使われることが少ないからといって練習しなくても良いということではない。どんなに頻度が低くてもその技術が曲のなかに出てくる以上はその奏者がその技術を使うことが出来なければいけない。

「フラジオレット奏法」は通常の息の速度よりも極度に遅くした状態でリコーダーの音域のなかのある限れらた音域だけで出る音である。

では「通常の息の速度」と「通常の息の速度よりも極度に遅い息の速度」との間には明確な境界線があるのだろうか?

そのようなものは無いという考え方に立つのであれば、もしかしたら何か新しい表現がそこに生まれる可能性があるかもしれない。

ということはやっぱり新しい技術は新しい表現と密接に結びついている、といういかにも在り来たりの結論になってしまうけれども。。。

もうひとつ。
「零と1の間には無限に数が存在する」ということ。
この考えかたをリコーダーでピッチを変えないで減衰させる時に応用できないものだろうか?

例えば、リコーダーの指穴になんらかの必要があって隙間を作る際に、隙間がまったく無い状態から隙間のある状態に移行してゆくその瞬間にそのような考えかた、応用できないだろうか?

つまり指穴の隙間が1ミリ、とか0.1ミリとか、0.01ミリとか、0,001ミリとか、そういう風に考えてゆくと、無限に小さな隙間というのは少なくとも理論的には可能なはず。

この切り口から普通の奏者と、良い奏者の区別を考えてみると、以下の通り(仮説みたいなもの)

■普通の奏者:1ミリ単位でしか隙間の分量を調節できない
■良い奏者:必要に応じて0.01ミリ単位で思うがままに隙間の分量を調節できる

このように考えてゆくと結局、良い奏者になればなるほど演奏上の様々な事柄について微細な調節能力が優れているということになる。(息の速度、タンギングの硬さ、などなど)